第2話 初仕事は汚れ仕事

ブシャァァァァッッ


「んほぉぉぉぉっ…‼︎」


 尋常ではない勢いの水を、尻穴に当て、恍惚の表情を浮かべる男がいた、そして…


「うっ‼︎……ふぅ今日もスッキリしたなぁ…」


 事を終えた男が、満足げな顔で、トイレから立ち去る。


 しばらくして、掃除用具入れの扉が一人でに開き、中からはモップを頭に乗せた渡入が、聴診器を片手に出てくる。


「あれが尾出びで つよしか…大した変態がいたものだ」


 本当にあの人を勧誘するのか、と部長の話を思い出す––


 ウォシュレット部に入部したその日。

 今後の方針を話し合うことになった。


「まずはなんといっても人数ですよ!」


 ビシッと指を立て言い切られた。

 私を入れて二人しかいないのだから、そうだろうなとは思うが…


「当てはあるのですか?」


「実は一人…」


 歯切れの悪い返事をする部長。


「渡入君はこの大学の怪談をご存知ですか?」


「噂程度でしたら。二階男子トイレの『有料花子さん』や、一階男子トイレの『喘ぐ個室』あたりが有名かと」


「怪談も下系の話しかないんですよね〜ココ…わたしみたいな真人間が卒業するまで正気でいられるかが心配ですよ〜」


 ウォシュレット部など、超マイナー部の部長をしてる時点で、正気ではないだろうと思ったが、口に出すのは辞めておいた。


「もしもーし、口に出ちゃってますよぉ」


 出ちゃっていた、誤魔化すのは不可能か。


「正気でないことは、悪いことではありません。それは…個性です」


「まさかの突き通した!?わたしは正気だよ!」


 部長がそう言うのならそうなのだろう。

…部長の中ではな。


「さて話を戻しましょうか、それで怪談がなんだというのです?」


 納得してない膨れ面のまま部長が答える。


「さっき渡入君が話してくれた二つ目の噂。『喘ぐ個室』ですが…」


 せめて関わるのなら「有料花子さん」が良かったと、内心落胆する。


「わたしの仕入れた情報によると、『喘ぐ個室』の主は尾出 幹という二年の生徒です。喘ぎ声はどうやらウォシュレットで快楽を得ているそうで…」


––とんだ変態がいたものだ。


「そんな情報どこで仕入れたのかも気になるところですが…」


「実は二年生の生徒の間では、けっこう有名なんですよ〜、本当なのか確かめたことはないですけど」


なるほどなと一応は納得、しかし解せないことがある。


「彼は二年生でしょう。何故去年ではなく、今になって勧誘を…?」


「あーそれはですねぇ、彼すごくシャイで勧誘しようとすると、走って逃げちゃうんですよ〜、それがまた速いんです。前の部長さん、足遅くて全然追いつけませんでしたねぇ」


 シミジミと語った後、パッと顔を上げ、にこやかに続ける。


「でも今年は渡入君が来てくれたから安心ですね!元陸上部の力見せつけてください♪」


 それで私から誘ったわけか、案外打算的な人だなと思う。その情報こそどこから仕入れた?と思うが、他に聞くべきことがある。


「何故そこまでその変態にこだわるのです?」


「多分、渡入君にだけは言われたくないと思いますけど…ウォシュレットに愛着のある人なんて、それだけで希少じゃないですか」


 確かに、私も今ウォシュレットに愛着があるわけではないしなと思う。強いて言うなら、夢を叶えるための道具といった認識か––

 そう考えると、正規の使い方でこそないが、尾出 幹ほど純粋にこの部に向いてる者もいまいと思う。


「理由は分かりました。この歳で追いかけっこすることになるとは思いませんでしたが…やってみましょう」


「ただその前にもう一つ、渡入君にしか任せられない初仕事があるんですよぉ」

 …嫌な予感しかしない。


 そして現在、渡入の手にする聴診器の先には録音機が取り付けてあった。

 これがウォシュレット部での初仕事…交渉決裂時の脅し用の音源の採取だ。


「所属している部の長が手段を選ばない畜生とは…嘆かわしいことだ」


 それに喘ぎ声を録音する程度で、脅しの役割を果たせるものだろうか。録画も進言したのだが、それは違法性が高過ぎると却下されてしまった。ままならないものだ…


 勧誘の決行は、尾出の本日最後の講義の後、『喘ぐ個室』を利用し、出てきたタイミング。


 やれやれ、入部して間もないというのに人使いの荒い…

 それまでは私も講義を受けねばなるまい、と講義室に入ると見知った顔がいくつか。

 談笑を済ませ、適当な席に腰をかける。


 座った後、しばらくして気付いた。視線を感じる…それも近く…真横から!?

 意を決して、視線を横へ向けてみる。すると、目の前に飛び込んできたのは…圧倒的な曲線美だった、その体軀に艶やかな黒髪がかかり、雅な印象を受ける。


 部長の体型を、アルファベットで表すなら『I』、目の前に広がるのは『S』だ。

 平和な日本にいながら、貧富の差という、世界共通の残酷さに気付かせてくれた、二人の女性に感謝を––と遠い目をして思う。


 そこでようやく互いの視線が交差した。妖艶な、そして好奇心に満ちた瞳。その瞳に吸い込まれるようにして––体感では、講義一限よりはるかに長い時間、無言で見つめ合っていた…


 そして数時間後、渡入は一階男子トイレ前で、クラウチングスタートの姿勢をとる。本気で走るのは久しぶりだ、勝負の前の緊張が、小さな震えとして身体を伝わる。


 道を塞いで捕まえる案もあった、だがそれは最終手段として取っておきたい。共に全力を出すことで得られる、「なにか」があると、元陸上部の経験が告げていたからだ。


 トイレのドアが開き、こちらを見た尾出とメガネ越しに視線が合った。そして驚きに顔を歪ませると同時、大人しそうな容姿から想像もつかない、超反射神経でのロケットスタートを切る––!

 それがピストル代わりのスタートの合図となった。


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