どこかに救いがあるとして

吉野奈津希(えのき)

どこかに救いがあるとして

0.


 今の私が幸福というのなら、私はあの時からずっと救われていたのです。


1.


 エァンは神に祈らない。

 エァンのいる場所=地獄の淵、あるいは最中。

 戦火の最前線——絶叫/恫喝/悲鳴/嘆き/苦しみ、ありとあらゆる負の感情が渦巻き永劫に消えることのないような地獄絵図。

 エァンの視界に映るもの——命だったものの残骸=友軍の成れの果て。頭蓋骨の半分が吹き飛び焼き焦げた脳髄が垂れ下がる少女兵/腕を失ったことを自覚しないままフラフラと天に手を差し出そうとする男/仲間のこぼれ落ちた内臓を拾い上げ戻そうとする少年兵。

 内臓を/命を仲間の内へと戻そうとしていた少年兵——涙を物言わぬ仲間であった残骸に溢れ落とした刹那に彼の頭部がダルマ落としのように吹き飛び/潰れ/弾け何処かへと飛んでいく。敵軍からの頭部への正確無比の狙撃攻撃=今エァン達全員に向けられた殺意の現実化。

 神に祈りを捧げながら/涙を流しながら自分の兵士=エァンの仲間へとナイフをゆっくりと突き刺していく敵兵。神への祈りを捧げながら絶叫する仲間「死にたくない!神様!助けて!神様!」結果——無慈悲=痛み/苦しみにを絶え間なく味わいながらの死。

 マクロな視点では崇高な目的のための戦い=ミクロな視点での個々人の生存のための地獄絵図。

 殺さなくては殺される——シンプルかつ絶対の不文律により殺したくも殺されたくもない人間たちが殺し合う。

 殺し合う。

 殺し合う。

 殺し合う。

 既にエァンは周囲の命の減少に心を動かさない——慣れ/諦め/過剰な適応、あるいはそれらのすべて。

 死んでいた。

 生命反応を持つものですら、その死に片足を突っ込んでいる。

 誰も彼も死の淵に立っている。皆、生きながらして死の国の入国審査を受けている。


 エァンの前に中年の兵士が立つ=既に死にかけ/足が片方ちぎれ、片目が頬のあたりに垂れ下がっている。

 エァンへ向けられる殺意/恐怖を伴った暴力=銃口。

 銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃、銃撃。

 兵士がエァンにはわからぬ言語で叫びながら引き金を引く。エァンの胴体を数十の弾丸が命中/貫通——通常ならば即死=常人のケース。

 一人で百人と少しを屠った少女=エァンという存在への畏怖からの行動。


 刹那、唯一——エァンが知覚する範囲での純然たる生命=欠損/発狂/生存を阻む障害すべてのバッドステータスに陥らずに存在する少女が一人。

 その少女=エァンのパートナー=共に戦場最適化エンハンス処置を受けた魂の双子。

 その少女=ティミリ。地獄を煮詰めたこの場に置いて絶望/諦め/神への願い——一切なし。

 ただいつであっても平和の村の一角で花に水をやっていそうな穏やかさ/優しさ/儚さを持った表情のまま敵を始末する——眉ひとつ動かさない工場的殺戮機構。

 エァンを軽く上回る適合係数=戦場を駆ける天使への変貌。一年前までは戦場と無縁であった少女が幾百、幾千の死を届ける執行人へと早変わり。

 戦場の端から端を舞うように駆け巡り手にした武装が尽きようと自らの肉体そのものが兵器であるティミリ。止まりはしない。

 敵軍=虐殺対象達のパニックによる銃乱射/狙いをつけない銃撃の流れ弾がティミリに当たるが涼しい顔=ノーダメージ。


「エァン、大丈夫?」


 そう言ってティミリがエァンへと手を差し出す。


「大丈夫です」


 炎で焼けた世界がオレンジ色の輝きを放ちティミリを照らす。揺れる結ばれた水色のティミリの髪が、綺麗に見える。

 エァン——ティミリの手に触れる=体を焦がすほどの炎に満ちた戦場で触れた唯一のぬくもり。

 エァンは神に祈らない。

 目の前のパートナー=ティミリの生存こそがエァンの救済であり、エァンの生存理由。


「化け物どもが!」


 二人への敵兵達の罵倒=恐怖からの振り絞り。


「エァン、いけそう? キツイなら休んでいていいよ」


 その言葉を受けながら立ち上がるエァン=全身に開いた銃撃の後からウネウネと銃弾がこぼれ落ち、肉体の損傷がみるみると回復。


「全部回復しました。いけます」


 回復者リジェネレーター=戦場最適化処置によりエァンとティミリに与えられた特性。

 ルハル機関より生まれ落ちた、数少ない成功例。


「それじゃあぶち殺すよ!」


 ティミリの穏やかな微笑み=一瞬で崩れ落ち殺戮を楽しむ狂戦士の表情へと変貌。ティミリ——エァンと共にいるときは戦場の享楽に全てを委ねる事ができる。


「いきます」


 冷静なまま——無慈悲なまま、眼前の全てを屠るためにエァンもまた、駆けた。


2.


 エァン——いつかの過去の記憶。

 始めの自己の認識は髪の色からだった。

 黒色だったはずの髪=水色へと変化。鏡越しに見る自分=歪な存在であることを知覚。

 エァンが知識として持っていた日常食として思い浮かべる食事のレパートリー=水色の食事、一切なし。

 結果——自分の髪の色が自然に存在しえない色になったのだと否応なしに認識。

 世界というものは調和をするように作られる。疑問=では、調和しないこの色は何だと言うのだろう。


「お、起きたらす、すぐに司令室に来るように」


 震えて少し上ずっている——エァンは投げかけられた声について思う。

 少女というまでではない——でも研究所の中では若い方になるであろう、医療班の女性はエァンと同じ部屋にいるということ自体に平静さを少しずつ奪われているようだった。


「聞いているんですか、A1」


 A1、エァンを示す記号。彼女の育てられた場所=ルハル機関での名称=軍でも扱われた呼び名。

 逡巡——かつての自分の名前よりも記号としての名前が馴染むようになったのはいつからだったろう。長い時間が必要なようで、思っていた以上に短い時間で馴染んでしまった気もする。

 そもそもの話=順応するのに時間がかかっていては生きていけない。


「わかっています。今すぐにでも」


 検査衣のまま部屋を後にする。服装など兵器には関係はない。


3.


