十億分の一【トキちゃん合同誌参加作】

七戸寧子 / 栗饅頭

本文

 ヒトの才能というのは、生まれつきで決まるものらしい。


 そういう動物として生を受けて、運良くその才能を自覚した者は世界で輝ける。そんなものらしい。


 ヒト以外の動物にも、才能の概念が存在する。この島だとそれがよくわかる。芸の才能があるイルカなどは、今日も来園者を喜ばせている。


 ヒトには才能がある。


 動物にも才能がある。


 しかし、才能ではどうにもできないことだって多い。上手に歌を歌えない動物がいれば、空を飛ぶことができない動物もいる。種によって、姿かたちや得意なことはそれぞれなのだ。それらは才能とは違うが、この世に誕生した時に手にしていたものという意味では似ているかもしれない。


 それでは、アニマルガールはどうだろう。


 当然、フレンズによって得意なことは違うのだ。例えば、速く走れるとか、力が強いとか、そういうことである。それは、元々の姿である動物の特性などに影響される。

 しかし、動物である以上、才能の概念だってある。生まれつき持っているものとして、ヒトとしての才能と種の二つの特性が身体に同居しているのだ。それゆえに苦悩するフレンズも存在する。


 例えば、いくら練習しても歌を上手に歌えない鳥のフレンズ。それは動物の頃の特性ゆえなのか。それとも、歌の才能がないのか。どちらにせよ、綺麗な歌声を夢見る彼女が頭を抱える理由には十分だった。


 公園のベンチに座り、ぼーっと自分の歌声について考える。深く考えているうちに、視界がぼやけて前が見えなくなる。じっくりじっくり考えると、手先から感覚が消えていく。最終的に、自分だけの世界で自分の問題について唸っていた。

 しばらくそうしていたが、いきなり頬に柔らかな刺激を受けて、視覚や聴覚、触覚などが一斉に目覚め、現実に引き戻される。何者かにつつかれた気がした頬をさする。


「トキ?」


 そう呼ばれて、声の方向を振り向く。明るさの違う二色の茶色の縞模様が目立つパーカーの少女が不思議そうな顔をしていた。フードからはみだした青緑の髪がキラキラと光を反射している。


「ツチノコ、どうしました?」


 トキと呼ばれたフレンズが、無表情に考え事をしていたのを誤魔化すように笑みを浮かべる。朱鷺のフレンズである彼女は、自分の音痴な歌に頭を悩ませていた。音痴なのは、朱鷺という動物が濁った鳴き声を発するのがフレンズ化の際に個性として表れた結果と考えることができるが、ヒト風に言い換えれば「歌の才能がない」とも説明できた。


 トキのぎこちない笑顔を見て、さらに不思議そうな顔をする青緑の髪のフレンズ。ツチノコと呼ばれた彼女は、トキの頬をつついた人差し指でトキの手元を指した。


「……肉まん、冷めるぞ?」


 トキが視線を落とす。両手で包むように持っているのは、白くてふわふわした物体。円形だったであろうその物体は半分に割られており、断面からは調理されて美味しそうな色になったひき肉などが顔を出していた。思い出したように、食欲をそそるいい香りを感じて、トキは誤魔化しではなく心の底から微笑んだ。


「何か悩んでるのか?」


「いえ、大したことじゃないです」


 心配そうな声を出したツチノコだったが、明るく返事をして肉まんを頬張るトキを見て、安心して自分の肉まんにかじりついた。


「やっぱり、美味いな」


「ツチノコは肉まん好きですね?」


「まあな」


 短い会話の後に、ツチノコがもう一口肉まんをぱくつく。最初は半円型だった二人の肉まんも、だんだんと小さくなっていった。二人で足を運んだコンビニで、一つだけ買って半分に分け合って食べていたのだ。


 ツチノコが肉まんを好きなのには理由がある。そもそも、元は洞窟に一人で暮らしていた彼女が地上での生活を始めたのは、ある日洞窟に迷い込んだキタキツネの勧めがあったからだ。

 ツチノコが道案内をしていた時に交わした会話の中で、肉まんの話題が出たのだ。地上に出て、勧めの通り食べた肉まんは今までに食べた何よりも美味だった。


「でもやっぱり、大切な人と食べるのは格別だな」


 唐突にツチノコが呟く。その言葉を呑み込むのに時間がかかったのか、トキはきょとんとしていたが、すぐにその顔を赤くした。


「もう、ツチノコったら! 照れちゃいますよ」


 頬を鴇色に染めたトキが恥ずかしそうに頭を掻く。その頭に生えた羽は、犬が尻尾を振って感情をアピールするのと同じようにパタパタと嬉しさを表現していた。


「でも、トキが大切な人なのは間違いない」


 ツチノコは平然とそう言い放ち、肉まんの最後の欠片を口へ放り込む。トキは相変わらずの嬉しそうな顔で「ツチノコもですよ」と返す。お互いにだらしない顔を見せぬように、嬉しさと照れの混ざった表情を空気に逃がした。


