砂の少女と、世界の終わり
吉野奈津希(えのき)
砂の少女と、世界の終わり
みんな口から砂を吐いて死んでいく。有山茜という砂を。
有山茜がその愚かで儚い一生を17歳であっさりと終えてから一週間ほどして、有山父が砂を吐いて死亡する。それから茜の弟、茜のクラスで隣の席の葉山仁、後ろの席の徳山ヒロト、エトセトラエトセトラって感じで砂を吐いて死んでいく。ネットのニュースを見ていると都内で同じような死に方をする人が続出しててどうしてだか男ばっかりそんなことになるので、「男性だけの奇病だ!」とか「愚かな男に天罰じゃん」みたいな言葉がSNS上で闊歩する。
クラスの奴らはあっという間にパニックに陥って、茜の呪いだの茜の恋人による復讐の連続殺人だの、謎の奇病が蔓延していて茜はその最初の感染者だったのだ! なんて笑っちゃうような話がばら撒かれる。
茜の友人の一人だったはずの私は体に何ともないままでつまらない日常を繰り返す。
呪いっていうなら私を呪い殺せよ、あーちゃんさぁ。
▽▽▽
パパ活をやっている。
私は有栖川唯という名前で、両親はいないけれど、唯一無二の存在であってほしい、とかそういう理由でつけられたらしいと伝え聞いた。じゃあ捨てるなよ、なんて思うけれど両親のことなんて覚えてないし、そういうものだと思っている。
捨てられた渇望とかから父親的な存在の承認を求めてパパ活にでも手を染めたのかしら、なんて他人事のように考えるけど私としては全然しっくりきていない。
どっちかというと、自分なりに自分の価値の認識方法としてやっている気がする。歪んでいるとは思うけど。
パパ活は性的搾取と言われているし、まぁ実際そういう側面はあるし、私も色々考えたところでドナドナの羊みたいなものかもなって考えるのだけどそれは私が人から聞いた言葉を私が頭の中で適当に組み上げて作ったお行儀の良い理屈であって私としては私の売値を自分で決めてそれを叩きつけて買わせているだけで、私の価値が軽んじられるというより私の価値を金だけ溜め込んで他に何にもなかったロクでもない男たちに認めさせてやった、というのが自己認識としては正しい。
穴があればいい、というのは男の雑な欲求の認識の仕方で実際のところパパ活なんてしようとする狂気に落ちたおっさんたちは大抵のところ自分の心にこそ穴が空いているのだ。「若くて可愛い女ならなんでもいいよ!ガハハ!」なんて笑うぶくぶく太ったおっさんに、私が優しい言葉をささやいて耳のあたりを撫で回してやるとあっさりとボロボロ泣いて「唯ちゃん聞いてよお……会社が、会社が、家でもさあ」なんてアワアワ情けなく泣く。おっさんの心の穴は一時的に埋まる。そうするとどうしたことかめちゃくちゃ頻繁に私を指名して連絡してきたりする。まともな社会生活では全然役に立たないスキルだけど、私は一線を見極めるスキルだけが異様に発達していてもはや異能の域に達しているものだから「ああ、こいつは穴を埋めてもそれに感謝して私に迷惑かけないタイプだな」と判断して関わることが出来る。今の所それは100%で、トラブルに落ちたことはない。
人の心にはいくつもの穴が空いていて、その埋め方を知らない人が雑な解決方法にすがろうとする。
性的搾取が金にかこつけて搾取する人間がいたいけな少女の尊厳をかすめ取る行為であるのならば、私は自分の尊厳を自分で値踏みしてそこの価値を実感するためにそれを売りに出す。下手なことをすれば尊厳っていうのは削れるけれど、どんなに側からみてくだらない形だろうと自分が信じた価値を受け入れられれば削れたりしない。
私は非合法のメンタルドクターで心の穴という病気を診断してちょちょいと処置をして金をかすめ取る人間なのだ。
