episode.14



 目が覚めるとそれはいつもの朝だった。


 昨日、隣で寝ていた母の姿はなく、そこにはほんのりと温もりだけが残っていた。


 階段を降り、居間に顔を出すと、いつもの風景がそこにはあった。


 昨夜、母に情けない姿を晒してしまった俺は恥ずかしさのあまり母と目を合わせられないでいたが、そんな彼女はいたって普段通りでいた。

 俺もその姿に落ち着いていつも通りに過ごした。



 その日は昼間に祖父の手伝いを終えると、最後に食ってけと味噌ラーメンと餃子を出してくれた。

 家族皆んなで最後の祖父の味を堪能し、気が付けば夜になっていた。



 裏山に行くのは俺と鈴華は勿論、それと母の三人で向かう。

 祖父と祖母、それに健三叔父さんとはここでお別れだ。



「お婆ちゃん、お爺ちゃん……。本当にお世話になりました。……わたし、私、絶対に忘れない……。ここで皆んなと過ごした事、絶対に忘れません……。本当にありがとう……御座いました……」



「私も鈴華ちゃんに会えて本当に良かったよ。向こうに帰っても悟ちゃんと仲良くしてあげてね」

「鈴華、悟の事、頼んだぜ……」


 ボロボロと涙を流しながらに別れの挨拶を言う鈴華。



 挨拶が終わり、鈴華は祖父と祖母そして、健三叔父さんへ用意していたプレゼントを手渡した。

 それを受け取った三人はとても喜んでいた。


 俺も鈴華の後に続く様に買っておいた『健康祈願』のお守りを二人に手渡した。

 それを見た祖父と祖母はたまらず泣き出してしまった。


「悟……、必ず、必ず、また会いに来い……。……俺達も待ってるから」


 そう言って俺を抱きしめる二人。



「……絶対、会いに行くから……。だから、元気で……」



 その挨拶を最後に俺たちは裏山へと歩きだした。





 裏山に向かう道中は泣いている鈴華を母がなだめていた。


 最初会った時は二人とも凄い仲が悪くてどうしたものかと思っていたが、今じゃすっかり打ち解けあって仲睦まじく見える。

 きっと未来で会ってたとしてもこの二人は上手くやれたんだろうな。




 裏山に着く頃にはもう日は落ちて辺りが暗くなっていた。

 最近まではこのくらいの時間でもまだ明るかった印象だがどこか夏の終わりを感じさせる。


 暗い山道を歩いて行くと目的の崖が見えてきた。

 そこに到着した俺たちはしばらく無言でいた。すると最初に口を開いたのは鈴華だった。


「私、先行くね」


「何言ってんだ、もし失敗したらタダじゃ済まないんだぞ! 俺が先に行くよ」

そう言って彼女を止めたのだが、彼女は何も言わずに首を横に振った。

「私、さとちゃんを信じてるから……。先に行かせて。それに、最後は二人で話して」



 そう俺に告げた彼女は母の方へ身体を向けた。


「ナナさん。最初は酷い出会いだったけど、本当に会えて良かった……。今ではね、勝手かもしれないけど、親友みたいに思ってるんだよ。だからまた、必ず会いに行くから。未来で必ず……」


「鈴華……」


「向こうで会ったらまた一緒に買い物行こうね。約束だよ」

そう言って鈴華は小指を差し出した。それに答えて母も小指を絡ませる。

「私も最初は酷いこと言ってごめんなさい。でも、こんなに本気で話し合えた人……、初めてだった……。私も鈴華を親友だと思ってるよ。だから……」


 そう言いかけた母は絡ませていた小指をスッと離し、静かに鈴華に微笑んだ。



「悟の事、よろしくね……」



「……ナナさん」



 鈴華は母に対して何かを言いかけたがそれをグッと飲み込むと、今度は俺の方へと顔を向けた。


「さとちゃん、もし失敗したら、また……、私を助けてね。先に未来で……、待ってるから……」

「……うん。わかった」



「それと……」



 彼女がそう告げたと同時に俺の頬に彼女は軽く口づけを交わした。

 その直後、俺の耳元で小さく囁いた彼女の言葉を俺は聞き逃さなかった。




「ナナさんの事、お願いね……」




 そして鈴華は崖から落ちたのだった。





 彼女の落ちた後、崖の下を覗くと既に彼女の姿は無かった。

 崖の下に鈴華の姿がないと言うことはタイムスリップは上手くいったのだろう。


 そして次は俺の番。

 そう思うと俺は母の方へと顔を向け、最後の別れの言葉を述べようとする。しかし、思い返すとそれは昨日の晩に言い尽くしてしまっていた事に気付いた。


 必死に何かないかと考えていると、不意に先ほど鈴華から告げられた言葉が頭に浮かんだ。




『ナナさんの事、お願いね……』




 その言葉を思い出し、俺は前もって準備していた例のお守りをポケットから取り出すと、母に差し出した。



「これって……」


「実は昨日、一緒に行った神社で見つけたんだ。この御守り、俺がいなくなった後でいいから中身を読ん欲しい。そこに俺と母さんがまた会える未来が書いてあるから。だから……、その日が来るまで忘れずに……、忘れずにずっと持ってて」



