それゆけ信徒ちゃん

布施鉱平

それゆけ信徒ちゃん






















 ────ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!
















 闇の中に、誰かが…………いや、何かが泣き叫ぶ声が、木霊こだましていた。
















 ────ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!
















 心にガリガリと、爪を立てられるような叫び。


 だがその声は、助けを求める弱者のものではない。

 

 強大な力を持った獣が、身動きが取れないほど狭い檻に閉じ込められて暴れ狂う、苦悶と怨嗟えんさに満ちた声だ。















 

 ────ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!
















 心弱い者が聞けば、即座に精神が壊れてしまうような絶叫。


 心強い者であろうと、一時ひとときとして耐えられないような慟哭。















 

 ────ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!
















 いったい、誰が想像するだろうか。


 四六時中この声を聞きながら…………




















 微笑ほほえむことの出来る存在が、いるなどと。
















 ◇




「フフフンフ~ン♪ フンフフン♪ フンフフフ~ン、フフンフフンフン♪」


 森の小道を、明るい歌声が移動していく。

 歌声の主は、十代半ばと思える可愛らしい少女だ。


 柔らかな陽の光が、木々のこずえに細かく砕かれて少女に降り注ぐ。


 少女が歩くたびに、その金色の髪が波打って光をはじき、白い肌が輝いた。

 

「フフフンフ~ン♪ フンフフン♪ フンフフフ~ン、フフンフフンフン♪」


 少女は、歌いながら楽しげな笑みを浮かべている。

 見る者が釣られて微笑んでしまうような、そんな優しい微笑みだ。 


 それはまるで、有名画家の描いた一枚の絵画かいがのような光景だった。

 実際、『森の天使』とでも銘打って売り出せば、そこそこの値段で売れそうなくらい絵になっている。


 ただ、唯一改善すべき点があるとすれば────それは少女の服装、だろうか。


 少女のまとう衣服は、輝くような容姿と相反するかのように、黒かった。


 夜の闇で染めたのかと思われるくらい、禍々しい黒だ。


 しかもただ黒いだけではなく、所々に配置されている血の色をした赤のラインが、よりその禍々しさを際立たせていた。


 服の形態もまた、十代の少女が着るようなものではない。


 僧衣、とでも言えばいいのだろうか。


 少女の服は、神官が身に付けるそれによく似ていた。


「フフフンフ~ン♪ フンフ………フン?」


 少女の鼻歌が止まり、その歩みも止まる。


 少女の顔は依然として微笑みをたたえたままであったが、何かを考えるように少し首をかしげていた。

 

「う~ん、なにか聞こえたような気がしたんだけどなぁ」

 

 首を傾げたまま、独り言を呟く。

 山のいただきに漂う空気のように、透き通った声だった。


「ん~」


 何度か頭の角度を変えながら、少女は聞こえてきた音を探ろうとしているようだった。

 だが、その結果はかんばしくないようだ。  


 しかし困ったような声を出しながらも、少女の顔は、依然として微笑みを崩さない。


 さらに何度か頭の角度を変えて周囲の音を探ったあと、諦めたのか、少女は頭の位置を真っ直ぐに戻した。


 そして、


「ザッく~ん!」


 誰かの名前を、呼んだ。


 


 ◇



「アァァアアアアアアッ!!」


 ザシュッ!


 気合と共に一閃された剣の一撃が、今まさに首を噛み千切ろうと飛びかかってきた魔狼の頭を二つに割った。


「くそっ、数が多すぎるぜ!」


 剣についた血を降って落とし、ニルドが振り向きながら叫ぶ。


「ウィル! このままじゃジリ貧だ! 一旦退却したほうがいい!」

「ダメだ! ここでこいつらを始末しなければ、近隣の村にまた被害者が出る!」


 教導きょうどう小隊の隊長ウィリアムは、魔狼の首を切り飛ばしながら、ニルドの提案を一蹴した。


「そんなこと言ったって、もうベックもジーナもやられちまったんだぞ!?」

木神もくしん様の加護を信じろ! 我らが鍛錬に費やした時間も!」

「だが……っ、ええい、クソ! やってやらぁっ!」


 神の名を出されては、それ以上反論することもできない。

 ニルドは一言だけ悪態を吐くと、また正面から襲いかかってくる魔狼に向かって剣を振り下ろした。






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 数多あまたの神が存在する世界『ヤオローズ』。


 この世界の人々は、神に信仰を捧げることで力を得ていた。


 深い信仰を持ち、教義を守り、神に認められることで、人は神から『加護』と呼ばれる力を授かることができるのだ。


 ウィリアム率いる第十六教導小隊が崇める神の名は『木の知神ドライアンフ』。

 世界の根幹を成す、七大神ななたいしんの内の一柱ひとはしらだ。

  

