第4話 西端・洲崎


 ゴールデンウィークの長閑に晴れたある日。十六時の館山の市街を、ガタガタと路線バスが走る。その車内には、そわそわしながら車窓を眺める僕の姿があった。


 一年前に始めた「端巡り」も、今日でついに完結だ。最後の目的地は西端。しかし、今僕が向かっている場所は、厳密には千葉県の西端ではない。厳密な西端は、東京湾に浮かぶ「第二海堡」という人工島なのだが、そこは一般人が立ち入ることが難しく、断念せざるを得なかった。そこで締めくくりは、県本土の西端である館山・洲崎すのさきに向かうことにした。房総半島の、丁度つま先のように西に突き出た部分の先端にある岬だ。そこにはやはり灯台があって、夕日の名スポットとしても人気らしい。

 早朝に出発し、特急に乗って館山駅へ向かった。館山は南端・野島崎を訪れた時以来、二回目の来訪になった。午前中には駅に着いたが、直ぐに洲崎には向かわなかった。同じく夕日の名所である野島崎へ訪れた時は、疲れ果てて夕日も見ずにすぐ帰ってしまった。だから今回は、洲崎には是非夕日が見れる時間帯に行きたい。それまでの時間は、折角なので館山城で過ごすことにした。館山城といえば、かの有名な『里見八犬伝』の舞台である。二度も館山を訪れるのだから、そんな絶好の観光スポットに足を運ばないというのも、何だか勿体ないような気がしたのだ。

 小高い山の中腹にある館山城からは、町も山も海岸も、全てが一望できた。階段や急な上り坂を登るのは流石にきつかったが、それでもお釣りの出る眺めだった。城の中には八犬伝関連の展示、さらに麓にあった博物館には館山の歴史に関する展示があり、見回っているうちにいつの間にか午後になっていた。その後は近くの茶屋で食事を取り、お茶を飲みながらゆっくりと足を休めた。そしていよいよ日が傾きかけた頃合いに、城の最寄りのバス停から洲崎方面に向かうバスに乗り、現在に至る。


 揺れる窓の外を眺めながら、今までの「端巡り」を振り返ってみる。

 初めの一歩を踏み出したのは、一年前の今頃。今日と同じように館山駅からバスに乗って、南端の野島崎に行った。あそこは心地よい所だったけれど、直ぐに草臥れてしまったっけ。それに、リア充共が沢山いて疎外感を感じたのを覚えている。

 その次は夏、東端の犬吠埼に行った。あの日は天気は余計に天気が良くて、狂ったように海が荒れていた。灯台の中で釜茹でにされたり、「地獄の入り口」の坂を抜けたのはどうにも忘れ難い。単刀直入に言って、トラウマである。

 正月に北端の関宿に行ったのは記憶に新しい。城の中の博物館はとても展示が良かったのもよく覚えている。冷たい風がびゅうびゅう吹いていて、スマホのバッテリーが切れて肝心な写真が撮れなかったのは、未だに心残りがある。

 こうして思い返すと、存外この旅で僕はしょっぱい思いばかりしているような気がする。しかし、確かに千葉についての知見は確実に広がったと思う。この旅をしていなければ、比較的都会な千葉しか知らない生半可な県民のままだっただろう。それから、体力も上がったように思える。今日なんて、城や博物館の中を歩き回ったり、急坂を登り降りした後にもかかわらず、まだまだ余裕がある。これは一年前の僕には考えられない状態だ。

 バスは刻一刻と最後の地へと近づいていく。これから僕は千葉の四つの端を踏破し、筋金入りの千葉県民になるのだ。そう考えると、心臓の鼓動が徐々に高くなって来た。しかしそれは、期待やワクワク感からくるドキドキというよりも、緊張や不安からくるドキドキに近かった。一年かけて続けて来たことが完結するのだから、当然楽しみだという気持ちはある。しかし、それを掻き消すように得体の知れない不安が心の底から湧いて出てくるのだ。感情はぐるぐると渦を巻き、黒く不気味に泡立っていた。