【ルハル機関により残された記録の断片】

 ——戦場最適化エンハンス処置。癌細胞を人工的に移植。細胞を支配下=軍事への有効活用するための矯正措置。

 戦場最適化処置に適合したものは実験体として回復者として運用が可能となる。

 現在は第三世代まで計画は進行中。

 今後、戦場最適化処置の更新を継続するかは単体の回復者が保持する戦力のバランスを考慮し検討予定。


4.


 ホームセンター=エァンの現在の勤務地。

 主な業務=清掃/品出し/レジ打ち/トイレットペーパーが無いとごねる老人を話し、なだめ、お帰りいただくシークエンス。

 時給——1200円=数年の勤務により少額ながら時給が増加。贅沢をしなければ元々の資産に加えて十分に生活をしていける報酬。


「おはようエァンさん、今日もよろしく」

「はい、よろしくお願いします」


 何気無い同僚とのやりとりをしながらスタッフ控え室で店員用の制服エプロンを私服の上に着る=一瞬で店員ルックに変化。

 午前九時=エァンのシフト入り時刻=業務開始。

 慌ただしいながらも穏やかな日常が流れていく。諍い/争い/殺傷沙汰——一切なし。平穏な日々。


「エァンさん、まだ若いのにこんなとこでバイトしてていいの? 他にもちゃんとした会社とかいけるんじゃ無いの?」


 店長の言葉——軽い調子でありながらエァンの行く末を案ずる言葉=半分店長の気晴らしのおせっかい。

 エァン——微笑んだまま「いえ、この生活が気に入っているんです、私」


「そうねえ、そう貴方が言うならいいけど。というか私もシフト入ってくれるならいいけど、貴方みたいな若い子がねえ、うちにばっかいてくれてねえ。まぁいいわ、ああいそがしい、いそがしい」


 同僚からは不平不満も出るくらいのお節介=平穏の象徴。かつては決して手の届かなかった日々の中にいるという実感がエァンを包む。

 清掃/品出し/レジ打ち——全てがシステマチックの流れの業務であるように一見すると思えるがそれぞれに個々人の息づいた個性が出る仕事。戦場でエァンが感じていた一律性とは違った解像度を上げる喜びの存在。

 ささやかな/確かな幸福。


 昼休み後=午前中で減った商品を倉庫から引っ張り出し新たに陳列する作業——品出しの時間。

 淡々した作業がエァンにリズムを与え、心を落ち着かせる=業務中の息抜き時間の一つ。

 トイレットペーパーの補充/通路にはエァン以外の姿=なし。鼻歌混じりに補充中のエァンにその平穏を破る一声。


「A1、振り返らずのそのまま話せ」


 戦慄——全身が泡立つ感覚=全細胞——その一つ一つに至るまでが戦闘への渇望を訴える。すなわち——この平穏を脅かすものを殺せ!


「待て。そう殺気を出すな。お前の敵じゃない」

「私はもうあの場から縁を切った。戦いも終わった。私が何かに従う義理はないはずです」

「我々の権限にはないな。だが、お前自身の宿縁はまだ残っている」

「何を言っているんですか」

「探しているんだろう。かつてのパートナーを」

「……どこでそれを」


 エァンが生活の傍らで行っていた調査。決して知られるはずのない情報。

 しかし男はその言葉に答えない。エァンがパートナーを探しているのは当然の事実であるかのように会話を続ける。


「先日、我々の研究施設のうちの一つが襲撃された。お前のかつてのパートナーによって」


 衝撃——動揺/かつての悲しみ/現在の喜び/疑問、全ての感情がミックス。パートナー=ティミリ。あの愛おしく/か弱く/可憐/苛烈な存在。

 エプロンの胸元のポケットに軌跡が走る=瞬間の早業——取り出したボールペンを背後の人物の首元に向けて突き立てる。

 しかし、ボールペンは空へと突き刺さるだけだった。


「恐ろしいことだ。さすが悪夢の子供達ナイトメアチルドレンといったところか」


 一歩下がった位置=紙一重でボールペンの刺さらない立ち位置で男が言う。

 初老=しかしその立ち姿からは老齢の衰えを感じさせぬ力強さが篭る体躯/皺の刻まれた顔に一筋の切り傷——男唯一の戦場での負傷。

 バーナード・バーディ=軍人——かつての戦場最適化処置を受けた実験兵の部隊の隊長=悪夢の子供達ナイトメアチルドレンの軍での受け入れ責任者。エァンにとってのかつての直属の上司——現在の他人/あるいは地獄への水先案内人。


「バーナード、私の前でティミリについて軽く口にしないでくれませんか。抑制が効かなくなる」

「ああ、だが、我々も困っていてね」

「生きているとは思えない。現に……私には見つかっていない。仮に生きていても、いずれ消える。私たちはみんなそうだ」

「そう、確かにそのはずだった」

「そのはずだった?」


 ティミリ=エァンの体に施された処置の結果——削れた寿命。


 戦場最適化エンハンス処置の代償=既にいつ尽きるとも知らない灯火の人生=寿命の早期限界=若くして老衰で死ぬ。


 もって数年の命だろうというのがエァンの自己診断。ティミリが生きていたとしてもそれは変わらないはずだ。


「私たちを殺そうとするのに犠牲になる人員と、放置をした結果犠牲にならずに済む人員、比べたら放置する方がよっぽど得策だと思わないんですか? それだけの怪物をあなたたちは生み出したはずですが」

「ああ、だからお前に頼みに来た。その怪物が、命の枠を超越してきているんだからな」

「……続けてください」

「T31が虐殺をしたとルハル機関から連絡があった。より正確に言えば侵入、研究成果の強奪後に皆殺しを行った研究施設でのお題目は延命処置。お前たち回復者の技術を医療の観点で発展させていた場所、と軍には連絡があった。まぁバックアップ含めて全ておじゃんだがな」


 ルハル機関——軍に回復者を提供した、生産工場=悪夢の子供達の生みの親。

 身寄りのない/元々の生きるための欠陥を抱えた少年/少女を治療と称して改造=軍の兵器として転用する。

 軍の協力する立場でありながら、表に出ることなき闇をベールとする独立機関。


「研究成果、延命の方法をティミリが入手したと?」

「可能性はある。だからこそお前たちをこのままだと放置できなくなったわけだ。A1、これがお願いなのは俺の誠意であり温情だ。軍、つまり私たちは今このホームセンターごとお前を殺しきる準備がある。反抗の意思を持った反乱分子として。このホームセンターの存在する区画ごと、消滅させることのできる準備が」

「銃口を突きつけての温情ね。なかなかクールなやり方ですね。でもそんなことしたらバーナード、あなたも死ぬんじゃないですか?」

「覚悟の上だ。悪夢の子供達が今放置されているのは人道的な理由からではない。ただ放置するのが一番処分の方法として適していたからだ。そして、お前たち生き残りはそれに同意した。一人を除いて」


 ため息=戦争に疲れた者特有の命のやり取りの繰り返し、それ故のインスタントに殺戮を執行できる自らへの諦念の発露。


「だからこそ。お前に頼むのだA1。お前がティミリと呼ぶ存在、T31に比類するとしたらお前だけだ。あの戦場で、唯一パートナーとして生き抜いた魂の双子、それ以外に考えられない」


 ティミリ=決して分かちえぬエァンの半身であった少女。


「早退するからお客様はお引き取りください」


 了承の意。そう告げる。


「外で待つ」


 バーナードの気配が消える/エァンはすぐさまその場を後にする。


「ええ、ちょっと体調を崩してしまって……すみません。本当に」

「あらぁ、大変じゃない。ゆっくり休んでね」

「ええ、すぐに。治して。必ず」


 スタッフルームに入りエプロンをロッカーに投げ捨てる。ロッカー内の下部=勤務開始時にはなかったボックスが存在。

 ボックスの中身=アンプルが複数/サバイバルナイフ/自動拳銃が二挺/手榴弾各種/専用の弾薬=回復抑制剤入りが山ほど。

 全て回復者=エァンとティミリを殺しきるための近距離、中距離において殺すための専用武装。

 水色の髪を縛り/弾薬をカバンに投げ込む/全身に装備を仕込む——踵を返して、ホームセンターを後にする。

 自分を鏡で見る——大丈夫。そう自らへと言い聞かせ、部屋を出る。

 もし可能であれば、次回のシフトに穴を開けないで済みますように。


5.


 いつかの過去。

 いくつもの戦場を越え、死体処理の後のルーチン。

 二人はベッドにいる。服は脱いで、肌と肌を触れ合わせている。互いの熱で死/絶望/恐怖というあらゆる冷たさから逃れるように。


「死にたい、もう死にたいよ。こんなの嫌だ。こんなの嫌だよ。痛いし、苦しいし、怖い」


 すすり泣く声=パートナーの胸に顔を埋めて繰り返す。

 生を続けることへの絶望。なぜこんな生活を続けなくてはいけないのか。

 答え=死ぬのが怖い。死を渇望していながらも死という門をくぐることは決して出来ない絶望。


「みんな死んだ。アンもトュも死んだ。みんな一緒だったのに。銃弾で死んだ。刺されて死んだ。私たちだってそれを食らっていたのに」

「回復が機能しなかったんです。あの子達は人間のまま、化け物にならなかったんですよ」

「もし、もし敵が回復の抑制剤を作っていたら? 嫌だ、嫌だよ。私は嫌。痛いのは嫌。せっかくルハル機関から外に出れたのに」

「今だって痛い。私たちだって撃たれた時の衝撃を、切られた時の熱を感じているじゃない」

「でも、死はもっと痛い。嫌だ死にたくない、死にたい、死にたい。もう嫌だ、嫌だよ」

「大丈夫、大丈夫、大丈夫だから」


 その繰り返し。終わることのない絶望の日々の中、永劫かのような実質的になにもならない慰め。


「抱きしめてよ、強く。離さないで。私を」


 言われた通りにパートナーを抱きしめる。手を体に這わせる。ゆっくりと。

 上半身から指先を伝わせ、パートナーなの震える頬に口づけをして、全身に舌を這わす。

 生への渇望/死からの生還の興奮/互いのぬくもりだけが確かだと信じたい心——それらが混ざり合い、二人の熱/体液を重ねていく。

 もう、何度こうしただろうか。

 戦いが終わるたびに体を重ねた。愛液が混ざり合い、一筋の雫となり体からベッドへとこぼれ落ちる。戦場でその液体が血液へ変わるのは明日かもしれないという絶望感が互いの肉体への渇望へと変化——内なる炎が燃え上がる。


「私を守ってね。お願い。私を離さないで。お願い。お願いだから」

「大丈夫大丈夫大丈夫、大丈夫だから」


 頭を/頬を/体を撫でて言い聞かせる。大丈夫だから。

 指先/舌を這わせて囁く。私たちは大丈夫。

 ボルテージが急上昇=二人の熱が混じり合い/高まり、声をあげて抱きしめ合う。


「お願い、お願いだから」

「大丈夫、大丈夫、大丈夫」


 そうして、光が広がっていく。

 あの時のティミリに光なんて、どこにもなかったというのに。


6.


