第39話 勇者は魔界へ旅立った
シーラとミスト、この二人は何か良からぬ事を企んでいる。証拠はなくとも確信に至った以上は、打てる手を打っておく。たとえ不発に終わったところで実害はないのなら、やらない手はない。
「魔法騎士でもある女王ならば、高位魔族語の読み書きぐらいは出来るだろう。もう一枚、羊皮紙を持ってこい。二枚の文面を吟味して、おまえが"よい"と思った方にサインすればいいだろう。」
急遽用意されたもう一枚の羊皮紙には、他国への牽制だけではなく、セントリスの保身にも繋がる内容を書き足してやる。"我こそが王国そのもの"と自負する女王なら、きっと……
「セントリス、魔族は契約主を騙そうとするんだ。注意した方がいい。」
届けられた二通の契約書に目を通すセントリスに、商人上がりのフーが警告する。やり手の商人だっただけに、契約には五月蝿いようだな。
「いくら言葉を巧みに使おうとも、私を出し抜く事など出来ん。心配無用だ。」
そう、俺もおまえがそこまで馬鹿だとは思っていない。しかしなんの問題もないのさ。俺が欺きたいのは、
「シーラ、ミスト、もう一通の内容が心配か?」
新しい契約書は、この二人から見えないように書き記した。さぞかし俺の背後に回って盗み見したかっただろうが、おまえ達はそこまで増長する事が許される立場ではない。セントリスには上手く取り入ったようだが、それはあくまで"アストリアの腰巾着"としての立場だ。公衆の面前で伝書鳩以上の事は出来まい。
「……まさかでしょう。」 「……貴様が人界に戻れない事に変化はないはず。」
誰の手先であれ、シーラとミストはランディカム王国を"利用しようとしているだけ"だろう。疑わしいのはバエルゼブルだ。これから復活しようとする魔王にとって、俺の存在は目障りどころではない。まあ、おまえ達の主が誰だろうと構わん。せいぜいセントリスを"大事に"してやる事だな。
「……ふむ。こちらの契約書を是としよう。」
セントリスは選んだ契約書に署名し、もう一通は手中に灯した炎で灰に変えた。
「契約は成立したな。ではアイシャ・ロックハートと彼女の仲間を連れてきてもらおうか。」
どっちの契約書を選んだのかを知る
「いいだろう。今生の別れだ。名残りを惜しむがいい。」
被告席を降りて異界の門の前に立った俺は、生徒達の到着を待つ。騎士達に引き立てられてきたアイシャ達も、俺と同じように魔法錠で身を拘束されていた。……やはりルシアンは来ないか。仕方がない事だな。
役者と観衆は揃った。茶番劇の最後を飾る三文芝居を始めよう。この場面を盛り上げる為に角を引っ込めて出廷したんだ。巻き角を生やしながらふてぶてしい面構えを作り、喜劇役者は口上を述べる。
「俺はギルドだけではなく、おまえ達も欺いていた。うまく躍ってくれたものだよ。」
さぁレイ、以前に指示しておいた通り、俺を罵倒し、騙されたとなじり倒せ。そうすれば、おまえ達の立場がいくらかはマシになる。
……しかし、今まで俺の指示に異を唱えた事がない若き賢者は、苦悶の表情で首を振った。
「……先生、私には出来ません。」
バカ、やるんだ!頼むから言いつけ通りにしてくれ!賢いおまえなら、それが最善の道だとわかっているだろう!
「先生は私達のメンターです!どこにも行かないで!」 「こんな裁判、間違ってるのニャ!」 「………」
涙を浮かべながら叫ぶアイシャとルル、演説台の母王に懇願の眼差しを向けるチルカ。
「待て!それ以上近付く事は許さん!」
足枷を嵌められた足で駆け寄ろうとするアイシャを、背後の魔法騎士が剣の平で殴打する。手枷を引き千切った俺は、魔弾で騎士を吹っ飛ばしてやった。
「貴様!どうやって魔法錠を!」 「いつ無効化していた!」 「衛兵、市民達を下がらせろ!」
戦闘態勢に入った騎士達に構わず、神殺しの魔剣を召喚して足枷も砕く。
「無効化なんぞしちゃいない。こんなオモチャで俺を拘束など出来るものか。」
こんなチャチな拘束具など、壊すつもりならいつでも出来ていた。おまえ達も王達も、魔王の力を甘く見過ぎだ。
「かかれ!王国騎士の強さを見せて…」
突撃してくる騎士団、俺は魔剣を地に向けて振るう。眼前に穿たれた巨大な亀裂を目にした騎士達の足が止まり、冷や汗を浮かべながら息を呑む。さっきまでの威勢はどこへいったんだ?
