百年の透明から脱色できた日

長月瓦礫

百年の透明から脱色できた日


私は長い間、ずっと孤独だった。

気づけば、百年が経っていた。ひとりになっていた。


結局、自分が何のために、存在しているのかも分からずじまいだった。

何もかもが分からないまま、すべて終わってしまった。終わってしまった。


自分自身が透明になっていくのが分かった。

人々から忘れ去られ、存在が失われていくのを感じた。


色彩を失い、透明になろうとしていた。

そのまま風になって、星にでもなれればよかったんだろうけど。


それを許さない私がいた。許せない私もいた。

だから、抗うように、人ごみに紛れ、歩き続けた。


誰も私を気に留めなかった。

それでも、自分がここにいるような気分になれた。


ふらふらと歩いているうちに、病院にたどり着いた。

透明な自分に、壁なんてない物に等しい。

ひゅるりとすり抜けて、適当に歩く。


この力だって、正しいことに使いたかった。

もう何を言っても、無意味なのだろうけれど。


誰もいない病院をさまよう。幽霊にでもなった気分だ。

意志がとどまっているだけの、亡霊ではあるのかもしれない。


今の私はただの残留思念だ。

意識が残っているだけの、透明な存在だ。


廊下を音もなく歩いていると、天井を見つめている子どもが目に入った。

私も同じように天井を見てみたけど、何もいなかった。


「どうしたの?」


声は届いているらしい。両目を必死に動かして、私を探している。

そうか、この子にも見えていないのか。


「眠れないの?」


私の手は自然とその子の頭に伸びていた。

少しだけ撫でると、嬉しそうに笑った。




どうやら、その子は宇宙人が来たと思っているらしい。

暗闇の天井が宇宙と繋がっている。

次の朝、看護師に楽しそうに話していた。


相変わらず、私の存在は透明で、誰にも見えていない。

ややこしくなるといけないから、昼間は廊下の隅で大人しく座っていた。


通りすがる患者たちに、私は見えていない。

あの子ですら、私に気がつかなかった。


やっぱり、昨日の夜は偶然だったのかもしれない。

そうは思っても、私の声は届いているらしい。


その日の夜も同じように話しかけると、今度はちゃんと迎えてくれた。

相変わらず、視線は天井を向いている。

天井からやってきた宇宙人、という設定で落ち着いたらしい。


それならそれで構わない。

その子のベッドのすみに私は腰かけた。


今の私には、名乗れるような名前はなかった。

けれど、いろんなことを話してくれた。


長い間、この病院にいるということ。

本を読むのが好きだということ。

私が現れて、びっくりしたこと。


私みたいな存在でも、話し相手ができて楽しそうだった。

それから毎晩、この子のもとを訪れるようになった。


些細なことばかりを話し合った。

それでも、十分に楽しかった。

互いに黙りあう時間さえ、心地が良かった。


遠い昔に忘れた何かを、この子は思い出させてくれた。

何度も話しているうちに、ようやく気がついた。


私は誰かを守りたかっただけなんだ。

大切な何かを守り抜くだけの力が欲しかっただけなんだ。


だから、この名前を受け入れたんじゃないか。


自分の手の中に何が残っているだろうか。

透明な私に残されている色は、何もない。

それでも、この子を助けたいと思った。


「この力をあげるから、どうか生きてほしい。

正しいことをしたくても、私にはできなかったから」


正しいはずなのに、できなかった?

そう、できなかったんだ。私には。


一体、どういう意味なのでしょうと、不思議そうに首をかしげた。


「そのうち分かると思う。今は辛いことばかりだろうけど、大丈夫だから。

だから、せめて生きる希望になりますように」


その日の夜、私に残された物をこの子に渡すことに決めた。

頭を優しくなでて、私は病室を出た。


もう二度と、会うことはないだろう。

宇宙人の役は今日で終わりだ。


話しかけることはなくなっても、退院するまでずっと見守っていた。

私がいなくなって、あの子は少し寂しそうにしていた。

しかし、日常生活に戻れると聞いてからは、ずっとわくわくしていたように思う。


退院する前日の夜、手紙と一緒に、私の形見をこの子に託した。

これだけは、何があっても絶対に手放さなかった。

私の存在を証明する唯一の物であり、道を示した物だった。


けど、私にはもう必要のない物だ。

私の役目はこれで終わった。後はあの子次第だ。


「どうか私を忘れないで。私はここにいるから」


手紙にはたった一言だけ残して、私は病院を後にした。

私はもう、透明でも孤独でもなかった。


暖かい何かが心に残っていた。


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百年の透明から脱色できた日 長月瓦礫 @debrisbottle00

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