LIFE
この6月、教育実習に母校を訪れていた僕は、日々の指導案作成に忙殺されていた。
教師、というのは単に教科書を開いてそこに書かれていることを適当に教えるわけではない。
何ページから何ページまでを、どのくらいの時間を使って、何を教えるか。
それを1から順に組み立てていかねばならない。
特に、僕が教える『国語』というのは答えがない部分が多い。
そこに書かれている文章を、いかに生徒たちに伝えるか。それが非常に難しい。
とはいえ、相手はまだ中学生なので比較的読みやすい教材がそろっている。
『走れメロス』なんて、「友情」と「あきらめない心」を教えれば、まあ、間違いはないだろう。相手は小難しい顔をした評論家集団ではないのだから。
僕は、淡々と太宰治先生の『走れメロス』について「友情の素晴らしさ」「あきらめない心の尊さ」を伝えていった。あまりのやりやすさに、思わず“先生”とつけたくなる気持ちもわかるだろう。長年、この作品が『国語』の教材として選ばれるのには、それなりの理由があるのだ。
教育実習を始めて3週間めに突入。ようやく折り返し地点だ。
その頃になると、生徒たちもだいぶ打ち解けてきて親しみを込めて話しかけてくる。中には、嫌いな教師の愚痴まで聞かされる。
僕にとっては偉大な指導者たちなので、安易に受け答えはできないが、気持は十分過ぎるほどよく伝わる。
教育実習生、といっても大きく歳が離れているわけではないのだ。
生徒たちとも仲良くなり自信もつきはじめた頃、僕は図書室で一人、本を読む女生徒を見つけた。
放課後で、この学校の生徒たちは部活に行っているか帰宅しているかのどちらかだ。
その女生徒のことは、もちろん知っている。
僕が教育実習生として受け持ったクラスの子だった。
名前は、
メガネのよく似合う、女の子だった。
小柄な顔で、鼻も口も小さく、三つ編みの髪の毛がなんとも文学少女らしい。
「なにしてるんだい?」
僕はつかつかと近づいて話しかけた。
授業以外であまりこの子とはしゃべったことがないが、これがきっかけで交流が深まるかもしれない。
僕の目標は、カリキュラム終了までにクラスの全生徒と仲良くなることだった。
「あ、先生」
新見は僕の方をチラッと見て、再び本に目を向けた。
「本、好きなの?」
こちとら、まがりなりにも『国語』の教師を目指しているのだ。本の知識ならいささか自信がある。
「好きです」
ひょい、と頭を下げて彼女の本のタイトルを盗み見る。
『LIFE』
著者は日本人のようだが、知らない作家であった。
「初めて見る本だなあ」
「国語の先生のくせに」
グサリ、と心に刺さる。
「どういった本なの?」
「死ぬことは何かっていう本」
おおう……。
意外と重い本じゃないか。
いまどきの十代って、そんなことまで考えているのだろうか。
「哲学的な本なのかい?」
「普通の文学作品ですよ」
「面白いの?」
「面白くはないです」
はっきりと言う子だなあ。
僕はそう思った。
授業中は特に質問もせず、真面目にノートをとっている印象しかない。
「でも、これを読んでいると、死ぬことがあまり怖くなくなってくるんです」
「どうして?」
「だって、“死”が怖いなんて生きている人間の勝手な思い込みだけで、実際死んだらどうなるかなんて誰にもわからないじゃないですか」
「そりゃ、まあ、そうだけど……」
「この本に出てくるのはね、先生。おじいさんとおばあさんだけなんですけど、ある日おばあさんがぽっくりと死んでしまうんです。で、後に残されたおじいさんは生きる気力をなくして『死にたい』と願うようになる。でも、死ぬ勇気もない。で、いつしかおばあさんが迎えにくる日を待ち続けながら、二人の思い出をノートに綴っていく、というお話なんです」
「つまり、死んでおばあさんに再会するのを待ち望んでいる、というわけか」
「もちろんこれはフィクションですけど、なかにはそういう人もいるんだなあって」
それはごく一部の人だけだろう。
死ぬのが待ち遠しいなんて、そんな生き方は悲しすぎる。
「多くの人間は誰しもが死を怖がるし、回避するために切磋琢磨している。死ぬことを喜ぶ人間なんて僕はいてほしくはないなあ」
「先生らしい回答ですね」
新見はにっこりと笑った。
※
次の日から、なぜか新見は学校に来なくなった。
重い病気でしばらく休むという話だった。
図書室で会った時はあんなにも元気そうな顔を見せていたのに。
なぜだろう。
僕は少し心配になった。
しかし、どうすることもできないまま僕の教育実習は終わりを迎えようとしていた。
長かったようで短かった4週間。
いろいろな思いが脳裏に浮かぶ。
後悔はない。
自分なりに精一杯やったつもりだ。
心残りがあるとすれば、最後まで新見の姿が見られなかったことだ。彼女は、あれから一度も学校に来ていない。
長い休みに本気で心配していると、担任の教師もとい僕の指導教員の古谷先生が衝撃的な事実を打ち明けてくれた。
新見は、もう学校には来られないというのだ。
僕は理由を尋ねた。
「どうしてですか、古谷先生。もしかして、転校ですか?」
顔つきは40代半ばくらいであろうか。白髪の目立つ古谷先生は「いや」と言って、続けた。
「彼女はね、ちょっと重い病気を患っているんだ。命にかかわるような。本当は安静にしていなきゃいけない状態なんだよ」
「な……」
その言葉に、僕は崩れ落ちそうになった。
聞き間違いかと耳を疑ったほどだ。
重い病気?
