風呂場に鯉がいる。

ぴくるすん

風呂場に鯉がいる。


「自宅のバスタブで鯉を飼育している同級生がいる」

 

 そう言ったのは私が所属する新聞部の部長だった。

 校内では生徒会選挙が熱心に行われており、部長はそちらの方を取材するのでいっぱいいっぱいだったから、代わりに取材を頼まれた。

 自宅の風呂で鯉を飼う人の取材とは、一体どこに対して需要があるのか問うてみたが、部長は面白そうだからなんとでもなる、なんて楽観的な答えを出してきた。

 しかしまあ、部長命令と言われれば逆らうわけにも行かないので、あまり気乗りはしないものの、私はその謎の人物――謎の先輩に接触を図るため校内を駆けまわった。

 そうして出会ったのは、すらりとした美系の男子で、顔も良く整っており、俗に言う爽やか系イケメンと言った所で、勉強も運動も出来るらしく、聞けば聞くほど好青年の印象が強まっていくだけの、もっと大々的に褒められるべき模範的生徒だった。

 本当にこの先輩が、自宅で鯉なんか飼育しているのだろうか。

 それも風呂で。

 遠回しに言っても面倒だと思ったので、単刀直入に「家のお風呂で鯉を飼っているというのは本当ですか?」と尋ねた。周りが先輩ばかりの三階で、そんなことを聞くのは恥ずかしくて堪らなかったが、先輩は拍子抜けするようなあっさりとした口調で「そうだよ」と言った。

 詳しく聞こうと思って事前に質問リストをまとめたメモ帳を手に取ると、それを封じる様に先輩が手で制して「どうせなら実物を見ない?」と私に甘い声で囁いた。

 要は自宅に誘われているわけである。

 貞操の危機を感じたものの、相手のイケメンっぷりにセンサーが壊れたのか、あろうことか私は「お願いします」なんて言って丁寧に頭を下げてしまった。

 頭の中では取材のため、という正当化がまかり通ってしまい、もう私は自制出来なくなってしまっていた。

 三日後の土曜日のお昼頃に、私は先輩の家を訪問した。事前に住所を聞いていたので、スマホを頼りにやってきたのだった。

 先輩の家は住宅街の一角に建つ新築感丸出しの一戸建てで、デザインも新しく、入るまで非常にワクワクした。しかしインターホンを鳴らしたところで緊張が200%を超えてしまったので、もうそれどころではなかった。インターホン越しに先輩の声が聞こえて、数秒後に玄関の扉が開くと「ごめんねこんな恰好で」と先輩はジャージ姿ではにかみながら出てきた。

 私こそ休日のくせに制服ですみません、と心の中で謝罪した。恥ずかしさと緊張で口が回らなかったのだ。

 流れる様にリビングに案内されて、整理整頓された清潔感のある内装に感心しながら、私はカーペットの上で膝を折った。目の前のテーブルにはテレビのリモコンが建てられたケースがあって、隣に雑誌が綺麗に積まれている。

 左を向くとダイニングあって、その先のキッチンで先輩が冷蔵庫を開けていた。私のために飲み物を用意してくれているのだろうか。何も言っていないのに申し訳ない。そもそも私はここへくつろぎに来たわけではなくて、風呂で飼われているという鯉を見に来たのだ――取材だ。

 こんな風にゆっくりとしているわけにはいかない。

 我に返って立ち上がろうとした時、視界の端から手がスッと伸びて来て、テーブルの上にコップが乗った。


「どうぞ、スポーツドリンクだけど」


 にっこりと笑って先輩はテーブルの私から見て左の辺に腰かけた。自分はペットボトルから直接飲む様で、よくみるラベルのボトルがコップの隣に置かれていた。


「あ、あの」

「なに?」

「私、鯉を見に来たんですけど」

「今すぐ見たい? 急ぎの用事でもあるの?」

「あ、いや、そういうわけでは……」

「じゃあもう少しゆっくりしようよ。緊張してるみたいだし、その調子じゃあいつも通りに取材も出来ないんじゃないかな?」


 言われるがまま、私は差し出されたドリンクを綺麗に飲み干すと、お菓子まで出されて、それもそこそこに平らげて、テレビがついて、一緒に笑って、勉強の悩みを聞いてもらって、気付いたら小一時間ほど経っていたので、私は思わずすごい声をあげてしまった。

