星の生活者たち

@isako

星の生活者たち

 おれは大学を出ている。しかし稼ぎは少ない。


 今日も大学の同期の連中と飲んでいる。合成疑似アルコールを疑似コーラで割った、カスみたいな味の疑似コークハイだ。ちなみに、コーク、つまりコカ・コーラはもはや地球にはほとんど存在しない。地球のイケてる文化のほとんどはエリアの奴らに回収されてしまった。地球人に残されたのは思い出の残り香だけだ。そして新しく押し付けられた地球外文化たち。


 サカモトは相変わらずパスクをやっている。パスクも地球外文化のひとつで、みたところ黎明期のVRヘッドセットでゲームをしているような姿のものだが、その内容は大きく異なる。パスクは視覚情報量が総合的知覚量の大部分を占める生体に有効なドラッグの一種で、視聴者の脳につながれたコードが視聴者の脳内歴史を読み取る。視聴者にとってもっとも心地よい映像パタンを生成するための情報源ソースにするためだ。日本人が一生懸命作っていたスパコンをはるかに超える性能を持ちながら、ごつめの眼鏡くらいの大きさしかない電子計算機によって一人の人間のちっぽけな脳内歴史は完全にキャッチされ、リフレッシュされる。そうして生み出されたサイケ・ムービーは身体中の体液を制御させられなくなるくらいの興奮を生み出す。税込み8000円。システム更新のためのオンラインサーヴィス込み。ちなみに、おれたちの階級の月収はせいぜい10万円前後。すべてが計算されている。俺たちは頭の先からぶら下げられたニンジンをおっかけるロバと同じだ。


「サカモトがイキはじめた」

 ノウミがサカモトの隆起したズボンの股間を、フォークでつついた。


「こいつまた持ってきてやがったのか」

 手元の端末に夢中だったアンドウが、突如として叫んだ。アンドウの嫁はパスクで心を壊して、今は自分のことを村上春樹に飼われている黒猫だと思い込んでいる。アンドウはパスクを嫌悪していた。

 ちなみに村上春樹は剥製になって、エリア専用街の地球博物館で、カズオ・イシグロのとなりで猫を撫でている。おれはその写真をエリアの客に見せられてから、あまり小説を読まないようになった。


 おれはサカモトにパスクを借りて、彼に適合したパーソナル・サイケデリック・ムービーを見たことがある。パスクは、他人のムービーでは、まったくハイにならない。それだけ人間というのは形が違う。心の形が違う。サカモトのムービーの中では、サカモトは太った女とセックスをしていた。これは誰かとおれが訪ねると、サカモトは少しまごついてから言った。「俺のおふくろ……」


 その半年後、サカモトは死んだ。パスクのニューヴァージョンは視覚ではなく、外科手術によって脳に直接差し込まれた電極から流される電気信号によって、サイケ体験を得るというものだった。サカモトは地球でもっとも程度の高い快感の中でショック死した。サカモトは幸福だったのかもしれない。肉体的快感の絶頂のさなかに、彼がほかのことを考える余裕のようなものはなかっただろう。彼が抱えていた借金や、人生の不成功、社会的抑圧に対する不満などといった日ごろの負の側面をすっかり快感で塗りつぶすことができたのだ。その中で思考をシャットアウトさせられたのだから、きっと悪くないはずだ。本当のところ、それを知るのは彼のみなのだ。


 おれは新卒で印刷会社に就職した。業界最大手。そんなに悪くない会社だっただと思う。おれは就職に成功したのだ。ただそれから一年としないうちにエリアの連中がやってきて、人類文化は激変した。会社はつぶれた。会社どころか政府もつぶれた。彼らによって人類は支配された。いまでは就職してすぐに買ったマツダCX5でエリアの連中をあいてにタクシードライバーをやっている。


 エリアの科学力は21世紀の地球人類のものをはるかに超えていて、あらゆる面において地球は彼らに劣り、そしてゆえに支配された。おれは高校から必死に受験勉強をして国立大学に入って、それからも必死に勉強して、いい会社に入ったのだが、今の月収はおおよそ10万円。貯金はほとんどしていない。できない。ある程度の豊かさを生活に求めると、収入はほとんど尽きてしまう。でも、今の日本列島で貯金ができている奴なんてほとんどいない。そういう時代だった。


 大学の同期の連中もやはり似たようなものである。ノウミはかつては広告代理店に就職し、輝けるキャリア・ウマンとしての道を歩み始めていたのだが、いまではエリアの連中に股を開く娼婦でしかない。アンドウは都庁に勤めていたが今では人類向けのヤクの売人になっている。サカモトは就職に失敗して実家の農家で大根を作っていたが、パスク狂いになってパーになって死んだ。おれたちは等しくくたびれて、なんとか人生にしがみついている(そしてひとりは振り落とされた)。人生のことを考えると、むなしくなって、たばこを吸うしかなくなる。


 おれがタクシードライバーを始めたのはもちろん、スコセッシの「タクシードライバー」を観たからだ。もしほかの仕事を選ぶ機会があるのならタクシードライバーになりたいと思っていた。ちょうどいい。給料は半分以下だがおれはやりたい仕事をやれている。

 ただ楽しいわけではない。エリアのクソどもの相手をするのはクソだ。エリアはおれをフェアには扱わない。豚がぶひぶひ鳴きながら車を運転していて、餌を投げつけて行き先を怒鳴れば、そこまで連れていくのだとしたら、その豚に礼儀や思いやりを差し出す必要を感じることがあるだろうか? 少なくともエリアの連中にはそうした人間性はない。


 例えば三日前のクソ。奴はゲロの臭いをまき散らしながらおれのCXに乗り込んできた。それから札をくちゃくちゃに丸めたのを投げつけて言う。

「ひがしえき」

 おれは頷いてアクセルを踏む。縮んだジャバザハットのような姿をした個体だった。息がゲロの臭いだった。奴は酔っていたのか、後部座席の窓を殴って割って、夜風を車の中に取り込んだ。

「このクソゲロが。殺してやりたいぜ」

 日本語はエリアの奴らには通じない。エリアの一部の教養高い連中には、英語や中国語を解するものたちがいるという噂だが、そいつがそんなお偉だとは思えなかった。

「地球人区画に来てみな。てめぇをばらばらにして、犬の餌にしてやる。その犬でチャーハンを作って売って、おれは煙草を買う」

 おれはサラリーマン時代に身につけた商用スマイルでそう言った。クソゲロはおれの笑顔をサービスが何かと勘違いしたようで、おれを見下した唸り声をあげた。

 クソゲロが車を降りたあと、シートには奴の息の臭いをまとったねばねばの体液が残っていた。窓の修理代とシート清掃の費用を合わせると、奴の残していった運賃をはるかに超えた。


 先の顧客は例外として、エリア向けの商売は比較的儲かるのだが、ほかの地球人たちからは売星奴と呼ばれる。エリアの言葉は人間には聞き取りに難く、それにはある種の才能が必要になる。幸運なことにおれは耳がよかった。人体の構造上、おれたちはエリアの言葉を発するのは不可能だが聞き取ることはなんとかできる。


 地球人区画でもエリア街に近い場所におれは住んでいる。エリア相手の商売をやっている奴らはそのあたりに住んでいる。やさで5時間眠って、残りの時間で車を回す。トラヴィスは不眠症だったが、おれはいつだって眠れる。そこがおれと映画との一番のちがいだった。


***


 ある朝、キーとたばこを掴んで駐車場までいくと、おれのCXはめためたに破壊されていた。おれは破壊の状況を見分すると、それからそいつにもたれかかって煙草を吸った。悪意と金は巡る。修理にかかる金の請求とこの悪意はこれをやったやつ(ら)に向けることにした。こんなことをするのは地球人しかいない。エリアはいちいち地球人区画にきて、こんなことをしたりはしない。反エリアの奴らだ。時代についてこれないオールドたち。抵抗と革命と誇りを謳って、中間領域に生きようとするおれのような人間を敵視するカスども。エリアに直接攻撃はできないから、うまくやっているおれを逆恨みする連中。


 駐車場を管理しているババアに話を聞いても知らないの一点張り。おれは丁寧に状況を説明してやった。


「いいか。反エリアの連中をつけあがらせてると、いつかはアンタにまでしわ寄せがやってくるんだぜ。この地区に住んでるやつらはだいたいエリア商売で食ってるんだ。そのうち奴らはこの地区に対して全体的に略奪を行うだろう。アンタが地球人にしか車場を貸してないと言ったって、そんなこと奴らがいちいち気にすると思うか? あいつらは革命なんか起こさない。ただ暴れて鬱憤を晴らしたいだけなんだよ。いまおれに知ってることを話せば、おれがやつらを潰してやる。もし黙ってるままなら、おれはアンタを痛めつけるし、いずれ奴らはアンタをも襲うだろうよ」


