仮晶

管野月子

石化の都

 明けの陽が、小さな工房に光の筋を射し始めていた。

 白壁の至る処を、糸で、あるいは細い針金でくくった小さな鉱石の飾りが埋め尽くしている。それは朝露をまときらめく花の蕾を並べたような、小さな花園の工房で、娘は一人、輝く石を繋ぎながら小さな輪を形作っていた。


「おはよう、ビスマス」


 娘が手元から顔を上げてほほ笑む。

 ビスマスと呼ばれた人型機械はこの日、娘が目覚める前に出立しようと密かに準備を進めていた。だがそのような計画などお見通しだったようだ。夜中にこっそり寝台を抜け出して、夜明け前から作業をしつつ待っていたのだろう。


「鉱石の採取……黙って行くつもりだったでしょう? お見送りぐらいさせてよ」


 口を尖らせながら棚から一つの腕飾りを手に取り、ビスマスの前に駆け寄る。

 娘は大きくなった。

 もうすぐ成人の年になる。

 ビスマスが初めて娘を目にした時は、両の手のひらに収まるぐらいに小さかったのだ。これほど小さく、か弱く、脆いものがはたして育つのかと不安しか生まれない程だった。だからといって見捨てることはできず、ビスマスは己にできる全てをして守り育ててきた。


「はい、お守り。寂しくなっても、この石が見守っているからね」


 娘がビスマスの手首に鉱石が連なる腕飾りをつけた。

 色とりどりのビーズをあしらいつつ、トルマリン、トパーズ、石英の中でも特に透明度の高いクオーツを配置している。


「これは……」

「もったいないと思うなら、無くさないで持って帰って来てよ」


 ビスマスの思考回路を覗き見たように娘が釘を刺す。

 そして傷だらけの機械の手のひらを見つめ、呟いた。


「ビスマスは昔……名前があったのでしょう?」

「製造番号があっただけだ」


 娘は苦笑くしょうしながら肩を落とす。けれどそれは一時で、もう一度見上げた顔はいつもと変わらない笑みだった。


「……いいわ、そう言うことにしてあげる。今はビスマス。私が名付け親ね」

「イエス、セレス」

「いってらっしゃい、ビスマス」


 上下に伸びた建築群の一角にある、鉄鋼の骨組みを粘土鉱物で覆い固めただけの、工房と呼ぶには余りにも小さな部屋だ。その住み慣れた家に背を向けて歩き始める。

 都市の出口では、なじみの顔の門番が声をかけてきた。


「ビスマス、今度の旅は長くなるそうだな」

「数年かかるかもしれない。都市が機能不全に陥った際は、頼む」

「ああ、約束通り大切な娘は人工冬眠氷棺コールドスリープで保護するよ。上手くいけば数百年はもつだろう」


 頷いて、手持ちの最後の金塊を門番に渡した。


「お前さんは大丈夫なのかね?」

「俺は大きく損壊することがあっても、体内のナノマシンが周囲から素材を集め生成し、復元可能な自動人型機械アンドロイドだ。過酷な環境下でも問題ない」

「いやいや、寂しくないのかい?」


 ビスマスはしばし門番を見つめてから、その問いには答えず、熱にただれ砂と灰にまみれた荒野に出た。







 打ち付ける風が強い。

 大地はひび割れ、かつて鮮やかに色づいていた樹々は骨のような白い幹を残すばかりになっている。地を這う虫一つ、生きる物の姿は無い。


 遠く振り返る都市は、灰色の世界にそびえる孤独な水晶柱のようにも見えた。だがそれも所々が醜く黒く腐蝕し、やがて崩れていくだろう。今は空気穴程度でも窓のある地上部分に部屋を持つことができるが、完全な地下での暮らしも遠からず訪れる。そうなればもうおいそれと地上の探索に出ることも叶わない。

 これが最後の旅になる。

 ビスマスはそう思考し、可能なかぎり多くの鉱石を探し出そうと荒野を一人往く。


 生まれた時から清浄な世界を知らずに育った娘にとって、色とりどりの石だけが、空であり海であり、陽の光や虹、花々や樹々の色を知る物であった。その中で特に気に入った、天青石――セレスタイトがそのまま娘の名前になった。

 無色や薄赤色の物もある中で、たった一つ入手できた青い石だ。透明度の高い薄青から濃青色に煌めく卓状結晶を中心として、ブロック状や刃状、塊や粒状を示す晶癖も、娘が気に入った理由の一つだった。

 同じ年頃の子供も無く、ビスマスと二人、石を野山に見立てて遊ぶうちに、紐や針金でつなぎ合わせやがて見事な芸術品アートを作り上げるようになった。


 大地が正常化するには、永い年月がかかるといわれている。


 娘の寿命がある間に、かつての緑に溢れた大地を目にすることは叶わないだろう。だからこそビスマスは一人荒野を往き、崩れた山や乾いた河底、廃墟となった都市に、色鮮やかな鉱石が残っていないかと探し歩いていたのだが。


「おい、見てみろよ、ロボットだ」

「動いてるのか?」

「すげぇ……まだ動くロボットがあるとは」


 探索に集中するあまり、人の気配の接近に気づくのが遅れた。

 武器は携帯していない。直ぐに逃避行動に移行したが時すでに遅く、大気を裂く銃弾がビスマスの脚を襲った。


「何か使える部品はねぇかなぁー」


 目元以外を薄汚れた布で覆う蛮族は三人。

 胸や肩を覆うプレートの下は生身の肉体であることが、走査スキャンした熱分布から判断できた。脆弱な箇所を狙い、一人一人を鋼鉄の腕で攻撃すれば殲滅することもできる。だが可能な限り、を殺すことはしたくなかった。


