第3話 北端・関宿
新年が明けて数日。大勢の人が初詣やおせちや羽根つきに夢中になっている頃。僕は誰もいないバス停にいた。「新町」と書かれたバス停の前で、ふかふかのダウンジャケットに身を包み、肩を震わせていた。マフラーに埋めた顔から白い息を吐きながら、数分置きにスマホを開いたり閉じたりする機械と化していた。
犬吠埼を訪れてから五か月。長いブランクを経て、久しぶりの「端巡り」だ。それまで何をしていたのかというと「いろいろ」だ。例えば、気になった映画を見に劇場に行ったり、企画展でたまたま来日している有名な絵画を見に行ったり、テレビで紹介された近場の美味しそうな飲食店に足を運んでみたり。交友関係でも進展があった。夏に再会した例の学生時代の友人に「他の仲間も誘って、通話アプリで会話するのはどうか」と提案してみたのだ。これは直ちに実現し、最近では皆でオンラインゲームをやるまでに発展している。
僕はブランクの間、近年稀にみる積極性を発揮していた。それもこれも、犬吠埼の灼熱地獄の影響だ。あれ以来「人生いつお迎えが来るかわからない」「やりたくなったことはやらずに後悔しないようにしたい」と思うようになったのだ。その反面、「端巡り」はどんどん後回しになった。犬吠埼でのトラウマのせいで、なかなか次の端に訪れることが出来なくなってしまった。しかし、決して諦めた訳ではなかった。別の用事で外出する度、心のどこかで「『端巡り』から逃げるな」という声が聞こえた。その声に聞こえないフリばかりしている自分に嫌気も差していた。そして年末年始の連休、ついにその声を払拭しようと思い立ったのだ。
今回のターゲットは北端である。偶然にも僕は、南端から東端へと、反時計回りに訪れてきた。その流れに則って、東端の次は北端を目指すことにした。
千葉の北端は、埼玉県と茨城県に突き出した回廊の先端部分。ちょうど利根川と江戸川が分岐するあたりの地点だ。地名としては野田市の
午前中に千葉駅を発ち、船橋で乗り換え、東武線の川間駅で下車する。本来は駅前から出る城行きのバスに乗る予定だった。しかしミスがあった。東武線の快速に乗るはずが、間違えて各駅停車に乗ってしまったのだ。到着は遅れ、目当てのバスを逃してしまった。その後、直通のバスは当面無く、何回かバスを乗り継ぐ必要があった。
そうして辿り着いたのがこの新町のバス停だ。今待っているバスに乗れば、次で城に到着する。実を言えば、バス停から城まで歩いて行けない距離ではない。が、この後もさんざん歩き回るだろうから、今は体力を温存しておきたい。現に僕は既にバテ始めていた。体力的な疲れだけではない。度重なる予定変更や乗り換えで気が滅入っていたのだ。
数分後、ようやくバスが到着した。走り出したバスは、程なくして開けた一本道に出た。右も左も一面の田畑だ。平たい農地を取り囲むように、小高い細長い丘があった。江戸川と利根川に沿って作られた堤防である。堤防の頂上の一角には、ちょこんと座る白い天守が見て取れた。
バスはやがて土手を駆け上り、城の前の狭いロータリーで止まった。降車して目の前の天守を見上げる。遠目からだと豆粒のようだった城も、間近で見るとやはり大きい。乾いた陽に照らされ、柔らかく輝く純白の城。その佇まいは、要塞としての堅牢さや力強さより、ある種の高貴さや上品さを強く感じた。
ハッと思い立って、ポケットからスマホを取り出した。そしてカメラを起動し、その端麗な城郭を写真に収めた。実は今日、写真を沢山撮ろうと決めていたのだ。野島崎でも犬吠埼でも、僕はほとんど写真を撮らなかった。アルバムには端の地点の写真くらいしか残っていない。世に憚るSNS狂いのように見られるのが嫌だったのだ。しかし、仲間とのオンライン通話を初めてから、考えを改めた。彼らに犬吠埼が「地獄だった」と話すと、全員に「大げさだろ!」と笑われた。怪物のような波や地獄の入り口の坂のことを、口だけで伝えるのには限界があると思い知ったのだ。
