Fragments 2 巨竜は夢を見るか

「いやー、やっぱ呉といったらここだよな!コウもそう思うだろ?」


「確かに有名だけど...俺は家でゲームしてたかった」


 連休中の、積んでいたシミュレーションゲームを消化する予定を見事に潰されたことで若干不機嫌なままの向田幸祐とは裏腹に、仮眠を挟んでいるとはいえ関東から夜通しでここまで運転してきた船木善博はむしろ血色が良かった。中学生からの付き合いではあるが、講義が終わってさぁ帰ろうとなったところをいきなり車に放り込まれて10時間ものドライブに付き合わされればテンションもだだ下がりになろうというものである。


「でも軍艦好きだろ?」


「そりゃ嫌いじゃないけどさぁ...新幹線で行くという選択肢はなかったのかよ」


「生憎そんな金は持ち合わせてねーよ。だが喜べ、明後日から始まる大和博物館の特別展示の先行招待券なんてそうそう手に入らんものが当たってたんだ。一般展示の音声ガイド先行体験も出来るやつだぞ」


「それを!先に!言え!」


 急に元気になる向田。船木は2枚あるそれをひらひらさせながらしてやったり、と満足気な顔を作る。


「ついでに言えば岩国基地からブルーウイングスが特別に曲芸飛行するってさ」


「それも!先に!言え!」


 向田も申し込みはしていたのだが、当選は発送を以下略郵便ポストは空だったというわけで完全に諦めていたのである。そしてそのまま日付を完全に忘れていた結果がこれだ。ぬか喜びならぬ、ぬか不機嫌に陥った彼はどう反応していいやら分からなかった。


「まぁそんなカッカするなって。カメラはお前のやつも持ち出してきてるからトランクルームから引っ張り出してきなよ」


「俺の人権はないのか...」


「隣部屋だろ」


 何言ってんだ、という顔をしながらドアを開けて車を降りる。まだ開館時間30分前にも関わらず、既に行列が出来つつあった。


「人気だよなぁ、ここ」


「そりゃそうだろ、最後にして史上最大の戦艦の一角が生で見れるんだぞ。世界的に見ても46cm砲搭載艦なんざここかアメリカでしか見れないって」


「アメリカはおいそれと行けないしなー」


 首にカメラをぶら下げ、「招待券をお持ちの方はこちらへ」「For invasion ticket holders」「Voor houders van een uitnodigings ticket」「Для владельцев пригласительных билетов」と書かれた看板を持つ男性スタッフの立つ方へと向かう。


「4ヶ国語かー」


「そりゃ色んな所から来るだろうからな、サイトも確か...日高英寧露独伊仏中西葡土の12ヶ国語対応だってさ」


 思ったより多かった、と呟きながら茶色がかった髪の男性の後ろに並ぶ。ちらと見えたパンフレットの言葉からしてロシア出身だろうか、と船木はぼんやり思った。


「そういえばブルーウイングスはいつ飛ぶのさ」


 向田が尋ねる。


「正午だったかな。俺たちが特別展示の見学を終了するのと同時に見えるんだと」


 しかも回転翼機ヘリ運用甲板からだぜ、と付け加える船木。そりゃあ贅沢だなと向田は期待に胸を膨らませた。




「それでは、特別券をお持ちの方々の入場を始めまーす」


 セーラー服を模した制服を着た若い女性スタッフが声をかけ、ぞろぞろと列が動き出した。「特別展示企画:戦艦の歴史」と題した横断幕がかけられているのが遠目に見える。


「あーあれ三笠から順に薩摩、金剛、長門、大和になってるのか」


 向田が指をさす。船木はなるほど、と頷き


「三笠は煙突と副砲の位置、薩摩は煙突の本数、金剛型は主砲と煙突の形状、長門は菊花紋章の取り付け位置で見分けるのな。つーかすぐ分かるの流石だな」


「まぁね。大和型は本当に外部から区別がつかないけど、場所が場所だし」


 券を提示し、入場。1/100の大きさの、各年代ごとの大和型戦艦のモデルを横目にスタッフに従ってそそくさと二階に上がる。


「本日はお集まり頂き大変ありがとうございます。それでは、特別展示の案内をさせていただきます。日本語で大丈夫な方は私、森下に、それ以外の方はこちらのフェールケについてきてください」


