3 百鬼夜行の後始末 一




 住宅街の外れにある一見寂れた雰囲気を醸しているそのアパートが、異象いしょう対策特務機関地方支部の〝執行官〟用宿舎である。


 その三階廊下、左端の部屋の前に百済くだらは立っていた。


 これが短期任務なら今もホテルなど宿を利用していたのだろうが、半年以上もの長期に渡ると予算の問題がそれを許さない。通常の編成なら多くて二部屋で済むものの、百済たちに限っていえば男女に加えてオカマがいる。個室を三部屋も借り続けるよりは支部の宿舎を利用した方がまだ経済的だという判断だ。


「…………」


 備え付けのドアチャイムをさっきから押しているのだが、部屋の主からの応答がない。壊れているのかと思いドアをノックしてみるも、やはり無反応。待ちぼうけてかれこれ十数分、いい加減に痺れを切らした百済はドアノブに手を伸ばす。


「……入りますよ」


 一応一言告げてから、不用心にもカギの開いているドアを開く。


 不在ということはないだろう。物音はしていた。百済の部屋はこの隣にあるため、薄い壁越しに隣の生活音が微かに聞こえてきていたのだ。


 玄関に靴はある。ならなぜ出てこないのだろうと訝しみながら、百済は部屋の奥へと歩を進めた。


 奥にはベッドがあり、その前には部屋の主――夜代やしろ結起ゆきの後ろ姿がある。昨日まではポニーテールにしていた黒髪が、今は肩口までの長さになっている。そちらにも目が行くが、気になるのは彼女の格好だ。髪がわずかに湿り気を帯び、室内にもかかわらず機関の制服……スーツとコートを足して二で割ったような黒服を着ている理由はまだ分かるが、なぜベッドの上にノートパソコンを置いて、床に正座して座っているのだろう。


「……では、失礼します」


 パソコンの画面は百済からは見えないが、どうやらリモートで誰かと通話しているようだ。


(……『分家』への定期報告か。……道理で、反応がなかった訳だ)


 結起が頭を下げる。垣間見えた画面に通話相手は映っていないが、それでも礼儀を欠かさないあたり彼女らしいと言える。それだけ相手の立場が上なのだ。


「昨日の件を装真そうま様に報告していたところだ。昨日は、大きく状況が動いたからな」


 結起が顔を上げ、ヘッドセットを外してこちらを振り返る。その表情を見るに、シャワーこそ浴びたようだが昨日から一睡もしていないのだろう。さっきまで仮眠をとっていた百済は多少の気まずさを覚えながら、「一応、ノックはしたんですが」と言い訳のようにつぶやく。


「あぁ、それはいい。ここの呼び鈴は壊れているらしいから。……それで、どうした。何かあったのか」


「……いえ、昨日の報告と、今日の方針についてのミーティングを、と」


 部屋にはコーヒーの匂いが立ち込めている。食事すらロクにとっていないのかもしれない。そんな相手に指示を仰ぐのは躊躇われるが――


「昨日の準機関員どもですが、あれからさらに数名を捕縛。現在リカルドが尋問中です」


 昨日――学校を後にし、行方知れずとなっていた穏原おだわら景史けいしの聴取のため、その自宅へと向かったその帰り。


(ずっと捜していた『あの人』と出くわした――)


 唐突な遭遇だった。何かしらの騒ぎを聞きつけてそちらへ向かえば――まさか曲がり角から突然、現れるなんて。誰が予想できただろう。百済のみならず、他の二人も呆気にとられてしばし思考が停止した。


 一瞬だった。


(……今思い返しても、あれほど人生最大の失敗はない)


 彼は姿を消した。見えなくなっただけだとは分かった。すぐに追いかけることも出来ただろう。しかし邪魔が入った。捜していたもう一方、準機関員どもと――


戒無かいなかなえ……。まさしく二兎追うものは、だ)


 住宅街での乱戦に発展し、本来の目的と、機関員としての義務とのあいだに挟まれた。


「連中の使っていた『いわくつき』――あれの出どころは不明のまま。なかなか口を割らないようですが……やはりあれが、活獄かつごくから持ち出された試作装備なんすかね」


「……いわくつき。現世とのつながりを断ち、祓う――延肢刀えんしとうに対して、あれは呪いを以て異象を塗り潰す、呪装じゅそう。火災を鎮めるためにその地域ごと吹き飛ばす爆弾のようなものだ」