 母は何も言わずに俺から御守りを受け取るとその御守りを強く握りしめた。


「昨日一通り言いたい事言えたから、今言える事あんまり無いや」


 俺は苦し紛れに苦笑いを浮かべた。

 それでも俯いたまま母は何も言わずに佇んでいた。


「……俺もう行くよ。鈴華も待ってるし。未来で母さんも待ってるはずだから……」


 そう言って俺は彼女に背中を向けた。すると、母が俺の服の裾を引っ張った。



「ちょっと待ってよ……。バカ……」



 そう言ったまま俯く母に目をやると、母はなにか覚悟を決めた様に俺へと顔を向けていた。



「星……、観たいの……」



 そう言って母は俺を引っ張る様に以前二人で見た星が良く見える所まで足を進めた。


 その場所に到着した俺たちだったが、星を見に行こうと言った当人がずっと下を向いたまま何も話さない。


 そんな母に俺は黙って隣にいると、ようやく母は口を開いた。



「……昨日、神社で二回お願いしたの覚えてる?」



 そう寂しそうに告げる母に俺は頷いた。


「一回目はね、悟達が無事に帰って、また未来で会えます様にって……、そう願ったの。……それで、二回目は……」


 そこまで言った母はこの先を言おうかどうかと一人葛藤している様に見えた。

 少しするとやっと顔を上げて俺に顔を向けてきた母の目には一杯の涙が溢れかえっていた。



「鈴華が来た時……、病院で……、約束した事覚えてる……? 『何でも言う事を一つ聞いてくれる』って……」


「……ああ、覚えてるよ。でも何で……」

「それ……、今使わせて」



 そう言ったと同時に母は俺の身体を強く抱きしめた。





「今だけ……、今だけは……、私を母親である事を忘れて……。それで私を……、私を一人の女の子として、相田七海として、私を見て……」






「……か、母さん……?」


「違う! 違うの……。私は、私はね……。未来から来たあなた……、『内海悟』を、どうしても好きになった、ただの女の子……。だから、だから今は……、ここにいる私だけを見て……」




 そう言った彼女はさっきよりも強く、俺の身体を抱きしめて泣いていた。

 俺がそんな姿の彼女にまだ困惑したままでいると彼女は言葉を続けた。





「昨日ね……、二回目にお願いしたのは今の私……。『悟とずっと一緒にいたい』って……、『離れたくない』って、そう願ったの……。未来なんてどうでもいい。親子の関係なんてどうだっていい! ただ私は悟と……、ここにいる『内海悟』と、一緒に生きたい……。ずっと一緒にいたい……。だから、だからね……、お願い……、行かなで。何処にも行かないで……。ずっと……、ずっと私のそばにいてよ……」





