あの用務員は

 父の土曜は走らず散歩をしていた。ぼくはマンガを読んだりジャグリング練習をして過ごした。

日曜は朝起きるとすでにいなかった。母はパートだし、家にだれもいなかった。ぼくはジャグリング動画を見ての練習だった。

 パンとカップラーメンを昼に食べていると電話が掛かった。

「もしもし、久保田です」

『おお、父さんだけどな、二十キロのコースで三十八位だった』

「へー、速かったね」

 二百人くらい走るなか、父は五十位代が多かった。足が速いほうだけど、まだ一位から十位はない。

『まあな、それで仲間と飲むから晩飯はいいとか母さんにいっといてくれ』

 仲間はマラソンのクラブだった。大会後は、ほぼ仲間とお酒を飲んでいた。

「わかった」

 父はマラソンのあとがとてもうまいという。ぼくにはその意味はわからなかった。ジュースのほうがうまいからだ。

 午後は宗太とサッカーゲームでもやろうかと思った。でも買い物の可能性もある。電話すると出た。

「……久保田ですけど、宗太君いますか」

『ごめんね、宗太は父さんと温泉行ってね』

「わかりました……」

 といい切った。夏ごろから父と温泉に行くといっていた。ぼくは温泉など熱くて入るのはごめんだった。

 ジャグリングの練習も出来ないとあきてしまう。するとゲームになる。

 少しやっているとチャイムが鳴った。だれだろう。回覧板かなと思い玄関を開けた。ぼくは目を見開いた。

「こんにちは」

 担任の吉川先生だった。

「な、なんで先生が?」

 ハンドバックとケーキやクッキー、お団子を売っている祥華堂の紙袋を持っていた。

「急に来てごめんね、ちょっと話しがあって、母さんか父さんはいる?」

「いないですけど」

 話しとは宿題を忘れることなのか。でも先生の表情はいつもの厳しさがない。

「そう、実はね……木曜から土曜の夕方、学校に泥棒が入ってね。それが昨日わかったの。犯人は昨日捕まったの、元用務員の人だった。以前この学校にいたことがあって、それで盗みに入ったと自供したの。先生が巡回して職員室に戻ったとき、ノートパソコンをバックに積めてたらしいの。久保田君を木曜の放課後に一人にさせてわるく思って謝りに来たのよ。これを置いとくね」

 先生は紙袋を玄関に置く。ぼくはもしやと思った。

「その人って少し太って垂れ目の人?」

「えっ、会ったの?」

 先生の目が大きくなった。

「たぶん、用務員さんがわるさをして辞めてとかって、駿河第二から宮川に来たといっていた。たしか飯田とかいってたんです」

 思い出しながらだった。

「危ない目にさせてごめんね、それは全部うそよ、名前も偽名だし。なにかいわれたの?」

「なにもです。あいさつもしたし、ただ知らない人と思ってて……あの人は泥棒だったのか」

「ごめんね、もう放課後は一人にさせないから。用務員さんはいま病気で休んでるの、代わりに教頭先生がやってるんだけど、教頭先生はそのとき一緒に会議だったしね。会議を知って忍び込んだらしく、知り合いの同僚から聞いたのよ。ほんとわたしも放課後を認めてしまったのもわるかったんだ」

 木曜は歯医者を休む理由だったのでぼくのせいだ。

「違います、ぼくが歯医者を休みたくて放課後にしたんです」

「あら、そうだったの。でもわたしが生徒をほったらかしにしたからわるいよ。ほんとごめんなさい」

 先生が頭を下げた。

「そんなことないけど……」

「母さんたちがいないなら、またあらためて来るよ」

 そんなことをしなくていい。どうせ母はなんとも思わない。

「いいですって、ぼくが黙っていればいいです」

「ダメだって。わたしは生徒を守る教師よ、謝りに来るわ」

「ぼくは大丈夫だったんだし、本当にいいよ」

「ダメです」

 声が大きく、いつもの顔になった。

「それだと夜になります」

「わかりました。何時ごろ?」

「七時にはいます。でも父はいないです」

「いいわ、お母さんにいっといてね、それじゃ、行くわね」

 といい、先生は玄関を出た。ぼくはまた先生が来るのかとため息が出た。



「へー、そんなことで謝りに来るの、先生も大変だね」

 母は焼きそばを作りながらで、やはりなにも思っていない。

 ぼくは居間で六時からのニュースを見ながら泥棒の事件を話した。

「だから来なくていいっていったのに」

 テーブルには先生からもらったクッキーと水羊かんが載っている。

でも夕食を食べてからと母から命令された。

「あんたが歯医者が嫌で放課後といったなら、先生はわるくないじゃん」

 自分のこともどうせばれるので先に話した。

「まあそうだけど、生徒を守らなかったことをいっていた」

「教職の責任をいってるんだね。大変だけどそうして立派になっていくんだね、先生たちは。泥棒が弘人を誘拐するわけないし。泥棒は泥棒しかやらないの」

「ぼくが新しい用務員と信じたのもあるんじゃない」

「そういうことじゃないよ、罪が増えるの、窃盗と誘拐とね。まだ罪が一個のほうがいいでしょ。誘拐だと小さい子ばかりだよ。こないだもあったばかりだった。出来たわ、食べな」

