第39話

「今日は珍しい日だ。客がよく来る。それよりもまずはおめでとうエイジ君。本当にバグを撃退するとは思わなかったよ」

 風絽木の声が聞こえた。硬く閉じた瞼を恐る恐る開けてみるとそこはDSA日本本部の広い会議室だった。本部連中の三人が座ったままじっと見つめていた。エイジの隣には夏野がふてぶてしそうに立っている。

「何、ここどこ……? さっきまで私……」エイジの視線が辺りを彷徨う。

「正攻法ではないとはいえ、やるじゃないか。さすがに驚いたぞ」刈田がニヤリと口角を上げた。

「でもさあ、どういうつもりよ? 夏野、あんたがここに来るなんて。随分とそのガキに肩入れするじゃない?」襟平がワインレッドのガラス玉がぶらさがったイヤリングを指先で弄びながら夏野に視線を向ける。

「別に小僧の為にやったんじゃねえ。お嬢ちゃんの、対象者の頼みだからやったまでだ」夏野はフンと鼻を鳴らしぶっきらぼうに応えた。

「あらそうですか。まあ、そんなことどっちでもいいけどねえ」

「何にせよ助かったよ。エイジ君の意識集合体をロストしてしまっていたからな。これで探す手間が省けた。エイジ君、約束は守ってもらうよ」

 風絽木は相変わらずの穏やかな口調だったが、エイジを見るその眼差しはゾッとするほど冷たかった。

「何? 約束?」エイジの表情が不安で凍りつき、唇がこわばる。

「同調が起きているとはいえ忘れたとは言わせんよ。君はこれから本部で働いてもらう。この精神世界で、永遠にね。その前に同調化が随分とひどいようだから記憶整理治療を施す必要があるな」

「おいおい! ふざけたこと言ってんじゃねえ! そんなことさせる為にここに連れて行きたんじゃねえぞ!」夏野が目尻を吊り上げる。

「ふん、貴様らがどういうつもりで来たかなんぞ知ったことか。最初からそういう取引でベッドルームを貸したんだ!」刈田が青筋を浮かばせながら拳で机をドンと叩いた。

「そうそう。それなのに用が済んだらさようなら、なんて甘い話あるわけないでしょ。っていうかさあ、ここに来るならベッドルームから戻って来てよね! 歪みが起きちゃうでしょ、全く!」

「てめえら正気か? 対象者をバグから救ったダイバーをこんな牢獄みたいな所に閉じ込めるなんてまともじゃねえぞ!」夏野も負けじと口角泡を飛ばしながら本部の三人に向かって怒鳴る。

「牢獄とは心外だな。しかしだ、そんな優秀なダイバーだからこそ本部に置いておきたいと思わんかね?」

「付き合ってらんねえ……! おい、お嬢ちゃんよ。俺に掴まれ。一旦ここから離れるぞ」

「逃げる気ぃ? 残念だけど無理だから。あんたがいくら元トップダイバーでもね。あんたさあ、今自分がどこにいると思ってんの? ここはDSA本部なの。私ら三人が創り上げた精神世界なの。ここで私らに逆らえる人間なんていないの!」

「お願いだから、お願いだからエイジ君を元の世界に戻して」今まで黙って聞いていたエイジの口が開き、ポツリと一言こぼす。

「はあ? 何あんた? 理解するってことができないわけ? だからさあ……」

 エイジは腰元のホルスターからスリープガンを抜き取ると、まっすぐ腕を伸ばし銃口を襟平の方にピタリと合わせた。流石の三人もこれには顔色を変えた。

「貴様! 自分が一体何をしているのか分かっているのか? そんなもの出すなんて……」刈田は必死に取り繕うとしているが、明らかに及び腰になっていた。どうやら漂流者でもスリープガンを喰らえばタダでは済まないらしい。

「ふむ……。ベッドルームから戻ってないから装備も全てそのままか。これは油断したな」

「動かないで。エイジ君をここから出して。そうじゃないと本気で撃ちますよ」  

 スリープガンを構えて襟平に照準を合わせるすの姿はいつものエイジよりもずっと様になっていた。

「はあ? 何調子に乗ってんの? 撃ってみろよ、ガキ。知ってるぞ、あんたの腕前じゃ当てるどころかかすらせることも……」そう言いかけた時、乾いた発砲音とほぼ同時に襟平の左耳にぶら下がっていたガラス玉のイヤリングが粉々に弾け飛んだ。

「てめえ……!」襟平は顔中のシワを隆起させエイジを睨みつける。鬼のような形相だがエイジの表情はピクリとも動かない。

「言ったでしょ、本気で撃つって。次は眉間を撃ち抜きます」

「おいおい、意外と無茶やるじゃねえか」夏野が引きつった表情でエイジの方を見た。

「いいんです。ちょっとぐらい周りに迷惑かけてもいいってエイジ君も言ってくれたし」

「調子に乗りやがって……! 撃ちたきゃ撃てよ! 風絽木さん、私は構わないからこのガキ潰して! ズタズタに引き裂いて!」襟平の全身の毛がザワザワと逆立つ。両手の爪が机の天板をギリギリと齧る。その姿はまるで今にも飛びかかってきそうな猛獣のようだった。