 心を落ち着かせるため、バッグから水を取り出し、一口飲んだ。その時、不意にバスの前の席に座るカップルが目に入った。二人は寄り添って手を互いに握りあい、静かに何か話している。中国語だろうか?彼らは明らかに日本語ではない言語を操っていた。女性の膝の上には、移住のガイドブックがちょこんと載っている。

 洲崎の最寄りのバス停に着くと、そのカップルも席を立った。清算の時、男性がカタコトの日本語で運転手と言葉を交わしていた。二人はバスを降りると、手を繋いでバス通りをゆっくりと歩いていった。

 僕は彼らに続くように降車し、バスはそのまま走り去っていった。灯台はバス停からよく見える位置にあった。高台の上に、白い灯台が据え付けられたように立っている。野島崎や犬吠埼の灯台と比べると、こじんまりとした灯台だった。高台は頂上が平たく、まるで灯台を立てるために盛られたような形をしていた。

 あたりを見回すと、もう乗っていたバスも、あのカップルの姿も無かった。僕はもう一口水を飲み、ふうと大きく息を吐いた。そしてついに、灯台へ続く道に足を踏み入れた。


 道は右にぐいと曲がっていた。角を曲がると、すぐに灯台へと登る階段が見えた。階段の手前には駐車場に似たスペースがあり、地面には何やら赤い海藻がびっしりと敷き詰められていた。海藻を干しているのだろうか?異様な光景に首を傾げながら、僕はその横を通り過ぎ、その先の階段を上り始めた。後で調べてみると、洲崎周辺は海女漁が盛んで、テングサがよく採れることで有名らしい。テングサの画像を見ると、この時敷き詰められていた海藻とよく似た色をしていた。

 くねくね曲がる石段を登ると、やがて高台の頂上にたどり着いた。洲崎灯台は今までの灯台とは異なり、中に入ることは出来ず、頂上に展望デッキもついていない。むしろ、灯台の立っている高台自体が展望台のようになっていた。高台からは館山の海岸線や太平洋が一望できた。特に西の方の景色には目を見張るものがあった。遠い緩やかな水平線の上を、タンカーと思わしき大きな船がゆっくりと滑っている。海面は傾きかけた太陽で煌めき、揺らいでいる。あの太陽が沈む頃、きっとここからの眺めはもっと素晴らしいものになるだろうと思った。

 岬の先端のギザギザした海岸に目をやると、近くにいくつかのテントが立っているのが見えた。地図アプリを開いて確認すると、海岸一帯は公園のようになっているらしい。僕はあそこに行かなければならないと思った。この見晴らしの良い場所から眺める夕日も非常に気になるが、ここは我慢するしかない。僕は「端巡り」を終えにきたのだ。西端により近い場所に行かなくては、それを締めくくることなど出来ない。灯台の姿と高台からの景色を数枚の写真に収め、僕は高台を降りた。


 公園には直ぐに辿り着いた。入り口で入場料を払い、白い砂利が敷き詰められた広場を横切る。道なりに進むと、高台から見た通りいくつものテントが貼られていた。そしてその先には、灰褐色の岩の海岸がある。

 テントの人々は思い思いに過ごしていた。ハンモックで気持ちよさそうに昼寝をする中年男性。焚き火で食べ物を焼く夫婦。辺りを走り回って母親に叱られる子供たち。波が洗う海岸の先で釣り竿を構え、大波に濡れながら魚を待つ人もいた。大海原には、白波と吹きつける海風。その先の西の空には、傾いた太陽があった。

 長閑な空気を吸いながら、僕は岬のゴツゴツした岩場に入った。海岸の岩場は入り組んでいて、時折波が陸の深い所まで侵入してくる。潮溜まりの数も多い。転んだら大惨事だと思いながら、慎重に岩の上を歩いた。