 ぼくはキッチンテーブルに移動した。

「あっ、父さん三十八位だって、速くなったよ、けがしてたのに」

「えっ、けがしてたの?」

 口を押さえたが遅い。

「なんとなくね」

「けかをなんとなくって、なによ」

 母が両腕を組んだ。

「予想だって」

「けがに予想はないでしょ、どこをけがしたの?」

 ぼくは焼きそばを食べ出す。サラダと味噌汁もある。

「ひじと膝だよ、だって母さんにいうと大会出れないかもしれないからいうなってさ。こないだ自転車で散歩していたじいさんにぶつかりそうになったんだって」

「ちゃんといわないとダメでしょ。今回は順位が上がったから、たいしたことないだろうけど」

 母も焼きそばを食べ出す。きょうは具に肉が入ってなくキャベツともやしだけ。

「肉入りじゃないの」

「肉が値上がりしててさ、たまにはいいでしょ」

 宗太がカレーに入れる入れないでもめたことを思い出す。

「あっ、やってる。あっ、この人だ」

 テレビの県内ニュースで宮川小が写っていた。手を服で隠されていた『飯田』だ。本名は『佐々木静雄』と出た。

「へー、あんたすごいじゃん、この人と会えて」

「まあね」

 ニュースが終わって天気予報になったとき、チャイムが鳴った。

「たぶん先生だね」

 時計を見ると六時五十分だ。母の焼きそばは半分残っている。

口元をティッシュでふきとり玄関へ向かった。

 二人の声が聞こえる。特に先生は謝ってばかりだ。いつもこっちが説教ばかりなのに。このことで宿題を忘れてもあまり怒られないことを期待する。宿題は漢字ドリル三ページあった。今夜やろうとしていたが、これで堂々と忘れられる。

 その時間をジャグリングの練習をしようと思った。

玄関が閉まった。

「こっちが恐縮したよ、まったく真面目な先生ね。まあいいわ、あんたもこれで歯医者に行く気になったんだから。あの日に歯医者行ってなかったら、またさぼり癖がついてたわね。あの犯人に会ったので予約が金曜となったし、これでよしってこと。泥棒に感謝かもしれい」

「そうかもしれん、あの人に会ったから五時に帰ったし」

 それに母との話しで納得したのもある。

「歯医者は注射がないし、怒らない先生だから行くって。スペシャルカレー&ジンジャエールもあるし」

「そうよ、がんばってよ。父さんもよくがんばってるんだし、ただ終わると必ず飲み会はいまいちなんだけど。自分へのごほうびとはいうけど」

「それなら母さんもワイン飲めばいいのに、きょう仕事だったんだから」

 ぼくは振り向くと、キッチン棚に置いてある紙パックのワインを指した。

「そうね、でも一人はつまらないでしょ。あんたは飲めないし」

「ぼくはクッキー食べながらジュース飲むからいいじゃん」

「ジュースは買ってないわよ」

「なんだ、それならカルピスがあったはず」

 棚下の引き出しを空けるがなかった。

「残念、麦茶か牛乳だね」

「ちぇ」

 といい、麦茶を注ぐことにした。

「あー、焼きそばいらなくなったわ、あんた食べない?」

「これからクッキーと水羊かんを食べるのにいらないよ」

 麦茶を入れたグラスを持って居間のテーブルに座った。テレビをバラエティーにした。そしてクッキーを開けた。

 母はグラスにワインを入れて居間に来た。

「焼きそばどうするの?」

「明日の父さんの弁当に入れる」

「明日って大丈夫?」

「持つわよ、それがやりくりってものよ。うん、やっぱ祥華堂のクッキーおいしいね」

 クッキーを食べてワインを飲んでいる。

「ほんとだ、バターがきいている。ワインとクッキーって合うの?」

「まあね、甘い同士だし、麦茶に砂糖入れれば甘くておいしくなるわよ」

「麦茶に砂糖?」

「わたしの小学生のときは入れてたの。いまは入れないようだけど」

「へー、まずく感じるからいいよ」

「やってみなよ、絶対おいしいから。あっ、でもやめな。歯医者せっかく通い出したから、虫歯になる可能性があるわ」

「そうだよ、あまり甘いのはやめればいいかも」

「それだとクッキーと水羊かんはどうなるのよ」

「これは、いいさ。ぼくのことでもらえたんだし」

「ハハハハ、仕方ないか」

 そこへ固定電話が鳴った。母が出ると笑い出したので友だちのようだ。受話器を耳に挟み紙パックのワインを注ぎ出した。長電話になりそうだ。

 中学になると忙しいようだ。いまのうちにジャグリングが出来ればいいが。歯医者も小学生で終わらせたい。長く掛かると母はいっていなかった。目標を持ったことで少しは楽しい生活になるのかもしれない。父になんとかコーチしてもらえば、一カ月で出来るだろうか。とにかくいままでの、宿題を忘れてとり得のない自分を新しくすれば、少しは女子に持てるかもしれない。ぼくはそう思うとにやついてしまった。母の顔は赤くなりぺちゃくちゃ話している。風呂に入ってジャグリングの練習でもしようかと、クッキーを少しティッシュでくるみ立ち上がった。

 二階の机にクッキーを置いた。プラスチック製の小さいタンスから下着をとり一階に下りた。

 シャワーを浴びながら思った。まず宗太を驚かせたくなった。でもジャグリングに興味があることは話している。すぐ出来ないからあきらめたことにすればいいのか。そして密かに練習して宗太の前でやれば絶対に驚くからそうしよう。

明日からの学校が楽しみになってきた。吉川先生もきょうのことでぼくにそんな説教もしないだろうし、もしかしたら居残りで泥棒に会ったことを話すのかもしれない。そうするとみんな驚くはずだ。

少しはヒーローになる。目を閉じてシャンプーをしているとき、明日が面白そうだと笑ってしまった。そのときシャンプーが口に入り苦かった。






                                 

                               (了)


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大きらいな歯医者 のりたか @nori

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