 ババアの言葉を信じるとすれば、おれへの攻撃は〈皇國志團こうこくしだん〉の連中がやったことになる。〈皇國志團〉は反エリア的感情と昔からある極右思想が結びついたハッピーな組織で、世界中に似たような組織が存在する。反エリアと愛国思想は相性がいい。おれは國志の中心的メンバの一人をよく知っているので、そいつを飲み屋に呼び出すことにした。


 宗田理の青春小説から物語の魔力に憑りつかれた安藤匡あんどうたすくは、文学部に入って三島由紀夫に陶酔。そのまま似たような連中と政治的右派の大学非公認サークルを結成し、隠れ右翼としてその思想をむくむくと勃起させていった。本物のバカだ。幼馴染として恥ずかしい。


 冬木屋のいつもの席で、おれたちはノウミ抜きで集まった。アンドウとサシで飲むのはいつぶりだろう。おれはアンドウよりも先に入って、空グラスをテーブルに並べていた。


「おれのCXがボコボコなんだよぉ。稼ぎにもでれやしねぇ! もう飲むしかねぇんだ!」


「聞いたよ。災難だったな。きっとあのあたりの悪ガキどもの仕業さ」


「ゆるせねぇ。善良な一般市民を破壊の快楽のためだけに痛めつけるなんてよぉ」


「は。善良とは。言うじゃないか。エリア相手に阿漕あこぎな商売をしていただろうに」

 

「エリア商売のなにがいけないってんだよぉ」


「奴らは地球を踏みにじる侵略者なんだ。ああいう黴菌ばいきんどもにこびへつらうのは在来種としての誇り、ましては日本人にっぽんじんとして気高さまで捨てようとしているのと同じさ」

 

「……」


「ま、これに懲りたら、まともな商売に鞍替えするんだな。いい機会だ」


「なぁにが『まともな商売』だよぉ。てめぇなんかヤクの売人のくせにえらそうに」


「〈ノポリッヒ〉は麻薬じゃない。あれは栄養剤だ。リポビタンDとかレッドブルとかと同じさ」


「へぇ! 口がうまいこったな。お前は学生んころからそうやって人を口車に乗せるのがうまかったよなぁ。まだあの馬鹿どもつつるんでんのかよ? え?」


「〈皇國志團〉のことか? 彼らは馬鹿なんかじゃない。このくたびれた時代に本統の魂を燃やし続けている烈士たちだ」


「言うねぇ。どーせ薄暗い部屋で集まって三島でも朗読しながらマスかいてるだけだろ」




「一郎。お前がなんで俺をここに呼んだのか、ちゃんとわかっているよ」

「数少ないともだちだからな。ぼちぼちゆがみを叩き直してやろうと思ってさ。匡」




 アンドウがテーブルを拳で二度ならした。その合図でほかの客が一斉に立ち上がって、おれたちの周りを囲んだ。誘い込まれたのはおれのほうだった。


「クソ・クソ・クソの三拍子だ。このポン中どもめが」


「お前に仲間になれとは言わない。我々の活動には危険が伴う。大切な友人をそこに引きずり込むわけにはいかない。ただ、お前に我々の敵になってほしくはないんだ」


 飲み屋のマスターが腰を抜かしてひっくり返った。


「てめぇのマスかき仲間まで連れてこいと言った覚えはないぜ」


「実のところ、これからどうすべきなのか俺にもわからない。お前がに応じるような性格ではないことも分かっている。んだ」


「どうすればいいもなにも、お前はCX5の修理代を出しておれに詫びをいれるんだよ」


「一郎。頼む」


 どこにでもある人間関係の亀裂。もし地球が侵略されていなかったら、奴は思想の偏った都庁の職員で、おれは印刷会社の口の悪いセールスマンでしかなかった。飲み屋で殴り合いの喧嘩になっても、いつかは和解できたのかもしれない。

