第6話 閑話

 レナがミラの荷造りを手伝いにいった。

 テトはティーカップのふちをなぞって、愛おしそうに微笑む。未だに窓際に腰掛けているカイは、とろけた主人の表情にため息をついた。


「飲むなよ、それ」

「やっぱり、どうしてもだめ? せっかくミラが淹れてくれたのに」

「なにが入ってるか分かったもんじゃないだろ、毒がないとも言い切れない」

「……そう、だね」


 ミラはそんなことするわけがない。──喉まで出た言葉を飲み込んだテトは、それでもレモンバームの香りを拾おうと深く呼吸をした。まだ、なんとなく、ほのかに甘い匂いがする。


「で? どうだった。恋い焦がれた妖精姫ティターニアとの再会は」

「幸せだけど、最悪だ。ミラったら、なにひとつとして覚えてないみたい」

「そりゃそうだろ。小さい頃に一回会っただけなんだし」


 振り返り、窓辺のカイをジトッと睨む。「会っただけじゃない、会話もしたんだ」と訂正を入れれば、呆れたようなわざとらしい笑い声が返された。

 あれはテトが六歳の頃だった。瞳の色が原因で家族との折り合いが悪くなり居場所がなかった孤独な時期で、出会うものすべてが敵だったあの頃。寂しくて悲しくて、けれどなにを恨めばいいか分からなかったときに、妖精姫ミラに出会った。テトにとって、まさに運命だった。なのに子どものテトには、その運命の糸を手繰って結んで、己のものにする力がなかった。

 それがまさか、こんなところで繋がろうとは。

 奥の扉から、するりと猫が出てきた。ブルーの毛並みと若草の瞳を持つ、ミラの飼い猫であるノノンだ。くるりとしたまぁるい瞳をテトにむけ、ついでカイにむけて、いっとう日当たりがいい床に丸くなる。


「覚えてなくて当然だろうさ」


 ノノンの挙動を見つめてあくびをしながら、カイが言う。


「だってもう十年前だろ。妖精姫ティターニアも小さかったろうし、テトが誰だか分からないのが普通だ」

「十二年前だよ。それでも僕は、彼女のことを忘れた日はなかった」

「そりゃもう思い入れの違いだな、テトの片想い決定だ」

「うるさいなっ。そんなの、カイに言われなくたって分かってるさ」


 ハーブティーを見つめる。ほのかに色がついた水面に映るテトの顔は、ひどく情けない。取っ手の部分をつまんで、中を揺り動かして己の顔をかき消す。澄み切った甘い香りが、ゆるりと立ち昇った。


「それに今は、余裕がないことだって分かってる。嬉しいし、舞い上がっている自覚はあるけど、すべてを放り出すほどばかじゃないつもりだよ」

「そりゃなによりだ。色恋で全部忘れちまったかと思ったぜ」


 けたけたと楽しげにカイが笑う。もう一度しめった視線をむけるが、なにひとつとして堪えている様子がなかった。


「時々、カイは僕のことが嫌いなんじゃないかと思うよ」

「バカ言え、めちゃくちゃ大好きだぜ。こんな忠実な従者がいるかよ。なあ?」


 同意を求めるように問いかけられたカイの声は、見事にノノンのしっぽがはたき落とした。そして、ふん、と鼻を鳴らす。

 なんだかそれがおかしくて。言葉を理解しているような動作が憎たらしくも愛らしくて。テトは耐えきれずに小さく笑った。

 持ったままだったカップをもう一度揺すってみる。もう香りはどこにもいないようだ。水面に映った己の顔を見て、いつもどおりに笑みを作れていることを確かめる。

 愛しの妖精姫ティターニアとの再会を喜び合うのは、すべてが終わってからにしよう。そう決めて、テトはそっとカップをソーサーに戻した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フェアリーテイルをつかまえて 唯代終 @YuiTui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