第32話 穏やかな日々に、ちょっとした彩りを


 王都から帰還した翌日。


「はい、これでよし。君、ちょっとケガしすぎじゃない?」


 僕は魔法で10歳の少年のケガを治療し、少し呆れたように言った。

 この少年は、チェリーと久々に再会した日にもケガをしていた。そして僕が治した。

 前回は木登りしていて、木から落ちたとのこと。ちなみに今回は追いかけっこをしていて、派手にすっ転んだそうだ。


「でもいつもレナードが治してくれるから大丈夫!」


 少年が僕に抱き付く。

 僕は優しく少年を抱き返し、それから頭をポンポンと叩いた。

 少年が僕から離れる。

 ちなみにここは少年の家で、時刻は午前中。

 子供たちは朝っぱらから元気に外で走り回っていたのだ。


「いつもありがとうねレナードくん」


 少年の母親が僕に寄って来て言った。


「いいよ。僕は賢者だからね。ケガや病気は全部治してあげるよ」


「レナードくんって本当、いい男ねぇ」母親が嬉しそうに言う。「でも結婚しちゃったのよねぇ」


「したけど、あなたもしてますよね!?」


 少年の母親には当然、旦那がいる。僕は旦那とも親しい。今日はいないので、畑に出ているのだろう。


「レナード俺の父ちゃんになってくれてもいいぞ?」


 少年が目をキラキラさせながら言った。


「本当の父ちゃんが知ったら泣くよ!?」


 僕なら泣く。


「はいレナードくん。お礼にうちのトマトをどうぞ」


 母親が籠一杯のトマトを僕に渡す。

 僕はそれを受け取り、右手に提げる。


「ありがとう。また何かあったら呼んで」


 ヒラヒラと手を振って、ついでに笑顔を浮かべて、僕は少年の家を出た。

 田舎道をゆっくり歩いて自宅へと向かう。

 今日も晴れていて、雲が気持ちよさそうに空を泳いでいた。

 涼しい風が吹いて、僕を追い越していく。

 草花がそよそよと揺れて、なんだか可愛らしい。

 村の片隅でのささやかな生活。穏やかな気候と、スローペースで流れる時間。

 僕にとって、これほど大切なものはない。

 かつての、目が回るほど忙しかった頃の僕が今の僕を見たら、きっと羨ましくてぶっ倒れる。


 ちなみに、今日の僕はチェリーが買ってくれたウールのカットソーを着ている。かなりゆったりした服なので、腰の辺りに茶色のベルトを巻いて固定した。

 部屋の中なら、別にベルトは不要。休息の時はゆったり感がいい。

 そしてカットソーの上から、いつものロングコートを羽織っている。いつものループタイも、胸元で揺れている。


 小道を歩き、僕の家に近付く。

 小さな平屋。庭はそこそこ広い。庭は柵で囲っているのだけど、その外側にミロッチが寝そべっていた。

 ミロッチはエンドラ――エンシェントドラゴンの幼体で、旅をしている最中だ。いつまで居座るつもりなのだろう?