 地図アプリをチラチラ除きながら、岬の先端を目指す。岩場の先の、波の届かないギリギリの所まで来ると、僕は一つ深呼吸をした。そして、スマートフォンで海をパシャリと撮った。カメラには、岩場に押し寄せる波と、落ちて来た太陽の光が帯状に続く海面が写っていた。肩に乗っていた重りがフッと消えた感じがした。


 軽やかになった心で、岩場の先から引き返した。折角だから日没までもう少し散策しよう。そんなふわふわした気持ちで、岩場を歩いてしばらく経った頃。突然、足元に思いがけないものを見つけた。僕は反射的にピタリと足を止めた。心臓が急ブレーキを踏んで、きぃと甲高い音を立てた。

 それはウミガメの亡骸だった。目測で一メートルはあるだろうか。生物には詳しくないから性別は分からないが、とにかく大人のウミガメに間違いないだろう。大きな甲羅を天に向けた亡骸は完全に白骨化しており、ウジもハエも湧いていなかった。骨が欠けたり傷をつけられた形跡もない、綺麗なむくろだった。

 近くにはじゃれる子供達もいた。彼らは楽しく遊びながらも、ときどき骸をちらちら見るだけで、できるだけ近づかないようにしていた。きっと気味が悪いのだろう。しかし僕はその場を動くことが出来なくなっていた。亡骸の不思議な引力を前に引き寄せられて、目線も足も動かせない。心拍数が上がり、額に汗が噴き出す。

 自然と、ある考えが浮かんだ。

 僕もいつかは、こんな風になるのだろうか?

 この人生が後どのくらい続くのかはわからない。いずれにせよ、僕にもいつか死ぬ時が来る。そう考えると、体の奥底から震えが沸き起こった。関宿で川辺に立った時と同じ震えだった。あの時は得体の知れない震えだと思っていたが、今は何となく、その正体がわかる。


 僕も確かに、この自然の摂理の中で生きているのだ。


**


 夕刻の洲崎の岩場は、徐々に明るさを失っていく。太陽は低い薄雲の向こう側から、オレンジ色の淡い光を放っている。

 僕はカメの骨から離れ、海岸の固い岩に腰かけていた。晴れて「強靭な千葉県民」になった男は、何時になくしょげた顔で、ただ海を見つめていた。

 社会人になってからというもの、僕は停滞した日々を送っていた。虚無顔で会社に出勤したり、下手をやらかして上司に叱られたり、友達とゲームをしたり、休日を寝て過ごしたり。そうして一日、一週間、一ヶ月、そして一年を費やした。しかし、その間に僕の寿命もきっちり消費されている。利根川が関宿から銚子へと流れるように、あのウミガメが死んで骨になったように、僕の命の蝋燭は着実に短くなっていく。ぼーっとしているうちに、皺が増え、贅肉が増え、髪の毛は減っていく。そして腰は曲がり、声は嗄れ、そして目も見えなくなって死んでいくのだ。僕はそれが恐ろしくて仕方が無かった。

 僕はこの一年間、少しでも前に進めただろうか?いくら最強の県民になったと言え、もしまたあの同窓会にもう一度行ったら、きっと去年と同じ羨望と屈辱感を抱いて帰ることになるに違いない。結局、根本的な問題は何一つ解決できていないのだ。僕は相変わらず、夢も目的も熱意もないまま、ただお金を稼ぐためだけに仕事をしている。確かに以前より体力はついたし、やりたいと思ったことに積極的になったかもしれない。でも、精神の本質的な部分は旧態依然としたままだ。僕は相変わらず、情けなくて、怖がりで、空っぽな人間のままだ。こんな状態のまま、もしも偶然トラックに轢かれて死んだら…。想像するだけで幽霊になりそうだった。

 結局、「強靭な千葉県民」になる意味なんて、無かったんじゃないだろうか…?