でも、こんな話を人にするとそれを理由にバカみたいに搾取されている自分を肯定する他人の物語に組み込まれて私の持論の純粋性が失われるから話さない。私にとっての真実と人にとっての都合の良い逃げ道というのはニアリーイコールなのだ。
だから、これはあくまで私の話であって茜は違う。
私にとって自分の尊厳を金に変えることが尊厳の価値の実感で、その範疇を私が決して忘れずに厳守する限り法律とか条例で許されていないだけで私という私の神が承認した正当な行為なのだけど、茜の場合は茜の中に神がいなかった。
茜は自分の価値を簡単に他人に委ねてしまう。目先の欲に囚われて、自分の中で漠然としか考えていなかった価値基準が目先の「あ、このお金ならアルバイトの給料よりずっと高いじゃん」とか「これだけあれば欲しかった服買える」で固定される。
でも違うのだ。自分が信じて決めた価値ならどれだけ高かろうと安かろうとその値段を変えたらダメなのだ。そこの価値基準だけは他人に委ねちゃいけない。だけど茜は自分の価値基準を判断する前に売りにだして買い叩かれる。尊厳が減る。
そんなんだから茜は壊れてしまった。本当に、バカだ。
▽▽▽
砂が口から出てくる変死体が相次ぐながら私は隣のクラスの田所翔太から相談を受ける。茜の幽霊とかいう馬鹿げた話とセットで。
校舎裏で田所はガタガタガタガタ震えながらタバコを吸っている。私は同じ学校の人間がタバコが嫌いだった。格好つけて反骨心の象徴とばかりに吸っている割には教師の目を隠れてこっそりと吸って、教師が近くに来たら慌てて隠すチキンっぷりが嫌いだったのかもしれない。まぁ、パパ活をやっている私も同じ穴のムジナと言われたらそれまでだけど。
田所は震えながら、チラチラと辺りを見渡して何も言わない。私はイライラして話を振る。
「茜の幽霊が出たってどういうことよ」
「……部屋で出たんだ」
「説明してくれないとわからないんだけど」
「俺だってわけわかんねーよ。学校終わって家に帰るだろ、それで漫画読んでタバコ吸って、スマホいじってたわけ。そうこうしてたら夜中の二時くらいになっててさ、やべーそろそろ寝るか〜とか思ってスマホから目を離して前みたら茜が立ってんだよ」
「それってマジな幽霊なの?」
「茜のやつ死んだんだからそりゃ幽霊だろ」
「透けてたり、足がなかったりしたって感じ?」
「足はわかんねーけど、なんかすげえ冷たいんだよ。全然表情もないし。全部周りが真っ黒っていうか、完全に違う世界が人型の、茜の形してる穴、っていうか、人の形なんだけど、わけわかねーよ。俺全然わかんねーもん」
穴ときたか。よくわからない存在になっちゃったね、茜。
「それで、なんで私にわざわざ聞こうと思ったわけ?」
「有栖川のカバンとか制服着てたんだよ、茜」
「はぁ?」
「猫のキーホルダー付いてた。お前のカバンにもついてるじゃん。同じのだよ」
私の制服着て、私のカバン持ってって、夜中に勝手に持ち出しているのか?茜。何考えているんだ。
田所が言うには部屋に茜の幽霊が出て、一言「返して」とだけ残して消えたんだとか。何も盗んだ記憶なんてないし、わけがわからないし、かといって人に話したところで頭がおかしくなったと思われる……だなんて田所なりに考えて幽霊の茜が私の服とかを身につけていたものだから、私は何かを知っているんじゃないかと思って聞いてきた、ということらしい。
「悪いけど、私何も知らないよ。茜とは中学からの付き合いだけど死ぬちょっと前はほとんど会ってなかったしさ」
田所は何も言わない。じゃあ幽霊の茜をどうしろって言うんだよ、って表情だ。