 普段ならミロッチの周囲には子供たちがいるのだが、お昼ご飯の前なので、今は誰もいなかった。

 僕が近寄ると、ミロッチは嬉しそうに小さく鳴いた。


「ただいまミロッチ」

「魔王、おか」

「ちょっと!? 僕はレナードだよ! 賢者レナード!」

「そっか。賢者、おか」


 ミロッチが言い直した。

 僕は苦笑いしながら、自宅の敷地内へ。

 僕は庭で苺を栽培しているのだけど、今はメイドが苺に水をやっていた。

 苺は丈夫で育てやすい、と聞いたので育成を始めたのだ。それに苺は美味しい。チェリーも好きだと言っていた。


「ただいま。今日もトマトがあるよ」

「いいですね。今日も有り余る魔力をふんだんに無駄遣いしましたか」


 メイドがニッコリと微笑む。

 実に美しい。メイドじゃなかったら惚れているところだ。

 メイドの透き通るような長い金髪は、陽光を浴びて輝いている。

 僕にとって、メイドは母であり姉だ。よって、恋愛感情はない。でも他人だったら間違いなく一目惚れしたと思う。


「では私が」


 メイドがジョウロを置いてから両手を差し出す。

 トマトの籠を渡せ、という意味のジェスチャーだ。

 ここで渡さなかったら、メイドは小さくなって周囲に暗闇を振りまくので、僕は素直に渡した。

 メイドは籠を持って家の中に入った。

 そしてメイドと入れ替わりにチェリーが玄関から飛び出してきた。


「レナードおかえり!」


 そのままチェリーが僕に突撃したので、僕はチェリーを受け止めて、その場でクルッと回転した。

 大きな犬を飼ったらきっとこんな感じなのだろうなぁ、と僕は思った。


「君は朝から元気モリモリだね」


 僕はチェリーの頭を撫でながら言った。

 チェリーの髪は赤毛で、編み込みハーフアップ。ちなみにメイドが結んでいる。チェリーは自分で髪をいじれるほど器用ではない。

 服はいつもと同じ、茶色のブラウスとスカート。スカートの裾から白いペティコートがはみ出している。

 でもきっと、下着は昨日新しく買ったやつに違いない。

 って僕は何を考えているのか。危うく自分で自分の頭を殴るかと思った。


「あたしってば身体すごく丈夫なのよね! 病気したことないもん! だいたい、いつも元気よ! それにもうすぐお昼よ!」

「そうだったね。君は食べるの大好きだしね」

「べ、別に大食いなわけじゃないのよ!? メイドの料理が美味しいのが悪いのよ! そうよ、メイドが悪いのよ! 美味しい料理であたしの心と胃袋を奪ったんだから!」

「さすがメイド。彼女はある意味、最強の魔物かもしれないね」


 勇者をあっさり落としてしまったのだから。


「料理で世界征服できるわよ!」

「想像以上に最強だった!」


 料理のみで世界まで手中に収めてしまうとは、我がメイドながらとんでもない。


「でもメイドが世界征服しちゃうと、あたしらが下僕になっちゃうのかな?」

「ああ、そうかもね」


 僕はチェリーのメイド姿を想像した。

 おや?

 結構、似合うぞ。大人しくしていれば、とっても可愛いぞ。


「ねぇ、それよりレナード、午後は予定ない?」

「特にないよ。緊急で村人に呼ばれなければ、また魚でも釣りに行く?」

「魚釣りとは到底呼べない魚釣りのこと?」


「まぁ、確かに釣りとは呼べないね」僕が言う。「次回からはもうさっさと湖割ることにしようかな」


「毎回、湖割るとか能力の無駄遣いだけど! でもそうしないと魚ゲットできないもんね! あたしも釣りは苦手みたいだし!」


 そもそもチェリーは餌の虫すら触れないのだ。


「あ、海まで遠征するのもいいね」僕が言う。「海の魚は湖の魚とはまた違ってるんだよ」


 荒波に揉まれた魚たちは身が引き締まっている。それに、湖の魚とは比べものにならないほど大きい魚も泳いでいるのだ。


「でも!! レナードは!! どうせ海も割るんでしょ!!」

「まぁ割るけどね! 割らないと魚手に入らないからね!」

「海の魚も気になるけど!! あたし、今日は魔法教えてほしいな!!」

「あ、そうだったね。脱脳筋するんだったね」

「脱脳筋!! するけど!! でも!! ちょっと最近、ぽちゃとかぽにょとか言われるので! 筋トレと走り込みはしようかと思います!」

「いいね。僕も一緒にやるよ。運動は大切だからね」

「じゃあお昼ご飯の前に、軽く走りに行きましょ!」


 チェリーが僕の手首を掴んで、そのまま走り出す。

 しばらくそのまま走って、途中で手を離してもらった。掴まれていると走りにくいからだ。

 そして。

 家に戻るとお昼の時間を圧倒的に過ぎていて、僕たちは揃ってメイドに怒られた。

 ちなみに玄関の前だ。


「軽く山2つ越えて走る人がどこにいるんですか」とメイド。

「ここに」と僕がチェリーを指す。


 チェリーが先導していたので、僕は大人しくチェリーの背中を見ながら走っていたのだ。


「だ、だって……」とチェリー。

「別にいいですよ? 山を越えようが谷を渡ろうが」


 メイドが腕を組んで言う。右手にはスープを掬うためのレードルを持っていた。


「しかし、私のスープが冷めてしまったではありませんか!」


 メイドが少し強い口調で言うと、チェリーはシュンと縮こまる。

 そしてモジモジしながら、ウルウルした瞳でメイドを見た。


「ま、まぁ、怒っていませんよ? また温め直すので、その、しばらく2人で花でも見ていてください」


 メイドがそう言うと、チェリーはパァッと笑顔になった。

 メイドは急いで家の中に戻る。

 そして僕はジッとチェリーを見詰めた。


「ご飯抜きって言われたら、あたしムシャクシャして世界滅ぼすところだったわ」

「世界が滅ぶ理由のしょぼさ!!」


 そんな理由で滅びたら、世界もスッキリとは滅び切れないだろう。できればもう少し崇高な理由が欲しいところ。


「てゆーかレナード、あんまりジロジロ見られると、ちょっと恥ずかしいんだけど……、あたしの顔、何か付いてるの?」

「いや? メイドがほら、花を見てろって言ったから」

「あたしの顔に花が付いてる!?」


 チェリーが両手でゴシゴシと顔を擦る。


「違うよ。さっきの君の笑顔が、花が咲いたみたいな感じだったから」


 君は華やかな変化。

 僕の人生の彩り。


「分かり難い!! レナードその冗談は!! 分かり難いから!!」

「そっか。難易度高かったか」


 僕はチェリーの頭を撫でた。

 願えるなら、ずぅぅっと、こうして冗談を言い合っていられるように。

 この穏やかで優しい時間の中で。

 シンプルだけど美しい世界の片隅で。

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