エピローグ.『大司書、赤子を胸に抱く』

 磨りガラス調でセットアップしたヴェール越しに、初夏の明るい日光がエントランスへ広大な陽だまりを投げかける。さながら屋外にいる錯覚は、熱量をいくらか遮断した、遙か頭上まで続くヴェールから青空が透けているせいもあるかもしれない。

 蒼穹のさらに向こうでは、十三の〈群月ムゲツ〉から大小さまざまな船が出航し、同時に旅を終えた船たちを出迎えている。

 程よくノイズが広がる館内にふっと、夏風が吹き込み、束の間の蝉しぐれが来館者を報せた。

「ザック!」

 陽だまりを小柄な人影が一直線に駆けてきた。ワタシは体を屈め、イワナシの淡い桃色の花を散りばめたワンピースを脇から抱え上げた。

「ようこそミス・リディア。できればワタシのことは、フルネームでよんで……」

「ねぇねぇザックきいてっ! わたしね、おねえちゃんになったの!」

 つやのあるブロンドが顔に掛かるのも構わず、腕の中でぴょんぴょんと跳ねながら彼女は鈴音のような声でまくし立てた。万が一にも落とさないよう、体勢の微調節をしつつ、「ついにですか! よかったですね。素敵な姉上になりますよ」と請け合う。

「こらこらリディー。図書館は駆け足厳禁だよ」

 "御包み"を大事そうに抱え、遅れて歩いてくる大きな人影に注意され、小さなレディが「はーい」と頬を膨らませる。腰に手を当てて話す仕草は淑女レディそのものだ。

「パパったら、いっつも心配性なんだから」

「ミス・リディア、貴方が親になったときには、きっと同じことを言うでしょうね」

 そんなことないもん、とコロコロ変わる表情に笑いかけ、ワタシより高くなった視線に目を合わせる。

機械の心コーディス・マキナから、限りない祝福を述べさせてください。おめでとう、ジョン」

「ありがとう、ザケリアス。この子もあなたに会わせることができてうれしいよ」

 臆せず感謝を口にする二児の親となった青年に、ワタシのほうが面映ゆくなってついと視線を彼の胸元に移した。ちょうど、純白のベビーブランケットの頭の高さに桜のブローチが揺れていた。

「……コホンッ。一番がんばったのはミズ・ドロシーですが」

 薄桃色の花冠へ祝いを伝えると、「『うれしいわザック』」と疲れの滲む声が返ってきた。

「相変わらずザケリアスはクラシックだなぁ。でもたしかにそうだ」と苦笑いする父親を聞き流し、桜のブローチへ軽く会釈する。

「まことにご苦労さまでした、ミズ。どうかよくお休みを」

「『ありがと。こんど皆でいくからね』」

「ご来館を心よりお待ちしております」

「さあ、リディー?」

 桜柄のブランケットを慎重に動かし、青年が愛娘をうながした。

「ザケリアスにきみの弟をみせてあげようか」

「うんっ」

 大きくうなずいた花柄のワンピースを降ろすと、青年がワタシに腕を差し出した。無言で"包み"を受け取り、合成マテリアルの胸に抱く。

「これはこれは。大司書機ザケリアスどのは、赤ちゃんの抱っこにも慣れたもんだ」

 赤子の父親が大げさに親指を立ててみせる。足元では、ミス・リディアがまったく同じようにサムズアップしていた。

 左腕と胸部でゆりかごを作り、ブランケットの縁をつまんで隠れた顔をそっと、覗かせる。


ワタシが赤子に触れるのは、これが初めてではない。

 ミス・リディアが生まれたときも、彼女の父親は真っ先にワタシの元を訪れた。繭に包まれた小さなその柔らかい体は、まるで太陽のように温かく、ふわっと、嗅覚センサーをくすぐった香りは春の花畑をおもわせた。

 赤子を腕に抱いたとき、ワタシは未知の思考パルスを感じたものだ。

 データベースレムビヴロにも定義がなかったので、ワタシは、『初めて出会ったことファーストコンタクトへの感謝』と、パルスを定義付けている。

 

「はじめまして。ようこそ……ジョージ・ハンコック」

「んまっ」

 かつてのだれかにそっくりな彼は、ブランケットの中であくびをしていた。



(完)


☆ゲンロンSF創作講座 発表作品

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Last Resort ウツユリン @lin_utsuyu1992

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