 終始消え入りそうな声でボロボロと涙を流しながらに訴える彼女の姿にようやく俺は”母“ではなく、ただの十四歳の少女”七海“の気持ちを知ったのだった。


「お……、俺は……」


 俺が彼女の告白に答えようとした時、ふと頭には過去に来てからの数日間の相田七海という少女と過ごした記憶が蘇って来た。



 初めて会った時の彼女の顔。

 喧嘩した時の彼女の顔。

 泣いている彼女の顔。

 笑っている彼女の顔。



 彼女のどの姿も忘れられない程に鮮明に俺の中に残っていた。




 そんな俺よりも歳下の少女が勇気を振り絞って伝えてくれたその想いに俺はちゃんと答えなくてはいけない。





 俺もそんな彼女とずっと一緒にいたい。一緒に生きたい。





 そう思った時だった。



『違う未来にいる私を……、幸せにしてあげてね』


『私、さとちゃんを信じてるから……』


『待ってるからね……、悟……』




 それは俺をここまで連れてきてくれた人達の言葉だった。


 俺を思いそう告げてくれたそれぞれの想いに、俺は彼女に告げよとしたその感情を口に出す事を止めたのだった。

 行き場を失ったこの感情に俺は涙が溢れた。







「好き……。悟……。好き……、大好きだよ……。だから一緒にいて……、私と……一緒に……」







 そんな消えいる声で放たれた震える少女の身体を俺は強く抱きしめた。


 するとその時、自分の視界には空一面に輝く星空が広がっていた。


「……ねえ、見てよ」


 思わずその光景を母に見せたくて声を掛けると、彼女は泣きながらも、目を開き俺の指差す方へ目を向けた。



「きれい……」



 そう呟口と同時に彼女の目から溢れる涙が止まった。


「昨日、言ったよね……。『どこで見るんじゃなくて、誰と見るから、その景色はとても綺麗に見えるんだ』って……。今さ、今までで一番、この景色が綺麗に見えるよ……」


 そう言って俺は優しく微笑んだ。










「好きだよ……、七海。大好きだ」










 その言葉を聞いたと同時に再び彼女の目から涙がこぼれ落ちた。

 そんな彼女の姿に俺も涙を流しながらに言葉を続けた。



「でもね……、一緒にはいられない……。だって……、俺は……」



 そう言いかけた俺の目からは今までとは比にならない程に涙が溢れ出ていた。

 俺はそれでも振り絞るように言葉を紡いだ。





「未来でまた、ここにいる七海と今の景色を見たいから……」





 そう言った俺は再び泣きじゃくる彼女を強く抱きしめた。



「好きだよ、母さん……。だから、待ってて……。俺が行くまで、ずっと、ずっと待ってて……」



 俺から告げられたその答えを聞いた母は声を上げて泣いた。

 そんな彼女に俺はこれ以上何も言うことが出来なかった。





 しばらくすると、ようやく母は落ち着きを取り戻すと同時に、俺は母を抱いていた腕をゆっくりと離した。


「嘘つき……。今だけは母親である事、忘れてって言ったのに……、母さんって……」


 まだ少し涙を浮かべながらに母は頬を膨らませてそう言った。


「……ごめん。でもさ、俺にとってはここにいる十四歳の七海も未来で待ってくれる七海も、やっぱり大切で大好きな母さんだから」


 そう言った俺に彼女は膨れていた頬を緩ませ吹き出しながら笑った。


「バカ。本当にバカ」

「ごめんって」


そうして親子二人、誰もいない綺麗な星空の下、笑い合った。





 少しして俺たちは崖の前へと戻って来きた。

 すると母は徐に自分のポケットをまさぐると、ある物を手渡して来た。


「これは……」


 それは『家内安全』のお守りだった。

 俺がさっき母に上げたものと全く一緒の……。


 驚いて母の方に目をやると彼女は照れ臭そうに笑った。


「やっぱり親子ね。考える事は一緒みたい。私も昨日、あの神社で買ってたの」


 俺がそのお守りを眺めていると、続けて母は話した。


「中身見ちゃダメだからね! 絶対開けずに取っておきなさい! 絶対よ! あーもう、なんで私、あんな事書いちゃったのかな……」

「えー、どうしよっかなー。そこまで言われると開けたくなるなー」

「ちょっ⁉︎ 最後の最後まで意地悪な息子ね! 母親を虐めてそんなに楽しい⁉︎」

「楽しいよ。母さんといると凄い楽しい」


 そう言って母を茶化した俺だった。


 母さん、ごめん。俺はこの中身を知ってるよ。母さんの気持ち……、いや、七海の気持ち……、ちゃんと受け取ったから。




「母さん、俺は……」




 そう言い掛けるのと同時に、彼女は俺の言葉を遮って言った。




「悟。さっき約束破ったんだから、もう一回私の言う事聞きなさい……」




 彼女がそう口にした瞬間、俺の唇にはほんのりと温かい彼女の唇が重ねられていた。




 それは母としてではなく、一人の少女七海として交わされ物だと、唇から感じる温度で気づいた。








 しばらくの間、時が止まった様に感じていると、やがて七海は俺からゆっくりと離れていった。


「私のファーストキス、あんたが産まれるまで待てないわ」


 そう言って、ませた顔を見せる母。その姿を見た俺は何故だか安心してしまったのだ。


 これなら大丈夫……。きっと母さんは未来で待っててくれる。


 『やり残した事』それを終えた俺は最後に彼女に告げた。


「じゃあ、行くね。爺ちゃん婆ちゃん健三叔父さんに宜しく言っておいて。母さんも、……未来で待ってて」




「……うん。待ってるから……。あなたが帰るその時を……」




 それを聞いた俺は崖に一歩踏み出した。

 重力に身を任せる様に身体が落ちていくのを感じた。



「悟っ!」



 最後に掛けられた母からの呼びかけに、落ちる身体を必死に捻り顔を彼女に向けた。

 すると彼女は寂しそうに微笑んでいた。











「またね……」











 気付けば今目の前にいた母の姿は無く、今までタイムスリップした時には無かった感覚が俺を襲った。

 それは何もない白い空間の中、俺はただ落ちていた。


 しばらくするとその白い空間に走馬灯のようにいくつもの映像が浮かび上がって来きた。


 それは俺の母、七海が過ごしていく時間だった。



 高校を卒業し、東京の大学に入学。そこで出会った男性と仲睦まじく過ごす風景。

 仕事を始めて、男性との結婚。そして子供が産まれた。



 その子の名は『悟』。



 子供を抱きかかえ、愛おしそうに見つめる母が彼に言った。




『待ってるからね……』




 その言葉と同時に俺の意識は遠くなり気を失ったのだった。

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