第48話 帰ってきたピーノ(仕込み編)

 ピーノがみすぼらしいバンブーハウスの台所で一人忙しくチキンと魚をさばいている。近くの路上に出しているラーメン屋台で出すラーメンの仕込みをしているのだ。

 豚の背脂を茹ででながら,チキンと白身魚をさばき終わった。

     *****

 50歳を過ぎたピーノは再びフィリピンのとある島に舞い戻ってきた。アニータに捨てられ,「I shall return.」と誓った若き日から既に30年の歳月が経った。もはや追っかけではない。

 ピーノはアニータに捨てられてからもフィリピーナへの執着が断ち切れず,日本ではピンパブの常連と成り果てていたが,50歳を過ぎてからというもの,本場への憧れが捨てきれず,日本国政府から委嘱されたピンパブ依存症老人対策有識者会議のメンバーの地位もピンパブGメンの職も投げ打って,フィリピンに舞い戻った。

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 ピーノには長年温めてきたビジネスプランがあった。それは,フィリピーナが行列をつくるラーメン屋を開業することだ。そのためのレシピも10年がかりで完成させた。

 まずはスープだが,日本の味噌汁に匹敵するフィリピンのスープといえば,「シニガン」(タガログ語: Sinigang)と呼ばれるスープで,フィリピーナは誰でも大好きだ。タマリンド(タガログ語: sampalok)という樹木の果実をペースト状にしたものを溶かした酸味のあるスープだ。

 シニガンは現代ではフィリピン全域で見られる料理だが,元々はタガログ人(マニラ周辺の原住民)の間で食べられていた料理であり,一般的に魚醤を加えて作る。ビサヤ諸島やミンダナオ島で見られるシニガンはショウガを加えることが多い。

 タマリンドはアフリカの熱帯が原産で,インド,東南アジアなどの亜熱帯及び熱帯各地で栽培されている。タマリンド風の酸味を出す材料として,グアバ,カラマンシー,スターフルーツ,グリーンマンゴーなどを代用として用いることがあり,これらの組み合わせにより様々なバリエーションが生み出される。

 タマリンドペーストは,タマリンドの果実の実に砂糖と塩を合わせ発酵させたものと,果実の実を水でふやかし濾したものがある。前者は簡単ではあるが,本格派の味を目指すピーノは,手間暇はかかるが奥深い味わいとなる後者を選んだ。

 シニガンスープに豚の背脂をちゃっちゃちゃっと振りかける。ちょうど,日本のラーメンチェーン店の「来来亭」(あっさり醤油スープに背脂ちゃちゃちゃ)のように,あっさり酸味のスープにギトギトの背脂を振りかけるというものだ。フィリピーナがシニガンを好むなら,それを与え,脂質も好むなら,それも与えようといういいとこ取りの発想だった。

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 次に麺だが,入手しやすさを考えて,太麺として1.8ミリのパスタとした。日本のピンパブで働くピーナに対する聞き取り捜査によると,日本とは違い,フィリピーナは,麺にコシを求めることはなく,伸びたふにゃふにゃの麺を好む。ゆであがったパスタは,茹でてふにゃふにゃになった背脂の中に浸けておけば乾燥することはない。

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 最後はトッピングだが,フィリピーナが大好きなフライドチキンは外せない。ただし,純粋なフライドチキンは採用せず,日本の唐揚げのように,チキンをシニガンペーストに漬け込んだ後,小麦粉でコーティングすることにした。

 そのほかは,ミートボールとフィッシュボールにヒントを得て,ハンバーグとさつま揚げとした。

 白身魚のすり身を団子状にしたものがフィッシュボールで,アジアの屋台では定番の味だ。フィリピンでは,3個を串刺しにして10ペソで売っているが,それは小麦粉で増量した粗悪品だ。ラーメンのトッピングとするためには,ミートボールよりもさつま揚げの方が適していると考えた。

 ピーノは,このさつま揚げにこだわった。添加物が一切入らない魚の味を,ピーノが10年かけて開発した五香粉ごこうふんの香りで味わう代物だ。五香粉とは,5つ以上の香辛料からなる混合香辛料で,日本の七味のようなものだ。ピーノは,その中に,どこのスーパーでも売っているクノールのシニガンスープの素(粉末)を入れた。フィリピーナには子供のときからの定番の味だからだ。しかも,単に素揚げするのではなく,天ぷらのように衣で揚げることによって,天つゆのように,衣にシニガンスープの味が染みこむという作戦だ。田舎では,3個で5ペソであるのと比べると倍の値段であるため,縦横を3センチ×5センチと大きくするとともに,「天ぷらフィッシュバーグ」(Tempura fish burg)と名付けて値打ちを付けることにした。

 ハンバーグ(Tempura burg)は,チキンと豚肉の合い挽き肉とし,さつま揚げと同じ味付けにした。ピーノは,このフィッシュバーグとハンバーグだけでも,東南アジアのKFCとなることができると自負している。

 ベニヤ板に紙を貼り値段表を手書きした。値段は,二郎ラーメン方式をパクった。

(メニュー)  

麺(noodle)

     小(Small):150グラム:50ペソ

     並(Midium):200グラム:60ペソ

     大(Large):250グラム:70ペソ

     特大(Extra Large):300グラム::80ペソ

  フライドチキン(Japanese Fried chicken):1個10ペソ(10Pesos/Per)

  さつま揚げ(Tempura Fish burg):1個10ペソ(10Pesos/Per)

  ハンバーグ(Tempura Meat burg):1個10ペソ (10Pesos/Per)

  無料(Free of Charge)

     ライス(Rice):食べ放題(Unlimited)

     背脂( Back Fat ):増し(Double)

              増し増し(Square)

     ショウガ(Ginger):あり(Necessarily),なし(Unnesessarily)

               増し(Double)

               増し増し(Square)

  食べ残し(leftover)/罰金(Fine):50ペソ

     *****

 日本の飲食店では,原価率は30%が理想というが,フィリピンの屋台では70%を超える。屋台は賃料がゼロで,店主はオーナーシェフであるため,そのような原価率でも生活するだけであれば仕方ないという考えだからだ。

 しかしピーノは違う。ピーノは,戦後,日本の屋台から始まったラーメン屋,例えば一風堂が,今では世界中で大人気となっているように,このシニガンラーメンをフィリピーナのみならず,東南アジアの各国で展開する野望がある。まずは地方の屋台から始め,これをトロトロ(日本の大衆食堂)とし,次にその地方で他店舗展開した後,全国展開を目指すというプランだ。

 そのため原価率は30%を目指している。スープは,果物屋で売れ残ったタマリンドの果実,グアバ,カラマンシー,スターフルーツ,グリーンマンゴーを仕入れ,秘伝の配合で混ぜ合わせる。

 1.8ミリのパスタ麺も,食品卸問屋で大量買いし,フィッシュボールのコストを下げるため,魚屋から売れ残った魚をまとめて安く引き取るようにした。フィッシュボールにえしておけば冷凍保存もできる。

  唐揚げ用のチキンも,肉屋から売れ残りをまとめて仕入れ,冷凍保存している。フライドチキンはもともと,黒人社会で生まれた「料理」で,白人には食べられないような鮮度の落ちた鶏肉を高温の油で揚げることにより食用として再生したものだからだ。別に腐ってはいない。

  背脂はもともと安い。

 しかし,客単価が80ペソ(プラス10ペソないし20ペソ)程度では,トロトロでの一食分の客単価とさして変わらない。ピーノが目指すのはセルフの丸亀製麺方式,ココイチ(CoCo壱番屋)方式,ラーメン二郎方式,家系ラーメン方式の合体型だ。まず,麺の量と背脂の量を決めてもらう。背脂は,無料で「増し」(2倍)と「増し増し」(4倍)とすることができる。もちろん,「無し」にもすることができる。家系ラーメンをパクり,フィリピーナが大好きなライスは無料で何杯でもおかわりできる。

  トッピングはフィッシュボールと唐揚げから始めることとした。ゆくゆくは各種天ぷらも追加したい。フィリピンは常夏の国だから,季節のメニューは要らないが,冷麺は提供する予定だ。

     *****

 貧しいフィリピーナは,ライス食べ放題に惹かれて,ピーノの屋台にやってくる。しかし,フィリピーナの大好きなトッピングを揃えておけば,宵越しの金を持たないフィリピーナは,次々とトッピングに手をかける。気がついてみれば,100ペソを超えるというのがココイチ(CoCo壱番屋)方式の真骨頂だ。

 さあ,そろそろ開店時間だ。

 屋台に吊すため,日本で特注した暖簾を持ってピーノは出かけた。暖簾には,「Manila-Men」(マニラーメン)とある。日本式ラーメンではなく,フィリピーナの,フィリピーナによる,フィリピーナのためのラーメンだ。

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フィリピーナを愛したオヤジたち ParuParo @hujiben

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