身支度

「銀翼、今夜は店を貴方に預けるわ」

「・・・?如何しましたか?」

「蝶会議よ。今晩は戻れないと思うから、店番を頼むわ」


 蝶会議。

 それは遊郭夢幻郷を取り締まる5つの名のある大見世の遣手が集まり、夢幻郷の今後を決めて行く会議である。

 夢幻郷で一番の大見世と言われる香月屋の遣手である天音を含めた香月家の人間は、一番の古参者である。


「かしこまりました。何時頃お迎えが?」

「あと一時間すればくるでしょう」

「では身支度を急ぎましょう」


 銀翼は現在は、番頭新造として働いているが香月屋で働いている中では、一番の古株の為、こうして蝶会議がある日はまだ経験の少ない緋毬よりも、銀翼に店番を任せる事が多い。

 天音は長椅子から立ち上がり、隣の部屋へ続く襖を開けた。

 そこには無数の着物や、帯、髪飾りなどが光りを浴びてキラキラと輝いていた。

 銀翼は、覗き込むようにその部屋を見ると、口元を緩めながら呟いた。


「相変わらず、凄まじい数ですね。一国の姫より下手したら多いかも知れませんね」

「あら?半分以上は貴方達が私に押し付けてきた物じゃない」


 天音はそう鼻で笑うと、慣れた手つきで一枚の着物を取り出した。薄桃色に染められたその着物には、金の糸で無数の蝶が刺繍されていた。

 天音はその着物を指先でなぞると、小さな笑みを浮かべた。


「天音さまは、その桃色の蝶の着物がよくお似合いで」

「そう?」

「はい。とても可愛らしいと思いますよ。さぁ早く着替えてください。髪は俺が結います」


 銀翼は愛しい物を見るかのように、目を細めると襖を閉め奥にある鏡台へ向かって行った。

 天音はそんな銀翼には目もくれず、帯を解いた。しゅるしゅるという布が滑らかに擦れる音が、静かな部屋に響き一糸纏わぬ姿となった天音は、手に持っていて桃色の着物に袖を通した。

 この蝶の着物に袖を通すのは、今日が初めての事ではない。

 蝶会議。

 その会議が何故と呼ばれているのか。

 その所以は、五人の遣手の人間の纏う着物や装飾に蝶が描かれているからだ。

 何時の間にか、五人の遣手が集まる会議は、人呼んで蝶会議と呼ばれるようになり、ある者は恐れ、ある者は憧れるようになった。


 着替え終わった天音は、襖を開けた。そこには鏡台の前で、髪を結う準備を整えた銀翼の姿があった。


「さぁ、最後の仕上げを致しましょう。そういえば、この紅は?」


 銀翼は引き出しから取り出した、漆で塗られた貝殻を天音に見せた。

 貝殻の中には赤みを抑えた少女らしさと大人っぽさを兼ね備えた紅が入っていた。


「夕霧よ。紅を送る練習がしたいから、女性目線の意見が欲しいと」

「そうですか、相変わらず勉強熱心ですね。しかし夕霧はまだ水揚げ前では?」

「あの子だって、何時までも振袖新造のままでいれるわけじゃないわ。その紅は練習に付き合ったお礼なんですって」

「律儀な事ですね」


 銀翼は、流れるような手つきで櫛を手に取り、天音の絹のような光沢をもつ白い髪の毛を傷つけないように優しく梳いた。

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桃源郷の女王 蓬ココロ @kokoro0402

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