無理

 着いた先は、おおよそ人間が生活できるとはいえない場所だった。

 高く積み上げられた本は埃をかぶっていて、天井には大きな蜘蛛の巣がいくつもあった。地面を見ると虫の死骸が転がっている。全体的に暗いこの建物は、ホラーゲームにでも出てきそうだ。

「こんなとこで暮らすの? やだなあ」

「こんなところだからこそよ。人が寄り付かなくていいでしょう。そもそも暮らすなんて、私は一言も言っていないのだけれど」

 暗い部屋に、暗い沈黙が訪れる。

 息を吸うと埃っぽい空気が肺に入り込んできて、酷く不快だった。

「それで、あなたたちを感情欠落者じゃなくする、という話。それ、多分無理だと思うわ」

 言いながら、千草は軽く本に触れた。わずかな時間触れただけで、付着した埃が千草の指を灰色に変えた。

「無理、とは」

「私は信頼できない相手には情報を教えないと言ったの。そして感情欠落者は信頼できないとも」

「ああ。だから俺たちを信頼してもらうために」

「あなたはどうして情報を知りたいの?」

 褪せた草の色の──千草色の瞳が、銀朱をまっすぐにとらえる。

 銀朱は一瞬言葉をつまらせ、そして

「情報が得られれば、普通の人間に戻れるかもしれない、だろ」

「それはちょっと、おかしい。あなたは普通の人間に戻るために情報が欲しい。そして情報を得るためには普通の人間にならなければいけない。同じところをぐるぐる回るだけよ、これは」

 それに、と千草は付け加えた。

「今のあなたの言葉で分かったわ。本当に人間が途中で感情欠落者になるのね。それなら、やっぱり私は……どうせ私ももうすぐ感情欠落者になるのだから、あなたたちを普通の人間に戻すことは叶わないわね」



 千草という少女は、幼いころから軍人として生きてきた。

 本人の記憶には残っていないが、本来彼女は名家のお姫様として裕福な暮らしをするはずだった。

 が、感情欠落者の集団によって家が滅ぼされ、軍に保護された。

 働かざるもの食うべからず。

 よって、千草は軍人として生きることになったのだ。

 6歳で手を血で汚した。

 8歳で天才的な殺傷能力を持つと言われた。

 12になるころには、笑顔という表情が消えていた。

 彼女は感情欠落者に近い存在だ。いつ感情を失うか分からない。あるいはもう、亜何かの感情を失っているのかもしれない。

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たとえ感情を失っても 月環 時雨 @icemattya

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