「逆に聞きたい。あんたこそ茜と何か付き合いあったの? あんたと茜が話しているところなんて見たことなかったけど」
「1年の時に付き合ってた」
なんだよ、化けて出られる筋合いアリアリじゃん。
田所に根掘り葉掘り聞くとくだらなすぎて私はゲラゲラ笑う。何でも茜の初めてを取ったのは田所だとか。いろいろ教え込んだのは田所だとか。茜のメンヘラっぷりに半ば逃げるように別れただとか。それからしばらくして茜がパパ活をした噂を聞いて、勝手に罪悪感とか嫌悪感を感じただとか。
「俺がひどいことしなければ茜は死ななかったのかな……」とか言い出して私は笑えるを通り越して、こいつうざいな、と思う。
茜が死んだのは茜が死を選択、あるいはそこに惹かれてしまったからであって、その責任をたった一回付き合って貫通させた程度で「自分のせいだ」なんて思うのはただの残酷で美しい物語に浸りたいだけの感傷にすぎないと私は感じる。
田所はただそれっぽい物語の中に自分を置いて、ただ茜の幽霊が「自分のところへ現れるのはおかしくないこと」と安心したいだけなのだ。とっくに今の状況は異常なところに突入しているのに、それを誤魔化しているだけだ。
「なぁ、どうしたら茜が安らいでくれるのかな?」
「うっふっふふふふ」
田所のあまりにも浸った物言いに笑ってしまって私は田所の話を無視してその場を去る。
「待ってくれよ! どうしたら良いんだよ!」
と田所の叫びが聞こえてきて私は茜のことを思い出す。
▽▽▽
茜と私は中学校の時に同じクラスになって、隣の席だったものだから私が話しかけて交流が始まった。
私が話しかけると茜は、えへへ、と笑って答える。
私がペラペラ喋るのだけど茜は消極的なものだからおずおずと喋る。
「そのペン、すごくいいね……」
「いいでしょ、安いけど気に入っているの」
そう言って、私は茜と文房具屋にいって同じペンを探す。茜は私と同じペンを見て、キラキラとした瞳で喜ぶ。
「唯ちゃん、唯ちゃんといるとね、私もどんどんキラキラ出来る気がするの」
「そう? 茜はもともとキラキラしてると思うけど」
「ううん、そんなことないよ。だから、私たちずっと友達でいてね」
そんな中学生にしては、それとも中学生故か、そんな捻くれた、媚びたようなお願いを茜は私にする。えへへ、と私に笑いかける。
私は茜のことが嫌いじゃなくて、妹のような存在に見えて否定しないし一緒に過ごす。
でも、今振り返るとそこはちゃんと否定するべきだったし、伝えるべきだったのだ。茜の価値は私によってもたらされるものではない、茜はそれを請うものでもないのだと。
そして、茜は忘れている。
茜にとってはきっと、風が吹けば消えてしまいそうなささやかな記憶を。私にとっては消えない楔のような過去を。
▽▽▽
いつものようにホテルで一仕事終えてシャワーを浴びて、客のおじさんと適当な話をする。実際のところこの下りが大切で、この一連の流れで如何に客の感情を安らかにさせて微かに残った罪悪感を消しされるか、というのが重要で私の腕の見せ所なのだけど突然目の前のおじさんが叫び出す。
「ああああああ!がっ、がががが……」
「おじさんどうしたの?」
「が、あががが……」
はじめは叫びだったものが徐々にうめきに変わっていく。うめきが徐々に漏れ出る空気となって、やがて胃液が逆流していく。私は救急車を呼んで色々おじゃんになる覚悟をするのだけど、やがてゴボリ、と目の前の男の口から砂が溢れてくる。
茜の砂だ。
「ちょっとおじさん、茜を、というか私以外の女の子も買ってた?」
白目になっているおじさんにそう訊くが、「ち、ちが、ゴボエ、グゲエ、うげげえ」と言って会話にならない。でも、買ったわけじゃなさそうなことだけはわかった。