 二人が出会ったのは、星の綺麗な夜だった。地上に出たばかりのツチノコはトキのことを見つけて、声をかけてみようと後ろから歩みよった。だが、何気なく後ろを振り向いたトキに驚かれてしまった。それが二人の初めてのコミュニケーションである。


「あの時、トキと出会えてよかったよ」


「こちらこそです。もうあれから結構経ちましたね」


「そうだな。私もすっかり地上に慣れたし」


 トキも肉まんをすっかり食べ終わり、二人とも手が空っぽになった。しばらく、二人で楽しく思い出話などをしていた。素敵な思い出を頭にうかべては二人で笑う。そんな中、ツチノコが一言。


「トキが歌ってくれたしな」


 ツチノコ本人は楽しそうに話していた。しかし、その言葉でトキのニコニコが一瞬で消え去る。そして、そのまま凍りついた。ツチノコはトキの様子に驚き、慌てて声をかける。


「ごめん、何か変なこと言った?」


 ツチノコがわたわたするのを見て、逆にトキが申し訳なくなって返事をする。顔もいつものトキらしいものに戻った。


「い、いえいえ! ごめんなさい、なんでもないんです……」


 そう答えたトキだが、なんでもないなんてことはなかった。ツチノコの言葉をスタートの合図に、嫌な言葉が頭の中を駆け回る。


 なぜ、私はこんなに音痴なんだろう?


 いろんな先生に教わっても、どんなに練習しても、全然ダメ。


 それでも、つい最近まで楽しく歌えた。


「耳がもげる」「不快な旋律」なんて言われても、歌うのは好きだ。


 好きな歌で、誰かを幸せにしたいのに。


 私が生まれた時、その才能を授かることはできなかった。


 ましてや、歌うのが苦手な動物に生まれてしまった。



 なんで?










 トキは自覚していないらしいが、にこやかな雰囲気はどこかへ消え去ってしまった。いつも表情が豊かで、小さなことで笑い、歌について悪く言われると涙を流すトキ。いつも泣きはするものの、すぐに立ち直る。涙が乾こうともしないうちに笑顔になっているなんてよくある事だ。


 しかし、今のトキはツチノコも見たことがない顔をしていた。唇をぎゅっと結び、それでも時々嗚咽を漏らし、金色の瞳を潤ませていた。その顔から感情を汲み取るなら、「悔しさ」だろうか。


「……私のこと、頼ってくれてもいいぞ?」


 トキと反対に、ツチノコは表情の変化が薄いタイプだ。表に出さないわけではないのだが、わかりやすく笑ったり怒ったりすることが少ない。細かな眉の動きなどで感情表現を済ませてしまうため無表情でいると捉えられてしまうのだ。


 しかし、間違いなく表には出している。それを見分けられるのはごく少数。例えば、お互いを「大切な人」と胸を張れる関係の鳥のフレンズとか。


 トキがツチノコの顔に見たのは、やはり「心配」だった。トキの中で何かがポッキリ折れる。ポロポロと目から零れる液体が、白い袖を濡らしてグレーの模様を作っていく。


「私、なんで上手に歌えないんでしょう……?」


 心のダムに穴が開く。脆くなったコンクリートは、溜め込んだ気持ちの水圧に耐えられなくなる。壁が崩れ落ち、内側のものが溢れ出る。その水害に巻き込まれるのは、目の前のツチノコ。


「トキ」


「だって、私はたくさん練習してます!」


「うん」


「なのに、こんな歌じゃ誰も幸せにできないですよね……」


 なんで。どうして。


 朱鷺で、ヒトとしての才能もない自分は誰ひとり幸せにできないのか。今まで自分の中に押し込めていた悩みを吐き出して、また泣いてを繰り返す。気がつけばトキはツチノコの胸の中にいた。


 ツチノコの方が身長は低いが、ベンチではそんな差は些細なことだった。トキが泣き崩れているのを、ツチノコは優しく抱く。独特な癖のある白い髪を、ゆっくりと撫でる。ついさっきまで嬉しそうにはためいていた翼は、すっかり寝てしまっていた。


「私は、さ」


 ぐずぐずとツチノコのパーカーを濡らしていくトキに、ツチノコは少し喉に引っかかったような言葉をかける。トキはツチノコの胸に押し付けていた顔を上げて、潤んだ瞳を見せた。