「どうしたの?」と驚く先輩に「いいから鯉を見せてください!」と声を荒げた。

 風呂場に案内される。道中の廊下がやけに薄暗く、どことなく不安に駆られたが、ジャーナリスト魂を奮い立たせて平静を保とうと努めた。

 案内された脱衣所は汚れ一つなく、新品同様といっても差支えないほど綺麗だった。昨日からここに入居したと言われてもきっと疑わないだろう。


「家族で住んでるんですよね?」

「そうだよ。いっても両親は基本仕事でいないけど」


 基本一人でしか使わないから、そもそも汚れる機会が少ないのだろうか、なんて考えていると、突然先輩が脱衣所の扉を閉めた。ガチャ、という音も一緒に聞こえた。


「え?」

「鍵を閉めないといけないんだ。鯉が怒る」

「ち、ちょっと意味が分からないんですけど……」


 途端に怖くなってきた。先輩の顔には表情が無かった。ひどく無機質で、先程までの笑顔が嘘みたいだ。


「服、脱いで」


 耳を疑う。


「え?」

「ここは脱衣所だから、服を脱がないといけない」

「ち、ちょっと待ってください……いやっ! 近付かないで!」


 先輩が急に距離を詰めて来て、セーラー服の裾に手を掛けた。叫んで抵抗したけれど、男の人の力には全く敵わない。

 攻防を繰り広げる、なんて表現はまるで似つかわしくなく、私は両手首を頭上で拘束されて、そのままセーラー服を脱がされた。恐怖と僅かな羞恥に頭を支配される。

 私が驚いている間にすかさずスカートも下ろされて、私はシャレ気のない白の下着姿のまま脱衣所に立ちつくした。気付けば視界が滲んでいて、自分が泣いているのだと分かる。

 もう体は動いていなかった。抵抗する気がなくなってしまったのだろう。ただ涙と嗚咽が漏れるだけで、私はどうすることもできなかった。かろうじて身を引いて体を抱くような体勢になっているだけだ。


「下着も脱いで」

「……いや、ですっ」

「俺も脱ぐから」


 そう言うと、先輩はごそごそとジャージを脱ぎ始めた。服に隠れていたたくましい腹筋が見えて、胸筋が覗く。私の想像以上に先輩はガタイが良かった。こう言う状況で無ければ、あるいは多少興奮を覚えたかもしれないような、そんな肉体美がそこにはあった。

 次に涙をぬぐった時、先輩は既に一糸まとわぬ姿だったから、私は小さな悲鳴を上げて目を逸らした。そのまま屈んで縮こまる。次にプチンと音がした。胸の締め付けがなくなって、私はブラのホックが外されたのだと分かった。


「乱暴はしない。でも君は鯉が見たいと言った」先輩はそういいながら、ストラップをするすると肩からずらしていく。「こうしないとダメなんだ、鯉を見るには。だからさ、頼むよ」


 脇を抱えられて立たされると、ショーツが勢いよく下げられた。両足から抜き取られたそれは、床に無造作に落ちているセーラー服の上に投げられた。

 私はわんわんと大泣きしていて、何も見えないしまともに息も出来なかった。鼻水が何度も唇の上を通って口内に流れて込んできているのも分かっていた。


「ほら、行くよ」


 右手を掴まれて、いつの間にか開けられていた風呂場の扉の中へ引っ張られる。足が絡まって転倒しそうになるのを何とか堪えて、私は明かりもついていない風呂場へ引きずり込まれた。