そしておじさんの生命を無視して、砂は溢れ続ける。
サラサラとした砂がまくらを埋めて、ベッドからこぼれ落ちるぐらいの砂が出た後に止まる。
私の客は死んでいて、そこには静止した時間だけがある。
「どうしたっていうのこれ」
そう呟いた時、私はいつの間にか部屋に茜がいることに気づく。
茜はホテルの部屋の隅で、立っている。
ゆらり、ゆらり。
この世界の、全部の光を飲み込んでしまいそうな、穴としての茜がいる。そして、実際に茜は色々なものを取り込んでいて、その結果こんな事態になっていると私は直感的に理解する。
これ以上、理解しちゃ、触れたら、だめだ。
さらさらと、ベッドから砂が落ちる音だけが部屋に響く。
茜は制服姿だ。カバンには私がよくつけているネコのキーホルダーが付いている。
「それ、私のやつを取ったの?」
私がそういうと、茜はゆっくりと微笑みを作る。媚びるような、笑顔
《そんなことしないよ》
脳に直接響くような声がする。空気を介していない茜の意思。
《ただ、私が真似ただけ。唯ちゃん、とっても綺麗なんだもの》
「ありがとう、褒めてくれて」
《だから》
バサッ、と音がする。おじさんの死体が崩れ落ちる。砂を吐いて死んだはずの体が砂になって消えていく。生命であったはずの存在が、命の残骸ですら無くなっていく。
おじさんが茜という空虚さに、飲まれたのだとわかる。
《綺麗なものを汚す人、私、嫌い。嫌い。嫌い。大っ嫌い》
それまで、おじさんの死体だったものは一面の砂場になっていた。
《だからね、私全部返してもらおうと思ったの。取り返すんだよ。私からも、唯ちゃんからも奪っていくすべてから》
「それって、どこまで?」
《世界の果てまで》
私は茜、過去に茜だった存在を無視して部屋の外に出る。ホテルの至るところから、悲鳴が聞こえている。その悲鳴が、やがて消えていく。さらさらと、何かが地面に溢れる音がホテルに響く。
みんな、砂になっていく。
スマートフォンを操作して、田所に電話をかける。
『有栖川、助けて、助けてくれ……』
「あんた、今どこいるの」
『学校で、みんな、全員砂になって、あの女、化け物だよあいつ』
私は走って学校へ向かう。
人々が砂となって崩れていくこの世の終わりを横目に見ながら。
▽▽▽
施設に預けられた時に5歳の私が感じたことは普通、という枠組みからすっかりズレてしまったというシンプルな事実だった。テレビとか動画サイトで見ていた「普通の家族像」なんてものと自分が置かれた状況が違うことなんて子供の私でも簡単にわかったし施設の大人たちが妙に私に優しくて、可哀想なものを見る瞳だということは直感的に理解できた。
私にとってそれは、見知らぬ誰かに自分で決めた金額で自分の体を貸し出すことよりも遥かに苦痛だった。
私が実際のところどう思っているか、なんてことを周囲の人間は気になんてしない。ただ私が捨てられて、そこの施設にやってきたという事実だけで「可哀想にねえ、可哀想にねえ」「強く生きるのよ、辛くても強くね」と言ってワンワン泣いて私を抱きしめたり、撫でたり、頬にキスしたりしてきた。
私という「可哀想な子供」というシナリオを抽出する機械、みたいな感じで見ていたんじゃないだろうか?
まるで私が幸せを感じるためには幾つものハードルがあって、それを苦難の末に乗り越えなければ永遠に幸せが訪れないとでも思っていて、そうであってほしいかのような、粘ついた同情だけが生活にあった。
色々な人が私に施しをする。おもちゃだったり、絵本だったり、お金だったり。私はそんなものに欠片も心が動かなかった。
——ねえ、このフェルト、とってもきれいじゃない?