「話を聞きます」


 ホームセンターの外に駐車してあったワゴン=カモフラージュのために外装こそ民間向けだが内面は軍用のジープと変わらない。

 バーナードと数人の軍人=戦闘員/医療スタッフ/運転手など。

 皆がエァンを見た瞬間身を硬くする——漏れ出る敵意。


「怯えなくてもどうせ数年で死にますよ、私」

「それがそうならない可能性があるから我々はこうしているのだ」

「その可能性があってもなくても、あなたが私とやりあって死ぬ確率は変わらないんじゃないですか?」

「貴様、化け物が……」


 軍人が憎々しげに言う。怒りの感情=恐怖を押さえつけていることの現れ。

 エァン——久しぶりの化け物扱いに懐かしさすら感じる。


「やめないか。A1もいちいちおびえさせるな」

「挨拶みたいなものですよ」


 ここで敵意を向けても仕方ない——エァン、ミッションの確認をしようと決意。


「それで、ティミリの居場所なんて追跡できているわけ? 私は知らないわよ。生きていることすら知れてなかったんだから」

「ルハル機関から寄せられた情報で居場所は特定出来ている」

「気に入りませんね。それだったら、あなたたちが一斉攻撃すればする話では? 町ごと燃やすのなんてこれまでの戦争で慣れっこでは?」

「……いちいち煽るのは感心しないな、A1。我々とてその可能性は検討している。だが、これは規模が違う。単純な物量で殺すのならば都市レヴェルの規模を滅ぼす覚悟で攻撃をしなければいけない」

「わけがわからないですね。回復者を殺しきるのに核ミサイルなんていらないはずだけど」


 回復者リジェネレーター=心臓/脳髄/肺を撃ち抜かれようとする改造兵士アンデッドソルジャー。しかしそれであっても肉体の再生は有限であり、たとえ戦場では鬼神のごとき活躍をしようと回復をする前に殺しきれば死ぬ。だからこそのパートナーと二人で戦場を回っていた。一人が回復する最中、一人が戦い守るために。


「今のT31は違う。A1、お前には伝えたはずだ。ルハル機関の研究所を襲撃したと、延命処置の研究結果を手にいれたと」

「……つまり」

「T31はそこから動いていない。研究所の職員を皆殺しにして、その場に陣取り、自らを改造している。もうただの単純な物量では対抗できるのかわからない」

「延命処置の内容は」

「テロメアの再生。本来であれば細胞分裂のたびに削れていくが、お前たち回復者の技術をそこに重ね合わせたわけだ。お前たち回復者は、その支配下へ置いた癌細胞の爆発的な分裂により肉体を回復させるようにされているが、それにより寿命が短くなる。そしてそれは首輪だったはずだ。戦闘において不死身であっても終わりというものが設定された首輪。しかし延命とそれが組み合わさったらどうなる?」

「理論上は、無限に回復するでしょうね」

「もちろん、これは最悪の場合だ。そこの施設において延命の研究は重ねられていたが、まだ実験段階であり完全ではなかった。だが、その可能性がある以上空爆などをしたとして、殺しきれない可能性は多いに存在する」

「見えてきましたよ。私のやることが」 


 わずかな間=それを口にすることを、覚悟をしていても恐ろしいというかすかな心のみだれ。

 バーナードの次の言葉。エァンの言葉の続きを言ったのは、情けか、無慈悲か。


「A1、お前のやることはシンプルだ。ルハル機関の研究所に単身で侵入し、そこに巣食う怪物を、抹殺しろ」


7.


 エァンとティミリの別れは簡単に訪れた。

 戦地から戦地への移動——より正確に言うのならば輸送中=悪夢の子供達ナイトメアチルドレン=兵器≠人間。

 貨物列車——高速で走る鉄塊を横殴りにするようにミサイルが直撃。車両全体が急減速と同時に車両内部が洗濯機のごとく高速回転=生身の人間の半数が死亡。

 エァン&ティミリ=衝撃によるブラックアウト=わずかな時間の気絶——しかし致命的なミス。

 悪夢の子供達を狙った襲撃=殺しきるのではなく強奪を意図した攻撃。

 生き残った兵士たちがその襲撃の意図を即座に推測=理解に至り迎撃態勢に映る。

 全てが遅い——どこから漏れたのか悪夢の子供達のいた列車を集中砲火=武装を破壊することによる戦闘不能に陥れるための効率的な攻撃。

 瞬く間に列車へと敵軍がにじり寄る。

 エァンの覚醒=考えがまとまるまえに胸に仕込んでいたサバイバルナイフ&ハンドガンで応戦=撤退の姿勢。

 迫り来る有象無象の敵兵を蜘蛛の子を散らすかのごとく殺していく。

 銃撃、銃撃、銃撃。殴打、殴打、殴打。

 ナイフを舞うように滑らせ、近づいた敵兵を一瞬で輪切りに変えていく。悪夢の子供達の戦場最適化処置により身体能力は従来の凡人を遥かに超越。

 だが、それ故にパートナーの安否の意識が弱くなった。


「エァンー!」


 ティミリの悲鳴。エァンが気づいた時には既に遅い。

 両手/両足を切断された痛ましいティミリ=丸太のように抱えられて運ばれるパートナー。

 逃がさない——そうエァンが思った刹那、全身がマグマを被ったかのような熱と衝撃=バズーカの直撃。


「助けて! 助けて! エァンー!」


 ティミリの絶叫=エァンもまた全身が焼かれ動くことが出来ない——絶体絶命。

 ティミリへ腕を伸ばそうにもバズーカにより吹き飛ばされ体の回復以外何も出来やしない。 


 ああ、手を、この手を彼女に!

 何回も私に差し伸べられた手を今度は私が!

 

 結果=最悪の結末。

 誰も助けも来ないままティミリは強奪される。


「何をやっている! この子を助けるんだ!」


 誰かの命令と共にエァンが爆風から救い出され、友軍の陣地へと運ばれる。

 敵軍の引き際=実に鮮やか。最低限の目標=悪夢の子供達の一人——ティミリを確保した瞬間に撤退開始、成功。

 エァン——残骸のようになりながら二日間かけ激痛に苛まれながらの復活。

 既にティミリはいない。

 ティミリ=MIA認定——あっという間の数日間。

 それからの実に長いエァンの余生の開始。


「助けて! 助けて! エァンー!」


 ティミリの泣き叫ぶ声——残響となってエァンの脳裏をよぎり続ける。

 戦場/戦後/穏やかな日々——どこで何をしてようとティミリのことが忘れられない。






「ティミリ」

 エァンの呟き。静かな——しかし真剣な。

「私たちはパートナーです」

 ハンドガンへ弾薬を装填=対回復者リジェネレーター用の特別製。

 エァンの瞳は揺らがない=固い決意を宿し決してその瞳に宿る炎は消えはしない。


「ティミリ、私が全てを終わらせてみせる」


 ワゴンが揺れる。エァンは決して眠らない。いついかなる時も、戦いに備え神経を研ぎ澄ませる。


8.


