episode.15



 八月の終わり。まだ暑さが残るそんな日に、俺は目に当たる日差しによって深く長い眠りから目を覚ました。


「こ、ここは……」


 まだ視界がぼやけているのを必死に目を凝らして辺りを見渡すと、そこは俺のよく知っている裏山だった。


 昨日まで過ごしていたその世界とは明らかに違う祠を目にすると俺は自分の置かれた状況を理解したのだった。


「戻って来たんだ……」


 そう呟いた俺の手にはあるものが強く握りしめられていた。

 強く握りしめられた手のひらをゆっくりと開くと、それは過去で七海から貰った『お守り』だった。



 母さん……。



 俺はそのお守りを再び強く握りしめた。




 俺のすぐ側で鈴華が倒れている事に気付くと俺は安心して彼女の名前を呼んだ。


「……さ……とちゃん……?」


 彼女が目を覚まし今一度俺がいる事を確認すると、彼女は堪らず俺を抱きしめた。



「さとちゃん! 良かった……。本当に良かった……」



 彼女は涙を流しながらにそう言葉を漏らした。

 そんな彼女に答えるように俺も彼女の背中に両腕を回し、抱きしめた。




 その後の俺たちは、一度ちゃんと未来に帰って来れたのかを確認する為、町に降りる事にした。


 二人並んで山を降りている最中、不意に鈴華が俺が握りしめているお守りに気が付いた。


「そのお守りって……」

「ああ、母さんから……。ここに帰る前にくれたんだ」


「そうなんだ……」


 母からは絶対に開くなと言われていたが、お守りの中身を確認したくて仕方がなかった。

 勿論、この中身は十中八九、別の未来で見たあのメモが入っているであるだろう。だからこそ今、その言葉が見たくて堪らなかった。


 俺は母からの忠告を無視して結ばれた紐を解き、中に入っていた一枚の紙を取り出した。


 そして、そこに書かれている言葉に目を通した。





「……え? なんで……。何でこれが……」





 俺はそのメモに書かれている文字を見て言葉を失った。



 そこに書かれていたのは、俺が想像していたものではなかった。

 書かれていたのは俺が昨晩、母に死期を教えるために残したメモだった。




「どうかしたの……?」



 俺の様子に心配そうに言葉を掛けてくれる鈴華。

 俺はその言葉と同時に、膝から崩れ落ちた。


「どうして……、なんで……、なんでここに来て……」


 俺はどうにも遣る瀬無い気持ちで、何度もその悔しさから地面を殴った。

 そんな様子の俺を必死に止める鈴華。





 しばらくして、鈴華のお陰で少し落ち着きを取り戻した俺は、彼女にこのお守りの事を話した。


「そうだったんだ……。でも、まだこの目で確かめるまでは、信じよう……。ナナさんがさとちゃんに言った『待ってる』って言葉を」


 そんな鈴華からの言葉に勇気をもらい、俺達は山を降りたのだった。




 一時間程掛けて裏山を降りた俺たちは直ぐの所にあったコンビニに立ち寄ると新聞を手に取った。

 その新聞には2011年八月二十八日の日付の記載と、店内の時刻は既に昼の三時を回っていた。



 日にちを確認した俺達は鈴華の家へと向かった。


 鈴華は母の事を心配してくれていたが、流石に長いこと家を空けていた彼女をご両親に早く合わせないといけないと思い、無理やりにでも鈴華を説得させた。

 鈴華の家の近くまで来ると、鈴華は口を開いた。


「ここで大丈夫だよ。さとちゃんと一緒だと、きっとさとちゃんが怒られるだろうし……。さとちゃんは早く叔父さんの家に帰ってあげて」


「……鈴華、ありがとな。鈴華が側にいてくれて本当に良かった」


「……何言ってるの。これからもずっと側にいるよ。何があっても、ずっと……」



 鈴華と別れた俺は叔父の家に向かっていた。


 その途中、お守りの事がどうしても気になって中々前に足を進められないでいた。



 もしも母さんがいなかった時、俺はどうなってしまうんだろうと、そんな事ばかり考えてしまう。


 気づけば俺は再び裏山に戻って来てしまっていた。

 そこは昨晩、母と見た星空が見える場所だった。

 既に日は落ち、辺りは暗くなっていた。

 空には昨日と同じ星空も見えていた。




「やっぱり、違うよな……」




 昨日とは変わらない場所で変わらない空を見ているはずなのに、あの日あの時に見た景色とはまるで違って見えた。




「母さん……」





 全てを思い、勝手に出たその言葉を呟いたその時だった。




「あっ! やっと見つけた! もう何処ほっつき歩いてたのよ。ずっと待ってたんだからね!」





 俺の後ろから聞こえた声は紛れもなく俺のよく知る、俺の大切な人の声だった。


「……か、母さん……⁉︎」


 俺は思わず、声を漏らした。


 街灯もなく月明かりだけが照らすその声の主を見た俺は驚きを隠せないでいた。

 そこにいたのは、ここが未来だと言うのにその姿は二十六年前の十四歳の姿をした母だった。


「どうかしたの?」


 呆気に取られ、放心状態でいた俺に構う事なく彼女は続けて言葉を掛けた。


「あっ! やっぱりタイムスリップなんてしたから後遺症が残っちゃったのかしら……。どうしよう、私の事分かる⁉︎ ねぇ?」


 そう尋ねて来た彼女に俺は堪らなく抱きついた。




 もう過去だろうと未来だろうとどうでもいい。また母さんに会えたのならそれでいい。




 俺はそう思うと、彼女を強く抱きしめながらに彼女の問いに答えた。


「あぁ……、覚えているよ……。忘れる訳ないじゃないか……」


 そう言って強く彼女を抱きしめたまま涙をこぼす。


「ちょっ‼︎ えぇー⁉︎ どうしちゃったの⁉︎ もしかして過去で怖い事でもあった? ……って、ちょっと痛いんだけど。強いんですけど! ねぇ、本当にどうしちゃったの?」


「本当に……、本当に……会えてよかった。よかった……」



 そう言って更に強く抱きしめた。

 そんな彼女は最初は抵抗していたが、次第にその力は弱まり、頬を赤らませた。



「わかった、わかったから……。一回離れてよ……。過去に飛ばした事謝るから、謝るからさ……」










「だから離してよ、『お兄ちゃん』……」





 彼女から放たれたその言葉を聞いた俺は一気に思考停止となった。



『お兄ちゃん』? 彼女は確かに今そう言った……。



 何を言ってるんだ……。彼女はどう見ても二十六年前の十四歳の相田七海、俺の母さんだ。一度だって俺の事を『お兄ちゃん』だなんて呼んだことは無い……。


 そんな違和感のまま俺は彼女を抱いたていた腕を解くと少し後ずさった。


 そして、顔を赤らめて俯く彼女に恐る恐る言葉を掛けた。



「か、母さんだよな……? 俺の母さん、七海……、だよな……?」


「……はぁ? そんな訳ないでしょ。こんなピチピチの女子中学生が、なんで十七歳のむさ苦しい男子高校生のお母さんなんて事になるのよ」



 そう言った彼女の言葉に俺は言葉を無くしただ立ち尽くすだけだった。


「もうしっかりしてよ、お兄ちゃん! 私は『内海六花』。あなたの妹でしょ! もしかして、タイムスリップの影響で私の事、忘れちゃったの?」




 もう何が何だか……。




 俺は一度に入ってきたその情報に頭を抱えた。


「ねぇ、お兄ちゃん……。本当に大丈夫? 一回お家帰ろ?」


 そう言って俺の腕を引いていく彼女。

 俺はまだ状況を掴めず、黙ったまま彼女に手を引かれて歩いた。





 その道中に俺はもう一つの未来のことを思い出していた。

 あの未来は十四歳で母が死んでしまい、俺の存在しない世界となっていた。

 そこはまるで元いた俺の未来とは違うパラレルワールドの世界だったのだ。



 そうか……。未来が変わったんだ。ここは彼女『内海六花』という存在が産まれた世界。



 俺はようやく自分の中で考えをまとめると、俺の手を引く彼女に声を掛けた。


「なぁ、きみ……、いや、六花が知ってる事を話してくれないか?」


 そう尋ねると、彼女は少し驚いてから悲しそうな顔をした。


「やっぱり、覚えてないんだね……。そうだよね。あんな無茶苦茶な事させたんだもんね……」



 そう言うと六花は俺の知らないこの未来の事を話してくれた。




 どうやらここにいた俺は、六花に言われるがまま過去に送り込まれたのだと。そして、鈴華もまた六花が過去に送り込んだと語った。

 未来に行く経緯を語り終えた六花は今度は俺の方を向いて言った。


「今度はお兄ちゃんの事を教えてよ」


 そう告げると、俺は元いた未来の事、過去であった事、そして今に至ると言う事を色々省略しながらも分かりやすく六花に語った。



「……そっか。お兄ちゃんは、私が産まれなかった世界から来たんだ……」



 そう言った六花に俺はなんて声を掛けていいのか分からなかった。


「まぁ、私がお兄ちゃんを過去へ送り込んだんだし、私が落ち込むのはお門違いだよね。……うん。お兄ちゃんはお兄ちゃん! 例え私と過ごした思い出が無くたってお兄ちゃんである事には変わりない! だからこれからもお兄ちゃんって呼ばせて……」