「お……こいつ、抵抗しないぞ」


 一人がわらいながら背中から銃弾を撃ち込む。

 主要な機動部が破壊され、出力が急激に低下する。


「武器はぁ、無さそうだが……こいつブレスレットつけていやがる」

「金にはならねぇだろう」

「女を見つけたら餌にはなるさ」


 肩を踏みつけ、娘がお守りにとつけてくれた腕飾りをはぎ取っていく。

 ビスマスは雑音ノイズが混ざる音声で呻き、腕を伸ばした。


「か……えせ……」

「ニンゲンのフリして、うるせぇんだよ」


 男は胸ポケットに腕飾りをしまいつつ、頭部に銃口を突き付けて引き金を引いた。




 ビスマスが再起動した時、蛮族が去って数時間が経過していた。

 万全な状態での起動とは言い難かったが、脚の破損は見た目ほどではなく移動は可能だ。直ぐにビスマスは足跡から追跡行動に移った。


 日は暮れ、空には星が瞬いていたが月は無い。珍しく風が凪いでいたこともビスマスに味方した。ギチギチと骨格が悲鳴を上げるのも物ともせず、ビスマスは夜が白む前に蛮族が潜む廃墟を見つけ出した。


 たきぎの火は消えている。

 人も獣もいない荒野にあって、蛮族たちは周囲の警戒を忘れていた。己が最強だと自惚れているのだろう。そのねぐらに音も無く忍びよったビスマスは、男の一人に飛びかかり、目覚める前に鋼鉄の腕を胸から背中へとめり込ませた。

 短く「ぐぇっ」と漏らす声で残りの二人が飛び起きる。

 反撃の隙を与えずもう一人の首を圧し折ると、泥袋のように倒れ、転がっていく。続く最後の一人と向き合うも、男の動きの方が早かった。至近距離から銃弾を撃ち込まれ、ビスマスは崩れかけた壁を背に跳ねる。

 胴が千切れかけ、肩も脚も腕も、頭部にすら無残に穴を増やしていく。


「くそっ! くそっ!」


 男が全弾を打ち込んで次の弾倉に手を伸ばす。その僅かな隙を見逃さず、ビスマスは最後の力で襲い掛かった。


「……返してくれ……」


 見開かれた眼球を冷たく見下ろし頭蓋骨ずがいこつを掴む手に力を込めた。




 取り返した腕飾りを胸に抱えた時、ビスマスは限界を超え砂と岩の上に倒れ込んだ。体内のナノマシンが起動し、周囲から素材を集め復元を開始する。要する時間は容易に演算ができない程、途方もないものだった。


 一週間、二週間、ビスマスは虚ろな思考回路を頼りに、星の動きを見て時を数える。

 一カ月、二カ月、背後に転がる死骸はゆっくりと腐敗し、白骨化していく。

 一年、二年、復元は遅々として進まず。十年、二十年と経って、娘は人工冬眠氷棺コールドスリープに入っただろうと遠い故郷を想った。百年、二百年と過ぎた頃、ようやく空からわずかな雨が落ち始め、ほんの一時、ビスマスの冷たいボディを濡らした。

 千年が経って、腕と頭部の復元が完了した。まだボディと脚の損傷は大きく移動することはままならない。それから更に数十年が過ぎて……ビスマスはようやく、荒野に立ち上がった。







 世界はまだ砂と岩の原野だった。


 娘からもらった腕飾りは鉱石やビーズの配置をそのままに、手首に癒着させ、大切に抱えながらビスマスは歩き出した。

 地形は大きく変り、記憶メモリに保存されていた地図データは殆ど役に立たない。星の位置も変わっていたため、そこから何度も何度も演算を重ねて、娘が住んでいたであろう方角を割り出し歩いた。


 やがて大きな山を登り頂きに至った時、遥か遠くに光る物が歪んだレンズに映った。

 自然と進む足が速くなる。

 途方もない時間が過ぎているのだ。もはや娘に至る手がかりすら見つけるのは困難だろう。けれどそこにあったのは、天にも届く光の塔だった。


 足元を、小さな甲虫類の生き物が砂を球体にして転がし、一匹二匹と塔に向かって運ぶ。


 塔の前には大小の鉱石に彩られた光の柱が並んでいた。

 それは輝く門のように連なり、進むビスマスを迎える。広くゆったりとした階段は陽の光を反射させ、花の石段を踏みしめているようだ。

 そのまま誘われるように奥へ奥へと進んで行くと、塔の最奥、高い天井の窓から一筋の光が差し込む壇上にて、石を紡ぐ人の姿があった。


 手元から顔を上げて、輝く人型機械がほほ笑む。


「眠らなかったのか?」

「眠っていたら帰って来ても気づかないでしょう。あなたが幼い私を守るために、人であることを捨てて機械化したのだと……知っていたのよ」


 ギチギチと音を立てながら、セレスタイトを埋め込んだボディは囁いた。


 機械化する、ということは、人のように触れ、ぬくもりを感じることのできない体になるということだ。夜の眠りは無く、永遠に近い時を生き続ける。

 幼い娘が育ち、誰かと結ばれ、やがて老い亡くなるまで見守りたい。

 そう思っての機械化だった。


「だから私はささやかな反抗として、あなたをとは呼ばない。これからも一緒に生きていきたいから。ここは……あなたの家よ」


 手首に癒着したお守りを見つめ、セレスは炭素繊維の頬でほほ笑んだ。



「おかえり、ビスマス」






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仮晶 管野月子 @tsukiko528

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