たのしい街の壊しかた ~魔獣はびこるこの街で、ぼくらは魔獣の味方をする~
渡葉たびびと
第1話 まるで少年期の妄想みたいに
もし。ある日、自分が不思議な力に目覚めたりしたら――?
誰もが考えるが、誰にも言わない。思春期にありがちなそんな妄想。
その力はとにかく不思議な力で、頭に思い浮かべたことは大体なんでもできるものとする。そんな力が手に入ったら、どのように使うか?
自分の場合はどうだろう。
そうだなあ、たとえば。
手っ取り早いのは、いま目の前を通り過ぎていったオジサンに天罰をくらわす事だろうか。
なぜならオジサンは火のついたままのタバコをポイ捨てし、あまつさえその火を消すことすらなく、煙を立てる吸殻をアスファルトに放置して立ち去った。
もちろんここは普通の路上で、歩きタバコは禁止だ。
恭雅はべつに品行方正な優等生ではないし、規律にうるさい人間でもない。道端にゴミが落ちてたって、まず拾うことはない。
だがそれでもああいうのは、視界に入ればイラっとする。
平気であんなことが出来るような自己中で傍若無人な人間には、今までの人生でいろんな目に遭わされてきた。
で、たとえば。たとえばの話だ。
捨てたタバコが地面に接すると同時に、あのオジサンの身体が炎上する。
そんな能力を自分が持っていたとしたら。
――やっちゃうかもしれないな。
なんとなく、そう思う。
証拠は残らないだろうし、デメリットも特にない。何しろ不思議な力なので。
いきなり炎上する人間を目の当たりにしたら、さすがに自分でもトラウマになりそうな気はするが、すれ違った後、視界に入らない状況でやれば多少マシだろう。
そうすることで、平気でタバコをポイ捨てするような人間が、一人減る。
それはほんの少しの快感を伴うような気がした。
が、まあ、もちろん現実にはそんな力はないのですけれど。
恭雅だってそれは分かっている。今年で十七歳である。分かってないとさすがにヤバイ。
現実には不思議な力はないのであって、ポイ捨てする人間はポイ捨てするままに生き、何の力も持たない恭雅はちょっとイラっとしながらすれ違い、それも五分もすれば忘れるのだ。
それが科学的に正しいこの世界の仕組みなのだ。恭雅は数学や物理の成績がド底辺なので詳しいことは分からないが、科学的なことは正しいらしい。なんか皆そういうふうに言ってるし。
この世に不思議なパワーは存在しない。科学的じゃないことは起きない。いきなりオジサンは炎上しない。いま恭雅が考えているのは何ひとつ正しくない想像であり、この思考は脳のカロリーを無駄に使っているだけ。
ひたすらに無駄な時間だ。行き場のないモヤモヤとイライラをちょっと余計に抱えただけ。得るものがない。意味もない。その通りである。でも。
もし恭雅がひとつ、この時間から学べたものがあったとしたら。
歩くときは、地面じゃなくて前を向いたほうが良いということ。
「――えっ?」
声が出た。
ひとり言を言う人間がニガテで、よくあんな恥ずかしいことが普通にできるもんだ、と思っている恭雅の喉から声が出た。
そりゃあまあ、人間である以上、驚いた時に声が出るのは避けられない。
目の前に、真っ黒い影が立ち塞がっていた。
「…………!?」
大きい。恭雅の身長をゆうに超えている。
真っ黒い影は、真っ黒い影としか表現のしようのない見た目をしていた。
全身が黒で塗りつぶされたような姿。形は、強いて例えるなら熊かゴリラか。
初めて味わう感覚だった。目の前の巨体は、確かに目に見えているのに、質量とか存在感とかそういうものが殆ど感じられなかった。
だから反応が遅れた。
真っ黒い影は、太い腕を振り上げていた。その先端に鋭いツメが三本見えた。
足が動かない。
どう見ても科学的に正しくないその存在は、でも間違いなく存在していた。それが恭雅は信じられなかったのかもしれない。
端的に言うと、驚いていた。「なんだかんだ自分も常識ってのを信じてるんだな」と、余計なこともちょっと思った。
で、とにかく腕が振り上げられていた。それが振り下ろされることは容易に想像できた。足はまだ動かない。悲鳴をあげることもできない。
理不尽、というものが世の中には存在する。人は事故で突然死んでしまうこともある。しかし、これは、それにしてもとびきりの理不尽。
たとえば、タバコポイ捨てオジサンがいきなり発火して死んでしまうくらいの異常事態。そんなマイナスの奇跡みたいなもんが。
……そんなことが、起こるもんなんだなぁ。
これが、場合によっては井谷恭雅の人生最後の思考になるかもしれない内容であった。なんのドラマもない。ひとつもエモくない。
が、黒い影はそんなことを考慮してはくれない。太い腕が振り下ろされる。鋭いツメが恭雅の肩口に迫る。風圧を感じる。
――ギィン、と、硬質な音が響く。
恭雅は変わらず前を見ていた。痛みはなかった。傷もなかった。黒い影の腕は、ツメは、恭雅に当たっていなかった。
そして恭雅は見た。目の前に、見知らぬ人影が割り込んでいた。その人物が、ツメを受け止めていたのだ。
新たな影は自分より小柄だった。というか、セーラー服を着ていた。まだ幼い少女であった。その少女が、細い腕で刀のような武器を構え、黒い影のツメを受け止めていた。
少女はわずかに恭雅のほうを振り返った。短めの髪。釣り目がちの大きな目。
はっと息を呑む。少女は見たことがないほど美しい顔立ちをしていた。
なんなんだ。本当になんなんだろう、この状況は。知っている常識では、ひとつも理解が追いつかない。恭雅がそう考えたとき。少女が、口を開いた。
「あなた、今――」
「え?」
「何か、メンドクサイこと考えてるでしょう」
ポイ捨てオジサン炎上を想像していた自分ですら、想像しなかった未来がやってきたぞ。
恭雅はそう思った。
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