徒然なるままに~英雄譚

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

ルビコンへの想い

「ここを越えれば人間世界の悲惨、越えなければ我が破滅。行こう、神々の住む土地へ、我々を侮辱した敵の待つところへ。賽は投げられた」


 ローマ帝国が生んだ最大の英雄、ユリウス・カエサル(英名ジュリアス・シーザー)の有名な一節であるが、どんでん返しと言えばこの男の人生こそ、その連続である。どうしても最近はクレオパトラへの贖罪を思い悩む百貫デブという悪評があるが、元々はローマ一のプレイ・ボーイである。周りではクレオパトラの方が有名であるため、カエサルの名前を出したところでピンとこない人が多いのは残念である。それでも、今回はこのカエサルを手始めにどんでん返しというものを紐解いてみたいと思う。


 紀元前百年に生まれたカエサルは名門貴族でありながら慎ましやかな家に生まれた。今の日本であれば波乱万丈からは縁が薄そうな生い立ちであるが、この時代のローマは内乱が日常であり、十八にしてその中に巻き込まれる。実力者スラによる粛清の対象となり、周囲の嘆願もあって命を助けられた彼は、それでもその条件であった妻との離縁を断った。当時のカエサルの妻はスラの政敵の娘であったのだ。ここでカエサルは、スラの追ってから逃れるため初めての国外亡命を経験する。

そして、スラの死後に帰国したカエサルは、有力者の告発が不発に終わり、再度の亡命を選択するのであるが、その途上で海賊に襲われて人質となる。ただ、この際に身代金を二十タレントという今でいえば十数億に相当する大金から、五十タレントと二倍以上に自ら釣りあげている。その大金に眼がくらんだ海賊たちから歓待を受けたが、解放されてすぐに紙幣を組織して彼らを捉えて縛り首にした。カエサルのどんでん返し人生の始まりである。

 その後、自分はアレキサンダーと同い年になったにも関わらず、何事も成してていないと漏らしたものの、活躍するのは四十過ぎ。その間も有名にこそなっていたものの、国家予算を超える借金と元老院議員の奥さんの三分の一を寝取る、という政治の外の話題が中心であった。このカエサルはローマの最高位である執政官に就任してからは、一転してその中心に位置するようになる。そして、現在のフランスを中心としたガリア戦役と呼ばれる戦役では、繰り返される状況の変化に対応し、最終的な勝利を収める。特に、この大規模戦闘の終盤であるゲルゴヴィアの戦いにおける初敗北から、最大の激戦となったアレシア包囲戦での勝利はヨーロッパを創造する逆転劇となった。

 その一方で、元老院と争うこととなったカエサルは元老院最終勧告を受け、国賊に指定される。それまで多くの元老院の敵を葬ってきた宣言を前に、カエサルは冒頭の言葉とともに元老院と闘うべく母国ローマへ攻め込んだ。そして、デュラッキウム包囲戦での敗北の後、倍の戦力差を押し返してファルサルスの戦いで勝利し、名実ともにローマ世界最高の実力者となる。雌伏の末に握った権力はローマを帝政に導き、彼自身を暗殺という最期へと誘った。


 よくもまあ、これほどの逆転劇を演じてきたものだと思わずにはいられない。いずれも何の変化もなくそのまま敗北や勝利に至ってもおかしくはない出来事ばかりである。事実は小説よりも奇とはよく言ったものだが、小説でこのような展開を続ければ、読者が目を回してしまうだろう。


 一方、こうしたどんでん返しが起きなかった例が三國志で有名な諸葛孔明による北伐である。全くどんでん返しがなかったわけではない。雍・涼の二州の奪取と街亭での敗戦がそれであるが、孔明が属した蜀による天下統一の足掛かりも、魏による蜀の征服も成されなかった。そして、三国時代は続いた。

