同族喰らい
昔、昔。竜は地に住む者と協定を交わした。互いに争わぬ代わりに、地に住む者のいかなる争いにも竜は介入しない、と。
協定を忘れぬ為、天空竜の一部は地に住む者と同じ形となり、荒野の只中、台地の上を居とした。
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誰かを襲う竜は皆狂っている。狂っているから、自分が他にどのくらい影響を与えるかを忘れる。だから、殺すしかない。それくらいは自分も知っていた。だが、台地に地に住む者が現れるのは初めてだった。
「我々の村に、英雄はおりません」
初めて聞いた地に住む者の声。酷く震え、怯えている声。
族長の家の木の上。盗み聞きするには最適な場所だ。こちらからは見えるのに、あちらからは見えない位置だから。
「同族を殺せと言うか」
「お願いです! 我々の村には、子どもが大勢いるのです……先の戦で身寄りをなくした子らなのです」
「…………」
「……古の協定で、いざという時は竜を頼れ、となっているのでしょう? お願いです、どうか、どうか」
必死の訴えだった。
竜は、後世で英雄と呼ばれるような連中にしか殺せない。狂っているから、踏み外してはならない道を踏み外すのだ。そりゃあ強いに決まっていよう。
__強い相手と、戦いたい。
ゾワリ、と全身を何かが這った。
「しかし……」
「族長! オレに、オレにやらせてくれ!」
木から飛び降り、窓枠から部屋に入る。日に当たっていない土床は冷たく、ついた膝から怖気が走り上がってくるようだった。
「強いんだろ? なら、オレが行く。オレが殺してみせる!」
「……同族殺しは呪われるぞ」
「そんなの迷信だ。それも、オレが証明する」
「…………」
「オレは台地で一番の戦士だ! オレが行かなくて誰が行くんだ!」
それでも族長は何か言いたげだった。
記憶を掘り起こして、協定を誦じる。
「『竜は地に住む者を庇護し、地に住む者は竜を崇めよ。』……今こそ、地に住む者を庇護すべき時だ。止められたってオレは行くぞ」
協定を出せば族長は何も言えなくなる。自身が立ち合い、結ばれたものだから。
しばらくして族長は頷いた。地に住む者は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「準備は怠るな」
「ああ。墓に参れば良いんだろ?」
立ち上がり、来た時と同じように窓枠から出る。
台地の北、皆の骨がある大すり鉢に向かう。台地を出る時はあそこで加護を貰え、と族長は言うが、正直これも迷信だと思う。死んだ奴は何にもならない。死んだ奴を役立てるには、生きている奴が食べないといけない。でも、皆は同族喰いを嫌がる。なぜかは、オレにはよく分からなかった。
#####
台地を出て三日後には、地に住む者の言う村に辿り着いた。台地よりも緑が多く、日の照りが弱い。それに、あまり乾燥してない。明るい雰囲気がするけど、地に住む者達の顔は皆曇っていた。
「兄さん!」
地に住む者の中から周囲より小さい者が出て、オレをここまで案内した地に住む者に駆け寄る。
「竜は」
「森の中。今はまだ、大丈夫。今朝、羊を要求されただけだから」
「昨日は。一昨日は」
「畑の野菜を取れるだけと、川魚を大きい籠二十個分。兄さんがいない間はずっとそんな感じだったよ。それで……」
小さい者の目がオレを見る。案内してきた地に住む者は薄く笑みを浮かべて、
「この方は竜人だ。我々の為に、あの竜を退治してくださるんだ」
心底嬉しそうに、そう言った。
道中、地に住む者に村に居座る竜の事を聞いた。赤竜だという。赤竜は地の底に住み、火を喰らって暮らす。それが南の森に陣取り、人と同じものを喰らうという。
狂っている証拠だ。狂ってなきゃ、普通はそんなの喰わない。地に住む者が
「竜は、どこだ」
小さい者に問うと、震える指が一方向を指した。
目に浮かぶのは畏怖ではなく恐怖。
……ああ。オレも、この小さい者にとっては化け物なのか。
「誰も近づくな。守れるか分からない」
誰に言うとも言えない声で告げ、足を進める。地に住む者達の群れを抜け、初めて見るような木々の隙間を通り抜ける。次第に竜の魔力が強くなるのが感じられた。
どれ程歩いたろうか。視界が開け、赤い鱗が見えた。腰に差した剣に手がかかる。
「何者だ」
グォン、と低い音。見上げると赤竜の首があった。
目が黄ばんでいる。狂っている証だ。
息を吸って、言葉を吐く。
「天空竜の里より参った。あなたがどのような御方か存じぬか、一刻も早くここを退いてほしい。古の協定に触れる」
「古の協定? あんなもの、守るのはお主らのみよ」
「否。地に住む者らも協定を守って、」
「ふざけるなッ!!」
竜の激昂。衝撃波が森を揺さぶり、オレを吹き飛ばそうとする。
「あやつらは既に協定なぞ忘れておるわ! 我らの里に立ち入り、子らを殺めたのだぞ!!」
「何事かが起これば天空竜の里に知らせが来る! そのような知らせはない!」
「知らせすらもをあやつらは殺したのだ!!」
二度目の衝撃波は更に強かった。若い木の幾本かが吹き飛び、バギバギと乾いた音をたてる。
赤竜の里が滅んだ、というのはこの竜の妄言か。それとも、事実か。……否、否、否! そんな事は今は関係ない!
