第588話 オーエン家にお邪魔します!

 デザートの山の木の実をふんだんに使ったケーキと山葡萄のシャーベットまでしっかりと味わった後、三人はアッシュの実家までの道を歩いていた。と言っても、アッシュの実家はロンドン郊外にあるので、今はタクシーを拾うために大通りを目指している。


 「美味だったなー!我は満足だ!」

 「そうだな。鏡華とイサベルも連れてきたいな……ロザリンさんは……どうだ?」


 店はあの朗らかな老爺一人で営業しているようだった。ロザリンの食いっぷりを考えると少し申し訳ないような気がする。もちろん、ロザリンにもあの美味しい料理を食べさせてあげたいのだが。そんな、双魔の葛藤を見破ったのか、アッシュはクスクスと笑った。


 「心配しなくても大丈夫だよ!ああ見えて、凄腕だから時期になればイノシシの一頭二頭狩ってきて、丸々料理してくれるから!ロザリンさんもお腹いっぱいになるよ!」

 「そうなのか……それなら安心だな」

 「そうそう!あ!ちょうどいいね!」


 大通りに出るとタイミングよく黒いタクシーが走ってきた。表示は「For Hire」。空車のようだ。アッシュが手を挙げて降ると目の前に停車した。


 「おや、オーエン家の御曹司じゃないですかい!お友達とご一緒で?」


 開いたドアから後部座席に乗り込むと、こだわりのありそうなカイゼル髭とくたびれた帽子を被った陽気な運転手はアッシュに声を掛けてきた。どうやらまたアッシュの顔見知りらしい。


 「やあ!偶然だね!そうなんだ。家までお願いしていいかな?」

 「もちろん、喜んで!ああ、シートベルトはしっかりお願いしますよ!」


 運転手の言う通り、アッシュと双魔はしっかりとシートベルトを締める。真ん中に座ったティルフィングにも締めてやる。信号が変わるとタクシーは滑らかなアクセルで走り出すのだった。


 タクシーは賑やかな街並みをスルスルと走り抜けていく。平日の昼下がりの大通り、車はそう多くはない。ロンドンの中心部から外へ向かって行くにつれて、高層ビルや石造りの建物の密度は薄くなっていき、代わりに目に優しい夏の緑が増えていく。


 「アッシュの家は遠いのか?」

 「そうだねー。普段は市内にあるオーエン家が経営するアパートに住んでるんだ。実家は近くないからね。でも、一時間はかからないと思うよ?」

 「そうなのか……」

 「アッシュは見た通り、いいところのお坊ちゃんだからな」

 「むー!なんかちょっとからかってない?双魔だって、左文さんに「坊ちゃま!坊ちゃま!」って呼ばれてるじゃないか」

 「まあ、そうだが……うちはお前さんのところと違って、正式な貴族ってわけじゃないからな……」


 双魔の言う通り、オーエン家はブリタニア王室から子爵の叙勲を受けた正真正銘の貴族だ。世界大戦の勃発を危惧した神々の介入によって、世界には神秘が甦り、没落していた魔術師や遺物使いの家の多くが復権した。一方、オーエン家はその遥か以前から貴族だ。中世に興ったオーエン家は、牧場農場経営に羊毛の輸出、貿易で財を成し、財政面で長きにわたってブリタニアを支えてきた。今は政治の中枢に関わることは少ないが、変わらず裕福であり、ブリタニアの主要都市において不動産業界に大きな力を持っている。アッシュが住んでいるアパートもその一つだと聞いている。


 「ソーマの家も大きかったが、アッシュの家はもっと大きいのか?」

 「え?ティルフィングさん、双魔の実家に行ったの?」

 「うむ!そうだな……立派なジンジャ?オテラ?のようだった!」

 「正月に、な。帰ってもどうせ誰もいないから帰る気はなかったが……鏡華が大掃除するってな」

 「廊下が長くてゾウキンガケ?をするのが楽しかった!濡らした布を、こうやって!絞るのだ!」


 ティルフィングが楽しそうに雑巾を絞る仕草をして見せる。


 「そうなんだ!いいなー!僕はまだ日本にも行ったことないから……」

 「そう言えばそうか。んじゃ、そのうち一緒に帰るか」


 双魔の一言でアッシュの碧色の目が明るく輝いた。イサベルほどではないが、アッシュもそれなりに日本への憧れがあるのは双魔も知っている。


 「本当!?約束だからね!本場の抹茶とお寿司を楽しみたいんだ!いい店紹介してね!」

 「ん、まあ、探しとく」

 「楽しみだなー!あ、もう家に着くよ!」


 窓の外の景色はいつの間にか広大な畑と青い空、所々にある林だけになっていて、目を凝らすと野兎と小鳥が畔でピョンピョンと跳び回っている。そんな長閑な風景を眺めて、ティルフィングはこてんと首を傾げた。


 「むぅ?家などどこにもないぞ?もしかすると、あれか?」


 ティルフィングが指差したのは遠くに小さく見える農業用具の倉庫だった。双魔はそれを聞いて悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 「ほら見てみろ。お前さんの方がよっぽどお坊ちゃんだ」

 「うー……えーと、ティルフィングさん、ほら!見えてきたよ!アレが僕の家!」


 今度はアッシュがフロントガラスの方を指差す。そこには、学園の正門にも負けないほど大きな門と、その奥に幾つかの尖塔らしきものの影がある巨大な建物あった。


 「あれは家ではなく、屋敷というのではないか?」

 「クックックッ!」

 「双魔!なにがおかしいのさー!」


 アッシュが頬を膨らませて拗ねる。それを見て双魔がさらに笑う。ティルフィングは段々と迫ってくる屋敷に興味津々。そんな仲睦ましい三人を、バックミラー越しに見る運転手の眼差しは、とても優しげだった。

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魔剣少女と契約した低血圧系魔術師、実は女神の生まれ変わりでした?魔導学園で学生と講師を両立しながら何とか生きていこうと思います。ー盟約のティルフィングー 精神感応4 @seisinkanno4

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