墓地にて
静江が小声で伝えてきた別れ際の言葉が気になった涼子は、納戸へ向かった。爆走してきて一言だけ「ピンクの包装紙、涼子のだよ」と言われたものだから気にならないわけがない。もしかして金目のものでも遺してくれたのかと、うきうきと亡父の遺物が入ったダンボールを漁る。
確かに、古いピンク色の包装紙の何かは前回に見かけた。だが誰が、誰に遺したものか不明なので開けなかったのだ。
静かに包装紙の封を解く。30数年の時を経て現れたのは、新品の「ルービックボーイ」だった。大きなはてなマークが涼子の頭上に浮かぶ。
「なにこれ?」
スマートフォンでルービックキューブの概要を開くと、
「1980年から81年にかけて大ヒットした立体パズル。正規品がなかなか出回らずに海賊物も多く販売された」
とある。
つまり、静江は海賊物を掴まされたわけだ。何が何でも手に入れる為、朝早くから町中にあった百貨店に並んでくれたのかもしれない。その百貨店も今ではマンションになってしまっている。
少しだけ時間の流れに思いを馳せていると、ルービックボーイの底に貼り付けてあった手紙が落ちた。セロハンテープの粘着力が、役目を果たしたかのように無くなっていたのだ。静かに開くと、そこには手書きの文字が丁寧に書かれていた。
「りょうこちゃんへ
おたんじょうびおめでとう
おとうさんとおかあさんの言うことをきいて
げんきで良い子に育ってください」
短い手紙を、時間をかけて何度も読み返す。特に感慨深いものは胸に芽生えなかった。どうにかして涙の一つでも落としたかったが、生前の祖母に対する罪悪感がそれを邪魔しているのだろうと涼子は判断した。無償の愛を注いでくれた祖母に、私と私の母はひどくむごい仕打ちをしていたのだ。
そもそも、涙をこぼしたところで誰も救われない。祖母も、母も、自分も救われない。もしかしたら自分だけは少し楽になるかもしれないが、そんな救いは必要ない。
しかし、粋な贈り物だとは思う。なんといっても静江の死後30数年かけて涼子の元に届いたものは、まがい物とは言え、もはや歴史の一部ともいえる大ヒット玩具。この作法を娘の沙羅に継ぐべきか、孫が生まれた時に買うべきか。
ただただ涼子が思うのは、その時の贈り物が、今なお続いている人気シリーズ「屯田美少女アグリムーン」のものでなければいい、ということだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
日曜日の夕方、沙羅を連れて祖母の墓参りへ行った。墓参りに相応しい時間ではないが、沙羅のピアノレッスンの都合上、仕方がない。
花屋に立ち寄り、紫色のものを見繕ってもらう。お墓に備えるのが妥当なものかどうかは分からないが、紫のイメージしか湧いてこない。
前もって声をかけていた陽向は遅れてくるようだ。氷翠は陽向の近所へ引っ越してくることが決まっている。結果からみれば、あの二人が殺し合わずに済んだのも静江のおかげなのだろう。
道中、コンビニエンスストアで若い店員に「マイルドセブンをください」と伝えたが、「番号でお願いします」と返された。普段意識していなかったが、タバコの種類はこんなにあるのかと涼子は棚を睨みつける。
しかし、マイルドセブンが無い。だがないはずはない。前日、宗二に電話して訊いたのだ。静江が愛飲していたタバコの銘柄を訊いたところ、たしかにマイルドセブンと言っていたはず。涼子でもマイルドセブンの名前くらいは知っている。
再び店員に声をかけた。
「マイルドセブンがないんですが。有名な、あの白いパッケージに黒い星の描かれた……」
「おかあさん、今はメビウスって名前なんだって」
スマートフォンで調べた沙羅が、横から口を挟んだ。その頭を撫でながらメビウスを見つけ出し、店員に番号で注文する。
「490円になります」
220円くらいかと思っていた涼子は、今度は店員を睨みつけた。
店を出て、墓地へと向かう。この先の道を登れば間もなく着く。
背後から呼ばれた。振り返ると陽向と娘の翡翠が手を振っている。やはり陽向も紫色の花束を抱えていた。
「夕方のお墓って、寂しいですね」
陽向は墓地に目を移し、誰にともなく言った。涼子は黙って頷き、やはり墓地に目をやる。沈みかけている夕日が墓石を赤く染め、一瞬、あの赤い寂寥とした大地を思い出した。
「……そうか。あの場所の何が寂しかったって、何もないのもそうなんだけど……」
「この雰囲気に似てるんだ……」
二人はしばらく無言で佇んでいた。娘たちがはしゃぎながらお墓の間を走り回る。
「二人とも、走ったら危ないわよ!」
涼子は声をかけたが、子供たちは意に介さない。
田野倉家の墓石へ着く。宗二が来たばかりのようで、まだ新しい仏花が残っていた。涼子と陽向は花とタバコを備え、手を合わせた。
「沙羅も手を合わせなさい」
笑顔で走ってきた沙羅が、石に躓いた。涼子が悲鳴を上げる間も手を差し出す間もなく、沙羅の小さい頭は石畳に叩きつけられる。そのはずだった。
涼子と陽向は見た。沙羅が倒れる瞬間、紫色の風がその身を支えたのを。ごく短い間、地面にほぼ平行に浮かんでいた沙羅は、まるで頭を掴まれ、乱暴に引きずり起こされたかのように直立した。
「沙羅、怪我はない!?」
娘を抱き寄せた涼子は、きょとんとしている沙羅の顔を見る。どこにも怪我はない。ただ驚いているようだ。
「なんか、転んだ時に怒られたような声がしたよ。『走るな』って」
「……それは、おばあさんの声?」
「うん」
再び墓石を見た涼子は、ごく自然に感謝の言葉を口に出していた。
「ありがとう、おばあちゃん」
田野倉家の文字も、もう滲んで見ることができない。ずっと抱えていた罪悪感が純粋な感謝に昇華し、涼子ははじめて祖母の為に涙を流し、笑った。
「えへへ、乱暴な起こし方がおばあちゃんっぽかったな」
「え、さっき、おばあちゃんが助けてくれたの?」
沙羅が不思議そうな顔で涼子を見上げる。沙羅の目線までしゃがんだ涼子は、ゆっくりと話した。
「そうよ。沙羅だけじゃなく、お母さんも、陽向さんも助けてくれたの」
「今までお墓参りに来なかったのに、なんで知ってるの?」
「それは、家に帰ってからゆっくり話してあげる」
一瞬、陽向と目を合わせた涼子は照れたように笑った。頷きで返した陽向は、もう一度墓石に顔を向け、手を合わせたのだった。
ババマギア・ブラッディナックル 完
ババマギア・ブラッディナックル 桑原賢五郎丸 @coffee_oic
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます