家出娘(旧)

雨世界

1 ありがとう。生まれてきてくれて。

 家出娘


 プロローグ


 ありがとう。生まれてきてくれて。


 本編


 あなたに会えて、本当に嬉しい。


 大家多恵子が初めて家出をしたのは、小学六年生のころだった。その家出の理由を、大人になった多恵子は、もう全然覚えてはいなかった。

 たぶん、些細なことなのだと思う。(もちろん、子供のころの多恵子にとっては、それは些細なことではなかったのだけど……)

 でも、多恵子はそんな些細なことで、世界のすべてが嫌いになって、家族のみんなのことが大嫌いになって、泣きながら、「もう知らない! みんな嫌い!! 大嫌い!!」と大声でそう叫んでから、実家を飛び出して、近くにあった公園(自由公園という名前の公園だったと思う)まで夜の町の中を駆け出して行ったのだった。

 

 そのあと、自分がどうやって、家族のみんなに、ごめんなさい、をしたのか、多恵子は覚えていない。

 自分がどうやって、実家に帰ったのかも、(たぶん、お父さんか、お母さんが迎えにきてくれたのだとは思うけど)その日の夜にぐっすりと一人で眠れたのかどうかも、全然覚えていなかった。


 多恵子が覚えているのは、自分が真っ暗な夜の中で、公園の中にある大きな丸い秘密基地みたいな遊具の中で、体育座りをして、小さく丸くなって、そこで泣きながら、世界を嫌い、家族を嫌い、そして、そこにある真っ暗な闇をじっと見つめていたこと、だけだった。(そこで、多恵子の記憶は途切れていた)


 こんな風にして、家族と喧嘩をして家出をしたり、自分を取り巻く世界のことが嫌いになったりすることは、子供のころには誰しも、ほとんどの人に経験があることなのかもしれない。(実際に聞いたり調べたりしたことはないので、本当のことはよくわからない。でも、ありそうな気はする。みんなこうやって、ちょっとずつ大人になっていくのだと思う)

 そんな(大人になると、記憶の中からいつの間にか、もう必要がない、と言う理由で消えてしまう抜け殻のような)経験の中で、今も多恵子の中に残っている経験が、そんな家出の経験だった。

 

 ……なんだか、すごく懐かしい。(ちょっとだけ微笑ましな)

 

 窓に写る自分の笑顔を見ながら、(そこに小学校六年生のころの自分の顔を見つけながら)そんなことを思いながら、多恵子は今、遠い場所に向かっている電車に一人で乗っている。

 なぜ、そんな、ずっと忘れていた、もう思い出すこともないと思っていた、子供のころの自分の家出の経験を多恵子が思い出しているかというと、大人になった多恵子が今、実際に(まるで、子供のころのように)『家出をしている』最中だったからだった。

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