「Hello, everyone. I'm Verrke. Please get in line here if you want to be guided in English.」


 程なく列が分かれる。案内のねーちゃん二人とも美人だな、などと向田は鼻の下を伸ばしていたが、展示されているのはどれも貴重な資料であり、すぐにそちらへと意識が移っていった。

 明治時代における戦艦の設計図、日本海海戦の写真、ドレッドノートに対する分析の書かれたノート、比叡竣工時の各種書状、日向初代航海長である下平英太郎の参謀飾緒、宇垣纏の戦藻録原本、そして...


「こちらはツ号作戦の際に大和艦長として乗艦していた有賀幸作元帥...当時大佐の短剣になります。士官、特務士官、准士官に渡されたものですね。ツ号作戦において大和を含む第九任務部隊は先行していた特殊部隊と連携し、要塞化されていたパナマ運河を襲撃。生半可な攻撃は通さない運河の閘門を破壊するために46cm砲が使われました」


 おおー、とどよめきがあがる。ツ号作戦...パナマ攻撃と言えば誰もが知っている有名な戦闘だ。当時既に落日の様相を呈していた戦艦...といっても日本のそれは太平洋戦線においては一隻も喪失していなかったのだが...の底力を見せた戦いであった。


「でも俺の中では有賀元帥ってケモ耳のイメージなんだよな」


「ヨシ、それはゲームのやり過ぎだろ」


 重度の精神汚染偉人の女体化はかなりの所まで船木を蝕んでいた。毛利元就のグッズで大量の部屋を思い出しながら、これで近日開始されるという軍艦擬人化ゲームまでやり始めたら船に対してもそういう目で見始めることになりかねないのではないだろうか、と向田は友人を胡乱な目で見る。ちなみに向田はハルゼー派であった。


「大和に搭載されていた物品や元乗組員の所持品、艦載機等も一般展示及び艦内にございますので、お配りしたパンフレットに用意のある音声案内を含めて後ほどご確認下さい。それでは、あちらに浮かぶ戦艦大和の方へ移動しましょう」




 鋼鉄の魔物、あるいは海原の覇者。軽快なテンポで始まる、今となっては食料品店などでもよく耳にする行進曲を口ずさみたくなるその威風堂々たる有様は、既に記念艦となって戦乙女の役割を果たし終えた後もなお健在であった。


「さて、最後に皆様にはブルーウイングスによる第二次世界大戦前後における空母艦載機による編隊飛行をご覧頂きます。戦艦という軍艦は、その圧倒的な打撃力から第一次世界大戦、そして戦間期において海軍で最も重要な艦種であると認識されていました。しかし、次世代の海軍の主力を担うのは航空母艦と潜水艦であると看破した我が国は、その整備に勤しみます。そして1940年代に入り、現代の海軍戦略の雛形が完成しました。いくつもの海戦を経て戦艦はその主力としての地位を譲りますが、大和型戦艦は戦後も空母打撃群に随伴する艦隊防空の要としてその存在感を保ち続けました」


 その言葉を機に、甲高い鳴き声のような音と重厚な地響きのような音がいくつも聞こえ始める。そして...