 そう思った時、不意に眩しさに目を細めた。薄雲に隠れていた太陽が、再び顔を出したのだ。空のオレンジと海の紺色がみるみるうちに濃くなり、分離していく。風が冷たくなり、キャンパーのテントをぶるぶる靡かせた。

 景色を見つめていると、やがて太陽が燃えだした。いよいよ日が水平線に差し掛かったのだ。海は青から一転、一面が夕焼け色に染まり、中央には反射で出来た黄金色のカーペットが太陽へと続いた。オレンジの大気には、太陽を中心に放射状の光の筋が見える。目を凝らして大気をよく見ると、雲に隠れた富士山の姿も見てとれた。

 その景色のあまりの美しさに、僕は呆気に取られていた。荒んで凍えていた心に、じんわりと熱が広がっていくのを感じる。

 夕日が更に水平の下に潜ると、光は段々と弱まっていった。黄金のカーペットも光の放射状も、富士の輪郭も次第にぼやけて行く。

 夕焼けの余韻に浸りながら、僕は静かに思い直した。やっぱりここに来て良かった。「端巡り」を始めて、そして完遂できて本当に良かったと思った。


 すっくと立ち上がって、岩場を引き返す。そして、あのウミガメの亡骸の前に再び足を運んだ。

 俯いて、ウミガメの骸骨をじっと見つめる。そして想像した。このウミガメは、どんな生涯を送ったのだろうか?厳しい野生の環境にあって、こんなに大きくて立派な体になるまで生き伸びたというのは非常に難しいことであり、きっと素晴らしいことなのだと思う。生前はきっと沢山の苦労をしたに違いない。荒波に揉まれ、天敵に食べられる恐怖に抗い、どんどん死んでいく兄弟たちを弔いながら、一生懸命生きたのだろう。これは完全に憶測だが、きっとつがいもいて、沢山の子孫も残したんじゃないだろうか。そうして命を燃やして、偶然にも千葉の西端の、この岩だらけの海岸で力尽きたのである。

 これはウミガメに限ったことではない。次に、バスの中で出会った異国のカップルの姿が思い浮かんだ。二人の人生について考えてみると、どんどん想像が膨らんだ。彼らはどんな場所で生まれ育って、どうやって出会ったのだろう。日本語はどこで学んだのだろう。どうして彼らはこの地に住もうとしているのだろうか。異国の地に住むのだから、彼らには多かれ少なかれ困難が立ちはだかる時もあるだろう。しかし、それでも彼らはきっと愛し合って、幸せな家庭を築くために努力することだろう。

 もっと言えば、彼らだけではないのだ。野島崎灯台の展望台でぶつかったカップル。犬吠埼灯台の螺旋階段で騒いでいた餓鬼共と引率の先生。関宿城の警備員のお爺さんや、博物館で駄々をこねていた少女…。あの人達だって皆生きていて、懸命に人生を歩み、そしていつかは死んでいく。自然の摂理の中にいるのは、僕だけではない。全人類が同じ土俵に立って、その中で幸せを探して頑張るのだ。ならば、こんな僕にだって幸せになるチャンスがあるはずだ。


 僕は骸の前でしゃがみ、そして静かに手を合わせ、目をつぶった。そして、冥福を祈ると同時に、誓った。

 きっとこの先、僕には色んな困難が待ち受けているだろう。辛いことがあって苦しんだり、失敗して落ち込んだり。孤独感で心が空っぽになったり、この先どうしたら良いか分からなくなって途方にくれたり。でも、そんな困難が沢山起きても、幸せを掴むことを諦めないで生きて行こうと思った。「端巡り」の次は「幸せ巡り」の旅が始まるのだ。

 僕はこのウミガメみたいになりたい。これが僕が「端巡り」の末に見つけた、たった一つの「人生の目標」である。


 岬はすっかり薄暗くなった。太陽が地平線の下で僅かに赤い光を放っている。僕は立ち上がり、岬を後にした。公園を出て上を見上げると、高台の灯台のライトが回転して、エメラルド色の光を振りまいていた。

 僕は灯台に導かれるように帰路へ着いた。

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千葉 単探端譚 伊場 敬@あれんすみっしー @McIver5cs

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