第3話 人間を襲う怪物から人々を守りたいですか?

「私は、速見はやみ木乃夜このよ

「……井谷いや恭雅きょうが、だ」

「うん。……キョウガ。少し話さない?」


 単刀直入にそう言われ、恭雅は断ることもできずに公園のベンチに腰を下ろした。

 まあ、このまま何も知らずに帰ったのでは流石におさまりがつかない。

 ありえないことが起き過ぎた。恭雅は「現実」のラインをもう一度引き直す必要があった。


 冬も終わりを迎えつつあるとはいえ、屋外はちょっと肌寒い。だが少年少女の財布はもっと寒いものなので仕方がなかった。

 彼らを温めてくれるのは自販機で買ったミルクティーだけだった。


「あなたに才能がある……って言ったわよね。あれは本当。」


 ふう、と白い息を吐いて木乃夜が言った。

 短めの黒髪。大きなつり目。

 素朴だが、全体に涼しげでミステリアスな印象を与える少女。


 隣に座ると、肩幅が細いのがよくわかる。恭雅の位置からだと彼女のつむじまで見えた。あまり背も高くないのだ。もしかしなくても、二~三歳は年下なんじゃないだろうか。


 彼女がさっきまで持っていた刀は、どこへやら消え失せていた。思えばそれも不思議なことだが、何もかもが不思議なのでいちいち聞く気にもなれない。


「あなたには『ダスト』が見えていた。私の刀も見えてたでしょ。そういう人間は、貴重」

「……トクベツな力ってやつ?」

「私たちからすれば特別でも何でもないけどね」


 わずかにテンションが上がりかかった恭雅を、木乃夜は一言で制した。彼女の声はロートーンでテンションが低く、同年代の少女としては幾分暗めの印象を与える。


「なんだ。これ、女神さまが僕だけにチートくれるとか、そういう奴ではないわけね?」

「チート……?」


 木乃夜は開けたてのミルクティーをふうふうと冷ましながら眉をひそめた。

 どうやら恭雅のたとえ話は伝わってなさそうだった。まあ、恭雅としてもトラックに轢かれた覚えもなければ、ここはどう見ても剣も魔法もない現実だ。


「私は何も与えない。あなたが『見える』人間だった。『メンドクサイ』人間だった。それだけよ」

「ひ……ひどくない?」

「ひどくはない」


 木乃夜はミルクティーに口をつけ、ほんの少し舐めただけで口を離して顔をしかめた。猫舌なのになんでホットを買ったのか、その胸中は恭雅には計り知れない。


「私も……相当『メンドクサイ』からね」


 そこの予想は当たっていた。あの怪物と戦っていた彼女が、そうでないというのはオカシイ。


「で、私は……人を探している」

「……なるほど」


 恭雅はそこまで話を聞いて、なんとなく理解した気になった。

 常識外れだが、話としては分かりやすい。古い漫画で似たようなのを読んだ記憶もある。

 だから恭雅は聞いてみることにする。話が早い、と思って貰いたかったのかもしれない。


「ということは、つまり、それは……」

「なに?」


 恭雅は「陰」か「陽」かで言えば陰に分類される男子だ。友人と呼べる女子はいない。

 それでも本能が、目の前の女子に少しでも良く思われたいと動いてしまう。そんな自分がアホらしいといつも思う。

 なるほどやっぱり恭雅はメンドクサイ人間なのだ。


「あの怪物と一緒に戦う仲間が欲しい……的なこと?」


 なかなか核心をついた自信があった。

 あの『ダスト』が見える人間は貴重だと木乃夜は言った。そしてそんな恭雅と話したいと言った。「そういう人」を探していると言った。

 ほかならぬ、ダストと戦った彼女がそう言うのだ。ならば、そういうことだろう。


「うーん。質問するなら、こうかな。あなたは――」


 恭雅の質問に、木乃夜はイエスともノーとも言わなかった。

 少女はミルクティーの缶を置き(諦めたのだろう)、ただ一言このように問うた。


「人間を襲う怪物から、人々を守りたい?」


 木乃夜は特徴的な釣り目を細めた。ゾクリとするほど美しく、謎めいている。

 人間を襲う怪物と、戦いたいかどうか。なるほど、本質的な問いと言えるのかもしれない。


 いまの恭雅は「力が欲しいか?」と聞かれたわけではない。「その力を使わないか?」と言われているわけでもない。

 だから質問に対し、正確に答えなければならない。人間を襲う怪物から人々を守りたいかどうか。ならば答えは、こうだ。


「いいや。断る」


 恭雅はそのように淀みなく答えた。特に迷いもしなかった。


「……へえ」


 木乃夜がふっと顔を上げて、恭雅のほうを見た。


 つい先ほどの話だ。井谷恭雅は考えていたはずだ。

 もし自分が不思議な力を手に入れたら、どうなるか。

 思いついたのは、タバコのポイ捨てをした小悪党を炎で焼く。そのくらい。


 だが別に、悪事を許せないから、義憤のために焼きたいというわけではない。

 見ていてムカついたから、全身が炎上すればいいのに、と思った。それだけ。

 どうしようもなく矮小な価値観。絶対に正義の味方のやることじゃない。

 どちらかというと、自分もただのメンドクサイ小悪党にすぎない。


 人々を守るなんて、生理的になじまない。無理な話だ。

 だから断ろう。日常に現れた怪物も、常人が持たないちょっとした「力」も、目の前の美少女も、ちょっと惜しいと思ってしまう自分がいるけれど。

 

「僕には無理だと思う。人々を守りたいとは……思えない」


 こちらを向いた木乃夜に目を合わせることもできず、恭雅は下を向いて答えを伝えた。

 その答えを聞いて、木乃夜は。

 あえて下から覗き込むように恭雅と目を合わせて――にっこりと、笑った。


「よかった」


 ――え?

 恭雅は胸中を疑問符で埋めた。

 同時に、この日はじめて見た笑顔の愛らしさに胸を刺され、何がなんだかよくわからなくなった。


「合格」

「は?」


 木乃夜はぴょん、とベンチから立ち上がり、座ったままの恭雅を見下ろした。


「だよね、絶対守りたくなんかないよね」

「え? うん」


 少女は今まで見せなかった表情、声、仕草を見せている。

 急に、中立から味方になったようだった。

 そしてその印象は当たっていた。


「あなたのような人を、本当に探していたよ」


 人気のない公園のベンチ。夕焼け。

 夕陽を逆行で浴びる少女は、さっきまでの暗めの印象から変化していた。

 彼女はあらためて言った。それを聞いて恭雅は耳を疑った。


「私たちの、仲間になってください」

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