 研究所が場所=海上。見渡す限りの海に囲まれた絶好の研究環境。


「これから私はこの傘で行くってわけね」

「そうだ」


 侵入傘イントルード・アンブレラ=ミサイルのように施設へと着弾、突き刺さり内部にて展開/爆発を伴わず敵施設への損害を与えられる輸送型武力兵器。常人が乗ったのなら加速によるGに全身を粉砕され施設への着弾時点で全身が崩壊——回復者ならばそのデメリットを踏み倒せる。過去の戦争の忘れ形見。


「A1、お前が突入する以前にも、確かに研究施設には我々の仲間が乗り込んでいた。ルハル機関からの技術提供を受けて、我々が簡易的に強化した回復者だ。オリジナルのお前たちほどでないにしろ、十分な戦力があった」

「でしょうね。私に依頼する前に自分たちで動いてなきゃおかしい。それで、結果は?」

「全滅だ。ログは渡す。移動中に確認するといい」

「恐ろしいことだわ」

「お前も例外ではないかもしれん。記録から、わからないことが多すぎる。ルハル機関が私たちに教えたことは、それぐらいしかない」

「あの機関ならそうでしょうね。覚悟の上ですよ」


 最終情報を確認して、傘へと乗り込む。

 海洋施設という性質上、海底から施設へ突き刺す形で突入は行われる

 傘の内にはいくつかのチューブが設置され、エァンは注射を指すように接続される。計器類の代用——回復者の応用技術。傘という無機物の存在でありながらエァンは自分の感覚の一部を共有=運搬中であっても死角の生まれぬように戦闘待機を可能に。


「T31を、ティミリを……頼む」


 発射直前——バーナードの懇願=過去のバーナードの私たちを見る悲しげな瞳を彷彿=子供を戦場へ送ることの罪悪感とせめてもの前線での罪を背負うという覚悟——ああ、この人はこういう人だったっけ。


 エァンとティミリがバーナードと初めて出会った時——ルハル機関から軍へと売り渡されたあの日、彼は静かに涙した。


 なぜ、こんな地獄が許されるのか。なぜ、こんな子供を戦場に出さないといけないのかと、嘆いた。

 それでもただの軍人であった彼には大きな流れを変えることはできなかった。それ故に、バーナードはただシステムとして徹することで皆を生かそうとした。確実な作戦の遂行=的確/冷徹な指示=いつかくる終戦を早めること——それこそが彼女たち唯一の救済と信じて。

 それは見事に打ち砕かれて、ティミリはいなくなったのだけど。

 ——忘れていたな。いろいろなことがありすぎて、忘れていた。そうエァンは考える。

 バーナードを見つめエァン——静かに頷く。


「わかりましたよ、バーナードさん」


 一言のやりとりで長年の時間のズレは解消。任務だけに専念する覚悟の官僚。

 全ての通信が切断——設定された目的地への射出を待つだけの静寂。

 エァンは神に祈らない。自らの仕打ちと地獄をかけた記憶故に神の存在は死んでいない。

 刹那——強烈なGが襲来。発射の轟音と共に体がひしゃげるのではないかというくらいの痛みを知覚。急加速によるポッドの外壁の剥がれていく音が内部に振動として伝わる——思わず口を開くと舌を噛んでしまいそうなくらいの揺れ/Gが目眩を引き起こす。


 ——エァンちゃん、大丈夫?


 あの少女の、夜毎の祈り。


 ——お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。


 かつてのパートナーの言葉。ティミリは何かに祈りを捧げていたのだろう?

 そんな思考もポッドにしがみつくうちにやがて薄れていった。

 彼女はまだ暗闇の中なのだろうか。

 こんな、光の届かない海中の施設で。


9.


 潜行——そして着弾と到着する、はずだった。


「ダメだ!」


 傘と一体になり、鋭敏化された感覚がアラートを発する。今すぐにでも対応しなければ死ぬという感覚。

 促進剤の投薬——侵入傘イントルード・アンブレラの迎撃装置を起動。エァンの神経を接続=傘の硬質化/先鋭化/メカニカルな機能が生じ、全身が迎撃武装へと変化。水中弾を撒き散らし迫り来る脅威へと対応。

 ソナーを自らの神経と一体化させ鋭敏化=迫り来るミサイルを補足し撃ち落していく。


「なんだこれ……ミサイルだけじゃない——サメか!」


 喜劇、あるいは出来の悪い悪夢のような造形の化け物が傘の前に存在。一体の怪物。

 鮫のフォルム/全身のいたるところに存在する亀裂/浮かび上がった人面=苦悶の表情——本来のヒレを用いた泳ぎでは到底説明できぬ縦横無尽な高速移動により獲物を捕食しようと迫り来る。

 全身のサイズは通常の鮫の軽く数倍——数人は軽く丸呑みできてしまうような規格外。

 通常の鮫では考えらぬ凶暴性——何らかの遺伝子操作が推測される=研究施設の成果の一環と推測。

 人道に背いた改造により生まれ出でた化物——年端もいかぬ少年/少女ならば叫び声もあげる間もなく物言わぬ肉塊へと成り果て鮫の胃袋の中へ収まってしまう。

 断頭台のギロチンのごとく傘を噛み砕かんと口が閉じられる

 エァンにできることはただ一つ=研究施設への着弾。

 迎撃をしながら噛みつかれるのを物ともせずに傘の推進力のリミッターを解除=Gによりエァンの体から骨が折れる異音が発生——意に介さず。


「ゴアアアアア!」


 傘に食らいついたままの鮫の絶叫。しかしその声はエァンの耳に届かぬまま傘と共に研究施設の壁へと叩きつけられる。

 高速の衝突=鮫——全身が砕け散り海の藻屑へ。

 エァン——侵入成功。

 全回復に至っていないものの歩行に問題なし——傘を脱出し、研究施設内の地面に自らの足で立ち、駆け出す。


 浸水していく施設内——海底でのトラブルに備え、幾つかのブロックに内部は分断されている。

 入ってきた水を防ぐために完全に施設の経路がふさがれる前に滑り込むようにブロックを移動。速やかに安全なブロックに到着。


「あれは今回の任務の原因の一端、か」


 人工的に強化を施された生物の存在=推測にたやすい。

 悪夢の子供達ナイトメアチルドレンという人工兵器が生まれた以上、それは珍しいことではない。人間で実用段階に至る前段階——何かしら別の生命体で実験という思考プロセス——用意に/半ば呆れながら理解可能。

