2021
もう10年
街で6階建てのビルをふと見上げて、あの高さまで水が来たのか、と思う。もし今、津波に襲われたら逃げきれるだろうか。
自分のかばんの中身を見て、充電が切れかけのスマホと空になったペットボトルが目に入る。財布の中に現金は入っていない。もし今、地震が来たらわたしは生き残れるだろうか……?
わたしは2度の大きな震災を経験した。決して防災意識が低いほうではないと思う。家には常温で保存できる飲食物を用意しているし、いざというときのために夏場でもストーブの灯油は少し残している。
家を選ぶときはハザードマップを見て、地盤がしっかりしている台地の土地を選んだ。ホテルに泊まるときはまず最初に非常口と非常階段の位置を確認するのが習慣になっている。
それでも、日々の日常の中で防災意識は薄れ、油断してきていると感じる。東日本大震災の直後は非常持ち出し袋を作っていたし、常にモバイルバッテリーを持ち歩いていた。飴やチョコレートもかばんに入っていた。
この10年で周りの環境も大きく変わった。電子マネー決済が一般化し、現金を持ち歩かなくなった。スマートフォンが普及して公衆電話が次々となくなっていっている。しかし、果たしてそれは、本当に良いことなのだろうか。何事もないならいい。だが、ひとたび災害が起こってしまえば、この状況の脆弱さが顔を出す。
オンライン決済ができなければ物が買えない。バーコードが表示できないから、スマートフォンの電池が切れたら何も買えなくなることもある。東日本大震災があった日、携帯電話は通じなかった。かろうじてたまにPHSが電波を掴む程度。固定電話もしばらくは使えたが、すぐに不通になった。衛星電話なんてほとんどの人が持っていないから、災害時の通信網で一番強いのは公衆電話だ。阪神淡路大震災の時もそうだった。父は長い長い列をひたすら待って、わたしたちは生きている、と公衆電話で祖父母に伝えたのだ。
大切な人に言葉を伝えるために必要なもの。自分の命をつなぐための物品が手に入れるための手段。そのインフラを減らしてしまって、なくしてしまって本当にいいのだろうか。それを手放してしまって、本当によかったのだろうか。
東日本大震災から節目の10年。もう10年経ったのかというのが正直な感想だ。幸運にも、わたしたち家族は命を失わずにここまで生きてこられた。なんとありがたいことだろうか。
大事な人と自分の命を守って、もう10年生きていくために、東日本大震災に再び向き合い、日々の生活を見直していこうと思う。
今のこの日常は、いつ崩れるかわからない。今この瞬間にも災害に見舞われるかもしれないということを、忘れてはならない。
3.11.東日本大震災 記憶の記録 静海しず @Shizmy
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。3.11.東日本大震災 記憶の記録の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます