第3話

 晴文が就職活動に積極的になったのは、中学校の同級生である佐々木美和と再会してからのことだった。

 撮影を開始した当初、経験の少ない俺と晴文の二人での就職活動は難航を極めた。求人情報誌を片っ端からチェックしてみても社員の募集はいわくありげな営業職しかなく、ハローワークを訪ねても希望するデスクワークの仕事は経験者の募集しかないと告げられ、応募することさえ出来なかった。

 その後も求人サイトをチェックしたり、知り合いを当たるなど可能な手は尽くしたものの有力な進展はなく、二週間も経つ頃には晴文は疲弊しきって頻繁に諦めの言葉を口にするようになった。

 そんな企画自体が暗礁に乗り上げかけていた頃に参加したのが、市役所が開催していた『若年層就職支援講座』で、そこで講師を務めていたのが市の職員となった佐々木美和だった。


「なに考えてるの?」

 その声に意識が駅ビルの喫茶店に引き戻された。

 サンドイッチとコーヒーカップを乗せたトレーが丸テーブルの上に置かれ、佐々木美和が俺の向かい側の椅子に腰かける。

「いや晴文が前向きに就職活動に取り組むようになったのも佐々木さんのおかげだなと思ってさ」

「もうまたそういうこと言うのやめてよ」

 佐々木美和は少しだけ不服そうにぼやきながら、脇に置かれた手荷物入れにハンドバッグを入れた。

 昼時の喫茶店内には茫洋としたのどかな時間が流れ、買い物途中らしき中年女性に、サラリーマンやOL、学校をサボっているのであろう制服を着た女子高生などが、コーヒーとホットドッグなどで軽い昼食を食べながら休息をとっている。二ヵ月前、三年ぶりにこの街を訪れここで晴文と再会したあの時も、店内には似たような光景が広がっていたような気がした。

「いいよね学生はさ、ああやってサボったってクビになるわけじゃないし、週末以外にもいっぱい休みがあるし。そういえば今週の金曜日は私たちの通ってた中学校も創立記念日で休みだって。うちの近所に住んでる親戚の子が言ってた」

 佐々木美和が俺の視線を追って斜め後ろを振り向き、イヤフォンをしてテーブルに突っ伏している女子高生の方を見て気のない調子で言った。

「ごめんね、急に誘っちゃって。晴文くんから亮くんが次こっち来るのが今日だって聞いて、たまには夜じゃなくてお昼ごはんなんてどうかなって思って」

 佐々木美和はあらためて俺の方に向き直って言った。上目遣いにこちらを見つめる瞳の奥では、媚びるように何かを乞う光が無遠慮に揺らめいている。

「ほら、晴文くんの撮影の時だと他の人も周りにいるからあんまり話せないし。話せても私たちがこういう関係だって晴文くんに怪しまれないようにしなくちゃいけないから色々気を使うしさ」

「いや調度良かったよ。俺も晴文のことで聞きたいことあったし」

 恋人じみた親密さを漂わせる佐々木美和の態度に、内心うんざりした気持ちを憶えながら、平然を装って答える。昼間の陽射しの中で向き合う彼女は全身に野暮ったさを纏い、三日前に映像を観た時には欲望を掻き立てた厚めの唇や豊満な胸からも、女性的な魅力は感じられない。以前一度だけとはいえ、欲求に負けて一夜をともにしてしまった自分の理性の弱さを情けなく思った。

「もう、いつも晴文くんのことばっかり。私には聞きたいこととかないわけ」

「いやそういうわけじゃないけど、いま色々と仕事上で差し迫っててさ」

 目の前のコーヒーを啜り、いったん間を取る。

「実際佐々木さんから見て、晴文が今受けてる第一希望の法律事務所に採用される確率ってどのくらいなのかな。もちろん俺個人としては採用目指して撮影終わるまではサポートして行くんだけど、番組としてはそろそろ構成の方針を上に伝えなきゃいけなくて」