でも、そんな言葉と、ささやかな戯れがかけがえのない綺麗なものを作ったりもする。
ああそうだ。私はそうやって切り抜いた猫のフェルトを見て、猫が好きになってキーホルダーも買ったんだっけ。
▽▽▽
学校に着くと正門のあたりに幾つもの砂の山がある。きっと誰かが砂となって崩れ落ちたのだ。
学校に入り、廊下を歩いていく。砂が地面に散乱していて、人を呼んでみるけれど反応がない。
「田所! どこだ!」
そう叫んでいると、小さく呻く声がする。田所だ。
教室の隅のロッカーからその音がする。
「なんでそんなところに隠れてるの、田所」
「あいつ、どこにでもいるんだよ。今だってきっと外にいる。ロッカーの外にいるんだ。どうしてお前無事なんだよ」
「さあ? あんた、何があったか見ていたの?」
「わけわかんねえよ。みんな、茜に対して怯えていたのに、手を伸ばして触れて、抱きしめてやがった。触れた奴らからどんどん、崩れて、砂に」
「へえ、あの子、そうやって人に触れられようとしたんだ」
「理解できねえよ、理解できねえ。なんでお前もそんな冷静なんだよ。おかしい、おかしいよ。狂ってるんじゃねえのか。茜、理解できねえよ。なんで俺がまだ生き残っているんだろうな。何か求めてるのかな、あいつ」
田所はすっかりノイローゼ気味で、自分で話した言葉に対して自分で返事をするような状態になっている。私はロッカーの外でその言葉を聞く。
「茜、取り返すって言ってたよ」
「取り返す。取り返す、取り返す取り返す取り返す! ハハハハ!俺が奪ったのなんて処女くらいだぜ? そんなのよくあることだろ!なんでこんなことになってんだよ! 理解できねえよ! 頭おかしいんじゃねえのか」
そうやって怒っているうちにやがて田所が勝手にトーンダウンしていく。
「ああ、だけど、俺がもっとちゃんと考えてやるべきだったのかな。俺がもっと、もっとちゃんと話を聞いてやって、支えて、助けてやったらこんなことにはならなかったのかな。あいつは悲しんでさ、悲しくて悲しくて悲しくてこんなことになっちゃったのかな。それだとしたら俺のせいなのかな」
「こんなの処女取ったぐらいでなってたら世界がいくつあっても足らないでしょ」
「でも実際そうなってるだろ!」
そう田所が叫ぶ。そして、泣き出す。
「ああ、ごめんごめんごめんごめん、茜、俺が悪かったよ、茜。かわいそうな茜。俺が助けていれば、俺がもっとちゃんとしていたらな茜」
田所が泣いて、少しの間が空く。静かな、空白の時間がそこに出来る。
「ああ、茜、そこでまだ泣いているのか、茜」
田所がうわごとのような声を出す。
「田所、忠告しておくけどそのまま行くと砂になるよ、たぶん」
「茜……俺が今」
ガタガタと、ロッカーの中で田所が動く音がする。
少しの間があって、収まる。
「田所、あんたもか」
ロッカーの隙間からは砂がこぼれ落ちていた。
《この人もわかってくれたの。返してくれたの》
茜の声がする。
《唯ちゃん、みんなね、何かを奪っているの。誰だってそう。人をダシにしてさ、自分の浸りたい物語に勝手に浸ってさ》
《わからないよね、あの人たちに。でも、もうわかってくれたの。みんな、みんなこうしてわかってくれたんだよ》
《ねえ、唯ちゃん》
《唯ちゃんも色々奪われてきたでしょ、使われてきたでしょ、この世界に》
《私と一緒に取り返そうよ》
気がつくと、茜が私の目の前にいる。私の髪型で、私の服と、私の靴と、私のカバンをつけて、私と同じ格好をして目の前に、いる。
▽▽▽
あの時のこと。茜が身を投げた日のこと。
パシッと私は茜の手を掴む。
「あんた何やってんの!」
屋上から茜が身を投げた直後に手を掴む。
最近、情緒不安定だった茜の話を聞こうと屋上にいた茜に会いに行ったらこの始末だ。
「ああ、唯ちゃん来てくれたんだ」
痩せ細った茜が、私の手を命綱にして揺れながら笑う。茜の体はとても軽い。高校に入学した時から、どれだけこの子は痩せてしまったのだろう。
「死のうだなんて何考えてんの!?」
私は怒ってそう叫ぶ。無理やり引きずりあげて、ひっぱたいて、それから抱きしめて、それから。
私の頭の中の思考の濁流を遮るように、茜が言う。
「唯ちゃんはさ、生きていて楽しい?」
「はぁ?」
「唯ちゃんもさ、パパ活してさ、抱かれてさ、お金もらってさ、そうやって人とつながってさ、この世界に生きていていい権利を買っているわけじゃない」
「何言ってんの。あんた」
「私、疲れちゃった。どんどん安く買い叩かれてさ、私の価値ってそんなにどんどん値下げ出来るんだってビックリしちゃった。すごい、すっごく安くなってく。私。どうしてこんなに安くなっていくんだろうって私の価値が数字になっていくのが嫌になっちゃった。ううん、そうじゃないかな。私が与えられる影響が、二束三文なのが嫌だったのかな」
「だからあーちゃん何言って!」
「私は憎いよ。何もかも、全部奪っていく世界が。奪われてばかりの自分が」
そう言って、茜は私の手を振りほどく。
茜は、笑みを浮かべたまま地面へと落下する。
鈍い音がして、紅い痕が、地面に出来る。
私は、学校中に響き渡るぐらい泣いて、叫ぶ。
茜は、何も言わない。何も言えない、紅い染みとなる。
▽▽▽
そうして茜は死んだ。砂の騒動が起きる、少し前のことだった。
それから茜の両親と弟が砂を吐いて死んで、他の諸々が砂を吐いて死んで、ホテルでおじさんが砂になって、ロッカーの中で田所が砂になって、学校中の人が、街の人が、世界中の人が砂になったあの日、私は一人歩いて家へと帰った。
あれから、しばらく時が経って、私は一人生きている。
私が見る範囲の世界で、生きている人は誰もいない。街に残った保存の効く飲食物をとって、生きている。
野菜を育てているけれど、人が変化して崩れた砂に芽は出ない。砂は岩が砕かれたものだから、有機物が含まれていなくて土と違って植物が育ちにくいのだと調べてわかった。だから、砂をどけて土を見つけて、そこに私は種を植える。
毎日そうやって地面を耕す。しばらくして、砂になってしまった人々のお墓を作る。感傷、というよりもただ何もせずに過ごすには今の世界は些か退屈すぎるからだ。
作業が終われば人を探して街を歩く。
茜は死んだ。確かに死んだ。
それからどうしてだか、茜の意思なのか、何かが残ってこの世界に留まっている。
《ねえ、唯ちゃん》
《どうして無視するの》
《ねえ》
茜の言葉を無視して私は歩いていく。道には墓標が無限に続いている。
ああ、私はこれだけ永い時間をこの世界で過ごしたのだな、と感じる。
墓標の道を辿って、やがてそれが途切れる端に至る。
《唯ちゃん、私、唯ちゃんを待っているの》
《一緒になろうよ》
《唯ちゃんが奪われてばっかりだったもの、今の私ならあげられる。唯ちゃんからもらってばっかりだった私が、唯ちゃんに返してあげられる》
目の前に、茜が、あーちゃんがいる。落下する前の綺麗な、姿のままで。
「私、茜のこと好きだったなぁ」
《私もだよ、唯ちゃん。だからね》
「バカでさ、抜けていて、生きるのも下手くそで、色々な人に笑われて、最後は惨めに地面に落ちて死んだ茜」
私の言葉に目の前の茜が固まったようになる。
「私、小さい時なにも楽しくなかったんだ。みんながみんな、私を可哀想なものを見てきてさ、学校に通うようになってみんな言うの。幸せになってよかったね、って。学校に通うようになった私が幸せなら、私はそれよりずっと前から幸せだったんだよ。本当はね」
《なにを、いっているの》
わからないだろうね、今の茜には。何でもかんでも砂にして、わかり合ったなんて思っている茜には。
わからないでしょう、わかってたまるものか。
「私はそれが大嫌いでね。なんで私の主観を他の人に決められないといけないのかって本当に不快で、不快で、最悪の気分だったんだ。だから、結構良かったんだよね、自分で自分の価値を決めて売りに出すことって。私は1円も割引したことなかったしね。どっかのバカはホイホイと値段を下げたみたいだけどさ」
《ちょっと》
私は言葉を止めたりしない。
「砂ってさ、何にも繋がらないんだよね。種を蒔いんたんだけど、全然芽が出やしない。栄養がないんだよ。人は死んで放置したら煙とかさ土とかさ、食べ物になるらしいのに、全然栄養のない砂になってしまったものだから、役に立たないんだ。無価値」