 結起は短くなった自身の髪に触れながら、視線を伏せる。


「……そんなものを……」


 作っていた、それを使わせた――と、信じたくないのだろう。


(この人がいなかったら、オレもカマ野郎も無傷では済まなかった。あの住宅街も汚染されていたかもしれない。……確かに、オレたちを足止めするには効果的だった訳だが)


 周囲の認識に干渉する〝結界〟を張り、戦闘とその影響が周辺住民に及ばないようにした上で、準機関員への対処に当たったが――数名を捕えるも、肝心の主犯格や戒無叶は逃してしまった。

 その後、逃げた準機関員の追跡のために百済たちは別れ――報告すべきは、それからのことだ。


(学校での鬼の出現も、いわくつきの影響を疑ったが――)


 調査中に現れた、二人の男女。またも予想外の展開に自分の正気を疑った。いわくつきの汚染で精神に異常でもきたしているのではないか、と。


(……あれは本当に、本物だったのか?)


 ちょうどその日、囮を使って敵をあぶり出す計画を考えていたのもあって、それが本当に『あの人』なのか、しばし様子を窺った。


(結局正体は掴めなかった。……偽者ならそれはそれで良かった。『あの人』が死んだっていう事実さえ持ち帰れば――しかし、偽者が〝改革派〟の仕業なら、意味がない)


 あれは本人だったのか、偽者か。判断は保留――というより、冷静に考える余裕がなかったのだろうと今では思う。だから帰って仮眠をとり今に至るのだが、落ち着いてある程度の整理がついた今でも一つ、疑問が拭えない。


(あの異様な気配はなんだったんだ……? 気配というよりも――)


 ひどく、心をかき乱される感覚。

 心の奥底から不安を引きずり出され、その感情を強くあおられるような――


(……あの女には、何かある。クソが……ただえさえ問題は山積みだってのに、その上こんな――)


 しかし、放ってはおけない。昨夜も思ったが、何もなければあの少女のそばに『あの人』がいる訳がないのだ。それが本人であれ、偽者であれ……。

 そして、事実として、彼女は一年前も、そして昨日の異象事件にも関与している。一年前に霊障れいしょうを受けたとすれば、また同様の異象に見舞われるリスクがあるのは確かだ。そのため機関では異象被害者をデータベース化している。そこからある程度の個人情報を調べることが出来るのだが、


(……オレ個人で調べるには限界がある。もし、機関内でも公に出来ない「何か」に繋がっていたら? 調べるなら、〝上〟と通じるこの人の方が効率的だ。問題は、どう誘導するかだが……)


 百済としては、昨夜の遭遇を結起に知られたくはない。遭遇した時点で連絡しなかったこと、百済個人の行動について言及されても困る。

 それに、なるべくなら情報は共有すべきだが、明らかに疲弊している彼女によけいな懸念を与えるべきではないだろう。


「報告しそびれたことが、一点。昨日の、異象被害者の女……」


 今にも脇に置いた刀を手に外出しようとする彼女に待ったをかけるように、百済は告げる。


「……確か、汐見しおみ凪紗なぎさ


「ええ。そいつですが、どうやら一年前の『事件』にも関与しているようです。偶然とも考えられるし、『あの人』なら単に見過ごせなかっただけという線も否めないっすが――ずっと潜伏していた『あの人』が、わざわざ出張ってきたこと」


「…………」


 視線を伏せ、頷く。あれから一夜明けて、彼女も同じ考えに至っていたようだ。


「支部から連絡を受けたオレたちより早く現場に駆け付け、対応したこと――鬼はもちろん、結界の構築や周辺にいた学生への〝対策〟」


 直接の被害者だった汐見凪紗はその姿を見ていたが、他に彼を目撃した者は一人もいなかった。避難しそびれ、現場となった中庭を見下ろせる場所にいた一般生徒から得た証言でも、その場にいたのは『汐見と女性教師』の二人だけ。

 それはつまり――


(あの女だけに姿を見せる理由がない。〝隠形〟で姿を隠すなら、あの女の目にも捉えられないはず――つまり、誰かがあの場をことになる)


 でなければ、、だ。しかし、何人いるかもしれない目撃者全員に対応するより、現場を覆う方が効率的だろう。それが周囲への被害を防ぐことにも繋がる。


 なんにしても――対応が、早すぎる。


「一年も潜伏していたんだ、協力者がいる線はもちろんですが、それ以上に――オレは、『あの人』がこうなることを予期して準備していたのではないか、と」


「……つまり?」


「あの女には、何かある。……それを、調べてもらえませんかね。一職員じゃ手が届かない――秘匿事項、『日逃ひのがれ案件』を」



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いつか、この夜が明けるまで 人生 @hitoiki

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