スマホを閉じると、僕はいよいよ城に入った。家紋があしらわれた門をくぐり、真っ直ぐ砂利の前庭を横切る。城の入り口は外観とは裏腹にガラスの自動ドアになっており、入った先はごく普通の博物館のエントランスになっていた。
入場券を買いに券売機の前で並んでいると、不意に話し声が耳に入った。声の主は目の前で並んでいた常連らしき年配の女性客と警備員のお爺さんだった。話題は博物館の入館料の話だった。警備員さんが言うには、時勢の影響で入館料を上げる必要があったらしい。しかし、地域の皆さんが気軽に来てくれるよう、どうにか料金を抑えたいと試行錯誤したのだという。大人の入館料は二百円と、普通の博物館より格段に安い値段だった。
展示内容は主に、この地域の昔の人々の生活を紹介していた。かつて多発していた洪水の被害を免れるために、人々はどんな設備を作ったのか。川の流れを制御するために、どんな工夫をしたのか。かつてこの地にあった魚河岸ではどんな人達が働き、どんな商品がやり取りされたか、等々。他にも、江戸時代にこの地にあった藩の歴史や、ゆかりのある元首相・鈴木貫太郎の生い立ちの解説などもあった。格安な入館料とは良い意味で不釣り合いな、かなり充実感のある展示だと思った。
最上階に上ると、そこは天守閣の展望室だった。こじんまりとした長方形の部屋に、四方にガラス窓が設けられていた。室内ゆえに灯台の展望台ような高所感は一切無く、癒しすら感じた。窓の外にゆったりと流れる利根川と江戸川を一枚撮り、僕はエレベーターを降りた。
下りてすぐ、天井の高い展示室に辿り着いた。部屋の中央には大きな帆船の模型があった。模型を見上げていると、近くで不機嫌そうな叫び声が聞こえた。そこには小学生くらいの女の子がいた。彼女は展示を眺める父親の袖をぎゅっと引っ張って「ねぇつまんない!」「早く公園行きたい!」と声を張り上げている。
胸に怒りが沸き上がった。とんでもない餓鬼だと思った。この博物館は博物館の人達の努力の賜物だ。それなのに、この小娘は自分が遊びたいからと言って、その努力を踏みにじっているように感じたのだ。僕はひそかに、そのピンクのセーターを睨みつけた。
船の展示室の先は最初のエントランスだった。これにて博物館の見学は完了だ。僕は休憩も兼ねてソファーに座り、ペットボトルのお茶をがぶりと飲んだ。
あの餓鬼への怒りはまだ燃え続けていた。彼女の自分勝手で生意気な態度は何とも許しがたい。彼女には成長してものの分別と自制心を身に着けた後、もう一度この博物館に来るべきだと思った。そして、是非とも先の自分の言動を思い出して、大いに恥じて欲しいものだ。
しかし、怒りの炎は心の中で化学反応を起こし、徐々に羞恥心へ置き換わっていった。僕はなんと懐が狭いのだろう。遊び盛りの子供なんて所詮ああいうものだ。大目に見てやってもいいじゃないか。どうして僕はいちいち目くじらを立ててしまうのだろう?第一、僕だって小さい頃は公園で遊ぶのが大好きだったじゃないか。
そうして心を鎮めている間に、足の疲れはだいぶ回復してきた。僕はついに立ち上がった。ここからはいよいよ今日の本題、北端アタックだ。
城の外に出て、冬の寒気と再会する。マフラーに顔を埋めながら門を出ると、そのまま右に曲がって城の敷地を出た。城のすぐ隣にはブランコや滑り台など、たくさんの遊具があった。さっきの小娘が遊びたがっていた場所はおそらくここなのだろう。無論、彼女の姿をあえて探したりはしなかった。やっと大人しくなった腹の虫が、また暴れ出してはいけないと思ったのだ。僕はなるべく遊具を見ないように、足早にその横を通り抜けた。
突き当たりの小さな広場を突っ切ると、土手の下の川原が見えた。利根川と江戸川の流れが分岐する場所が良く見えた。千葉県の北西に突き出た地域の先端部分の地である。そこからほど近い路上に、面白いものを見つけた。土手の上を走るサイクリングロードのアスファルトに、白字で「千葉県|茨城県」と書かれていたのである。両県の県境だ。茨城県の本土は利根川の向こう側なのに、ここに県境があるのかと驚いた。標示を写真に収めた後、スマホで地図を確認した。それによれば、確かに千葉県側にも少しだけ茨城県の領域があった。
そのついでに北端の位置も確認した。県境はここからさらに北上し、土手の下を通って利根川の川岸まで続いている。つまり、その川岸の地点が僕の目的地だ。
可能な限り北端に近づきたかった。さらに進むと、堤防の下に通じる白い階段があった。堤防の下にはアスファルトの二車線道路があった。しかし道路は車が通行できないようになっていた。工事現場でよく見かけるようなフェンスが二列、垂直に設置されていたのだ。二列のフェンスは歩道のように置かれており、歩行者が道路の反対側に渡れるようになっていた。
道路の反対側は川辺の草原だった。見渡す限りの褐色の草原に、白い石畳の道が右手斜め方向に続いている。草原の入り口にはキャスターのついた伸縮性のある柵が置いてあるが、今は端にまとめられていて、開いている。
心臓が一つ、ドクンと音を立てた。僕はこの道の先に入っても良いのだろうか?近くには道路工事の知らせを告げる看板もある。草原の入り口は開放されているとはいえ、僕のような部外者が立ち入ってはいけないんじゃないだろうか…。
立ち止まって散々悩んだ挙句、僕は前に進むことにした。工事の看板はあれど、「草原に入るな」という表示はどこにもない。このフェンスや石畳の道だって、人が通れるように設置してあるに違いない。そして、ここまで来たからには真の北端を訪れなくては、きっと後悔すると思ったのだ。もし後で誰かに怒られたら、その時は腹をくくって謝ればいい。僕は勇気を出して、草原に足を踏み入れた。ダウンジャケントの中は汗でじっとりと蒸れていた。
誰もいない石畳の道を一人進む。道の周りは、一面の枯れた真冬の草むら。時々、川の流木と思わしき大きな木々の残骸が平然と転がっている。雨で川が水嵩を増せば今いる場所も水に浸るのだと思うと、何ともおどろおどろしかった。吹き付ける冷たい風が、ジャケットと心細さを煽った。
足を進める度、流水の音と湿った土の匂いがだんだんと近づいてくる。石畳は大きな一本の木の前で左に曲がった。石畳はやがて黒っぽい凸凹した泥に覆われ、ついに利根川の水面が顔を出した。
そこは開けた川岸の砂浜だった。夏に銚子で見た利根川の向こう岸ははるか遠くに見えたが、ここでは直ぐ近くに見える。川が少しずつ岸を削り広げている証拠だ。そして水はゆっくりと川を下り、あの銚子を経て、あの太平洋へと注ぐのだ。
僕の目の前で、自然が動いていた。そう考えた時、僕の心に得体の知れない冷たい何かが広がった。全身に鳥肌が立ち、全身が芯からガタガタと震えた。それは明らかに寒さによる生理現象ではなかった。原因不明の震えに、僕は俄かに怖くなった。
しばらくすると、震えは何事もなかったように引いた。腑に落ちないまま川原を撮影したあと、再び地図を確かめた。北端はもっと上流側にあるようだ。地図を拡大すると、近くに左手へ伸びる道があるようだ。川岸の入り口の近くをよく見ると、草むらの斜面の先に階段らしきものが見えた。位置は地図の道と一致していた。僕は草原の土に足をかけた。土に足を滑らせそうになりながら、懸命に斜面を登った。
何とか階段の前に辿り着いたものの、階段以外に道らしき痕跡は何もない。そこにはただ草原が広がるばかりだった。何度もスマホの地図と目の前の地図を交互に確認し、少しずつ前に進んだ。
電波が悪いのか、現在地を示す丸い記号がぐんと大きくなったり、よろよろと移動したりする。それでも着実に県境に近づいていた。
北端はもう、すぐそこだった――。
「……あっ!」
――それは突然のことだった。
スマホの画面が真っ暗になった。ホームボタンを押しても音沙汰がない。電源ボタンを長押ししても、いつものロック画面は現れなかった。代わりに画面に表示されたのは、黒い背景と空っぽになった電池のマークだった。
目の前が真っ暗になった。断崖絶壁の半ばで命綱が切れたクライマーの気分だった。僕は思わず、草むらにしゃがみこんだ。