 この差は何であったのかと考えさせられる。この問いを考えた時、より近い時代の例が頭の中に降り立った。戦国時代の中国大返しやフィンランドの冬戦争もいいどんでん返しではあるが、私は荒磯親方のことを推したい。


 荒磯親方は稀勢の里を四股名としており、その前は萩原を四股名としていた。中卒力士として力をつけた親方は瞬く間に新入幕を果たし、すわ綱取りか、と思われたほどである。琴欧州とひと場所遅れで新入幕を果たした。ここからが苦しい道のりとなるのであるが、ここでの主題はそれではない。その後、たぐい稀なる勢いで昇進するという四股名が枷になったのか、親方は六度の綱取りに失敗する。それまでにも、大関昇進の時点で出鼻は挫かれていたのであるが、二〇一七年の初場所も同じ流れで終わるだろうと見ていた。勝負弱さに定評がついてしまった親方に、別の意味での信頼を置くようになっていた。

 それが、蓋を開ければ十四勝一敗での横綱昇進である。そして、同三月場所での連続優勝と、それ以降の連続休場と引退である。これほどまでに隆盛と引退とが表裏にあった存在はないだろう。一方で、稀勢の里と覇を争った琴欧州や把瑠都、琴奨菊などはこうした一瞬の火花を散らすことなく終わった。好敵手たちの中から飛び出した原動力はなんであったのかを考えると興味深そうである。

 しかし、我々の人生はこうした英雄譚とは無縁であり、どんでん返しなど無縁である。宝くじでも当たれば話は別であるが、粛々として日常をこなし、人知れず病院のベッドの上で死んでいく。それが市井の小物の在り方であり、そこから外れるのはいささか心苦しいと考える人も多いのではないだろうか。


 ただ、宝くじは買わなければ当たらない。目の前にある年末ジャンボ宝くじは全滅したまま私にどんでん返しを与えることはなったが、しかし、買わなければその命運は決まる。運否天賦を賭けた勝負に挑み続けぬ限り、どんでん返しなど得られるのである。既に述べた三者ともそこに差はない。これが戦いに挑むための割符なのであろう。

 最低限度の条件はある目標に向かって進むことであるのだが、それだけでは北伐による逆転が成されなかった原因を説明できない。

 ここで思い至るのは荒磯親方最大の好敵手である大横綱白鵬の一言である。

「強い人は大関になる。宿命のある人が横綱になる」

 横綱の一言が真実であるとすれば、稀勢の里はこの宿命を有し、孔明ないし蜀はこの宿命を有していなかった、ということになる。その一線を考えるにあたって、私は雍・涼二州の獲得が頭をかすめた。そして、戦略的にはともかく、運命としてはこの一事が大どんでん返しを成せなかった原因ではないかと考える。ただ補足をすると、この五年ほど前に食の主力軍は夷陵の闘いで壊滅し、そこから再興し離反による魏国の動揺を誘ったうえでの北伐である。それだけでも十分などんでん返しと言えばどんでん返しであったのかもしれない。それでも、カエサルに至らなかったのは、最低限の安定を求めたからではなかろうか。カエサルは常にその身を焦がす状況に身を置いた。稀勢の里も常に相手の力を受け止めながら戦いを続けた。この両者に共通しているところといえば、自分の在り方を持っていた、ということであろう。蜀のそれは建国者の手によって終わっていたのかもしれない。


 今後も、小説よりも奇なるどんでん返しが歴史においては刻み続けられるであろう。ただ、そのためには輝かしい功績よりも、自らの前に続く一筋の道を歩み続ける意志の強さがパスポートとなるであろう。最後に、カエサルの名言の一つを紹介したい。


「人は見たいと欲する現実しか見えない」


 もしかしたらカエサルも稀勢の里も、見えないはずの現実を見据えながら、ひたすらに見えるべき現実を見ていたのかもしれない。そうした意味でも、見えない現実が重くのしかかった孔明は不幸であったと言えよう。

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