『君』の物語

夜詩痕

『私』の物語

「物語の始まりってさ、印象的なものがいいんでしょ?」


ㅤ二人残された教室で彼女がそう言った。いつもの戯言だ。僕は読んでいる本から目をそらさず、彼女に返答する。


「だから?」

「私たちの始まりって曖昧だよね。アニメとか小説とかだったら、きっとグダグダな始まりだね!」


ㅤあぁ、そう、と聞き流した。

ㅤ窓の外から部活に努める生徒たちの声が聴こえる。夕日もまた眩しく、一人で読書する予定が叶わなかったのもあって、僕はバッグを背負って教室を後にした。それに続いて彼女も続く。


「ねぇ、私は君待ちだったんだけど。何か言うことないの?」

「ないね。仲良しじゃないんだから」

「どうして嘘つくの。友達できないよ!」

「できないようにしてるんだよ。与えられた役割を演じれば、それでいいだろ」


ㅤここ最近の悩みの種といったら、この彼女だ。放課後に誰もいなくなった頃を見計らっては僕にしつこくつきまとうのだ。挙げ句の果ては、このように自然と帰路を共にするまでに至る。

ㅤこいつの彼氏は僕の友人なのだが、彼もまた彼で部活に行くかゲームしに帰るかの両極端だ。

ㅤいや、彼女と帰ってやれよと。


「私も演じてるよ」

「なんでもかんでも楽しんでるお前がか?」

「よく見てるじゃん!」


ㅤ彼女はなぜかしたり顔になり、それがなんとなく癪に障ったので、僕はその話題を続けなかった。


「あいつはまたゲームか?」

「そう、暇だから君を待ってた」

「帰れ」

「ねね、明日私とデートしよう!」


ㅤ帰れ。こうも付き合わされ、ただでさえあいつに申し訳ないと思ってるのに。


「本当に何がしたいんだ、お前は」

「好きな人の前では可愛くありたいの。だから私のためだと思って、私のゴミ箱になって」


ㅤクズ。そう言い放ってやった。それでも彼女はにこにこと笑顔をやめない。

ㅤため息とともに空を見上げた。雲が空を漂っている。子供の頃にも、こうして雲を見上げていたような感覚を思い出す。


「いいよ」

「え、嘘。いいの?」

「別に。あいつのためになるんだったら、それでいい。あいつが悲しむのは嫌だからな」

「それも嘘?」


ㅤ苦笑混じりに問う彼女に、さぁなと一言。

ㅤあぁ、何をしているのだろうか僕は。

ㅤ夕空が何かを伝えているような気がした。



ㅤせめて彼に電話で伝えようとするも、彼女に内緒にしろと足を踏まれながら言いつけられたのでそれに従った。

ㅤ気が重い。知り合いに見られるのはまずいとのことで、待ち合わせ場所がデート場所の現地であった。人混みの中をすり抜けるようにして彼女はやってきた。手を振っていたので、一応それに応える。


「お待たせ。何着ていけばいいかわからなくて遅くなっちゃった」

「別に遅れてはないだろ、五分前ぐらいだし」


ㅤ言ってて気づいたが、彼女はあいつとのデートだろうと今回のことであろうと、きっと待ち合わせよりも早く来る律儀なやつなのかもしれない。昨日の罵倒を思わず謝りたくなった。


ㅤその後というのは特筆するようなことではなく、ショッピングが主だった。

ㅤどの色がいいとか、君の意見が聞きたいのだとか。雑貨屋では、こういうのをペアでできたらいいよねだとか。そういったことを延々と付き合わされた。

ㅤこういうことは友だちにでも手伝ってもらえばいいものを、なぜ僕を駆り出してまで付き合わせているのか依然と疑問だった。

ㅤそれなりの居心地の悪さを感じた後は、食事へと連れていかれる。と思っていたが、向かった先は宿泊ホテルであった。


「泊まりなのかよ、聞いてねぇぞ」

「言ってないもの」


ㅤ狐のように目を細めて彼女は笑う。こんな恋人を持った彼に同情を起こそうと思ったが、こういうことは僕にだけなのだろうと勝手に安心した。

ㅤ高校生には妥当であろう場所であった。ただ心は休まらない。彼女と二人一部屋だからだ。昨日の発言を撤回したかった。


ㅤ昨日見た夕日を今日は見ることがなかった。代わりに明るく照らされた夜を見つめている。

ㅤとことん彼女に振り回された日だった。そう思うと、途端に目の前の夜景は箱庭のように感じられた。彼女が主人公で、他はあたかもそのためのキャストであって。


「たとえ終わりがわかっていても楽しいものだね」


ㅤはしゃぎ疲れたのか、彼女の声色には疲れが見える。というよりも、なぜか普段よりも静かだ。

ㅤ部屋の明かりは枕元の照明程度で、彼女がぼんやりと橙色に照らされている。


「察しが悪いね」


ㅤ全てが彼女のうちにあるような一日だった。




「楽しかったね」

「どんな顔して、あいつに会えばいいんだよ」


ㅤ翌朝に僕らは帰りの電車を共にしていた。

ㅤ過ぎ去る景色を眺めながら、昨夜のことを思い出す。最悪の気分だ。

ㅤそれでもなお、何ひとつ気にすることなく彼女は笑う。まるで全てを楽しんでいるかのような表情だ。

ㅤなんという理不尽。

ㅤこのことは何があっても忘れないことだろう。



ㅤそうして休日は終わり、学校が始まった。

ㅤだが、登校した学校内は閑静そのものであり、新緑の並木の下に彼女がいるだけであった。


「終わりだよ」


ㅤなにが、と問うまでもなく、それまで僕が歩いてきた『世界』は消えていった。ただ、暗闇がそこにある。

ㅤ振り返ると彼女もまた、『世界』とともに消えかけていた。

ㅤ冗談だろ、という言葉を飲み込んだ。


「ここは私の物語の中だからね。私が与えられた役目を『演じる』のは終わったの。

物語の中だけど、友達も恋人もできて、しまいには浮気して二股したり、楽しかった!」


ㅤ一方的に告げられる事実を呆然と聴いていた。

ㅤ彼女はというと、普段以上の笑みを浮かべている。思い切り息を吸って、僕に向かって叫ぶ。


「主人公という座を君にあげちゃう!

これで印象的な物語の始まりでしょ」


ㅤ本当に君が主人公だったんだ、と。なら、はやくそう言ってほしい。僕は、これまでどれだけ無駄な文を書いてきたのだろう。


「本当に、お前は何がしたいんだよ」

「物語が見たいの。歪まされた君が主人公の物語が!」


ㅤ砂のようにして身体が消えていく彼女の姿は、もう既にほとんど消えかけていた。それもまた、すぐに消えるだろう。

ㅤ見上げた空は真っ黒だった。

ㅤもうここには何も残っていない。


「趣味が悪いよ」


ㅤ目覚めた世界で、僕は呟いた。

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