 しかし、その程度の戦闘力の存在だけであるのならばティミリは止められはしない。エァンも侵入できたのだから。


「ティミリ、今行くよ」


 浸水を始めた施設の中、エァンは走る。


10.


 ——バーナードより渡されたログの参照。


 彼女は軍による簡易版回復者リジェネレーター処置後、延命研究の不正利用の阻止を目的とした潜入任務をパートナーと共に実行。

 簡易版回復者処置の結果として銃弾の数発では死なずに継続戦闘を行える回復力と常人の数倍の身体能力を獲得。


 記録当時の彼女の任務——研究施設の調査。水深1,000m。光さえも100兆分の1となる生存不可能領域。彼女の処置済みの身体機能と、事前に用意された計画はそのような環境下であっても問題なく任務を遂行できる成功率を測定。

 ——しかし、彼女は未帰還。

 記録——参照されたファイルは発見された調査員のログを修復したものである。

 吹き込まれた音声は基本的に調査員Sの物のみとなっている。

 以下、彼女のライフログとなる。




 荒い呼吸音——何かに怯えるような、生命の警戒音を彷彿とさせるリズム。

 開閉音——自動ドアか何かを使用した様子。


「生存者無しだなんてのは間違いだった」


 悪態をつくような声色。苛立ちと絶望、自分自身に話しかけることで平静を保とうという切なる試み。

 机に何かが散らばる音。ジャラジャラ。おそらく抑制剤、精神安定剤等の彼女が潜入時に携帯していったもの。

 飲料とともに一度に飲み干すような音。おそらく精神安定を図ったであろう行動。

 彼女の精神に動揺があったのは間違いないと思われるが、それに対しての行動は正確。

 この時までは一定の状況に沿った行動として不合理な点は特段見当たらない。

 数分後、大きなため息——投与した精神安定剤の作用を確認。


「状況確認をします。私の任務は延命研究の不正利用の阻止を目的とした潜入任務。この海底での事実確認のため潜入。結果として——」

 カチカチ。カチカチ。歯の鳴る音。怯えが湧き上がってくる様子。


「総員30名の閉鎖空間。該当回復者がいた場合、戦闘も想定とはいえ、生身の人間であれば私とパートナーの二人掛かりである以上十分な勝率を想定していた」


 処置受けた人員——戦闘能力は随一。

 一騎当千の活躍、汎用人型兵器としての有用性。

 彼女もまた例外なく、たとえ単独行動時でも屈強な兵士が集団で襲いかかったところで止めることはできない存在だった。


「でも、状況は最悪。彼女を甘く見ていた」


 まるで他人事のような口ぶり。全てを諦めたかのような。

『C区画からD区画、空気が漏れています。ただちに退去してください』

「誰も死んでいない。ここでは、誰も。生存者は全員——ただし、かつての姿ではない。もう人間といえる存在は私だけ。回復者である私が現在この施設にいる生命体の中で一番人間らしい。あの子もきっと今頃は……」


 赤ん坊の泣くような叫び声が聞こえる。幾重にもなった奇声が響き、スピーカーを震わせる。


「あれは人間じゃない」


 引きずるような音。机や椅子、棚が強引に押され、床を傷つけながら動くような音。

 同時に赤ん坊の泣き声のような音が近づいていく。


「ここにいた回復者は、もはや我々とは違っている」


 滴る音と引き摺り回す音、泣き声が混ざり合い不協和音となってスピーカーから出力される。


「こんなのは、悪夢だ。私は」《詳細不明。異音に掻き消され、判別不能》


 肉が潰れるような音、絶叫——静寂の後、ファイルの再生は終了となる。


11.


