聖域の射手〜近未来の変人達はトイレに虹を掛ける〜

とち乙女

第1話 終わりは新たな始まり

ブリュブリュブリュリュッ…チョロロロロ…サスサスサス…


 人間は素晴らしい。


 音を聞くだけで、文章を見るだけで、その情景を思い描くことができるのだから。

 それを踏まえ考えてみてほしい、私は今、どこにいるだろうか?


 正解はそう、トイレである。


 余談だが、三年前まで私が用を足した後の、チョロロロロという音はなかった。


 私だけではない。


 三年前から、日本中の人々が、その音と生活を共にすることを、余儀なくされたのだ。


 『CLT(Can't Leave Toilet)ウィルス』


 感染者は、突発的な便意と、身体中が干からびるほどの排便に苛まれ、数日間はトイレから出られないことから、その名がついた。


 感染経路は尻穴からとされ、具体的な治療法は未だに見つかっていない。


 当初、ただの便意で大袈裟な…という見方が多かったのだが、後の新宿駅トイレ行列の集団脱糞事件を機に、状況が変わる。


 政府はCLTウィルスへの対策として、除菌効果を持つ特殊カートリッジを配布。

 それを装着したウォシュレットでの感染予防を提案したのだ。


 画して日本の家庭では、一家に一台、ウォシュレット付きトイレと特殊カートリッジが常備されていることが当たり前となった。


 ––そして現在、勉秘学園大学一階トイレ––

 用を足し終えた渡入といれ己守こもるはハンカチで手を拭いていた。


 昨今、エアータオルなるものを使う若者が増えているそうだが、紳士たるもの、やはりハンカチは必須だと考える。


 決闘を申し込む時に、最近の若者はなにを投げつけているのだろうか…など考えつつ、ドアを開ける。


 すると飛びかからんばかりの勢いで、向かってくる者が視界の隅に映った。

 あれは…確か…


「渡入君!この前のウォシュレット部入部の件、お返事を聞かせてもらえますか?」


 待ち伏せて居たのは、茶髪に幼い体型と顔立ち、その容姿からロリコンホイホイと呼ばれる二年生。


「ウォシュレット部の部長の聖里せいり都羽つう先輩ですか。返事はその場でしたはずですが…」


 この勉秘学園には、ウォシュレット部なる奇特な部が存在する。

 大企業主催のコンテストで新型ウォシュレットの構想案を出したりしているらしいが…


『返事って「私はテニスサークルに入って爛れたキャンパスライフを送る予定なのでお断りします」っていうアレのことですか?はぁ…冗談じゃないんですねぇ…』


 大仰なため息をついて見せる。

 人の素晴らしい未来予想図を、冗談呼ばわりとは…躾のなっていない幼女がいたものだ。


「私はいつでも本気です。これから理想郷へ、入部届を出しに行かなければなりませんので…それでは!」


 走り出そうとするとモジモジし始めた。気にかかり少し待つことにする。

 催したのか…?


「この間は、すぐにどこかへ行っちゃったんで、言えなかったんですけど…」


 経験はないが、おそらくこれがフラグが立つというものだろう。やれやれ、これだから学園というものは…


「あと十年もすれば貴女も立派なレディです。告白ならば、その時の育ち具合次d…」


「あのテニスサークル、ついこの間潰れちゃったんですよね〜、いかがわしい写真が外部に漏れちゃったみたいで♪」


 言葉が、出ない…


 この大学に入るための勉強の日々は?

加◯鷹のテクニックDVD全60巻は?

一室を埋める量のローションの在庫は?

 全て無駄だったというのか…


「そんなに買い貯めてローション銭湯でも開くつもりだったんですか?」


…案外、言葉は自然に出るものものらしい。


「ええ、そのはずでした…その世界線の私は、今頃ローション銭湯で乱k」


「そんな世界線には何度タイムリープしても辿り着けませんから!」


 ビシっと言い切られた。

そして傷心の私を、軽蔑の眼差しで見ている気がする…ふむ、考えすぎだな、マイナス思考は良くない。


「では単刀直入にお聞きします。この学園に、性に開放的な部活はあるのでしょうか?」


 しばらくの沈黙、そしてため息。


「一周回って、そこまでの性への執着には感心しますけど…当然ありません」


 短い学園生活だったが、未練はない。明日はハローワークにでも行こうか。

 さようなら勉秘学園…私の桃源郷…


「そこで一つ提案があります。ウォシュレット部に入りませんか?」


何故この流れで?まさかこの幼女…


「ウォシュレット部は現在部員一名、貴女だけだと聞いています。まさかたった二人でローション銭湯を⁉︎もったいない!」


「わたしが渡入君とローション銭湯に入る前提で話さないで下さい!あとそういうとこでケチらない!」


 なるほど…確かに一人の女性に、全力を尽くすのは紳士として当然のことか、不覚だ。


「いいですか?今はウォシュレット最盛期。その企画や、開発に携わるお仕事は、とても高給取りなんです。そして学生時に、コンテストで入賞した人には…あのT◯T◯に入社する権利が与えられるんですよ!それがどういうことかわかりますかっ?」


 ––真っ暗で見えなくなった夢に、光が差し込んでくるのを、渡入は確かに感じた。


「高給取りに群がる美女達と、ローション銭湯を毎日楽しむことができる!!!」


「…まぁ大体そういうことです。わたしなら、お金もらっても、毎日ローション銭湯は絶対に嫌ですけどねぇ」


 血を股間から頭に回して、全力で考える。

 目的を失った私に、この話は渡りに船。

 しかし気になる点が一つだけある。


「何故…私にこだわるのです?」


「ウォシュレット部に入るの、恥ずかしいって思う人多いらしいんですよ〜」


 それは分からなくもないが…だからなんだというのか。


「だから一年生で、"一番頭のネジが外れている"と噂の渡入君に、白羽の矢が立ったわけです!恥じらいとか無さそうだし––」


 えっへんと無い胸を張る幼女。

張り倒したほうが良い気もするが…陰口を叩かれるよりよほどいいか。

 ふふっと笑みが溢れた。


「渡入君、一人で笑ってると怖いですよ…詰られて嬉しい癖の方だったんですかぁ?」


 なにやら聞こえたが無視する。

 爛れたキャンパスライフの夢は終わったが、終わりは新たな始まりでもある。


 持っていく予定だった入部届を、バンっと壁に押しつけ、テニスサークルの文字に、二重線を引き、訂正印を押す。

 改めて書き終えた紙を渡して一言。


「これからよろしくお願いします、部長」


 そこに書かれた、ウォシュレット部の文字を見て、満面の笑みで受け取る聖里。


「ようこそ、ウォシュレット部へ!」


 最高に濃い人生の夏休みが、幕を開けた。

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