満開の桜の、樹の下で

兎舞

 

 世の中に たえて桜の なかりせば

 春の心は のどけからまし


 全くだわ・・・。

 

 4月といえば、桜。

 春といえば、桜。

 日本の国花も、桜。

 何かと言うと、桜、桜、桜。


 あの和歌だって、桜が好きすぎて詠まれた和歌だし。

 

 でも私は、本気で桜が好きじゃない。

 桜の咲く、この季節が。


◇◆◇


 やっと今日中に終わらせておかなきゃいけない仕事を片付けて、会社を出る。

 オフィスの目の前の小さな公園にも、桜の樹がある。


 どこにでもあるんだから・・・。毛虫つくのに。

 桜の樹の下なんて素敵ね~❤

 って言うけど、じゃやってみろ。

 上から毛虫降ってくるぞ。


 そんな事実を伝えただけなのに、会社の後輩からは私が毛虫みたいな目で見られた。

 ロマンチックがわからないおばちゃんですみません。

 すみません、なんて思ってないけど。


 昼間の小さなやり取りを思い出してしまい、やり場の無いため息は、自然と目の前の桜へ向かった。


 まだ満開には程遠いが、膨らんだ蕾が多いせいか遠めにはうっすらピンク色に見える。

 日本中にある樹。

 咲けば、誰もが「桜」とわかるなんて、ある意味すごい。

 咲くタイミングを連日テレビで放送する花も、他には無い。花の種類なんて無数にあるのに。

 

 なんとなく好きでもない桜の樹を見上げながら、ぬるい春風に吹かれていると。


「桜、好きかい?」


 後ろから声をかけられた。

 

 タイミングも唐突だし、夜の11時も過ぎた公園に自分以外の人間が居ると思わなかったし、大体、私は桜が嫌いだ。

 気分を害された気がして、多少のイラツキを感じながら振り返った。


 そこには。

 10歳くらいの女の子がいた。


 こんな夜中に、子ども?しかも、女の子?


 イライラをぶつけてやろうと思ったのに、その姿を見たら拍子抜けした。

「えっと・・・、君、この近所の子?」

 なんと声をかければいいのか分からず、そりゃそうだという質問をしてしまった。

 が、また変な返答が来た。

「何を言っているの?私たちの家はここからは遠いでしょう?」


 ・・・私たち?

 こんな子、知らないけど。

 何言ってるんだろう?

 

「えーっと・・・、じゃ、君の家はどこ?」

「もう、何を寝ぼけているのかしら・・・。もう遅いわ、帰りなさい」


 いや、帰りなさい、って。

 お前こそ帰れよ。


「でも、嬉しいわ。約束を守ってくれて。」

 呆れてその場から離れようとした瞬間、その子はそう言った。

 約束?


「約束、って・・・。」

「あらやだ、それも忘れちゃったの?桜の樹の下で会いましょう、って、約束したじゃない」


 その瞬間。

 咲いていないはずの桜が満開になり、一面を多い尽くすような桜吹雪が舞った。


◇◆◇


『おばあちゃん、おばあちゃん・・・』

 危篤と聞かされ、両親と駆けつけた祖母の枕元。

 大好きで、ずっと一緒にいたい、いられると信じて疑わなかった祖母の死を前に、大人が制止するのも聞かず、意識の無い祖母に取りすがった。


 行かないで。ずっと、ずっと私と一緒にいて。

 声にならない思いを、涙と嗚咽で叫び続けた。

 そのとき。

 ゆっくりと、祖母の目が開いた。


 幻を見ているのかと思ったら、そこには確かに微笑んでこちらを見ている祖母がいた。

「また、会いましょう。満開の桜の、樹の下で。」


 それだけ言うと、すっと息を吸って、そして祖母の鼓動は止まった。

 

◇◆◇


「お、ばあ、ちゃん・・・?」

 まさか、と思いながらそうつぶやいて、知らずに手を伸ばした。

 彼女は呆れたように言った。

「いやだね、私以外の誰に見えるの。」


 って!おばあちゃんには全然見えませんけど!

 幽霊って死んだときの姿で出るんじゃないの?!見たことないけど!


「ずっと待ってたんだよ、桜が咲く時期には、お前が立ち寄りそうな場所に咲く桜の樹の下で。」


 ・・・忘れてました。ごめんなさい。

 そして、私は全てを思い出した。

 祖母の、いまわの際の言葉も、何故私が桜を嫌いになったのかも。


 桜の樹の下で会おうといわれても、それを信じる気にはなれなかった。

 もし、桜の樹の下へ行っても、会えなかったら?

 ていうか、普通会えない。死んだ人には。

 だから、桜の花が咲く季節は嫌いになったし、樹を見るのもいやになった。


「だって・・・、だって、おばあちゃん、普通会えるって思わないじゃん!」

 子どもに戻ったように、駄々をこねながら半泣きで祖母にくってかかった。

「昔は私の言うことは何でも信じるいい子だったのに・・・。大人になると変わっちまうもんだねぇ。

 いいかい。お前が本当に会いたいと思えば、私に会うことは出来るんだよ。なのに、ただの一度も思ってくれなかった。寂しいねぇ。」


 会いたかった。会って、聞いて欲しい話は山ほどあった。

 でも、会えるはずが無い。

 願っても叶わない辛さは、もう味わいたくない。

 いつか私は、祖母への思慕より、今の自分が辛い思いをしないほうへ逃げるようになっていたのだ。


「会いたかった、です。・・・おばあちゃん。」

最後は涙声で、祖母には届かなかったかもしれない。


 しかし、今は小さな女の子の姿をした祖母は、ちょこちょこと寄ってきて、私にしゃがむように言う。

 そして、ゆっくりと頭を撫でてくれた。


「そうだよ、そう、思ったことは素直に願って、言葉にしていいんだよ。」


 その撫で方は、昔のおばあちゃんそのもので。

 私はしゃがみこみながら、爆ぜるように泣き出してしまった。


 祖母は、ずっと、私の頭を撫で続けてくれた。

 その間中ずっと、幻の花吹雪は散り続け、桜も満開のままだった。


―散華ー。

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満開の桜の、樹の下で 兎舞 @frauwest

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