第2話 メンドクサイ人

 少女の言葉に、恭雅は何も返すことはできなかった。

 何が起きてるのかもよくわからなかったし、何を言われたのかもよくわからなかった。


「あなた、今――」

「何か、メンドクサイこと考えてるでしょう」


 学校からの帰り道で。

 なんか目の前に真っ黒で巨大な影が現れ。

 そいつが腕を振りかざして襲ってきて。

 小柄な少女がそれを受け止め。

 メンドクサイこと考えてると言われた。


 理解できる要素がひとつもない。


「な、何を言って――」

「ちょっと待ってね」


 言い返そうとしたところ、待たされた。

 いや、それはそうだろう。少女は黒い影と向き合っているのだ。


 ギィン、と再度、硬質な音が響いた。少女が刀ではじき返したのだ。銃刀法とかどうなっているんだろう。

 さいわい、ここは人通りの少ない郊外で、住宅がまばらにあるだけ。タバコのオジサンも既に通り過ぎ、ほかに人影はない。

 だからこの異常事態を異常だと言ってやれる人間が恭雅しかいない。


 ギィン、ギィン。二度、三度と打ち合う音が響く。不思議と、小柄な少女は力負けしていない。


「見えてるんでしょ、この黒いの」

「……うん」


 少女が平然とした声音で言った。恭雅はなんとか返事する。

 そうしている間にも少女は右へ左へ俊敏な動きを見せ、刀の一撃を黒い影に打ち込んでいく。黒い影は悲鳴もあげないが、左右へヨタついているのでダメージはありそうだ。


「この怪物――『ダスト』が見えるのはね」

「え……何?」

「『つい余計なこと考えちゃいがちなメンドクサイ人』よ」


 ドス、と重量感のある音が響いた。少女が刀の持ち手を、黒い影の胴体に叩き込んでいた。


「何だよ、メンドクサイ……って」


 恭雅は目の前の戦闘をただ目で追いながら、少女の言葉について考えていた。


「そりゃ、いきなりこんなコトが起きててさ、色々頭の中ゴチャゴチャだけど、何をもってメンドクサイって言うんだ?」

「そうそう、そういう疑問よ。メンドクサイわね」


 肯定された。たぶん命を助けられたはずなのだが、恭雅はどこか不服だった。


「……殺したくはないな」


 少女がつぶやいた。怪物……『ダスト』とやらのことだろうか。今まさに襲われておいて殺さない、というのはよくわからなかったが、確かにさっきも刃ではなく柄で攻撃していた。峰打ちだ。


「……ガッ……ア……ア……!!」


 ここにきて、劣勢の怪物が初めて咆哮した。人語は介さないのだろうか。

 両腕を振り上げる。やはり腕は太く、大きい。まともに受ければ少女などぺしゃんこだろう。

 少女はどうする? 恭雅は目をみはる。かわすのかと思ったが、意外にも少女は刀でその両腕を受け止めようとしていた。


 できるのか? 確かにこれまで少女は完全に相手を上回っていたが……。

 恭雅がわずかに不安に思ったその瞬間。


 ――ガ、ギィン!


 重めの衝突音がして、少女の刀がはじけ飛んだ。

 刀は地を跳ねて、手を伸ばしても届かないところまで転がる。黒い影が再び腕を振り上げる。


「…………っ」


 少女が歯を食いしばる。

 それを見て、ようやく、恭雅の心臓がドクンと強く鳴った。

 これは……まずいのではないか?


 まずい、のだろう。突然襲ってきた黒い影に少女が殴られそうだ。

 正直何が起きてるのかは未だにわからないが、とにかく目の前の状況はそうだ。

 恭雅は一歩足を踏み出した。だがそこでさらに、頭の中を思考がよぎる。


 いやそもそも、この影も、少女も、自分にひとつも関係ない。

 なんか話しかけられたからこの場に残っていた気がするが、さっさと無視して逃げ出すべきだったのではないだろうか。

 そしてそれは、今からでも遅くはない。


 この足を引っ込めて、逆を向いて、全力疾走すればいい。

 そうして何も見なかったことにして帰宅してからいつも通りの生活を……。


 送れますかね?


 こんな異常な思い出を忘れて日々を送れるのか?

 まして少女を見捨てて逃げた記憶を残したまま?

 その後少女はどうなるのか? 万が一、その顛末を知ってしまったらどうする?


 目の前を見る。影のツメが振り下ろされる。少女の華奢な身体にツメが近づく。

 迷っている暇はない。恭雅は一歩踏み出した足を、思い切り踏ん張って――


 地面を蹴って、二歩目以降を続けて駆けた。


「――っ、ごめん!」


 なぜか謝りながら、少女を押し倒すように地面を転がる。

 二回転、三回転。そろそろあの腕の範囲から出ただろう。

 身を起こして黒い影を見上げる。怪物はどうした? 怪物は――


 腕を振り上げた姿勢のまま、完全に停止していた。


「……え?」

「うまくいったわね」


 少女が、恭雅の腕の中で言う。


「私の力……『毒』よ。おそらくもう全身が麻痺したはず」

「え? え?」


 恭雅は理解が追い付かない。

 少女はよいしょ、と恭雅の下から抜け出し、懐からおふだのようなものを取り出す。


「とりあえず封印しておきましょう」


 少女がお札をかざすと、動けなくなった怪物はお札に吸い込まれ、あれほど大きな身体が完全に消えてなくなった。


「…………はあ?」


 恭雅はそれだけ口にするのが精一杯だった。

 少女はセーラー服の埃を払いながら、くすり、とほほ笑んだ。


「助けてくれて、ありがとう」

「……あ、ああ」

「逃げなかったね。……助けるのは、ギリギリだったけど」

「ど、どっちにしろ大丈夫だったんだろ」


 毒が効いていたのなら、恭雅が助ける必要はなかったはずだ。


「でも、助けてくれた」


 少女は恭雅のほうを向いた。若々しい黒髪が、きらきらと西日を反射した。


「ギリギリだったのは、いろいろ考えてたからでしょ?」

「な、なんでそんなコトわかるんだ……」

「言ったでしょ。あの怪物が見えるのは『メンドクサイ人』だけ」


 今をもって、恭雅には少女の言うことがよくわからなかった。

 当然だ。常識にないことばかり言ってくる。

 おまけに初対面の人を『メンドクサイ人』などと。


 ……でも。だけど。

 表情のせいか、声色のせいか。

 彼女の言う『メンドクサイ人』には、否定的なニュアンスを感じなかった。


 だいたいそもそも。


「……ねえ、あなた」


 あの怪物を見るどころか、互角に打ち合っていたこの少女だって。

 彼女自身の言う通りなら『メンドクサイ人』ということになる。

 少女は真正面から恭雅に言った。


「才能あるよ」


 何の才能だかサッパリわからないのに、ドキッとしたのを恭雅は自覚した。

 これだから美人はズルい、と少年は思った。

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