 佐々木美和の顔つきが、さっきまでとは違う真剣なものに変わった。

「うーん、まあ確率でいえば四十パーセントってとこかな」

「それはまた真実味のある微妙な数字だね」

「正直このあたりの地域だけに限定しちゃうとちゃんとした条件の求人て数が限られてきちゃうから、二十七歳って年齢で就職自体も未経験だっていうハンデを考えると、晴文くんはスゴく頑張ってる方だと思う。応募すれば結構面接まで行くこと多いし」

 佐々木美和はそこまで言うと一旦黙り、視線を下に向けて考え込むように手を顎にあてた。

「でもなんだろ。まだ肝心なところで迷いがある感じがするっていうか。最後のところで気持ちが揺らいでる気がするんだよね。そういうのが面接の受け答えに出ちゃうと向こうの採用担当者の方でも採るのに躊躇すると思うから、そこが厳しいとこかなと思う」

 実はそれは何度か面接の一部始終を撮影させてもらう中で俺も感じていたことだった。

 晴文は途中まではたどたどしいながらもなんとか的確に質問に答えていくのだが、なぜか面接の終盤、入社の意志を確認するような質問をされると、決まって目を逸らし、しばし考えを逡巡させるような表情を浮かべるのだ。結果、どうもその態度が採用担当者に不穏な印象を与えてしまうようで、あと一歩のところで採用を見送られてしまうのだった。

「きっとまだ晴文くんの中に何か、就職することを良しとしないわだかまりみたいなものが残ってるんじゃないかな」

 その言葉に、不採用を告げられた時に見せるどことなく安堵したような晴文の表情が思い出された。

「それにしても二人がまたこういう風に絡んでるなんて不思議だよね。しかも亮くんの方が晴文くんの面倒みてるんだもん。中学の時は逆だったのに」

「そうだっけ?」

「そうだよ。あの頃は晴文くんの方がクラスの中心人物でさ、亮くんがそれについて回ってるって印象だったもん。時々二人で屋上で夢語ったりしちゃって、女子の間ではあの二人デキてるんじゃないか?なんて噂も出てたんだから」

 当時、対等な友人関係だと思っていた俺は、周囲との認識の違いに少し心外な想いがした。だが確かにあの頃の晴文の存在感は学年でも際立っていて、心のどこかでそんな晴文の姿を羨んでいた俺は、晴文と一緒に居ることで、自分自身のプライドや欲求を満たしていた部分があったのかもしれない。

「でもそんなこと言ったら、中学時代はロクに話したこともなかった私たちがこんな関係になってることの方が不思議か」

 佐々木美和の声に嬉々とした調子が滲んだ。反射的に寒気のような嫌悪感が沸き上がるのを感じる。

「今日も駅前のホテルに泊まるんでしょ?またどっかで待ち合わせる?」

 まるでそれが定例であるかのような口ぶりで佐々木美和が語る。

「いや今日はこのあと晴文の家行って撮影したら、日帰りで東京戻るから」

 出来るだけ抑揚をつけずに言った。

「そっか忙しいならしょうがないね」

 佐々木美和は物わかりのいい言葉を返し、悲哀を帯びた笑顔をこちらに向けた。

「サンドイッチ食べれば。コーヒーも冷めるよ」

 話を逸らそうと食事を促す。

「ありがと。やっぱり亮くんは優しいね」

 俺はその言葉をやり過ごして、スマートフォンをズボンのポケットから取り出した。着信履歴とメールをチェックしたが、入っていたのは撮影の進行具合の報告を求める上司からの催促メールだけだった。

 店内には相変わらず緩慢な空気が流れ、駅前に面したガラス張りの壁の向こうで、色褪せたバスがロータリーを周回しているのが目に入る。気づけばいつの間にかOLとサラリーマンの姿はなく、俺ら以外の客は中年の女性二人と女子高生だけになっていた。

 佐々木美和は、片手にサンドイッチを持ちながら、もう片方の手で口許を隠して懸命に口に含んだ食物を噛み砕いている。

 その雑然とした有り様に受け入れ難いものを感じ、目を逸らし再びコーヒーを啜った。中年の女性たちが座る席の方から、誰かを嘲笑するような密やかな笑い声が聴こえた気がした。

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