第四十四話 貫一お宮

「海来、チェックアウトって何時だっけ?」


 ほんとにこれはあたしなのか、もしかして慶一郎なのかよくわからない感覚。多重人格者ってこんな感覚なのかな? ほんとはどちらもあたしで、あたしが慶一郎に変わるから……、でも二人同時にいることもあるし、いったいどうなっちゃってんだろう?


「海来ー? 聞いてる? さっきから鏡台ばっかり見て、どうしたの?」

「……え? ああ、何かな?」

「だから、チェックアウト時間は? って」

「えーっと……、何時だっけ?」


 窓際の椅子に座ってスマホを見ていたカンナは、なんだか呆れたようなちょっと怒ったような顔をして立ち上がると、カンナの膝の上にいた若造が床に落ちてその場で寝転がった。座椅子に座って部屋の隅にある鏡台の前にいた私の後ろをカンナは通り過ぎると、部屋の電話からフロントにかけた。


「……はい、11時00分までですね? わかりました」


 そうなんだ、今は……、まだ朝九時ちょっと過ぎか。


「どうしよ? まだ二時間くらいあるけど」

「うーん……、どうしよ?」


 すると、カンナは私の横に座った。


「ねぇねぇ、海来ってさぁ、なんか人格変わってない?」

「えっ?」


 まさか、多重人格バレちゃった?


「ど、どうしてそんな事言うの? 私は私よ?」

「だってさぁ、確かにあれがショックだったのは分かるんだけど、それにしてもよ? なーんか朝はいつもの海来と全然違うっぽかったし」

「そ、そんな事ないわよ。私は私、違わないわ」

「それにさぁ、海来がそんなに自分の顔ばっか鏡で見るところなんて、見たことないし。あんたそんなに自分の顔気にしたっけ?」

「し、失礼ね。私だって女の子だよってば」


 そう言われて、私は鏡台の鏡をバタンと閉じた。どーしても自分が自分でないような変な感覚だったから、鏡を見ていただけなんだけど、朝は慶一郎が前に出てたからそりゃ分かるか……。何れは説明する必要はあるんだろうけど、でもどうやって説明するんだ、これ?


「うーん、なんかおかしい」とジロっと私の顔をニヤニヤと見つめるカンナ。

「な、何よ? なんかおかしい?」

「もしかして、あんた、男でも出来た?」


 なっ? 何を言い出すんだ。


「なわけ無いでしょ!」

「そんな、急に大声出さなくたってもう……漆原くんとか?」

「漆原ぁ? 何言ってんのよ、もう。あんなの、冗談じゃないわよ」

「いーのよ、いーのよ。私は独占主義じゃないし、海来は意外と男も大丈夫だって知ってるしさ」

「なわけないでしょ。それは昔の話よ、……誰が漆原なんかと」

「うふふ、冗談よ。そういうムキになる海来が見たかったの。少しは明るくなれたでしょ?」


 知ってたけどさ。どんな時でもカンナは私を治してしまう。やっぱカンナは私の――。


「はーい、誰?」


 ドアノックの音に振り返ったカンナ。カンナに抱きつこうとしていたタイミングで、私の身体は空を切って床に崩れた。


「男だよー、入っていい?」

「いいわよー。……てか、海来、畳の上に伏せって何やってんの?」

「……お宮の真似」

「はぁ?」


 女二人の部屋に男二人がズカズカと入ってきた足音をがする。


「社長、そんなところで寝てるんですか?」と三島の声がする。

「じゃないけど、なんだか、お宮の真似って。意味分かんない」とカンナ。

「あー、そうそう、写真撮ろうよ、そのお宮さんのところで」


 ば、馬鹿、こんな私の姿を写真に撮るんじゃない! 私は勢い、ムクッとその場に起き上がって座った。


「何考えてんのよ、漆原ったら。こう見えても私はレディーなのよ。はしたないところを撮るんじゃない!」

「違うよ。この旅館の中庭に、貫一お宮の銅像のレプリカがあるんだって。そこで記念にみんなで写真撮ろうって。せっかく熱海に来たんだからさ」


 するとカンナが突然笑い出した。


「あはは、そういう意味か。貫一お宮のお宮ね。海来にそんなセンスあったとは知らなかったわ。来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる、てか。あはは」


 そう言って、カンナは私を軽く足蹴にしたので、ノリでその場に崩れる。


「貫一っさん後生だから。あはは」


 おかしくてカンナと二人笑い転げる。男二人はキョトンとしていた。


「意味わからん。楽しそうでいいけどさ」

「あはは。金色夜叉よ。その貫一お宮ってキャラが出てくる、有名なセリフっつーか芝居」

「そっか大衆演劇ね。そう言えば、あったあったそういうの」


 漆原も分かったのに、三島はちょっと首を捻っていた。どうやら三人の空気に入れないっぽい……、と思っていたら。


「ああ、宮さんこうして二人が一処にいるのも今夜限だ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は貫一は何処でこの月を見るのだか。再来年の今月今夜、十年後の今月今夜、一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死でも僕は忘れんよ。いいか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が、月が、月が、曇ったならば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ。

 そんな悲い事をいわずに、ねえ貫一さん、私も考えた事があるのだから、それは腹も立とうけれど、どうぞ堪忍して、少し辛抱していて下さいな。私はおなかの中には言いたい事がたくさんあるのだけれど、あんまり言難い事ばかりだから、口へは出さないけれど、唯一言いいたいのは、私はあなたの事は忘れはしないわ。私は生涯忘れはしないわ。

