私と料理と白いジャージと
草薙 健(タケル)
ツールを戦っているのは選手だけではありません。
日本人の
今は夕食時。ツールに出場しているメンバーが次々とホテルの食堂に集まってきていた。
「マイ、お腹減った!」と兄のアダム。
「マイ、ご飯まだ?」と弟のサム。
子供かよ。
最後にやって来たこの双子は22歳だ。
「はい、お待たせ」
舞は、大盛りトマトソースパスタ(乾麺200
付け合わせの野菜は蒸したニンジンと大量のふかし芋だけ。食物繊維は内臓に負担をかけるので、足りないビタミンなどはサプリで補うのが鉄則だ。
「「また鶏肉?」」
2人の声がハモる。このイギリス人ども、一卵性双生児で全く見分けがつかない。正直、ジャージについてるゼッケン番号くらいしか舞にとって2人を見分けられる方法が無かった。
「文句言わない。ササミや胸肉じゃないだけ感謝しなさい?」
「「飽きる」」
「完食するまで部屋に戻ることは許しません!」
「「えー!」」
プロは自転車で走るだけが仕事じゃない。食べることも戦いの1つだ。
ツールに出場する選手達は、23日間かけて21ステージ――3400
鍛え抜かれた足の筋肉や体幹は勿論のこと、強靭な内臓も持っていないとプロ選手は務まらないのだ。
「流石に1週間以上こんな食事が続くと気が滅入るな、サム」
「全くだ、アダム」
「マイがあーんしてくれるなら話は別だけど」
「いいなそれ!」
「冗談はよして」
「あーんしてくれたら、明日の第9ステージで
「そしたら賞金ボーナス入ってマイの給料も上がるよ?」
その提案に、舞の心は一瞬ぐらついた。しかし、邪念をかき消すように彼女は叫んだ。
「とにかく早く食べなさい!」
「早く食べろって言うけどさ、これを食べるくらいならフィッシュアンドチップスの方がましだよな」
「もっと良い料理を出してくれよ」
「美味しい料理で男を釣るのを、日本じゃ飯テロって言うんだろ?」
「俺たちにも飯テロを喰らわせてくれよ」
なにそれ。まるで私が料理できないみたいな言い方じゃないかと、舞は文句を言いそうになった。
「……その辺にしとけ」
そのとき、食堂の脇で黙々とプレーンパスタをかき込んでいたカメルーン人のランドが、突然口を開いた。
「マイはマイで、俺たちのことを考えて料理を作ってくれてるんだ。文句言わずに食べろ」
別の場所で食べていた残りのチームメイト5人が、うんうんと
「俺だって我慢して食べてるんだ」
5人が大きく首を縦に振っている。
「……だったら、なんでオリーブオイルだけでパスタ食べてるのよ」
「トマトは嫌いだ」
子供かよ!
舞は段々腹が立ってきた。
「あんた達がツールを戦ってるように、私だって戦ってるんだから! 毎日新鮮な食材を手に入れるのにどれだけ苦労してることか。このトマトだって散々探し回ってやっと見つけた無農薬トマトなの。あんた達がドーピング検査に引っかからないように物凄く神経使ってるのよ? 分かってる!?」
自転車競技は、数あるスポーツの中でも特にドーピング検査が厳しい。例え汚染された食物由来の摂取であっても、禁止薬物が検出されれば出場停止処分を喰らう。そういう世界なのだ。
「そんなの当たり前だろう」
「そうそう。どのチームもやってる事じゃん」
「いつもまずい飯を食わされてる身にもなってよ」
ついに、舞の堪忍袋の緒が切れた。
「はぁ!? 何言ってるの? あんたたち、自分の実力を脇に置いといて私のせいにするわけ? プロ選手として恥ずかしくないの?」
「俺たちが成績を残してないと?」
「そうよ! 悔しかったら成績で私を見返してみなさい。そうね……もし誰かが表彰台に乗ったら、その人の好きな食べ物を作ってあげる。更に、
すると、チームメイトの選手達8人全員の目つきが変わった。
「「「「まじで?」」」」
「「「「言ったな?」」」」
しまった、言いすぎた……と舞は思ったが、すでに時遅し。選手達の瞳には、決意に満ちた炎が燃え上がっていた。
■
そして迎えた翌日。キッチンで仕事をしながらテレビ観戦していた舞は、信じられない光景を目の当たりにしていた。
8人が1列棒状に隊列を組んでいる。彼らが乗っている自転車は普通のロードバイクではない。
自転車と自転車の間隔は、僅か10
テレビ中継のアナウンサーが叫ぶ。
『第9ステージの
22チーム176人が一斉にスタートする通常のレースとは違い、8人1チームが個別にスタートしてチームとしてのタイムを競う種目だ。
『23
舞は愕然とした。
あり得ない。一体何が起こってるの!? 道路はどう見ても平坦だ。自転車ってこんなに速く走れるの!?