 ウィリアムたちのような『教導隊』の役目は、世界を巡って自らの信仰する神の教えを説いて回り、信徒の数を増やすことにある。


 それは、説教や説話によって成されるのが通例だ。

 

 しかし、危険な魔物が跳梁する世の中で、それだけで信徒を獲得することは難しい。

 人は、身に迫る危険があれば、言葉ではなく力を必要とするからだ。


 なので教導隊にはもう一つ、信徒を増やす方法があった。


 それが、魔物を討伐する依頼を受け、その対価として信徒を得るというやり方だ。


 ウィリアム率いる第十六教導小隊もまた、辺境を巡礼する旅の最中に訪れた村で、森の魔狼を退治する代わりに今年生まれた新生児を全員『木神教』に入信させる、という依頼を受けてきたばかりだった。



 -----------------------------------------





「────はぁっ、はぁっ、はぁっ……くそっ、いったい、どれだけいやがるんだっ」


 地面に突き刺した剣に体重を預けながら、副隊長のニルドはまた悪態を吐いた。


 すでに十人いる仲間のうち四人が魔狼の牙に倒れ、ニルドも深手はないが幾つもの浅い傷を負っている。


「諦めるな、ニルド。もう三十匹は倒している。どれだけ巨大な群れだろうと、せいぜいあと十匹といったところだろう」

「それで、その十匹を倒す代わりに、もう二、三人仲間がやられるってか? ウィル、割に合わないぜ。あの小さな村で今年生まれる新生児の数は何人だ? 三人か? 五人か?」

「契約によって信徒を得る。それだけが我らの役目ではない。ここで戦い、勝利することによって我らの名声が高まれば、将来的に自ら入信する者も増えるだろう」

「ま、そうでも考えなきゃ、ベックも、ジーナも、ケイリーも、ロッドマンも死に損だからな」

「ニルド……」

「説教は後だ、ウィル。来やがったぞ」


 険しい顔で口を開きかけたウィリアムの言葉を遮り、ニルドは剣を引き抜き、構えた。


 魔狼の群れの第二陣が、森の奥から姿を現したのだ。


 その数目算で────約四十。


「おいおいおい…………何が多くてあと十だよ、ウィル。さっきより多いじゃねぇか」

「これは…………」


 余りにも非情な現実を前に、小隊の中で最も信仰心にあついウィリアムですら絶望の表情を浮かべた。


 三十匹の魔狼を討伐するために出た犠牲の数が四名。

 だがそれは、魔狼三十匹に対して小隊十名であたった場合の犠牲だ。


 現在の戦力差は、魔狼四十匹に対して小隊六名。

 しかも、ウィリアムを含めそれぞれに無数の傷を負い、体力もかなり消耗してしまっている。


「……どうするよ、ウィル」


 ニルドが、剣と視線を魔狼の群れに向けたまま、呟くように言った。


「やるしか、あるまい」 

 