 ――でしたっけ? 大衆演劇は大体セリフ変えてますからね」


 どうしてそこまですらすら言えるんだ? 三島の博識ぶりに私を含めた三人は唖然としていた――。



「どうしてあんなに知ってたわけ?」


 漆原が撮影用に三脚をフロントに借りに行っている間、貫一お宮のレプリカ銅像前で、私は三島に一応聞いてみた。


「高校生の頃、演劇部に所属してたことがあって、原作に忠実な金色夜叉って劇をやったんですよ」

「へー、三島って高校時代演劇部だったんだ。知らなかったわ」

「高校二年の一年だけですけどね」

「で、金色役者は誰を演じたわけ?」

「……お宮、です」

「えー? マジ? 着物着て顔に白粉塗ったの?」


 カンナも混じって、私とカンナは二人で三島の顔をジロジロと眺めた。三島はたじろいでいる様子。


「なんですか。そんなジロジロ見ないでくださいよ」

「いやー、でも三島くんなら化粧したらすっごいクールな美人になるよね」

「だよね。こいつかなりのイケメンだからなぁ。あ、そうだ! 三島、ここで化粧してみる?」

「え? ちょ、それは……」


 困惑の表情を浮かべる三島を前に、私は三島に化粧したくなってたまらなくなってしまった。カンナも同様にウキウキ表情である。


「い、いや、あの、それって、セクハラですよ?」

「そう言わないで頼む! 私とカンナからの一生のお願い! ここの宿泊代はもちろん全員会社経費で落とすし、お昼も豪勢に奢る!」


 悪ノリだと思ったけど、本気で見たいんだからしょうがない。私とカンナは二人して、貫一お宮のレプリカ銅像前で三島に手を合わせて懇願する。シュール過ぎて、ほんとは笑いたかったが堪えた。


「わかりましたよ、もう……。絶対に他にはバラさないでくださいよ?」

「もちろんよ。あと、その姿のまま四人で一緒に写真一枚だけ撮らせてね」

「はぁ……、断れる雰囲気じゃないですからね。でも絶対に部外秘ですからね。ネットに上げたりしたら本気で訴えますよ?」

「当然よ、漆原にもちゃんと釘刺しとくし」

「約束ですよ? まぁ、僕も一度は……」

「え? 一度は、何?」

「い、いや、なんでもないです。やるならさっさと」


 すると、漆原がフロントから三脚を借りて、こっちにやってきた。


「お待たせ。あれ? なんか楽しそうだけど、どうしたの?」

「うん、悪いんだけど、もうちょい待ってて。三島くんに化粧しようかって」

「化粧? 三島ちゃんに? そいつは面白そうじゃん。いいよ、俺その辺でブラブラしてるからさ」

「ごめんね」


 私とカンナは三島を引き連れて一旦部屋に戻った。でもなんだか、三島、そんなに嫌がってない感じがするんだが……。



「もうこれ、完璧だよね」


 カンナの言うとおりだ。ここまで化粧映えするとは想像以上だ。三島に化粧していた私とカンナは鏡台の前で、その麗しさに感嘆の溜息が出そうだった。このレベルだと最早笑おうとすら思わない。


「うん、ここまでなら、最早プリクラ補正レベル。素晴らしいよ、三島くんにこんな才能があったなんて」

「いや、社長、才能でもなんでもないですから。さっさと写真撮りましょう」


 そう言っている三島も、鏡を見つめてその出来栄えに感心して、どうも満更でもなさそうなんだが。まさか三島、趣味に目覚めたか。


 レプリカ銅像前に戻ると、漆原も吃驚している様子。


「ひえー、こりゃぁすげぇや。ひと目見てナンパしたくなるレベルだ。三島ちゃん、今度二人でどっか行こうよ」

「からかわないでくださいよー」

「いいじゃんか。今時、男も女も関係ないんだからさぁ、ボーイズ・ラブしようよ」

「駄目ですよ。僕は普通ですから」

「こらこらー、普通なんてないんだよ。二人で愛し合うのに性別は関係ないさ」


 ってこら、漆原、三島に肩まで組んで、本気かよ。見境のなさはぶったまげるレベルだな。私は思わず持っていた旅館の小さなパンフレットで漆原の頭を叩いた。


「あんたは危険人物か。さっさと写真撮っちゃおうよ」

「じょ、冗談だよ冗談、そんな怖い顔しなくったって」

「写真撮るの」

「こわっ。わかりましたー」


 四人で撮った奇跡の一枚。写真を見た瞬間私はそう思った。昨日の晩、大泣きに泣いた私が思った、最高の仲間だって確信は、嘘じゃないと思った。



 チェックアウトでフロントで精算を済ませていると、隣に立っていた三島が思い出したかのように言った。


「そう言えば、昨日電話で話した警視庁の辻川さんの件なんですけど、やっぱり変なんですよ」

「どういうこと?」

「警視庁本庁からの電話だったことは間違いないんです。でも所属を言わないんで気になって、安調(※安西調査事務所のこと)に聞いてみたんです。そしたらいるかいないかくらいならすぐ分かるって言うので、調べてもらったら、そんな人はいないらしいんですよ」

「いない?」

「ええ、辻田さんとか辻野さんはいるんですけど、辻川って名前は本庁にはいないって。でも絶対聞き間違いじゃないんで」

「どういうことなんだろう? 警視庁とは言ったんだよね?」

「ええ、それははっきり。ですからさっぱり意味がわからなくて」


 警視庁の辻川って名乗っておいて、警視庁本庁の電話番号で、その辻川が警視庁本庁にいない? 私と三島は首を捻るだけだった――。




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藤堂海来探偵社 子持柳葉魚改め蜉蝣 @Poolside

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