「悪夢、ね」


 複数のブロックを移動後、発見した研究室。

 レポートの束、試験管が並びいかにもの研究の後。エァン以外に人影——一切なし。報告書をパラパラと読みふけるエァン——報告書に断片的に見える単語。

 延命処置——その検証方法。遺伝子操作/人工繊維/人工皮膚/結合の課題——想定の範囲内のおぞましさ。

 コアを設定=それを大元として無限に拡張していく生体兵器。


「何が延命の研究だ。余分なクリーチャーの研究で盛り上がっている」


 一体この研究がいつから、どのようなきっかけで行われたか。

 エァンの深いため息。

 資料に書かれていることの、何もかもが疎ましい。


「さっきの鮫は脳髄の細胞増加の検証、か……」


 レポートの束を放り投げる。全てがくだらないことであるかのように。


「最初からここの研究成果はイカれている。それを無理やり回復者に仕込もうとしたのなら……か」


 その時、館内放送が響き。


《エァン、エァンなの?》


 あまりにも懐かしい声にエァン——動揺が隠せぬ表情に。


《やっぱり。監視カメラで見たんだよ、ああ、エァン、変わらないまま。変わらないままだね》


 優しく/慈しむような声。だが、館内放送に声と共にズルズルと何かを引きずる音。


《ねえ、私、わかったんだ。もう怖がらなくていいんだ。私たちも離れ離れにならないで済む方法、わかったんだよ》


 館内のアラートが鳴り響く。施設のいたるところのドアが閉鎖される合図。

 走り出すエァン——いくつものブロックを移動。


「ティミリ……」 


 エァン、ログ/施設内の報告書/自らに当てられた音声——最悪の事態を想定。手にしたハンドガンを握る手に力がこもる。




 そして、遭遇。

 現在のティミリ=ティミリだったもの。

 かつてのティミリの残滓でしかないもの。


「エァン、エァン」


 エァンの眼前に現れた存在=それは少女でも女性でもない。

 巨人——各部位の偉業さと相まってグロテスクさが一層に引き立っている。

 頭部=カプセル内に脳髄/数十の顔球が存在——全方位を見渡す監視に特化された構造。

 腕=人間の腕/腕/腕/腕/腕——数十本に連なり腕部を構成。

 腹=妊婦を思わせる巨大さ。全身のプロポーションを崩すように突き出た腹部は地面につく程に垂れ下がっている。

 足=人間の足/足/足/足/足——幾重にも絡み合いながら接地面のみ融解。

 人体の結合の極致=ここで扱われていた根源の正体。肉塊の壁——ゆっくりと確かに迫り来る死の顕現。

 全身に顔が貼り付けられている=全ての顔がかつてのティミリのまま。


「ティミリ、やっぱりね。予想していましたよ。ろくな研究じゃないって」 


 エァンの声=冷静なまま。


「研究成果を見ていましたよ。テロメアをどうやればいいか。ただひたすら他の生物から取り込むとかいう原始的な発想で、読んでられなかった。私がここに突入した時にいた鮫も、体の表面に人の顔が浮き出ていて。たぶん、そういうことでしょうね。人をくっつけたんだろう、鮫とね。テロメアを延長するために細胞をくっつけようとして、くっつけることに夢中になったんですよ。ルハル機関は。狂ってる。ティミリ、あなたがここに乗り込んだっていうのは、バーナード隊長が伝えられた間違った情報です。あなたはあれから、ずっとモルモットとして生きてきたんでしょうね」


 悪夢の子供達ナイトメアチルドレン——その再利用=全てがルハル機関の仕組んだこと。戦争により戦闘経験を蓄積した生体兵器をベースに更なる調整を目論んだ顛末=それがこの事態。


「あなたはまだ、光の中にいない」


 眼前の化け物=ティミリの回復者ゆえの再生力を延命のための結合技術と複合して出来た悪夢の産物。

 ルハル機関がこの研究所で作り続けていた、ティミリを元にして作り出した怪物。

 

 ティミリ——死ぬことも、まっとうに生きることもできず、こんな深い海の底に一人でいた少女。


「ティミリ」


 エァンの呟き——ティミリ、ようやく見つけた。

 エァンはハンドガンをティミリであったものへと向けた。


「見つけた! エァン!」


 その直後にティミリであった怪物=エァンの存在を知覚——眼前の生命体の絶叫——身体中に存在するティミリの顔が一斉に叫びブロック中に声が響き渡る。

「嫌、嫌だよお」「死にたい、死にたい」「もう怖いのは嫌、怖いのは嫌」「みんな行かないで」「私を一人にしないで」「エァン、あなたも」「エァン!」「私たち、救われたいの。」


「エァン、あなたのことも、救いたい」


 歪んだ願望。怪物の声。もはやティミリのものではない、叫び。


「でも、エァンも救わないといけないと思ったの。だって一緒だもの。ずっと一緒だもの私たち。このひどい、ひどい世界で私たちが救われるには一緒にいないといけないの」


 エァンは答えない。


「だから———私と一つになって!」


 咆哮=赤ん坊の泣き/成人女性/犬/猫/鳥——ありとあらゆる存在のミックスしたような絶叫。

 ティミリの成れの果て——探していた存在だと理解する。


「ティミリー!」 


 エァンの絶叫——身体のサイズの違いを物ともせずに駆け出す。


「エァン!」


 ティミリだったものの急加速=エァンの数倍は軽くあるその巨体からは想像できぬ跳躍——身を翻して地面へと叩きつけられる腕をエァン、回避。

 地面が粉砕され、区画内にアラートが鳴り響く。


「エァァン!」


 ティミリの右腕=フルスイング——当たればトマトを壁にぶちつけたようになるのは確実。

 身を翻してハンドガンを連射=全て着弾。


「痛い、痛いいいい!」「どうして、どうして!」「エァン、あなたも、エァン!」


 全てを無視してスタングレネードを放る。痛みに動揺したティミリであった怪物はその全身の顔の瞳でその閃光を直視する。


「ああああああ!」


 閃光によるパニック状態に陥る。辺りを一切考慮しないガムシャラな攻撃で施設が破壊され尽くす。

 刹那——エァンは駆ける。ティミリの元へと一直線に。


「ティミリ、今あなたを助ける」


 一秒——エァンの顔面に怪物の腕が当たり脳髄が弾け飛ぶ。

 二秒——エァンの頭部が再生=即座にハンドガンを乱射。

 三秒——怪物の攻撃をかいくぐりエァンはスライディングで足元へと滑り込む。


「今ここから出すよ、ティミリ」


 ナイフを地面からアンダースローのように滑らせる=怪物の突き出た腹へと刃が入り込む。

 地面からすくい上げるように、一閃。

 ありとあらゆる体液を撒き散らし、怪物の腹が裂かれる。


 ——内から飛び出る、あの日と変わらぬ姿の少女=ティミリ。


「ティミリ!」


 エァンが手を伸ばし、放り出されたティミリの腕を掴む。かつて出来なかったこと、今、確かに出来たこと。 


「この子がコアだった」


 ティミリを核とした人工兵器=ティミリの回復者ゆえの再生力を延命のための結合技術と複合して出来た悪夢の終わり。


「もうこんな夢は終わらせる。あなたはあなたのまま、あなただけで生きていける。私たちは目を覚まさなくちゃいけないです、ティミリ」


 ティミリを抱えたままハンドグレネードを放る。コアをなくし、再生能力を無くした残骸の化け物が爆発四散して、死に至る。


「おかえりなさい、ティミリ。今度こそ、手を掴みました」


 炎で焼けた世界がオレンジ色の輝きを放ちティミリを照らす。揺れる結ばれた水色のティミリの髪が、いつだって変わらず綺麗に見える。


12.