 ウィリアムには、そう答えるしかなかった。

 背を向ければ、ただ殺されるだけだ。


 だが立ち向かえば、半数くらいは道連れに出来る。


 強く剣を握り締め、ウィリアムは隊に戦闘開始の指示を出そうと口を開くが…………






「あ~っ! 見~つけたっ!」






 なんとも場違いな明るい声に、その機会を奪われることになった。




 ◇



 整った顔立ち、金色の髪、白い肌…………そして、禍々しいほどに黒い服。


 ウィリアムは、突然現れた少女の姿に戸惑い、出しかけていた声を飲み込んだ。


「こんにちはっ、皆さん、こんなところでなにしてるんですか?」


 少女は明るい笑顔と声を振りまきながら、何のためらいもなく魔狼とウィリアムたちの間に割って入った。


 そしてウィリアムの手を取り、満面の笑みを浮かべながら挨拶をする。


 完全に意表をつかれたウィリアムは、「あ、あぁ」と要領を得ない言葉を返すことしかできなかった。


「おい、嬢ちゃん。あんた何者だ? その服装、どっかの信徒なのは分かるけどよ」



 ────『信徒』



 ニルドのその言葉に、ウィリアムはようやく我に返った。

 そして、あらためて少女の姿を見る。


 信徒。

 確かに、少女が身につけているものは、異様ではあるが僧服だ。


 だが、黒い僧服など、ウィリアムは見たことも聞いたこともなかった。


 月の美神ルナール、火の戦神サラマンデル、水の慈神ウェンディーナ、木の知神ドライアンフ、金の財神ゴルディア、土の豊神ノーマ、日の光神ルキシア────


 世界の根幹を成す七柱の神々には、それぞれを象徴する色がある。


 ルナールなら黄色、サラマンデルなら赤、ウェンディーナなら青、ドライアンフなら緑、ゴルディアなら金色、ノーマなら茶色、ルキシアなら白────といった具合だ。


 もちろん、それ以外に存在する数多の神々にも色はあるが、その全ては七大神の属神ぞくしんであるため、それらの色を薄めたようなものばかりなのである。


 黒を象徴する神など、ウィリアムは知らなかった。


「あっ、ご紹介が遅れました。私、ヴォルザーク様にお仕えする、司祭のイサベラといいます」

「司祭! その若さでか!」


 少女の名乗りに、ニルドが驚きの声を上げた。


 疑問を持ちながらも、ウィリアムもまた息を呑む。


 神に仕える信徒には『位階』が存在するのだが、それが高ければ高いほど強い信仰を持つ証明であり、強力な加護を得ている証拠なのだ。


 その序列は『教徒』から始まり、『修道士』『助祭じょさい』『司祭』『司教』『大司教』『枢機卿すうききょう』『教皇』の順に上がっていく。


 唯一枢機卿のみは、大司教をまとめるための職掌しょくしょうであり、大司教の中から選出された者がなるが、それ以外の位階は全て神によって定められたものだ。


 その中で司祭といえば、強さでいうなら上から四番目、下から四番目でちょうど中間になる。


 だが位階では中間といえ、この世界に暮らすほとんどの人間が教徒から上の位階に上がることがないという事実を考えると、イサベラの司祭という位階がどれだけ高位に当たるのかは想像に難くない。


 事実、ウィリアムが率いるこの教導小隊の中で最も高位なのは助祭のウィリアムであり、それ以外の全員が修道士から上がれずとどまっているくらいだ。

 

 どれだけ努力しても、それが神から認められない限り位階が上がることはないのである。


 とうぜん、位階の詐称など不可能だ。

 そんなことをすれば神から見放され、全ての加護を失うことになる。


 つまり目の前の十代半ばと思われる少女は、二十年を超える修行と信仰、そして功績により神から助祭の位階を授かったウィリアムよりも強い加護を得た存在────強者であるということだった。