「それでは、新旧海軍主力の揃う呉ならではの景色を存分にお楽しみください!」


 空に浮かんだ染みがその形を明瞭にしていく。巨竜がその夢を託した鉄の猛禽達だ。


零式艦上戦闘機旋風!」


 まず二機編隊で現れたのは単発のレシプロ機。薄い灰色の機体を大きく捻らせ、大和の上をフライパスする。


二式艦上戦闘機青風!」


 同じ色の単発ジェット機が1機、先程の2機よりもずっと速い速度で突っ切る。後退翼にヴェイパーをまとい、見事な宙返りを見せた。


三式艦上戦闘機疾風!」


 ねずみ色の双発機が2機、スモークを焚きながら侵入、コークスクリューを披露する。歓声が上がり、熱狂は最高潮を迎える。


六式艦上戦闘機暁風!」


 今までとは明らかに違う凄まじいエンジン音と共に、群青色が眩しく光るそれは現れた。やっぱオーパーツだよこれ、と船木は心を震わせる。半世紀以上前の機体であるにも関わらず、部隊配備開始から実に30年以上艦上機の主力として戦い続けた海鷲が4機、超密集隊形で飛んでいく。分散。それぞれ四方向に鋭く切り返し、飛び去った機体と合流する。最高速度も巡航速度もまるで違うというのに一糸乱れぬ異機種編隊は再度、大和の上を通過した。二人は夢中でカメラのシャッターを切る。まさに夢のような時間であった。




「まさか戦時中の歴代艦上戦闘機が揃って見られるとは思わなかったな」


 博物館を一度退場し、近くのレストランで食事をとる。この店の海軍カレーは強襲揚陸艦「諏訪」のものと同じらしい。ピリッとした唐辛子の辛さにコーヒーのものと思われる微かな苦味と野菜由来のソースのまろやかなコクが合わさったルーに豚肉の甘みが調和をもたらし、絶妙な旨味を醸し出していた。


「ああ、まだ動態保存してあるのは知ってたけど、岩国にあったのは知らなかったな。貴重な体験になったよ」


 舌鼓を打ちながら戦果という名の写真を確認する。どこもかきいれ時なために満員で、かろうじて確保出来た4人席は相席の可能性も店側からお願いされていた。


「本当は四人まで同伴可だったからマサ兄も誘えるかなと思ったんだけど、都合がつかなかったんだよな」


「今じゃ京都地元で助教の身分だもんなぁ。そりゃ忙しいだろうな、俺たちとはココが昔から大違いだったし」


 向田が自分の頭を指さして言う。その言葉にそういえば、と船木は自分たちが高校生に上がった頃に彼と一緒にいるのを見かけた美人を思い出す。


「マサ兄、サキさんと今どうなってるんだろうな?」


「幼なじみなんだっけ?俺たちが中学生の頃は確か親の都合で海外にいたとかっていう...」


「そうそう、その人。付き合ってはないらしいけど」


「奥手だなぁ...」


「風の噂で同じ大学で准教やってるって聞いたぞ」


「嘘だろ、それで何も進展がないの!?」


 奥手通り越して仙人か何かじゃないのか、と大分失礼なことを考える向田。


「一刻も早く何かしら助言すべきなんじゃないのか...?」


「...分からん。下手に首突っ込むのも野暮だと思う」


「そりゃあそうだけど...」


 結局、後で連絡取ってみようということで話はまとまった。その後もカレーを食べていると、「すみません、そこのおふた方」と声がかかる。


「はい、なんでしょうか?」


 顔を向けると歳の頃80過ぎだろうか、背筋が伸びた精悍な顔つきの老紳士が立っていた。


「相席宜しいでしょうか?どうもこの時間帯は混んでいて...」


「えぇ、勿論」


 申し訳ない、と頭を下げながら向田の隣に腰を下ろす。ウェイターに「軍艦カレーをお願いします」と言い、二人の方へと顔を向けた。


「今日はどちらから?」


 好々爺然として彼は聞く。


「東京の方から...地元は京都なんですけどね。大和博物館の特別展示先行体験に当たって」


「ほう、京都...そして大和ですか」


 私もね、京都に住んでるんですよ...との答えに二人は驚く。


「どの辺にお住まいなんですか?」


「北区ですね」


「僕らは実家が西京なんです」


 そうなんですか、と船木が相槌を打つ。


「あの、もしかして、大和に乗艦されたりとかは?えっと...」


「鹿江でいいですよ」


「鹿江さん、海軍軍人だった経験がおありですか?」


 申し遅れました、向田と言います。彼は船木です...と付け加え、向田が聞く。


「よくお分かりになりましたね」


 鹿江が破顔した。


「大和に乗ったことは残念ながらありませんけど、よく近くで見ていましたよ。先程の編隊飛行はご覧になりましたか?」


 その言葉にまさか、と船木が目を見張る。ウェイターがお待たせしました、とカレーを持ってきた。


「海軍航空隊...空母航空団所属だったんですか!?」


「ええ、私は大戦中は天城...次いで大鳳の飛行隊所属でした。三式艦上戦闘機疾風六式艦上戦闘機暁風が乗機ですね」


 ひぇっ、と向田は変な声を上げそうになる。とんでもない人とかち合ったものだ...と船木を見たが、彼はもっと顔色を青くしていた。


「大鳳...第一空母航空団...戦闘攻撃飛行隊VFA...鹿江...あの、失礼ですが、下の名前って...」


「鹿江喜三郎と言います」


 あっ...と思わず向田は声を漏らした。鹿江喜三郎。大戦中のエースパイロットの一人、海兵70期卒、最終軍歴少将。初陣はブリズベン航空撃滅戦、以後太平洋戦線にて多くの海戦・空戦を経験、ツ号作戦並びに焉号作戦にて敵防空網制圧任務SEADに参加...生きる伝説とも呼べる経歴を持つ人間である。聞く人が聞けば即敬礼する人間でもあった。


「やっぱり...」


 天を仰ぐ船木。もはやカレーの味は水と大差無いように感じられた。


「まさかこんな所で大戦のエースに出会えるなんて...」


「昔の話ですよ」


 懐かしそうにしながら、鹿江は謙遜する。


「ところでおふた方はこの後のご予定は?」


「大和の一般展示の方を回る予定です」


 向田がスプーンを動かしながら答える。皿は空になっていた。


「一般展示ですか、結構結構。私は江田島の方に挨拶に行こうと思ってましてね...」


 はぁ...と間の抜けた返答をする船木。向田は我に返り、


「定期的に行かれるんですか?」


「まぁ、数年おきですけれどね」


 と、鹿江。


「休暇がこの歳になってもあまり取れなくて...」


 それを聞いて船木が思い出した、と呟いた。


「...大学で教鞭を執っていらっしゃいましたね」


「もうほとんど名ばかりで、趣味のようなものですけどね」


 向田もそれを聞いてそういえば、と先の話題を思い出しながら再度鹿江に尋ねる。


「清岡雅弘助教ってご存知ですか?多分同じ大学だと思うんですけれども...」


「あぁ、清岡君。たまに私のところに来てくれますね」


 実は、と向田は彼と知り合いであることを告げた。


「なんと、数奇な縁もあるものですね...」


 鹿江は目を見張る。


「本当は彼も誘おうと思っていたんですが、都合が良くなかったみたいで」


「それは残念でしたね...あぁ、もしかしたら彼の相手をしているのかな」


 船木も向田も疑問符を頭の上に浮かべる。


「おふたりと同じくらいの歳の子が最近積極的に色んな歴史上の人物の探求をしているみたいで...清岡君がその相手をしているみたいなんですよ」


 なるほど、と二人は頷く。


「いずれは私にまで聞きに来るやも...」


 学ぶのは幾つになっても良いことです、と言って鹿江はコップを置いた。


「久々に若い方と話せて楽しかったですよ」


「「こちらこそありがとうございました」」


 夏日が揺らめく。それは遠くに見える戦乙女の微笑みにも見えた。






******以下あとがき******

本編の方で零戦、二式戦、三式戦、大和型戦艦のスペックを公開します。何かがおかしいぞこの日本...

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