第6話

 高橋和成が朗らかに作品のストーリーについて話す声が聴こえる。撮影セットやモニターから目を背けることはできても、さすがに耳を塞ぐわけにはいかず、俺は撮影スタジオの隅で下を向いたまま居たたまれない気持ちを抑えて立っていた。

 平日の午後一時から生放送されている今話題の人物をゲストに迎えるトーク番組の本日のゲストは『注目の新進映画監督・高橋和成』だった。和成が今日のゲストであることは随分前から知っていたのだが、同じ志を持って供に学んでいた同級生が、全国規模の番組で映画監督として扱われているのをいざ目の当たりにすると、激しく気持ちが動揺するのを感じた。

 観覧客のざわめきに思わず顔を上げた瞬間視界に入ったモニターの中の和成は、屈託のない笑みを浮かべながら物語のテーマについて語っている。

 三十分ほど前、最終リハーサルの際にスタジオで俺を発見した時も彼は満面の笑顔で駆け寄ってきて、気兼ねなく手のひらで肩を叩いた。

「亮平久しぶりじゃん。ここで働いてたんだ。元気だった?」

 俺は不本意な姿を見られてしまったという恥ずかしさと和成の親しげな調子に戸惑いながらも、なんとか平静を保って言葉を繕った。

「おお、和成こそ商業映画デビューおめでとう。さすがの大活躍じゃん」

「サンキュ。でもほんとは二年近く前に撮影は終わってたんだ。その後スポンサーと揉めたりして、公開遅れちゃってさ。大学四年の時にスカラシップとってからデビューまで丸四年もかかっちゃったよ。賞取った時はこれですぐにスターダムだ、とかって浮かれてたけど、やっぱなかなか思ったようには上手くいかないもんだな」

 ゲストと番組ADという立場上、周囲のスタッフの視線は多少気になったが、そんなこと気にもかけず四年前と同じ飾らない口ぶりで話す和成の態度に気持ちが和らいだ。ただ一方で、『映画監督』として言葉を発する彼のその有り様を羨む想いが疼いた。

「やっぱ亮平はゆくゆくはドラマの監督とかプロデューサーとか、そういうポジション狙ってんの?」

「まあ一応な」

「さすがだよなあ。俺にもそういう計画性があればなあ。いくら商業映画デビューって言ったって、これがヒットしなかったら次の誘いあるかわかんないし、ほんと一日一日が綱渡りだよ」

「でもそういう生き方を望んでたんだろ?」

「まあね。とりあえず毎日退屈はしないね」

 和成がそう言って笑った時、セットの方からディレクターが彼を呼ぶ声が聞こえた。

 和成は一旦振り返ってディレクターに向かって返事をすると、再びこちらに向き直った。

「あーやっぱ学生時代の友達ってなんか落ち着くな。話せて良かったよ。またそのうち学部同期の奴らで集まるからさ、お前も遠慮しないで来いよ」

 早口で言って和成がセットの方へ去っていく。その背中をじっと見ていると彼はおもむろに振り返って「いつか一緒に仕事しような」と声を張り上げ大きく腕を振った。いきいきとしたその姿を眺めながら、俺は曖昧に頷いて胸の辺りで小さく手を振り返した。和成の言葉を皮肉にしか感じられない自分が悲しかった。

「大学を出る時就職しないで映画監督の道に進まれるって話をされた時、ご両親は反対なされなかったんですか?」

 女性アナウンサーが仰々しい調子で和成に向かって訊ねている。気づくといつの間にかトークのテーマは和成の学生時代の話に移っているようだった。

「いやもちろんされました。母親には泣かれましたし、父親にも何度も説得されましたね」

「それでも続けてこられたというのは、やはり余程強い意志がおありになったんですね」

「意志というより意地に近いかもしれません。うちは父親が銀行員で割ときっちりした家庭でしたから、こういう道に進んだからには父とは違う形で何かを掴まないと自分の生き方を獲得できないという風には思っていました。なので途中で投げ出すなんて発想自体ありませんでしたし、たとえ上手くいかない状況が続いた時でも、その時出来ることに取り組んで、黙々と日々をつないで来た結果今日に至るって感じです」

「それでその『ご自分の生き方』というものは獲得できましたか?」

「ようやく形になってきたかなというのは感じます。ただ反面、それは一度掴んだから消えないというものではなくて、絶え間なく作品を形にすることを継続して確かめ続けることでしか維持することのできないものだということも薄々わかってきたので、この行為に死ぬまで終わりはないんだなと思って最近は途方にくれてますね」

 和成の心底うんざりしたような表情と独特の言い回しに観覧席から笑いが起こる。

 アナウンサーが笑みをこぼしつつ、その考察に感心するコメントを述べると、和成は照れ笑いを浮かべて謙遜の言葉を発した。モニターには和成のはにかんだ笑顔がアップで映し出され、その顔はどこか凛として見えた。