「洞窟にいた頃、私の見た目は人を怖がらせると思ってたんだ」


 その一言で、トキは悲しい顔の中に「本当に?」とでも言いたげな、驚きの表情を混じらせる。先程のような嗚咽混じりではないにしろ、弱々しい声で質問した。幼い子が母親に疑問を投げかけるような、純粋な声だった。


「でも、ツチノコは美人さんじゃないですか」


「照れるな。でも実際、私を見た人のほとんどは驚いて逃げた」


 そんな話は聞いたことがない。トキは悲しむのも忘れて、あんぐりと口を開けてその話に耳を向けていた。その様子を見て、ツチノコがくすくす笑う。


「そんな驚くような話か?」


「びっくりです」


「かもな。トキも最初驚いてたけど、すぐに受け入れてくれたし。でも、本当にみんな逃げてくから私はひっそり暮らしてたんだ」


 悲しい話のはずなのに、ツチノコの口調は穏やかだった。しかし、そこまで話したところでトキを抱きしめる力がぎゅっと強くなる。そして、ポツリと。



「寂しかった」



 ツチノコが地上に出たその日から、二人は親密な関係を築き、今でもそれを深め続けている。もちろん、洞窟暮らしは寂しかったという話はトキも聞いていた。それでも、今この瞬間放たれた言葉は今までの何よりも切実な辛さをトキの心に響かせた。


「なんで私はこんな姿に生まれたんだろうって。みんなが逃げてく格好なんてちっとも楽しくない。幸せじゃない」


 淡々とした、独り言のようなツチノコの声。トキが彼女の胸の中からその顔を見ようとしても目が合わない。彼女は虚空を見つめているらしかった。


「自分が嫌になった。ツチノコに生まれたくなかったって思った」


 そこまでツチノコが吐いた時。トキがツチノコの腕から抜け出し、両腕をばっと左右に開く。そして、ツチノコを包むように抱きしめた。さっきまでと逆だ。思わず、ツチノコも目を見開く。


「トキ?」


「ツチノコがツチノコのこと嫌いでも、私はツチノコのこと……」


 トキの声はやはり涙がかっている。ぐずぐずで、指で弾いたら粉になってしまいそうな声色だった。ツチノコは一瞬驚きの表情を見せたが、すぐにくつくつと笑いだした。


「トキは優しいな」


 ツチノコがトキを慰めていたら、トキがツチノコを慰めていた。と、思っていたら今は悲しそうなトキをツチノコがよしよしと撫でている。結局、ずっとトキが甘えていた。


「それは昔の話。今は別にそう思ってないぞ?」


「……」


「でも、さっきみたいにトキが『美人さん』って言ってくれたりするから自信になった。案外、自分ってそんなに悪くない」


 そこで、トキがその言葉の意味に気がついたらしい。自分ってそんなに悪くない。ツチノコにしろ、トキにしろ。トキがツチノコをぎゅっと抱きしめていた腕を緩めて、ほんの少し距離をとる。今まで近すぎて見えなかったお互いの顔が見えるようになった。


「だから、ほら。つまりは……泣くなよ? って」


 ツチノコがトキの頬をパーカーの袖で拭う。そして、付け足す。


「トキ、『こんな歌じゃ誰も幸せになれない』って言ったよな」


 トキがしゅんとしながら、頷いて返す。ツチノコはピッと人差し指を立てる。そして、ツチノコ自身の鼻の先を指した。

 珍しく、ツチノコが思い切り笑っていた。トキはそれを見て頭上に「?」を浮かべていたが、数秒してから顔をみるみる明るくさせた。ツチノコに負けない笑顔を見せる。その後、今度はどちらかから一方的にではなく、二人で抱きしめあった。


 洞窟でひとりぼっち、全然幸せじゃなかった私。


 歌で人を幸せにしたいのに、誰もが耳を塞ぐ歌声の私。


 あの日の夜、ツチノコはトキの歌を聴いてこう言った。


「いい歌だな」


 散々な評価を受けてきたトキの歌に、そう言った。


 不幸せな自分を、幸せにしてくれたフレンズ。


 自分の歌を、唯一楽しんでくれたフレンズ。


「そういえば、最近聴いてないな。トキの歌」


「えへへ、最近新しいの覚えたんです! 聴いてくれますか?」


 トキが立ち上がって、ツチノコの前で一礼する。簡単に喉の調子を確かめてから、たっぷり息を吸った。その日、パークで怪音波が観測された。目撃者は、「幸せの歌声」と証言したらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

十億分の一【トキちゃん合同誌参加作】 七戸寧子 / 栗饅頭 @kurimanzyuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