 でも、今では奴はきちがい集団のボスで、おれは生活の危機に瀕した貧困者だった。争いはしかるべき形をとって終結する。


 それがその時代の空気アトモスフィアだった。誰もが自分の大切なものを守ろうと必死だった。そのためなら、誰かを具体的に傷つけたって平気だった。


 おれはテーブルをひっくり返して、振り返った。おれの後ろに立っていた若い女を、ポケットに忍ばせていたジャックナイフで刺した。ただのジャックナイフじゃない。エリアの客が車に忘れていった異邦の武器だ。黒を基調とした握把あくはから高周波の電磁ブレードが飛び出す。なんでも焼き切る最悪の刃。子宮からはらわた、右肋骨および肺の片方を引き裂かれて女は絶命した。焼けた血と肉の匂いが鼻腔をつく。


「オザキくん!」

 アンドウが悲痛に叫んだ。

 おれは少しがっかりする。アガってるのはおれだけなのか? それは悪いことをした。でも、もうあとはないんだよ。匡。


 倒れた女をみて、一人の女が逆上して叫んだ。狂乱の様子でおれに向かってくる。おれはそれも刺し斬って殺した。ここまでで、アンドウのお仲間のほとんどが逃げ出していた。それでいい。逃げ出した連中はほかのものを見つけるだろう。今日のことは忘れられないだろうけど。


「一郎! お前、狂っているぞ! たかが車ごときで、二人も殺した! やはりエリアだ! エリアの言葉だ! 奴らの言葉を解すると、その文法が、語法が、新たな思考を芽生えさせる。地球にはなかった考え方だ! 残酷の思考だ!」


「なんでこうなっちまったんだろうな? 不思議だよ。でも、こうなるしかなかったような気もするんだ。これがふさわしいんだよ。きっと」


「狂気だ! それは狂気なのだ! だからエリアと触れ合ってはいけないんだ。地球のすべてが奴らに塗りつぶされていく……! 財産も、文化も、そして人さえも!」


 冬木屋の空気が凍り付いていた。だれも身じろぎひとつできない。國志の連中も茫然と立ち尽くしていた。死んだ娘たちの身体から、血が噴き出し始める。焦げ付いた肉を生命の残りが押し出しているのだ。


「で、お前はCXの修理代を出すのか? 出さないのか?」


「は……」


「だから、お前らがぶっ壊したおれの車を、弁償する気はあんのかって話だよ」


「今、その話なのか?」


「それ以外ないだろ。その話をしにここまで来たんだよ。そして二人の女が死んだ」


「ああ……! やはり狂っている! もう遅かった! 一郎にまで奴らの呪いが広がっていた! 俺の、大切な、ともだち……!」


「で、お前はCXの弁償をするのか、しないのか」


***


〈皇國志團〉のアジトにはなかなかの現金キャッシュが蓄えられていた。どうせヤクの生産販売で儲けた薄汚い金だろう。おれは適当にひっつかんで、それを愛車の修理代に充てた。十分に足りた。余った分は飲み代に回した。怖い目にあわした分、その詫びも含めてアンドウにおごってやろうとも考えた。まぁ、もとはといえば奴の金で、奴の引き起こした事件トラブルなのだが。


 おれたちは毎週金曜日に冬木屋に集まって飲む。事件の次の金曜日におれはいつものように冬木屋にやってきた。マスターが白い目でおれを睨んでいた。


「なんだよ。店の片づけは手伝ったし、あれこれの弁償だってしただろ」


「アンタがあんなヨゴレだとは思わなかったよ。戦後まもなくのヤクザ・ヒットマンにそっくりだわ」


「戦後まもなくって……」


 しばらくマスターとやっていると、先に来たのはノウミだった。

 ノウミはおれの向かいに座ったが、おれの挨拶には応じなかった。機嫌が悪いのか生理なのか、だったら酒なんか飲みに来なければいいのにとも思うが、それを決めるのはおれじゃなくて彼女だ。


「アンドウが死んだよ」


 ノウミが口を開いた。おれは少なからず動揺した。疑似コークハイのグラスを落として、ズボンの股を濡らした。


「自殺した。奥さんと息子を残して。例の政治グループから放逐されたんだってさ。それを苦にしばらく家に引きこもってたんだって。今朝首を吊ったそう……」


 おれはなにも言えなかった。ノウミがおれを気遣ってか、つづけた。


「これから通夜だけど、くる?」


 しばらく考えてから答えた。

「行くよ」


 おれたちは店を出た。幸い、おれはブラックのスラックスとシャツという恰好だった。通夜までの道すがらで黒のタイを買おう。あと香典袋も。


 金はある。



 

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