安静にしてなきゃいけない状態?
本当だろうか。
いや、そんなウソを教師が言うはずがない。
ならばなぜ彼女は学校に来てまで授業を受けていたんだ。
混乱する僕の顔を見て、古谷先生は言った。
「最後まで学校に来たいと願ったのは、彼女の希望だ。もちろん、誰にも言わないでほしいと言っていた。病気で特別扱いされるのを嫌がったんだろう。だから君にも言わなかった」
「そんな……」
確かに、彼女が病気だと知っていれば授業中に指すようなこともしなかったし、少し距離を置いて接していただろう。
それは公平さを教える教師として、あるまじき行為だ。
「先日、親御さんから電話で呼び出されてな。今までありがとうございましたと礼を言っていた。それから、これを君に……」
そう言って渡された一冊の本。
『LIFE』
この前、新見が読んでいた本だ。
この本は図書室のものではなく、彼女のものだったのか。
「どうやら、彼女の命はこの夏を越せるかどうかといったところらしい」
「なんですって!?」
思わず大声を出してしまった。
職員室内にいる他の先生がぎろりと睨み付ける。
僕は申し訳なさそうに口をふさいだ。
「さすがにここまで来たらクラスのみんなにも伝えないとな。今日のホームルームは私がやるから、君は後ろで見ていてくれ」
「はい」
言いながら古谷先生のあとをついて職員室を出る。
廊下を歩きながら渡された『LIFE』をパラパラとめくると、そこに一枚の折りたたまれた紙が入っていた。
「……?」
なんだろう、と思って取り出してみる。
そこには、非常にきれいな字で新見の言葉が綴られていた。
『先生へ
せっかく真面目に授業受けてたのに、不本意ながらサボることになってしまいました。残念。
でもまあ、公認のサボりだからいっか(笑)
先生が言った「死ぬことを喜ぶ人間なんていてほしくはない」という言葉、まったくその通りだと思います。早く死にたいと願う生き方は、やっぱり悲しいですもんね。
でも、死というのは誰にとってもあり得ることで、それがいつになるかなんて誰にもわかりません。だったらやっぱり、死の先には楽しみが待っていると思っていた方が、安心した生き方ができます。
いつ死んでもいいように。そして死んだ先は明るい未来。そんな生き方が一番大事かなって。
だから私は死ぬことなんて怖くありません。
たぶん、先生より早く天国にいっちゃうかもしれないけど、どんなところか先に見といてあげるね。
いろいろとありがとうございました。
P.S 先生の授業、淡々としててつまらないです。』
僕はその手紙を見て、なぜか笑ってしまった。
彼女は、死を受け入れている。
十数年という短い人生の中でも、それに対して悲観もしていなければ達観もしていない。
ありのままの自分を受け入れている。
すごい子だ。
僕の数倍、数十倍もすごい子だ。
数年長く生きているだけの僕が、本当に幼く見えた。
果たして自分にこんな生き方ができるだろうか。
死ぬことを前提とした生き方など、できるだろうか。
前を歩く古谷先生の背中を見て、僕はそう感じた。
そう感じながら、自然と涙が出ていた。
新見ちえり。
死について教えてくれた彼女のことを、僕はきっと一生忘れないだろう。
天国というものがもしあったとしたら、そこが彼女にとって素敵な場所であってほしい。
そう願わずにはいられない。
キズナ~童話・その他短編集~ たこす @takechi516
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