「……失礼、司祭どの。私は木神教第十六教導小隊隊長、ウィリアムといいます。貴女あなたのお仕えするヴォルザーク様という神は、いったいどのような…………」

「ウィル! そんなことは後でいいだろ!」

「む……」

「なぁ嬢ちゃん、見ての通り、俺らは今ピンチなんだ。本来なら他教の信徒に助勢を頼むなんざ筋違いだと分かってるが、力を貸しちゃくれねぇか」


 ウィリアムの疑問を遮り、ニルドがイサベラに助力を頼む。


「もちろんです!」


 それに対し、イサベラはなんの迷いもなくそう答えた。


 この態度にもまた、ウィリアムの心に疑念が湧き上がる。


 なぜ、そうもすんなりと助勢を引き受けるのか。


 他教の信徒というのは、言ってみれば互いに信徒を奪い合う商売敵しょうばいがたきのようなものだ。


 七大神協定により宗教派閥間で争うことは禁止されているが、異なる神を崇める信徒同士が協力し合うことなどほとんどない。

 もしすることがあるとしても、それは自らの教団に明らかな利がある場合だけだろう。


「……ありがとうございます、司祭どの。ご助力感謝いたします」


 だがその疑念を胸に押し込めて、ウィリアムはイサベルに礼を言った。

 今は魔狼を討伐する方が先決。そう思い極めたのだ。 


「しかし、司祭どの、武器はお持ちではないのですか? よろしければ私どもの予備武器をお貸ししますが」


 無手のイサベラに、ウィリアムが提案する。


 しかし、


「大丈夫です、ちゃんとすごいの持ってますから! ────ザッく~ん!」


 イサベラは、ウィリアムの提案を断ると、顔を空に向けて声を上げた。


 すると直後、『ギャーーーーーーッ!』という甲高い叫び声のようなものが響き渡り、木々の間を突き抜けて黒い何かが飛翔してきた。


「むっ!」

「なんだっ!?」


 ウィリアムとニルドが、その飛翔体に剣を向ける。


 飛翔体はくるくるとウィリアムたちの頭上を周り、そしてイサベラの肩に降り立った。


 それは、大きな一羽のカラスだった。


 漆黒の羽に、赤い瞳。

 少女の服と同じ禍々しい色調を持つカラスが、そのくちばしを開く。


『カ、カカカ! オクビョウ、モノメ!』


 そして、耳障りな声で、人の言葉を喋った。


「な、なんだぁ?」


 余りにも理解しがたい出来事に、ニルドが戸惑いの声を上げる。


 だがウィリアムには、そのカラスの正体がなんであるのか推察することができた。


「まさか…………使徒か?」

「は~い、そうです! ザッくんは、ヴォルザーク様の使徒なんですよ~!」

『カ、カカ! ザック、サマダ! ヒレフセ! アガメロ!』

「ダメだよ、ザッくん。他の神様の信徒さんなんだから」

『カカ! シルカ! オレヲ、アガメロ!』

「もう、メッ! ザッくん、メッ!」


 楽しそうに掛け合いをするイサベルとザックを、ウィリアムたちは呆然と眺めた。


『使徒』とは、神から遣わされる『形ある加護』のことだ。

 

 位階の上下に関係なく、特別な使命や能力を持った者のところに遣わされると言われている。


 木神教にもとうぜん使徒を従えている者はいるが、その数は十にも満たない。

 なぜなら、使徒は神が自らの力を分け与えて作り出す存在だからだ。


 使徒を作れば、その分だけ神の力は損なわれる。

 そのため、七大神の一柱であるドライアンフの使徒ですら、ごく少数しか存在していないのである。


 ましてや属神の使徒など、いる方が珍しいくらいだ。


「よ~し、じゃあ、殺っちゃおうか、ザッくん!」

『カ、カカカ! コロセ! コロセ! ミナゴロシダ!』


 思考停止するウィリアムたちを尻目に、イサベルとザックは実に楽しげな声で物騒なセリフを吐いた。


 そして、もはや剣を構えることすら忘れた彼らの目の前で、ザックの姿が変貌を遂げていく。


 カラスの姿が崩れ、闇を凝縮したようなかたまりになり、そこから無数のトゲと棒が生えて、イサベラの手に収まった。


「わぁっ、モーニングスターだ! じゃあ、今日は月曜日だね!」


 訳が分からなかった。

 ヴォルザークという聞いたこともない神の名も、その司祭だという少女や使徒の言動も、何もかもが理解の範疇を超えている。


「どうなってんだ…………」


 ニルドが、呆然と呟いた。


 ウィリアムもまた、同じ気持ちだった。


「よーし、殺っちゃうぞ~!」


 困惑するウィリアムたちを置き去りにして、イサベラがモーニングスターを振りかぶる。


 そして────
















 パキャッ
















 水っぽい何かが、割れる音が響いた。
















 ウィリアムの頭が、割れた柘榴ザクロのように、ぜていた。

 















 ◇

 


「なっ、あっ、な……っ!?」


 ニルドは、目の前で起きた光景が現実のものとは思えず、言葉にならない声を繰り返した。


 ウィリアムの頭が、潰れている。


 同じ村で生まれ、喧嘩をしながらともに育ち、ライバルでありながら親友でもあったウィリアムの頭が、原型もとどめないほどに崩れている。


 村が魔物に襲われてから、ずっと一緒に生きてきた。


 ともに魔物と戦おうと誓った。

 死ぬときは一緒だと誓った。


 そのウィリアムが、死んだ。

 いや、殺された。


 突然現れた、訳のわからない少女に。


「…………っ! てめぇ、なにしやがるっ!」


 イサベルに剣を突きつけ、ニルドは叫んだ。

 すぐに切りかからなかったのは……いや、切りかかれなかったのは、気圧されたからだ。


 イサベルの、微笑みに。


 イサベルはウィリアムの頭を潰し、その返り血を全身に浴びながら、微笑み続けていた。 

 

 楽しそうに、嬉しそうに。


 目を細め、口角を上げ、天使そのものの表情で、微笑んでいた。


「ごめんなさい!」


 イサベルが、微笑みをたたえた表情のまま、顔だけをニルドに向けて謝罪の言葉を口にした。


「な、何を……っ! 謝って済む問題じゃ……!」

「ほんとはもっと痛めつけてから殺すつもりだったのに、つい一撃で殺しちゃいました! ほんとにごめんなさい! 苦悶に満ち溢れた魂の方が、ヴォルザーク様はお喜びになるのに!」


 続く言葉に、ニルドは凍りついた。


 いや、その場にいた全員が凍りついた。


 脳裏には、イサベルの言葉が木霊している。


 そして、イサベルの行動と言葉が結びつき、彼らの頭の中にあるひとつの結論を導き出した。



 全員の表情に浮かんだのは、まず驚愕。

 そして、混乱、焦燥。


 最後に浮かぶのは────恐怖。



「い…………異教徒狩りだぁあああああっ! 全員、あの女に攻撃を集中させろ! 魔狼には構うな!」


 ニルドが叫び、仲間たち全員がイサベルに武器を向けた。

 

 凶悪な魔狼の群れがすぐ近くにいるが、もはや、それどころではなかった。











 -----------------------------------------



 ────『異教徒狩り』


 かつて、異なる神をいただく人間同士が、互いを邪悪な存在だと認識し合う時代があった。


 人々は互いを憎み合い、蔑み合い、軽蔑し合った。


 そして、どこからともなく生まれた一つの噂が、それを殺し合いに発展させた。


 それが、『異教徒を殺すことで位階が上がる』という噂だ。


 人々は、喜々として殺し合った。


 人種も、年齢も、性別も関係なく、信じる神が違うという理由だけで、人は躊躇ためらいもなく人を殺した。


 年端も行かぬ子供が首を切られ、足の悪い老人が生きたまま焼かれ、母親の胎内にいる胎児が串刺しにされた。


 ただ、位階をあげたいがために。


 ただ、神から愛されたいがために。


 人は、それを成したのだ。


 流された血で大地は赤く染まり、立ち上る煙で空は灰色に濁った。

 

 そんな暗黒の時代を終わらせたのが、七大神に信徒として仕える、七人の教皇だ。


 七大神の啓示を受けた教皇たちは、それぞれの派閥を与えられた力によってまとめ上げたあと、異なる神を崇める者が相争あいあらそうことを禁じる『七大神協定』を制定し、混迷を極めていた世を治めた。


 今からもう、数百年も前の出来事だ。


 それ以降、異教徒だという理由で人を殺める者は現れていない。


 神の威光は、人の世から争いの種をひとつ、消したのだ。











 ────その、はずだった。 



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「何なんだよぉ……っ、お前、何なんだよぉ………!」


 ガタガタと全身を震わせながら、ニルドはそれでも剣を離さなかった。


 いや、離すことができなかった。


 恐怖のあまりキツく握り締めた指が硬直し、開くことすらできなくなっているのだ。


 ニルドの周りには、死が溢れていた。


 頭が体にめり込んだ死体。


 胸が大きく陥没した死体。


 下顎が消失した死体。


 手足がグズグズになるまで潰された死体────


 全て、ほんの数分前までともに戦った仲間だった・・・ものだ。


「お待たせしました! あなたで最後なので、時間はたっぷりありますよ! なにか、ご要望はありますか? どこからがいいですか?」 

 

 血と、肉と、脂と、脳漿のうしょうを全身に浴びながら、イサベルは初めて現れた時と変わらぬ笑顔で、ニルドに問いかけた。


 微笑んでいる。

 

 なんの悪意もなく、なんの嘘もなく、心から嬉しそうに、微笑んでいる。


 その笑顔が、どうしようもなく恐ろしかった。


「く、狂ってる! お前は狂ってるっ!!」 

 

 口の端から泡を飛ばしながら、ニルドは絶叫した。


「なんでこんなことをする! なんで!! 他教徒を殺しても位階が上がらないことは、もう何百年も昔に実証されたことだろう!?」

「なんで? もちろん、ヴォルザーク様がそれをお望みだからです」

「ひ……っ!」

 

 イサベラが一歩近づいた分だけ、ニルドは後ろに下がった。


 逃げ切れない。

 戦って勝つこともできない。


 ニルドの心はすでに折れ、ウィリアムや教導小隊の仲間の仇を討とうなどという気持ちは、消え失せていた。


 死にたくない。


 教導小隊に入った時から死を覚悟してはいたが、死を望んでいたわけではない。


 ましてや、イカレた狂人のおもちゃにされて死ぬのなんて御免だった。


「ま、待ってくれ! 頼む、待ってくれ! 俺には……お、俺には、愛する妻がいるんだ! こども…………そう! 子供もいる! 俺の帰りを待ってる! だから、殺さないでくれ!」

 

 旅から旅へ渡り歩く教導小隊の人間に、家庭を持てるはずがない。


 信徒であるイサベラがそれを知らない可能性は限りなく低いが、それでも万が一の可能性にかけて、ニルドはありもしないデタラメをわめき散らした。


「…………愛?」


 ニルドの言葉に、イサベラが動きを止めた。


「そ、そう、愛だ! お前にだって、愛する者がいるだろ!? 俺にもいる! 俺にもだ! だから…………」

「すばらしいですっ!」

「…………っ!」


 一瞬で距離を詰めてきたイサベラにいきなり抱擁ほうようされ、ニルドは息が詰まった。


「愛っ! あぁ……っ、なんと素晴らしい言葉でしょう。もちろん、あなたが奥さんやお子さんを愛しているように、私にも愛する存在がいます。それは────人間です。私は、全ての人間を愛しています。だって────」


 耳元で囁いていたイサベラが途中で言葉を切り、少しだけ体を離すと、ニルドの顔を正面から見据えた。


 その顔は、死の恐怖に震えていたニルドですら一瞬見惚れるほどに美しかった。


 白くなめらかな肌。

 細く筋の通った鼻。

 赤く色づいた唇。



 そして、



「ひ……っ、ひぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいっ!!?」

 

 柔らかな弧を描く、イサベラの両目の奥を覗き込んだ瞬間、ニルドはいままで感じたことがないほどの恐怖に襲われ、叫び声を上げた。


 イサベラの瞳は、黒かった。


 本来白くあるべき部分までもが、黒かった。


 そしてその真っ黒で真っ暗な瞳の奥に、ニルドは、見てはいけないものを、見た。 


「ひぃっ! ひぃぃいいいいいいいいっ!!」


 狂ったように叫ぶニルドの顔を正面から見据えたまま、イサベラは言葉を続けた。


「────だって、私を産んでくれたのは人間ですもの。


 私を育ててくれたのは人間ですもの。


 私を愛してくれたのは人間ですもの。


 私の家族を殺したのは人間ですもの。


 私の村を焼いたのは人間ですもの。


 私を犯したのは人間ですもの。


 私を壊したのは人間ですもの。


 愛しています。


 愛しています。


 愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。人間の全てを愛しています。全ての人間を愛しています。狂おしいほどに愛しています。人間の男を。人間の女を。人間の子供を。人間の大人を。人間の老人を。全て等しく愛しています。おかしいね。おかしいよね? 私は家族を殺されたのに。村を焼かれたのに。初めてを奪われたのに。犯され、壊され、全てを奪われたのに。それでも愛してるの? ええ、もちろん。私は人間を愛しています。だって────」

















 ぼぐしゃ
















「ヴォルザーク様を復活させる為には、人間の魂が必要なんですもの」






 










 どちゅっ
















「たくさんたくさん、必要なんですもの」
















 ぐしゃり
















「この世界を壊すために」
















 ぐちゃっ
















「新しい世界を始めるために」
















 ぐちゃっ









 







「人間が、必要なんです。人間の魂が、必要なんです。たくさんたくさんたくさんたくさん必要なんです。だから」
















 ぐちゃり
















「愛しています」
















 ぐちゃり
















「あなたのことも」
















 ぐちゃり
















 ぐちゃり















 ◇











 イサベラは、ごく普通の村に生まれた











 イサベラは、ごく普通の少女だった











 イサベラは、ごく普通に両親に愛された











 イサベラは、ごく普通に幸せだった











 ある日、村に盗賊が現れた











 盗賊は、当たり前のようにイサベラの両親を殺した











 盗賊は、当たり前のようにイサベラの友達を殺した











 盗賊は、当たり前のようにイサベラを犯した











 盗賊は、当たり前のように村を焼いた











 盗賊に気に入られたイサベラは、彼らのアジトに連れて行かれた











 イサベラは、毎日犯された











 イサベラは、毎日痛かった











 イサベラは、毎日死にたかった











 イサベラは、毎日祈った











 そしてある日、イサベラは病気になった











 イサベラのきれいだった顔は、見る影もなく崩れていった











 イサベラの細かった手足は、端の方から腐っていった











 イサベラの陽気な歌声を生み出す喉は、変な音しか出さなくなった











 イサベラの優しかった心は、壊れて消えて、なくなった











 そしてイサベラは、高いところから捨てられた










 

 もういらないと、捨てられた










 

 真っ暗な谷の底に、捨てられた











 手足が千切れ、背骨が砕け、首がねじれて、顔が潰れた











 真っ暗で静かな谷の底でイサベラは、人ではないナニかになった




 











 ────ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛















 

 どこからか、泣き声が聞こえてきた


 

 真っ暗な谷の底より真っ暗な場所から、泣き声が聞こえてきた
















 ────ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!
















 泣き声は、どんどん大きくなった



 イサベラは、その泣き声に耳を澄ませた


 

 どこから聞こえてくるのかと、消えゆく意識の中で探ろうとした



 だが、探す必要などなかったのだ













 ────ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!




 













 その泣き声は、イサベラの中から響いていたのだから









  






 

 それ以来
















 イサベラの心の奥には
















 真っ黒で真っ暗な心の奥には
















 大きな声で泣き叫ぶ
















 とても強い、獣が住んでいるのだ。















 ◇

 















「月曜日~は♪」

『ボクサツ!』

「グッチャグチャ~に叩いて潰そう♪ 火曜日~は♪」

『ヒアブリ!』

「弱火でじっくり中まで焼こう♪ 水曜日~は♪」

『デキサツ!』

「石を抱かせて浮かないように♪ 木曜日~は♪」

『クシザシ!』

「木の杭持ったら走ってぶつかれ♪ 金曜日~は♪」

『ザンサツ!』

「手足の先から削っていこう♪ 土曜日~は♪」

『イキウメ!』

「自分の穴は自分で掘らせろ♪ 日曜日~は♪」

『オヤスミ!』

「こ~れが私の一週間♪ また明日から~いっぱい殺そう~♪」



 森に明るい歌声と、神経を逆なでするような合いの手が木霊していた。


 だが、楽しげな雰囲気とは裏腹に、歌詞の内容は救いようもないくらい病んでいる。


「ねぇ、ザッくん。今日のでヴォルザーク様に捧げた魂はいくつになったの?」

『カカカッ! ササゲラレタ、タマシイハ、ゼンブデ、ハッピャク、キュウジュウ、ナナ! アト、サン、デ、ランクアップ、スルゾッ!』



 イサベラの質問に、肩に留まっている暗黒破壊神ヴォルザークの使徒、ザックが答えた。


 

 それを聞いたイサベラは、胸の前で手を合わせ、無邪気に喜んだ。

 


「わぁ! 嬉しい! じゃあじゃあ、今日は頑張ってあともう三人殺しちゃおうか!」

『カ、カカッ! モット! モットダ! ソラカラ、ミタガ、コノチカクニ、ムラガ、アッタゾ!』

「すてきっ! じゃあ、さっそくゴーゴーだよ、ザッくん!」

『カカカッ! カカカッ! イイゾッ! イイゾッ! ミナゴロシダッ!』



 暗黒破壊神ヴォルザークを信仰する、信徒のイサベラ。

 


 彼女は今日も神に信仰を捧げるため、破壊と殺戮を繰り返す。



 世界を壊す邪神が復活するその時まで、彼女の凶行が止まることはない。



 それだけが、頭の中に響く泣き声を止める、唯一の方法だと知っているから。



 イサベラは目を閉じると、泣き声の主に呼びかけた。



(ヴォルザーク様…………ヴォルザーク様…………待っててください、ヴォルザーク様…………もうすぐです、もうすぐ…………)

















 小さな足音が、遠ざかっていく。



 残されたのは、頭や手足を潰され魔狼に食い荒らされた幾つもの死体。



 優しい陽の光は、無残な死体にも平等に降り注いでいた。

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それゆけ信徒ちゃん 布施鉱平 @husekouhei

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