グレイヴ・エンカウンター

 マイルは手首の縫い目から、どす紅い血を噴出させた。

 背。脇腹。腕。刻まれた傷口が、次々と王都支給の紺の軍装を醜く染める。

 全身から命が抜け出すような感覚に、かれはふらついた。


「『王都の死神』も形無しですね」


 眼前の転生者キラーズは、指にはめた鋼糸を弄びながら呟く。

 都から程遠い森は、すでに敵の異能によって飾り立てられた蜘蛛の巣のようだ。

 木々に張り巡らされた鋼の糸は、絶え間なく高周波による不快音を発し続けている。首元さえも、すでに糸が取り囲んだ後だった。


「マイル卿。あなたの異能は、水流と気流の爆発的な増加でしょう? 私は見えているんですよ。金星人が私を見ているように。火星は肌色ですか? それともキノコのような鉄錆色ですよね? そうは思いませんか? あなた」


 彼女は狂っていた。

 長く生きた転生者には、闘争の輪廻の中で精神に破綻をきたすものも多い。

 だが、その技腕と経験は、不幸なことに――転生者のなかで、いささかも衰えることはなく生き続ける。

十字蜘蛛ナチスパイダー』ラバランチュラの異能は、皮膚感覚の延長と貼付だ。ラバランチュラの接触した物体はそれがどのような硬度であろうと、どのような形状であろうと、物理法則を無視して彼女の四肢のように動作する。

 ペイルをいまなお取り囲み振動する、この糸の森もそうだ。


「さよならです! 窓に、ああ!窓に!」


 ラバランチュラは絶叫しながら、鋼糸を閃かした。

 そして――頽れた。


 彼女の鋼糸を操るための細い十指は、そろって切断されている。

 蜘蛛のように瘦せ細った転生者は、ちまみれの手で髪を掻きむしった。

 色素が薄いぼろぼろの茶髪には、血液がよく絡んでいる。


 糸から解放されたマイルは、手をかざした。

 彼女の髪に纏わりついていた血液が、形状と硬度を変えて頭蓋を貫いた。

 悲鳴がぴたりと止まり、女はびくんと恍惚みたいに体を一度震わせて、そしてもう動かない。

 森は静かだった。


 始まりは、糸に囲まれた時だった。マイルは噴き出た血をラバランチュラのワイヤーに伝わせて、迅速に、静かに、彼女の指元へと移動させてから、攻撃の瞬間――彼女の意識がもっとも自分に向いた刹那に、鉄分を大量に増幅した血液を操作して、糸を繰る十の指を切断する。

 彼女の頭にまで血が付くことになったのは予測していないことだったが、仕事が早く済んだのでこれはこれで問題はないとペイルは考える。

 ペイルはかざしたままの手を、くいとやった。

 外部に噴出していたかれの血液が、空中を漂って傷口に吸い込まれていった。


「...こいつも、違った」

 マイルは陰鬱な面持ちで呟いた。


 能力の偽装は容易い。

 彼女に「看破した」と思わせた、気流と水流の爆発的な増幅――それも真実、ペイルの能力の一つではあるからだ。

 血液を体内で限界まで加圧し、ヘモグロビン色素を抜き、漿成分も抜き、純粋水分のみにまで加工する。その状態で傷口を通じて圧縮したそれを開放すれば、あるいは単純な「衝撃」の異能にも見えるのかもしれない。


 すべて偽装だ。

 マイルは最初から、この結末を知っていた。

『王都の死神』の鎌からは誰も逃れることはできない。


 転生者を殺した。

 そのわずかな感慨と、それに伴う能力の向上を感じながら、マイルは帰途につく。

 あと何人だろう。どれほど戦えば、じぶんを殺す相手が現れるのだろう。

〈不死王〉。〈血濡れ兎〉。〈模倣犯〉。〈深海葬〉。もっと...

 マイルがまだ見ぬ、罪業背負った転生者であれば。あるいはそれも叶うのだろうか。

 解らない。を滅ぼす以上の罪があるとは到底思えなかった。

 この世界は、思った以上にろくでなしが多すぎる。

 彼らは偽物の罪人だ。そのどれもが、ペイルの穢れた血の前に倒れ伏している。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キラーズ・トリップ・地獄変 カムリ @KOUKING

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