「有象無象はすっこんでろ!契約書には"ランディカムの騎士を殺傷してはならない"とは記されていないんだ!」
演台から
「面白くなってきたな。追放などと甘い事を言わず、此奴はこの場で殺しておくべきなのだ。」
五人の王の中でもっとも好戦的な竜公レーゼが、始祖竜の骨から造られたという竜骨剣を鞘から引き抜いた。
「追放が決まったんだから、放っておこうよ。魔族は契約だけは守る生き物なんだからさ。」
フーも魔法の短剣を抜いてはいるが、他の王より後ろに陣取って、動こうとはしない。自分が最弱の王だと、自覚はしているらしい。
「セントリス、どういう約定を交わしたのじゃ。約款にえらい大穴が空いておるようじゃが?」
ドワーフの王らしく、ルーン文字の刻まれた
「皆、動くな!私達から手出しせねば、此奴は我らに害を与えられん。」
動く気がないどころか、戦いになれば逃げ出すに違いないフーは嫌味を垂れた。
「なんで僕達が一方的に攻撃出来る内容にしとかないのさ!」
商人上がりの嫌味に負けじと、女王は怒鳴り返す。
「オズボーンの話を聞いていなかったのか? 高位魔族を相手に奴隷契約は結べない。享受する利益に対し、相応の対価が必要なのだ!」
なるほど。魔界魔法に精通したオズボーンが助言していたのか。道理で"魔族との取引"を弁えた内容だった訳だ。
「貴方はどういうつもりなのですか?」 「私達は無用な争いを望みませんが?」
リアンとオデットに問いには誠実に答えておくか。この二人が諸王の中では一番マトモだ。
「生徒に危害を加える事は許さない。俺は契約を守っただけだ。……リアン・エリアストル、おまえの方こそ、妖精剣士と対の者が理不尽な目に遭わされているのに、ダンマリを決め込むのか?」
やっぱり俺も魔族だな。言わずともよい事まで付け加えちまう。
「……そ、それは……」 「リアンは座して見ていただけではありません。」
「妖精女王の言葉を信じよう。俺は生徒に別れを告げる。王冠を被った分からず屋どもに、邪魔をさせるな。」
侮辱に敏感な竜人王が前に出ようとするのを、リアンが肩を掴んで止める。王と王は睨み合ったが、竜人王が折れた。勝手にしろと言わんばかりに、剣を収めて一歩下がる。生徒に別れを告げる間ぐらいは、短気なレーゼも動くまい。
アイシャ、レイ、ルル、愛する生徒達に囲まれた俺は、まずレイに声をかける。
「レイ、初めて俺の指示に逆らったな?」
「……私には、いえ、私達にはどうしても出来ませんでした。」
「それでいい。俺の指示が常に正しいとは限らないんだ。これからは自分達で考え、歩んでいかなくてはならない。若き賢者よ、後は頼んだぞ。」
「はい!任せてください!」
勇者パーティーの参謀に相応しい男になってくれ。おまえならきっと出来る。
「ルル、おまえがパーティーの生命線だ。野生の勘を研ぎ澄ませ、危機に対応しろ。」
「先生が追放されるなんて間違ってるのニャ!このバカどもを引っ掻いて…」
「困った奴だな。おまえが生命線だと言っただろう。生命線が軽はずみな真似をするもんじゃない。」
「……ニャ。」
「繊細な感覚を活かした大胆な行動、ルルはパーティーの目であり、耳だ。それを忘れるな。」
「わかったのニャ!ルルにお任せなのニャ!」
持ち前の勘の良さで危機を察知し、明るく朗らかな性格でパーティーの士気を上げる。それはルルにしか出来ない役割だ。
「……アイシャ。おまえこそ、俺の選んだ"勇者"だ。チルカは対の者として、勇者を助けてやってくれ。」
「イヤです!先生が魔界に追放されるのなら、私も一緒に行きます!」 「チルカも!」
無茶言うな。おまえのそういうところは出逢った頃から変わらないな。これから何があろうとも、変わらないでいてくれ……
「アイシャ、チルカ、レイ、ルル……元気でな。」
フィオ、エミリオ、サイファー、リリア、ドルさん、メイベル、俺の好きな連中に幸運があらん事を。
袖を掴んだアイシャの手を、そっと握って押し戻し、頬を伝う涙を指先で拭った。
「
いつの間にか門の傍に立っていたギルドマスターが、魔界へと続く道を開く為の準備に入った。
「……ああ。待たせたな。」
"異界の門"が、オズボーンの詠唱する魔界魔法に共鳴するかのように怪しい光を放ち始める。手を上げながら生徒達に背を向け、俺は魔界に繋がる門を潜った。
……魔界か。人界とも箱庭とも違う世界が、俺を待っている。ゲートの向こうに何が待ち受けているかはわからないが、一つだけわかっている事がある。
……この世界で得たかけがえのない宝が、心の中で眩く輝く。俺が魔界で何を思い、何を手に入れようとも、これ以上のモノではありえないのだ……
魔王の血を引く最強勇者、中級メンターに転職する ~勇者パーティーを育てるのは、魔王討伐より面倒です~ 仮名絵 螢蝶 @kanaekeicyo
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