 目の前にバスタブがあって、蓋がされている。


「準備はいい?」


 先輩の問いかけに私は答えられなかった。嗚咽で話すことができなかったのだ。

 先輩は私の顔を覗き込んだ後、右手からようやく手を離してくれた。

 私は自分の身体を隠すようにして、必死に泣きやもうとした。現状、先輩は私に乱暴する気は本当に無い様に見えたから、何とかそれに応えようとしたけれど、やっぱりすぐには出来なかった。まずは呼吸を整えるところから始めていると、先輩が横でバスタブの蓋に手を掛けている。

 それを開けたら、本当に湯船の中に鯉が居るのだろうか。

 どんな鯉なのだろう。

 ガタガタガタガタ、と。

 蓋がくるくると左から右へ巻きとられていく。

 蓋の裏についていた水滴が湯船に落ちて、ポタポタと音を立てていく。

 いつの間にか涙は止まっていた。

 鼻水をすすって一歩前へ出る。

 そして、中を覗き込んだ。


「……あぁ」


 鯉だ。

 錦鯉。

 赤と白が、クッキリと見える。

 狭い湯船の中を、優雅に見せつける様に泳いでいる。

 端から端を何度も往復している。

 ただ、それだけなのに。


「なんて、綺麗なんだろう……」


 人工的な空間の中で、湯船の中だけが、自然的だった。

 穢れていない――いや、逆だ。

 ここだけが穢れている。自然の穢れを知っている。

 鯉が、それを生みだしているのだ。

 そして、私たちはそれにひれ伏さなければならないのだ。

 だから服を着てはいけない。自然でなければならないから。


「分かってくれた?」


 ぽつりと、横で先輩が呟いた。

 分かりましたと、鼻をすすりながら答えた。

 湯船の中に、小さな金粉が幾つも漂い、輝きを放っている。

 それは鯉から発せられていた。

 自然の光だ。つまり、穢れの光。

 穢れは汚れでは無い。綺麗なものなのだ。

 私は風呂場で、鯉の横で、先輩とセックスをした。

 情熱的なものではない。

 極めて獣的な行為だ。

 その場では言語は融解され、呻き声だけが反響する。

 情報の一切が発散されて、空っぽになる。

 純潔を失うことで、それが実現される。

 神になった気分だった。

 私の上で先輩が息を漏らしながら腰を振っている。

 私はそれを受けて入れている。

 私と先輩の間に金粉が舞う。

 それは私と先輩から発せられている。

 快楽の頂きに達する時――神聖な穢れを受け容れる時、私は自分が作り変えられていくのを自覚した。

 先輩の家を出る時には、来た時から四時間が経過していた。

 空は夕焼け色になっていて、私の身体は性行為の疲弊を改めて思い出していた。

 先輩は風呂場での無表情が夢であったかと思わせる様な笑顔で私を見送った。

 先輩が手を振り、玄関の扉がバタンと閉じる。

 私は空を仰いだ。

 巨大なクジラが、空を泳いでいた。

 金粉が舞っている。

 それらは地上へ降り注がれ、穢れを残していく。

 もう新聞部のことなんてどうでもよかった。些細という言葉さえも当てはまらない程、矮小な問題だった。

 それよりもとてつもなく崇高なものが私の中に出来たのだ。

 家に帰り、変わらぬ様子で「ただいま」と告げる。母親が夕飯を作っていて、リビングでは帰宅したばかりの父親がスーツを脱いでいた。

 私は制服から部屋着へ着替えると、再びリビングへ顔出す。

 両親の頭の周りを、小さな赤と白の模様に彩られた金魚が、くるくると回っていた。

 金粉を放っている。

 この二人が穢れを受けたから、今の私が居るのだと分かった。

 母親が私に風呂を勧めたので、それに頷いた。

 着替えを持ってきて、脱衣所で服を脱ぐ。

 風呂場に足を踏み入れた。

 バスタブには、蓋がされている。

 私はそれを左から右へ、ガタガタガタと巻いて行く。

 そして、中を覗き込んだ。


「あぁ……」


 そこで、鯉が泳いでいた。

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