 そう告げた彼女の姿に過去で出会った母の面影を感じた。


 なんだろうか。時より大胆に割り切った性格はどう考えても母さんそっくりだ。


「六花さえ良ければ、俺は願ったり叶ったりだよ」

「本当⁉︎ 良かった〜。これから宜しくね。お兄ちゃん。……でね、話切り替えるけど家に帰ったら見て欲しいものがあるの!」


 さっきまで悲しそうな顔をしていたが今は切り替えた様に笑顔を見せる六花に俺は思わず笑ってしまったのだった。




 程なくして、俺たちは懐かしい叔父の家へとたどり着いた。

 母の事や久しぶりに会える家族の姿に緊張しながら扉を開けると、そこには前と変わらずの叔父の姿があった。


「おう、悟! やっと、帰って来たか。旅行は楽しかったか?」


 そう言って腕を振っる叔父。


 旅行……? 何を言っているのだろうか?


 俺はそんな叔父の問いかけにキョトンとしていると、六花が耳元で囁いた。


「叔父さん達には旅行に言ってる事にしといたから……。後、鈴華さんの両親にも」


 そう言って俺にぎこちないウインクを見せる六花。


「さっき、鈴華ちゃんが来たぞ。なんか気が動転して悟を探してたみたいだけど、六花に探しに行かせたからって家まで送ってやったわ。後で連絡入れてやれよ」


 そっか鈴華もこの状況を飲み込めずに俺の所に来たのか……。


 そう思い俺は急いで鈴華のとこへ向おうとすると、六花がそれを止めた。


「鈴華さんには後で電話掛けたらいいよ。その前に私と来て!」


 そう言って俺の腕を無理矢理に引く六花。


 居間に上がると、そこには美咲と美由紀叔母さんがいた。

 久し振りに会う二人の姿に俺は思わず涙ぐむと、美咲がそんな俺に飛びついて来た。


「さっちゃん、おかえりー!」


 相変わらずの無邪気な彼女の姿に俺はフッと胸を撫で下ろし、彼女を優しく抱きしめた。


「美咲、ただいま……」


 美咲との感動的な再会を果たしていると、そこに割って入る六花。


「もう、二人とも! そういうのは後にして! まずは私の用事の方が先なんだから! ほら、行くよお兄ちゃん!」


 そう言って美咲と俺を引き剥がすと、強引に腕を引く六花はある部屋へと俺を連れてきた。


 そこは過去で母の部屋だったところだ。どうやら今は六花が使っているらしい。

 部屋に入るなり六花は、「そこに座って」とベットに腰掛ける様に促した。


 俺は言われるがままにそこに腰をかけると、六花は机の引き出しをもぞもぞとあさり、一冊のノートを手に取って俺に渡した。



 それは俺のよく知るノートだった。

 そのノートの表紙には『未来のあなたへ』と書かれている。




「……これ、私が書いてる小説なの。小さい頃にお母さんから聞いた物語の……」





 そう言った六花の前で俺はノートをパラパラとめくった。

 まだ物語は途中までしか書かれていなかったが、紛れもなくこれは俺の元いた未来、そしてもう一つの未来で読んだ物だった。


 そこには過去であった俺と母の話が綴られていた。


「お兄ちゃんには話してなかったけど、私……、小説家になりたいの。……それで、小さい頃にお母さんから聞いた話を本にしようと思って……」


 そこまで言った六花は何か決意を決めた表情で俺にその先を話した。










「……私、この物語の結末を知りたいの! お母さんは最後はぐらかしてたから……。だからお兄ちゃんを物語と同じように過去にタイムスリップさせたってわけで……。……ねぇ、私にこの物語の結末を教えてよ……」










