第2話
どこかでアイスが落ちる音がした。次の瞬間、甲高くも痛々しい、耳を劈くような声が街に響いた。近くを大人たちが煙たがるように平然と通り過ぎていった。
「大丈夫?」
透き通るような声に視線を奪われた。黒の長髪が良く似合い、暑いからか髪を高い位置で一本に結び、首元が涼しげな女性だった。
泣きじゃくる女の子は顔をぱっと上げた。しかし、期待が外れたかの如くまた下を向き、声を上げた。
声をかけた女性は困ったような顔で小さく微笑んで、
「ごめんなさい」と一言、声を掛けて立ち去ってしまった。
しばらくすると少女は助けが来ないことを察したようにスッと立ち、どこかに歩いて行った。それを見ていた僕はなんともいえない感情に胸を支配された。どうすれば良かったのか、何が出来たのか、悶々とした気持ちが暑さのせいでよりいっそうイライラとして募っていった。そんなことを考えているといつの間にか目的地に着いていた。
扉を開けるとエアコンによって冷やされた空気と静寂が一気に詰め寄せてきた。気持ちよさと心地よさで胸が満たされた。三年生の長期休みの定番と言ったら図書館だろう。カッカッカッカッとペンの小気味よい音が館内に響いていた。この空間に居るほぼすべての人間は同じ境遇で焦りからここで同じ時間を共有しようとしているのだろう。
そんな空間の中に異様な空気を纏った女性が本棚の前で俯きながら声も出さずに泣いていた。彼女が泣いていることに気付いているのは僕以外にも気づいているようだったが見て見ぬ振りをしていた。何故泣いているのか気になると同時にさっきの少女が脳裏を過った。いつもなら脳裏に過ったからといって話しかけになど行かない。それが出来るやつはきっと物語の主人公だろう。何もできないのが僕だ。
しかし、気にならないわけではない。少し様子を伺っていると女性は顔をはっと上げると、腕時計に目をやった。涙を拭うと手に持っていた本を本棚に返すと何か急ぐように図書館を出て行ってしまった。
「本を読んでいただけか」
誰かがそう呟いたように聞こえた。周りの目を少し気にしながら彼女の居た本棚へ向かい一冊の本を手にした。「」という題名だった。心の中で首を傾げて本をパラパラと開いた。強く握られていたのか少しよれ、濡れた跡があった。作者の半生を綴ったその本を読み進めた。
三分の一くらいを読み終えたときある違和感を覚えた。自分のボキャブラリーが無いせいで言葉にできないがその違和感はすべてを読み終えた時、確信に変わった。何とも言えない感情が目から零れ落ちた。自然と驚きはなかった。何故か納得してしまい少し俯いた。止めようとした感情はお構いなしに溢れた。
まるで自分の人生を読んでいるような感覚。さっきの女性もこんな気持ちだったのか...。時計に目をやるとすでに三時間が過ぎていた。本を棚に戻し、図書館を後にした。
地球の小さな島国が暑さでチーズのようにとろけてしまいそうな中どこかでアイスが落ちる音がした。少女は何も言わずただ下を向いていた。
「大丈夫?」何処か自信がなさそうな男性が声をかけていた。少女は一言、
「アイス...」とだけつぶやきまた下を向いた。男性は「ちょっと待ってて」とだけ言ってどこかに行ってしまった。少女は一瞬、顔を上げ泣きそうな顔をしてまた下を向いた。
少しすると男性は帰ってきた。その手にはアイスがあった。
「はい、どうぞ」男性は少し溶けかかったアイスを少女の前に差し出した。
少女は少し戸惑いながらそれを受け取り、去ってしまった。
男性は何とも言えない気持ちになったがそれがまた心地よくもあった。過去に残した後悔を拭えたからだろうか。
男性はまた雑踏の中に溶けていった。
「 」 椿姫 @Tsubakii
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます