果ての果て
電咲響子
果ての果て
愛してる、だと? ふざけるな。お前から愛情を感じたことは一度もない。私は鈍器を手に忍び寄る。気配を殺し、酒に飲まれ自我を忘れたパートナーに忍び寄る。
振り下ろした鉄塊は彼の頭蓋を砕いた。
ああ、あなた。あなたを繋ぎとめている魂をあなたと私で撃ち砕いた。指先の綻びで簡単に命を奪った。誰にもわからない。わかるはずもない。互いの感情など。
翌日。私は目を疑った。生きている。あなたが生きている。確かに殺したはずの…… いや、やめよう。現実は確かにここにある。なればただひとつ。再度殺す。
文言に瑕疵はなく、表現に瑕疵はない。
俺は受け入れ納得し腑に落とした。上司から命ぜられる理不尽な要求よりもはるかに理解できたからだ。
事件現場は凄惨なものだった。地面に転がった肉片よりも壁に張り付いた肉片の方が多い光景は初めて見た。鑑識は言う。現段階では凶器の特定は難しい、と。だが俺にはわかる。
プロファイリング?
彼女は笑った。時代遅れよ、と笑った。あんたはいつもそう。自我を押し通し、同僚に疎まれる。明晰な頭脳も宝の持ち腐れね。そう言って大げさなジェスチャーをした彼女は、席を立ちこう吐き捨てた。あんたと居ると陰口叩かれるのよ。さよなら。
俺は自宅に帰り、すぐさま暴行を開始した。ひたすら殴られ続ける少女は声もなく耐えている。俺は拳が痛くなったため足を使って暴行を継続した。それでもなお耐えている少女の様子を見て、つまらないな、と思い暴行をやめた。
翌日、俺は定時通り会社に到着した。時間厳守は社会人にとって最も重要な点だ。俺は今日も仕事をそつなくこなしていた、が。
例の女上司の蔑んだ言動に耐え切れず俺は激怒した。当然ながら周囲の人間から俺は狂人として認識され白い部屋に隔離された。
私は職場で彼に出会った。ひどく憔悴した佇まいは母性をくすぐった。
私は訊ねる。何があったか、ではない。何を感じているか、と訊ねる。
意外にも彼は懇切丁寧に応えてくれた。内心を吐露してくれた。私は同情しない。被験者に同情しない。だが、今回ばかりは心が揺れ動いた。彼の真摯な態度に。
とめどなく言葉があふれる。
目の前の女に対し言葉が延々と吐き出される。彼女は彼女とは違った。同じ職業を名乗っていても、中身は全くの別物だ。俺はわだかまりを捨て去り精神の洗浄に成功した。
だが。
俺は正真正銘の犯罪者。そして精神異常者。
今後まともな人生を送ることは不可能だろう。
大丈夫ですよ。
私は彼女に言った。自分を男と思い込んでいる彼女に言った。まだやり直せることを論理的に説いた。彼女はしばし呆然としていたが、事実を理解した暁には瞳が輝いていた。
私の前任者がいかにひどい人間だったのかが窺い知れる。
人間は己より弱い立場の人間に対し、多かれ少なかれ冷酷になるものだ。しかし、果ての果てに行くまでに必ず理性というストッパーがかかる。
もしそれを忘れた、理性を忘れた存在は人間ではなく化け物に他ならない。
私は化け物に殺された人間を救えたことを誇りに思う。
<了>
果ての果て 電咲響子 @kyokodenzaki
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