集団の先頭を走っていた選手が右肘をくいっと動かした。彼はすーっと左に避けると、そのまま後ろに下がっていく。
これはローテーションと呼ばれ、一定時間で先頭を交代する動作のことを指す。
集団の先頭にいるサイクリストは風の抵抗を受け、体力を消耗する。しかし、一定時間で1人ずつ先頭を交代すれば負担を軽減することが出来るのだ。これは、スピードスケートのチームパシュートと全く同じ原理である。
更に舞の追い討ちをかける事態が発生した。
『あーっと!
『タイムトライアル種目は、こういった激しい順位変動が起こりやすいですね。この選手はトップから3分差をつけられていましたが、一気に逆転です』
『このままゴールすれば、
■
「「お袋のミートパイが食べたいな」」
「ボルシチを頼む!」
「……手作りハンバーグ」
「お前はソーセージだろ、常識的に考えて」
「ピザ野郎は黙ってろ。
「チヂミ、いや
様々な国籍の選手達が、思い思いの食べ物を口にしている。
まさか、
「俺は――」
ランドが思案しながら何かを言おうとしている。
カメルーン料理とか全く想像がつかない。一体どんな要求をしてくるつもりかしら……?
「うどん」
「は?」
「日本で活躍したサッカー選手、俺の敬愛するエムボマが欲したうどんが食べたい」
「は、はぁ……」
うどん……うどんね。カメルーン料理よりは難易度低いけど、日本人全員がうどんを作れると思ったら大間違いよ……。
舞は頭を抱えた。
「あんた達、一体レースで何をやらかしたの?」
「「見ての通り、
「いや、そうじゃなくて……なんで優勝できた訳!?」
「その話は俺がしよう」
ランドが説明を始めた。
「我々のチームは、元からチームタイムトライアルに狙いを絞ってここまでレースを進めてきたのだ」
「え?」
「つまり、ツールの前半はできる限り体力を温存。成績がパッとしなかったのはわざと力を抑えていたからだ」
「はぁ……」
「「俺たちはタイムトライアルスペシャリストが多いからな!」」
「確かに、我々は他のチームに比べて個人の力はそこまで突出していない。だが、全員の力を合わせれば凄いパワーを発揮できる」
「まさか優勝までするとは思ってなかったけどね!」
「マイのおかげだ。昨日の約束はとても良いモチベーションになった」
食べ物はここまで人のやる気を引き出すのか。
チームオーナーが何故スタッフを急に入れ替えたのか今理解できた。料理を改善してパフォーマンスを上げる意図だったのだ。
今までは前任者のレシピを参考にしていたが、これからはもっと選手達のことを考えて料理を作っていこうと舞は思った。例えば、ランドにはトマトを使わないとか。
「そう言えば、
「……言ってみなさいよ」
「俺と付き合ってくれ!」
「は?」
「あ、ずりぃ! マイは俺が
「単にからかってただけじゃん!」
「……お前、年下が好きのはずじゃ?」
「え、マイって20歳くらいじゃないの!?」
「日本人は若く見えるからな」
「もうどうでもいいや。マイ、好きだ!」
「俺も俺も!」
「誰が誰だか分かんないんだけど!?」
舞の逆ハーレムラブコメは、今始まったばかりだ。
(了)
私と料理と白いジャージと 草薙 健(タケル) @takerukusanagi
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