そうして、初めて私は今の茜の瞳を見て、言う。
「あんたみたいだよ、ぴったりじゃん。価値なし人間」
《唯っ!》
茜が私に手を伸ばす。掴んで、私を砂に、同じ価値のない存在に還るがために。私を茜という穴に落とすために。
ごめんね、茜。もう私の穴は埋まっているんだよ。
私はくるりと回って、勢いをつける。
自分の価値の見出し方なんて、人の形だけ真似るんじゃないのに。
茜の価値は、本当はずっと前からそこにあったのに。
私みたいな人間の形を真似て、何かになろうだなんて、はじめっから間違えていたんだ。
「じゃあね。茜。私とあんたは最初っから全然違う存在なんだよ」
回転をつけてカバンで殴りつける。カバンの猫のキーホルダーが砕け散る。
カバンが当たって、茜だったものが砕けて、倒れる。
それは、茜ではなくて「有山茜」と私の汚い字が書かれた、終わってしまったこの世界で、私が作った最初の墓標だった。
世界全部を巻き込んで、それでも私に肯定されようとするだなんて。私を呪い殺すのではなくて、私から手を掴んで欲しがるなんて。
一度自分から振り払った手をもう一度掴もうだなんて。
壊した墓標を背に私は来た道を振り返らずに歩いていく。
無限に続く墓標の道の、遠すぎてなにも見えない果てを見て私は今亡き茜に思う。
甘えるな。
▽▽▽
ずっとずっと昔のこと。施設に女の子がやってきた。
どういう事情か、すぐにいなくなってしまったけれど、ずっと回りから不幸不幸不幸と言われ続けた私を不幸と言わなかったのが唯一、その子だった。
私に、私の価値を教えてくれた子。私の穴を埋めてくれた子。
えへへ、と笑って同い年の私に絵本を読み聞かせたり、おままごとをしたり、フェルトで猫のマスコットを作ってくれたりする。
「ねえ、このフェルトも猫になるんだよ」
「うわあ……すごい」
「ねえ、このフェルト、とってもきれいじゃない?」
「うん……」
私はそう話してくれた女の子が、同い年だというのにとてもきらめいてみえて、口数が少なくなる。
私はその時間があまりにも幸せで、心地よくて、だからどうして他の人とこんなに私に対して接し方が違うのか気になって、聞く。
「ねえ、私をかわいそうと思わないの?」
「かわいそう?たのしくないの?」
私の言葉に心底不思議そうに彼女は言う。
「ううん、でも、でもみんなが私はかわいそうだって。幸せになるのは大変だけど頑張るのよって」
「今はとても辛いの?」
「ううん、全然」
そう言うと彼女は笑っていった。
「そんなのカンケーないってやつだよ。私はゆいちゃんと遊んでたのしいし、しあわせだもの。自分で決めればいいんだよ。そんなの」
彼女が、茜が、そう言った。
視界が晴れた気がする。ずっと薄暗かった日々の中に、光が射し込むような心地。
すぐにその子とは離れてしまったけれど、その子の言葉は私を支えてくれた。私は自分を幸せだと思えた。
私は自分の服装を自分で決めたし、自分の好きなように生きられるようになったし、私を不幸だと勝手に同情する人に噛み付けるようになった。
あの子の言葉のように、あの子が教えてくれたように、生きていこう。
幸福だとか、不幸だとか、自分で決めればいいんだ。
こういう人がいるのなら。こういうことが、こういう記憶があるのなら。
だれもわかってくれない「かわいそうな唯」とされていても私は生きていける。どこまでも歩いていける。
私の心の欠けていた部分は、その時埋まる。私は自分の価値を信じて生きていこうと誓う。
そうして、私は中学校に入学して茜を見つける。
「こんにちは。有山茜さん」
「え、あ、初めまして……同じクラスの……有栖川唯、さん……」
そう言って、茜はえへへと笑う。
▽▽▽
「あーあ、嫌になるくらい幸せだなぁ」
そう呟いて、誰もいない世界の道を私は歩く。
空は晴れ渡っていて、全てを煌めかせるような青い空がどこまでも広がっていた。〈了〉
砂の少女と、世界の終わり 吉野奈津希(えのき) @enokiki003
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます