第40話
「いらっしゃいませ。お一人……、ですか」
「何だよお、マスター。僕一人じゃ不服なのかい?」アキオは自分の顔を見て一瞬言葉を詰まらせたマスターに向かって口を尖らせた。
「あ、いえ。そんなつもりじゃなかったんです……。ただ……」
「エイジ君のこと?」アキオがよっこらせとカウンター席に腰を下ろした。マスターは静かに頷く。
「ええ……。今日でかれこれ二週間ですからね、やはり心配ですよ。意識も戻っていないんでしょう?」
「そうみたいだね。所長が言うには半分漂流者みたいな感じなんだって。エイジ君の意識が肉体から完全に分離されたわけじゃないから普通の漂流者みたいに時間が経っても大丈夫みたい。マスター、アメリカンちょうだい」アキオはカウンターに片肘をつくと人差し指をピッと立てた。
「それで今も本部で記憶整理治療を受けてるわけですよね。エイジ君の体の方は相変わらず……」マスターがコーヒーカップを取り出しながらアキオの方をちらりと見た。
「そう。今もキリュウジ支所に預けてあるよ」アキオが苦笑いしながら肩をすくめた。
「……本当に信用できるんですか? なんたってキリュウジ支所は」
「大丈夫さ。何たって本部から直々の命令だからね。丁重に扱うようにって。ああいう手合いは権力ってやつにめっぽう弱いから。ガラス細工扱うみたいに大事に休ませてあるよ」アキオがいたずらっ子みたいにヒヒヒッと笑った。
「目を覚ましたら驚くでしょうね。まさか自分がキリュウジ支所にいるなんて」マスターがほんの少しだけ口角をあげる。
「でも信じられないよなあ、さんざん違反行為をしたっていうのに全くお咎めなしなんて。一体本部で何があったんだろう?」アキオは顎に手をつけながら首を傾げた。
今回の一連の行動について、アキオは当然クビになることも覚悟していた。しかし、本部からの通達はクビになるどころかダイバーである不二沢エイジが職場に復帰でき次第、レンダイ支所の稼働再開というものだった。
「エイジ君が戻ってきたらじっくり聞かせてもらいましょう。……それにしてもそんなに深刻だったんですか? 同調現象は」
「相当ひどかったらしいよ! もう少しで完全に意識融合するレベルだったって。そうなりゃダイバーを続けるのはもちろん、日常生活をまともに過ごすことすら難しいよ。エイジ君も対象者も。それなのにさ……」
「対象者の方は同調現象がほとんどみられなかったんですよね?」
「うん……。エイジ君が対象者の分まで同調の負担を抱え込んだんだろうね」そう言うとアキオは天井を仰いだ。
「まったく、とんでもないダイバーを見つけてきましたね。ついこの間ダイバーになったと思えば本部に乗り込んだりバグの正体を突きとめたり、しまいには誰もなし得なかった対象者をバグから助け出したんですから」マスターがゆっくりとコーヒーをカップに注いだ。
「自分でもびっくりだよ。……僕らの仇もとってくれたしさ」アキオが自分の左腕をそっと撫でた。
「早くエイジ君には戻ってきてもらわないと。やってもらうことが山ほどあるからね」
「まったく人使いが荒いですね。アキオさんは」
マスターが湯気が立ち上るコーヒーカップをアキオの目の前に静かに差し出す。アキオはゴシゴシと目をこするとカップに口をつけた。
「この豆、エイジ君が戻ってきたら出そうって思ってるんです。今回の任務成功のお祝いとして」マスターはコーヒー豆が詰まった小さな麻袋を取り出してアキオの目の前に置いた。
「あっ! これってあの高いやつじゃん! なんてったっけ? ほら……」
「パナマ・ゲイシャ。この店で出せる最上級のものですよ」そう言いながらマスターは麻袋をアキオに触られないようにサッと引っ込めた。
「そんな贅沢なもの、エイジ君にわかるかねえ?」
「大丈夫、エイジ君ならきっと喜んでくれますよ。……おや、少し涼しくなりましたか」窓の外を見ると、ついこの間まで入道雲が浮かんでいた空はいわし雲がいっぱいに広がっていた。
ダイバーよ深く眠れ 石丸砲丸 @ishimaru_c
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