こいつが地に住む者達に迷惑をかけているのは事実。そして、オレの役目はこいつをどうにかする事。
「……この村をどうする気だ」
「力が戻り次第、滅ぼす」
「なら、オレは敵だ」
剣を抜く。日光に反射して輝くそれは、オレが初めて殺した竜、狂い死んだ父の骨から作られた竜骨刀だ。父は歴戦の勇士だった。だから、これ以上の素晴らしい剣は存在しないだろう。
眼前の竜は嘲るように火を口から溢し、吐き出した。地を這う豪炎が木を、草を焼き殺していく。そのせいで跳躍して避ける事もできず、自然、熱を浴びながら赤竜へ突進する事になる。
あと少し、というところで竜の右前足が動いた。すぐさま伏せると頭上をグワンと音が通過した。一瞬でも送れていれば首が飛んでいただろう。
前足の付け根に剣を刺す。真っ赤な血がドバドバと溢れ出し、赤竜が咆哮をあげる。遠慮はせず、そのまま体に登って首を狙う。羽虫を払うように相手は動くが、それがどうした。
「オレを舐めるな」
馬鹿でかいガラス玉のような目に水平に剣を刺す。引き抜くと血と共に脳漿が溢れ出した。
絶命の咆哮があがると同時、竜を蹴って地に降り立つ。
未だ燻る炎は、しかし徐々に弱まりつつあった。
目の前で起きる様子のない赤竜。火は収まり、日は沈もうとし、光は失われてゆく。
「喰らってみるか」
以前より気になっていた疑問を吐露する。
同族殺しは厭われる。しかし、それまでだ。居づらいだろうが台地に居られよう。
同族喰らいは禁忌だ。居づらいどころの話じゃない。己以外全ての竜を敵に回す。水竜も地竜も赤竜も、そして天空竜も、関係ない。
それでも。オレは喰ってみたかった。竜というものを、喰ってみたかった。
赤竜に近づく。剣を突き立て、肉を抉る。
新鮮な色をした生肉。
「……喰らって、みたいか」
己に問い、決意し、指で掬い取る。
口に入れる。咀嚼する。飲み込む。
結果を吐露。
「不味いな」
何というか、生臭い。いや、生肉だから当然か。だがしかし、それでも不味すぎやしないか。生肉だからか? 生肉だからか? 味付けが必要だと言うのか?
疑問の海に身を落とそうとした時、ガサリと音がした。振り返ると白銀色の髪、どうやら台地から見張りが来ていたらしかった。
「……喰ったか」
低い、低い声だった。悲しみと絶望と、少しの安心が混ざった声。
「分かっているな。お前は、終わりだ」
「逃げれば良い。この世は竜以外にも生物がいる」
「逃げられない。竜はどこにでもいる」
「それでも」
ガサリ、ガサリと音。周囲を見渡せば白銀色が大勢いた。
「これでもか」
「ならば逃げるまで」
焼け焦げた地を蹴り、白銀色を飛び越える。そのまま足を前へ、前へ、前へ。
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天空竜が一人、里を逃げ出した。
短編 in2020 宇曽井 誠 @lielife
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