 そう言った六花に俺は呆然としていた。




 この物語を書いていたのは六花だった。


 そしてその物語を知りたくて俺を過去へと送った。

 それは俺も同じでこの物語の続きを知りたいと過去で過ごした。

 でも、この物語はまだ終わっていない。



 それは、彼女の存在を知る事でようやく物語を終える事ができるのだ。



 そう思うと、俺は六花に彼女の事を尋ねようとした時だった。


 静寂した部屋にスマホの着信音が響き渡る。

 すると六花は机の上に置いてあった携帯を手に取り、それを俺へと差し出した。


「……これ、お兄ちゃんのスマホ。過去に行く時、落として行ったから」


 そう言って、鳴り響くスマホの液晶に目を落とした。

 そこに映し出された名前に俺は思わず言葉を失った。












『母さん』












 その文字を確認した俺は震える指で電話に出るボタンをタッチした。

 スマホを耳に当てた俺は何を言えばいいか分からず黙ったままでいると、電話の向こうからとても懐かしく、俺が一番会いたかった大切な人の声が聞こえた。












『待ってたよ……。悟……』














 その声を聞いた俺は自然と涙が溢れていた。



「か、母さん……」



 俺が一番聞きたかった声。会いたかった人の声。


 俺は助けられたんだ……。母さんを……。やっと……。



 泣きじゃくる俺に電話越しの母は告げた。


『悟……。あなたとまた一緒に星が見たいの……。あの場所で……。待ってるから……』


 それだけ言い残し、母は電話を切った。




 電話が切れたと同時に俺は走り出していた。

 目的の場所は言うまでもなくあの場所だ。



 あの場所で母さんが待ってる。



 そう思うと、俺は母に渡すはずだったお守りを握りしめて走っていた。






 俺は涙を拭いながら暗い山道を駆け上がっていた。

 あの場所に俺の会いたかった人が待っている。



 しばらくしてその場所へとたどり着いた。


 息を切らしながらに周りを見渡すと、俺の視線の先に一人佇む人影を見つけた。

 その人は月明かりに照らされ、夜風に吹かれなびく髪を手で押さえ、空一面に輝く満天の星を眺めていると、不意に俺の存在に気が付いた。

 俺の姿に少し驚いて見せると、直ぐに優しく切なそうに笑って言った。





「やっと会えたね……。悟……」





 ずっと聞きたかったその言葉に、俺は堪らず駆け寄り彼女を抱きしめた。




「母さん……。母さん……。やっと、やっと会えた……。会えたんだ……」




 俺の言葉に応えるように、彼女は頷きながら涙を流した。








 しばらくして、二人はあの日の様に空一面に広がる星空を眺めていた。


「約束……、守ってくれたね。やっぱり悟と見るこの景色は今まで見た中で一番綺麗に見えるよ」


 そう告げた彼女に少年は笑顔で答えた。


「俺も……。今母さんと見れてるこの景色が今までで一番綺麗だ」


 そう言って静かな夜の中、二人笑いあった。



 しばらく星空を眺めていると、不意に彼女はカバンからあるものを取り出し、少年に差し出した。

 それは、少年が過去でもらうはずだった、よく知っているお守りだ。



「これ渡しそびれちゃったから、今渡すね。この中に入ってる気持ちは今も変わらない」



 そう言った彼女を横に少年はお守りの中に入った一枚の紙切れを取り出した。

 そこに書かれた言葉を見た少年は笑って彼女に答えた。













「俺もだよ……。母さん」








 そうして二人は今までにない程に綺麗な星空をいつまでも眺め続けたのだった。












「ふうー。やっと書き終わった……」


 時が進み、冬の寒さが段々と落ち着き春の暖かさを感じる頃、ようやく私は半年に掛けて創作していた小説を書き終えたのだった。


「まさかあの時まで、お母さんも結末を知らないなんてねー。最後ちょっといじっちゃったけど、まあでも、これでハッピーエンドってとこかな」


 そう言ってノートを閉じると、私は何か腑に落ちない表情を浮かべた。

 その目線の先には『未来のあなたへ』というタイトルだった。


「これ、お母さんがそう言うから付けてたけど、なんかしっくり来ないんだよね。どうしたものか……」


 私はしばらく考えると、ふと浮かんだ言葉をノートの表紙に書き記した。




「うん。こっちの方がしっくり来る」






 誰もいなくなったその部屋の机には、ある物語が書かれた一冊の小説が置かれていた。

 それは、一人の少年が過去の世界で母と出会い語られる、二人の物語。

 そのタイトルは、

















『Mother’s story』


 そう名付けられたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Mother’s story 長谷 旬 @hase0799

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