「いや、やめておこう。彼、いや彼女の目を見ればよく分かる。本気だということがね。こちらが手を出した瞬間に間違いなく襟平君を撃つだろう。襟平君、落ち着きたまえ。エイジ……いや、コズエちゃんも銃を降ろしてくれないか? これでは先に進めない」風絽木が両手をエイジと襟平の方に向けて諌める。

「いいかい、コズエちゃん。ルールというものは納得するものではないんだよ。何があっても守られなければならないものだ。何があっても。例え銃口を突きつけられようが、喉元に剣先を突きつけられようがね」

「意味わかんない……! そのルールは人の、エイジ君の命よりも大事ってことなんですか!」エイジの目が風絽木を鋭く睨む。

「ルールとは本来そういうものだ。誰の命よりも重く、厳かで尊い。ルールを創りそれに従うことで初めて秩序と安寧を享受することができる。もしも秩序がなかったらどうなる? そんなもの獣となんら変わりない。我々は獣ではなく人間だ。だがエイジ君は今までにDSAのルールをいくつも破った。今度ばかりはケジメを……」

「俺が残る」

「何?」風絽木がピクリと眉を動かし夏野に視線を移した。

「お嬢ちゃんにバカみたいな話してんじゃねえ! だからよ、小僧の代わりに俺が残ってやるって言ってんだ」

「おじさん、そんなこと……」夏野はエイジの方に素早く手を向け、それ以上言わせなかった。

「他に方法はねえだろ。この馬鹿どもは融通が利かねえから。それに俺もよ、このまま逃げ続けるのもいい加減飽きてきたしな」夏野はエイジの方を見ながらシニカルに笑った。

「だからエイジ君を肉体世界に返せと?」

「そうだ。言っとくがこれは小僧のためじゃねえ。お嬢ちゃんのためだ。それにこいつにはまだこの精神世界で暮らしていくには早いからな。まだまだ向こうでバリバリ働いてもらわねえと」

「気にくわないなあ。何で私らが漂流者の指図を受けなきゃいけないわけ?」襟平は背もたれに寄りかかると冷たい視線を夏野に送った。

「罪滅ぼしのつもりか? 過去の対象者に対しての」

 風絽木の問いかけに黙り込む夏野。ややあってから静かに口を開いた。

「ああ、そうだ。あれは俺が殺しちまったんだ。今更いくら悔いようがどうしようもねえよ。だからよ、対象者の頼みを聞かないわけにはいかねえんだわ。それにせっかく小僧がお嬢ちゃんを助けたのに、このままじゃまた強いストレスでバグになっちまうかもしれねえんだぞ? そうなりゃ次こそアウトだろ。そうなりゃ一体誰が助けるんだ?」

「しかしだな、それでは結局ルールを破ることになる」刈田が顔をしかめながら顎をさする。

「刈田君の言う通りだ。夏野君、君も人間ならルールを……」

「随分と【人間】にこだわるんだな」

「……何?」夏野の一言に風絽木の眉がピクリと動いた。

「俺もあんたらも漂流者だ。お互いまともな【人間】とは思えねえけどな」夏野は眉間にしわを寄せて本部の三人をゆっくり眺めた。

「君もわかってないな。肉体の有無は重要なことでは……」

「本当にそうか? 胸を張ってそう言えんのか?」

「夏野君、君はひょっとして我々が肉体を放棄したことを後悔しているとでも言いたいのかね?」風絽木がやれやれといった具合に首を左右に振った。

「後悔ってのは少し違うな。あんたらはどこか心の中で後ろめたさを感じてるんじゃねえのか? なんでもできるこの世界だと嫌でも感じちまうもんなあ。自分が人間離れしちまったってことに」

「くだらん邪推だ」風絽木は顔色を変えることなく短く言い放った。

「俺だってそんなこと別にどうだっていいんだよ。こいつを肉体世界に戻してくれりゃあな」夏野がエイジの背中をバンと叩いた。

「君は私にもルールを破れと言うのかね?」

「うるっせえなあ。あのな、ルールを守れないのが獣と一緒ってんなら、ルールを破れないのは機械と一緒だと思わねえか? 両方できるから人間なんじゃねえのか? 風絽木さんよ、あんたはどっちなんだ?」夏野が風絽木をまっすぐ見据えて言った。

「ふふ、なるほどな。私が機械か。なかなか面白いことを言うじゃないか。……ならばこれから君はエイジ君の代わりに本部で働くというんだな? 永遠に」風絽木の目が鋭く光る。

「おうおう、やってやらあ。まったく、てめえらみたいな頭がおかしい奴らに本部を任せておけねえよ」夏野はポケットに手を突っ込むとまたぶっきらぼうに返事をした。

「おじさん……、いや夏野さん、俺……」

「じゃあな、小僧。しっかりやれよ。今度は向こうでお嬢ちゃんを守ってやれよ」

 夏野は不安そうな表情のエイジの肩にポンと手を置くと明るい笑みを見せた。

 風絽木が指をパチンと鳴らした。その音はとても大きく、目の前で巨大な風船が破裂したかのような衝撃だった。それと同時に強烈な閃光が辺りを包み込む。その光に指が、腕や足、胴も頭も意識までもが溶けて混ざり合っていく。その眩むほどの光は徐々に小さくなり、やがて辺りは一欠片の明かりもない闇だけが残った。

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