「エァン。お願い、助けて。私を助けてほしいの」 


 エァンがティミリを抱くようになったのは夜にそう願われたからだった。

 戦場では無類の働きをするティミリを支えるもの——死への恐怖。

 恐怖をアドレナリンで押さえ込み、殺戮の享楽に浸りごまかし続ける日々。


「大丈夫、大丈夫、大丈夫だよティミリ」


 その言葉の繰り返し。おまじないのような言葉を繰り返し、肌を重ね、つかの間の安寧。


「私たちが救われる日なんて来るのかしら」

「来るよ、必ず」 


 そう言って、エァンはティミリを慰める。いつまでも。


「どうしてエァンはそんなに穏やかなの。あなたをバカにしているんじゃないの。でも、あなたは私よりも戦闘が得意なわけでもないし、私と同じ出自なのに、こう、安定しているというか」

「そう見える?」

「ええ、私はいつだって、この地獄から救われたいと思っているの。でもエァンにも同じくらい救われてほしいし、だから」

「大丈夫ですよ」


 そう言葉を紡ぐ。


「私はもう救われているのだから」


 そう言って、エァンはティミリに口づけをする。ティミリの、エァンと同じ水色の髪を撫でる。


13.


 その後の話。

 ホームセンターの勤務/午後の品出しの時間。

 淡々した作業がエァンにリズムを与え、心を落ち着かせる=業務中の息抜き時間の一つ。

 トイレットペーパーの補充/通路にはエァン以外の姿=なし。鼻歌混じりに補充中のエァンにその平穏を破る一声。


「ご苦労だったな」 


 バーナードの声。振り返らずに返事をする。


「いいえ、ティミリも帰ってきましたからね。幸か不幸か、今回の歪んだ延命処置のおかげで寿命も私より長いみたいで」


 怪物化の副産物=テロメアの延長。払うには大きすぎる代償だったが失った年月を取り戻す機会は得ることができる。


「T31、いやティミリは」

「今は家で休んでいます。ゆっくりと世間のことを教えて、そのうち一緒に働こうかなと」


 今回で最高に幸いだったこと。ティミリの身柄=すでにMIAで処分済み=バーナード経由の軍の依頼も極秘任務=結果「怪物を処理した」ということ以外は全てが闇の中へ。

 戦闘意欲を無くしたティルミ=無事エァンの居候としての生活を入手。


「そうか……」


 しばらくの間。


「わたしはルハル機関を追う。このようなことを繰り返すのは真っ平御免だからな」

「それはありがたいことですね。悲しいことは続かない方がいいので」


 バーナードの沈黙。何かを言いあぐねている様子。悩んでいる空気。しかし、告げた。


「お前の寿命は短い」

「そうですね」

「お前にとっての幸福は、どうなる。たとえ今の幸福を得ても、確実に近いうちに終わりが来る」


 絶対の事実。エァンを逃れることなき結末=死。


「軍の病院がある。私が手配して身分を隠してそこに行けば少しは死を先延ばしにすることも……」


 不器用な提案。せめてもの償いのような声。

 エァンは背中で微笑み応対する。


「いいえ、私はいりませんよ。バーナードさん」

「だが、お前の人生はどうなる。これまで闇の中であった人生にようやく光が見えたんだろうに」


 震える声でバーナードが言う。

 かつて、二人と出会った時のままだ。変わることのない、根底の人格。


「私は、もうこの世界にいてもいいとずっと前に言われているので。私という存在が自然のものだって、生きていていいと。ずっと前に」


 だから、と言って振り返る。


「私はこのまま、ティミリと生きていくのが幸福なんです。そして、いつか私がいなくなってもティミリが生きていけるようになることが」


 そう、笑顔で言った。


14.

  

 自分の髪が水色であることを理解した時、エァンは自らを不純物だと認識した。

 どこまでいっても自然に存在し得ぬ自分の髪色に、すでに存在していた自然の枠組みとこぼれたのだという自覚——それは決して自分で変えられぬ呪いへと変貌。 

 希死念慮を強める日々。戦いに出る日だけが待ち遠しかった。

 戦えれば、死ねるかもしれない。

 機関の施設でいつかくる死を待つだけだったある日のこと——パートナーとされる少女がやってくる。

 彼女と同じ水色の髪=T31、それを元にしたあだ名でティミリと呼ばれる少女。

 悲しげだった顔がエァンを見た瞬間、明るい表情へと変わる。

 まるで、美しいものを見たかのように。


「初めまして、A1。あなたの、髪の色がとても綺麗で見とれてしまったわ」


 その言葉を言われた刹那——エァンと世界は確かに噛み合った。


「私を、綺麗といってくれるの……」

「え、どうしたのA1、うん。とても。私の髪よりもずっと」

「そんなことない。あなただって、あなただってとても」


 そう言って、ただひたすらにエァンは泣いた。

 自らの存在の絶対的な承認、それがそんな些細な言葉で与えられるなんて、思ってもいなかった。

 兵器としての生——人間としての生への切り替えの瞬間。


 研究所を出る/軍へと行く/戦場を駆ける。

 繰り返しの中、ただひたすらに生きた。

「可哀想に……」そういったバーナードの言葉でさえも、エァンにとっては些細なものだった。


 だって、幸福はすでに訪れていたから。


 ただ、それをパートナーに与えられたら良いとだけ考えていたから。

 祈るのならば彼女へと——彼女が幸福であることを。いつの日か、別れることがあったとしても自らが救われた瞬間のような、未来を照らし続ける幸福をいつか彼女に与えられるように。


「ねえ、エァン。あなたは幸せになれている? 私のせいで迷惑被っていない?」


 暖かなベッドの中でそうティミリが聞く。ずっと研究所で眠っていて、エァンよりもちっとも大人になっていないから、エァンよりも子供っぽく質問をする。


「そうですねえ」


 その質問に微笑み、エァンはティミリを見つめて答える。

 エァンは神に祈らない。祈りを捧げるのはいつだってただ一人だけにと決めているからだ。


15.


 今の私が幸福というのなら、私はあの時からずっと救われていたのです。〈了〉



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どこかに救いがあるとして 吉野奈津希(えのき) @enokiki003

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