 ホームに発車のベルが鳴り響くなか駆け足で車内に乗り込み、息を切らしながら空いている席に腰を下ろすと、ほぼ同時に新幹線が動き出した。リュックのサイドネットからペットボトルを抜き取り水を飲む。金曜日の昼過ぎという中途半端な時間だからか、同じ車両の座席に座っている人は十人ほどしかいなかった。

 車窓の向こうに広がる景色が都心のビル街を抜け住宅の建ち並ぶ風景に変わる頃、ようやく呼吸もお落ち着き、座席を倒して目を瞑る。自然とほんの一時間前まで居た収録スタジオのことに想いが巡り、堂々とした様子で観覧者からの拍手に応える和成の姿が脳裏に浮かんだ。

 大学に入学した当初から和成は周囲とは一線を画す雰囲気を持っていた。

 佇まいには妙な落ち着きと余裕があり、新歓コンパなどで同級生に混じって楽しげに振る舞っていても、変に浮かれて過剰にはしゃいだり、いたずらに他人に絡むようなことはなかった。

 本格的に講義が始まると、漫然と座って話を聞いている生徒達のなか、ただ一人豊富な映画の知識を活かして臆することなく発言している姿を頻繁に目にするようになった。さらに課題制作では、高校時代に独学で学んでいたという映像制作の方法論を用いて、周りの同級生たちとは明らかに段階の違う作品を作り上げていた。

 その姿からは熱意が滲み、大勢いる新入生の中で彼だけが、映画を作るという現実に、体ごと真剣に取り組んでいるように見えた。

 一方、地方の進学校から具体的な展望を持たずに入学した俺は、和成の姿を目の当たりにして、いかに自分が『映画監督』というものを漠然としたイメージだけで捉えてきたかを思い知らされた。彼との間には勢いや口先といった小手先の事柄では埋めることのできない厳然とした実力の差があり、当時の俺にとってそれはあまりに大きな隔たりに思えた。そして、その事実は自らを支えてきた『夢』を初めて霞ませ、それまで作り上げてきた自分という存在を揺るがせた。

 今考えれば、和成と自分の間にあったのは才能というよりは経験の差であって、それは焦らず時間をかければ埋まる可能性のあるものであり、当時感じていたほど決定的な差ではなかったことがわかる。ただ中学、高校と『映画や映像に関して最も秀でた存在』であることをアイデンティティとしてきた俺は、自らの未熟さに必要以上の劣等感を憶え、それを早急に埋め合わせようと手近な結果を求めた。

 それから俺は周囲の評価を得るために、時代の流行や教授陣の嗜好に合わせてがむしゃらに作品を作った。必死に表面を繕ったそれらの作品は学内でまずまずの評価を得たが、そんなハリボテの作品に対する評価で体裁を飾るごとに、自分への失望は深まっていった。俺は内側が虚しくなっていくのを感じつつも、夢を失う不安に追い立てられて、やみくもに制作を続けた。

 そして、そんな日々を繰り返し大学も三年を終えようとしていたある朝、目覚めた自室のベッドの上で、俺はついに作りたいものが何にも思い浮かばなくなっていることに気づいた。愕然とした思いでベッドに座り込み、どこか醒めた意識で窓の外を眺めた。四階の部屋の窓から見える景色に、三年前確かに漂っていたはずの輝かしい物語の予感はなく、空を覆う灰色の雲の下のっぺりとした街並が広がっているだけだった。

 地元のターミナル駅まであと十五分ほどの距離にある一つ手前の駅に停車したところで、備え付けテーブルの上に置いてあったスマートフォンが震えたので手に取りデッキに出る。

「晴文くんがいなくなっちゃったの」

 開通と同時に佐々木美和の鬼気迫る声が聞こえた。

「ついさっき電話がきて『佐々木さん、期待に応えられなくてごめん。亮平と仲良くね。さようなら』ってだけ言って切れたの。雰囲気が変だったから急いで家に行ってみたんだけど誰もいなくて、心当たりも色々当たってるんだけど見つからなくて、もう私どうしたらいいんだかわからなくて」

 俺の反応を待たず佐々木美和が取り乱した口調で話し続ける。

 先日部屋で話した時の晴文の思い詰めたような口ぶりを思い出して心がざわめいた。

 話している間に走り出していた新幹線はトンネルに入り轟音を響かせる。

 目の前のドアの窓ガラスに心許ない表情をした自分の顔が映った。その顔は失意のなか実家へと戻る列車の中で窓ガラスに写った五年前の自分の顔と酷似して見えた。

「ねえ亮くん聞いてる?」

 佐々木美和の呼びかけに我に返り慌てて返事をする。

 トンネルを抜けた窓の向こうには地元郊外の田畑の風景が広がり、上空を覆った黒々とした雲が蠢くように流れていた。

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