第10話 間借の校舎

高校の教師をしている健吾は、ある日教頭先生に呼びとめられた。

「木村先生。なんとか授業が再開できそうですよ。」

「本当ですか!?」

「と言っても、隣町の学校の、教室の一室を借りてなんですがね。」

「隣町…」

元々狭い地域とは言え、一番近くの学校まで、自転車で15分から20分はかかった。


「先生やこの学校に避難している生徒は、通うのも大変ですね。」

だがせっかく、生徒の勉強の場が、確保できる事になったのだ。

「大丈夫ですよ、教頭先生。みんなで通えば、長い道のりも楽しいですよ。」

「木村先生…」

「それに、バラバラになっていた生徒も、戻ってくるんですよね。」

「え、ええ…」

「今から楽しみですよ。いつからにしますか?」

「そうですね…来週あたりからは…」

「じゃあその前に、下見ですね。教頭先生。」

健吾は務めて、明るく振る舞った。

この事が、新しい未来への、第一歩のような気がしたからだ。


翌日、健吾は教頭先生と一緒に、隣町の学校に下見に行った

「ようこそ、いらっしゃいました。」

「よろしくお願いします。」

挨拶をして通された部屋は、校舎の一番端にある美術室だった。

「たくさんの生徒さんが入れる教室と言いますと、ここしか見つかりませんでして…」

担当者の人も、それ相応なりに思案してくれたようだ。

「いえ。なかなか広い教室ですから、なんとかなりますよ。」

健吾は自分にも、言い聞かせるように言った。

「前の席は、3年生を優先に座らせましょう。きっと全部の席が埋まりますよ。」

「ええ。楽しみになってきましたね、木村先生。」

「はい!」

健吾は新しく始まる生活に、心躍らせていた。


だが、しばらくして迎えた新学期。

間借りした教室の前列に座った3年生は、半分にも満たなかった。

どういう事だ?

健吾は胸騒ぎを覚えた。

「久しぶりだな。」

健吾の一言に、生徒が笑顔になる。

「ではまず、出席からとるか!」

健吾が出席簿を手に取って、生徒の名前を呼び始めた。

「安部成樹。」

「はい!」

「岡島勇太。」

「はい!」

「加藤進。」

だが、加藤からの返事はない。

「加藤。なんだ、休みか?」

健吾が出席簿に”休”と書こうとした時だ。

「先生…加藤は、亡くなりました。」

「えっ…」

「津波で流されて…」

教室中がシーンとなった。

「そうか…」

健吾は再び、出席をとりはじめた。


「…斉藤加奈。」

「先生、加奈も…」

「そうか。斉藤もか。」

健吾は亡くなった生徒の名前を、一本の線で消した。

全て津波の犠牲者だった。

改めて思い知る震災の大きさと、クラスメイトの犠牲に、いつしか泣き声が聞こえていた。


職員室では、朝のHRの話で盛り上がっていた。

「参りましたよ。半分が行方不明か、死亡者ですからね。」

「他県へ避難した生徒もいましたが、ほんの数人ですよ。」

教師のその声にも、張りがない。

「木村先生のところは、どうでしたか?」

「…同じようなものです。」

「そうでしたか。」

あんなに再会できる事が、待ち遠しかったのに。

特に別な避難所にいる生徒は、数週間ぶりに会えるはずだった。

「…っ」

健吾の眼には、涙が溜まっていた。

「木村先生…」

「すみません。」

健吾は鼻をすすった。

「いえ…泣きたいのは、木村先生だけではありませんよ。」

見渡せば、どの教師も涙を浮かべていた。

「一人失っただけでも悲しいのに、生徒の半分ですからね。もう居たたまれないです。それでも亡くなった生徒の分まで、我々が生きなければいけないんですよ。」

「そう…ですね。」


健吾は改めて、出席簿の消された名前を見た。

その名前を見ただけで、どんな生徒だったか思いだせる。

加藤進は少し大人しいが、毎朝花に水をやる優しい生徒だった。

斉藤加奈は、元気いっぱいでクラスのムードメーカーだった。

それがあの日を境に、もう会う事ができないなんて。

健吾は胸が引き裂かれる思いで、出席簿を閉じた。

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一人じゃないと、君が言ってくれた 日下奈緒 @nao-kusaka

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