いろんなことがショックだった。もう少しで「真の北端」だというところで、自分の現在地を知る手立てが無くなってしまった絶望感。仮に真の北端に辿り着いたとしても、その場所を写真に撮れないやるせなさ。この後帰るのに、バスや電車の時刻や乗り換え情報を検索できない不安。そして、知らず知らずのうちに全てをスマホに頼っていて、それが使えないと何も出来なくなってしまった自分への失望だ。
後で冷静になって思い返せば、充電切れは必然だったようにも思える。僕はこの日、スマホを酷使していた。電車やバスの乗り換え検索や現在地の確認、そして写真撮影。電車の移動中はゲームだってやった。いくら充電を満タンにして家を出たとはいえ、何年も前から使っている年季の入ったスマホだ。バッテリーの持ちも短くなっていた。それに加えてこの冷たい風である。スマホが極度に冷やされた時、バッテリーが尽きる前に電池切れの表示が出たことが今までにも何回かあった。しかし、まさか今、このタイミングでそうなるとは…。
途方に暮れて、どれくらいの時間が経っただろうか。僕はようやく立ち上がると、川辺を恨みがましく眺めた。真の北端を目の前にして、写真が撮れないもどかしさが心を支配した。だが思い返せば、南端の写真は記念碑だったし、東端で撮った写真も、波が荒くて本当の端の地ではなかった。それに厳密な端を求めるとキリがない。だから今回も、最後に撮ったあの砂浜の写真で満足しようじゃないか。それに今日は城の写真や県境の写真だって撮ったのだし、十分だろう。そう心に言い聞かせながらも、やはり悔しさは残った。
草原に埋もれた階段、砂の川原、大木の曲がり角、白い石畳の道、フェンスで遮られた車道、そして白い階段。僕はトボトボと来た道を引き返した。階段を上る時、自分のスニーカーが泥んこになっているのに気づいた。さらに、ズボンの裾にもかなりの泥が飛び散っていた。帰ったらしっかり洗わないと…。その作業を想像するだけで、沈んだ気持ちがさらに奈落の底へと沈んでいく。
はぁと大きなため息をつきながら、僕は再び土手の上に戻った。県境の標示を横目に眺めながら、遊具や城のロータリーの方へ向かう。遊具の近くに蛇口を見つけた。僕は仕方なく、とりあえず水でズボンの裾とスニーカーの泥を軽く落とすことにした。真冬のキンキンに冷えた水に触れるのは、苦痛そのものだった。
しかめっ面で水道を後にすると、サイクリングロードの向いから一組の親子が走って来るのが目に入った。幼稚園児くらいの男の子が、小さな凧を持って勢いよく駆け回る。父親はそれを追いかけて「また転ぶなよ〜」と情けない声を上げている。よく見ると、子供が履いている黒いズボンには泥がべっとりついていた。
あのズボンはもっと洗うの大変だろうな。すれ違い狭間に僕はそう思った。あれを洗濯する親の気持ちを考えると、赤の他人の僕まで気が滅入りそうだった。しかし、そんなことも構わず楽しげに走り回る子供を見ても、「お前は今、親に気苦労をかけているのがわからんのか!」と説教したい気分にはならなかった。むしろ、羨ましかった。僕は惨めな大人になってしまった。洗濯を自分でするようになり、洗濯の面倒くささを知ったかわりに、泥んこになって無心に遊ぶのが楽しいという感覚を忘れてしまった。僕が失ったものを、彼はまだ持っているのだ。
不意に、城の中で見た女の子のことを思い出した。さっきはカッとして、彼女を「大人になって恥じろ」と呪ったが、撤回したい。大人になっても、どうか我儘だった頃の自分を恥じないで欲しい。今の君にもきっと、素晴らしい所があるから。そしてそのうちのいくつかはきっと、大人になったら無くなってしまうから。
城の前のバス停で時刻を確認した。幸い腕時計をしていたので、時間だけは把握できた。しかし、最終バスはもう行った後だった。帰るには歩いて、例の新町のバス停まで戻る他ない。あのバス停は別の路線のバスも通るはずだ。というより、そうでなくては非常にまずい。いや、頼むからそうであってくれ。
城の休憩所で少し足を休ませた後、僕は土手を陸側に降りた。そこには行きのバスで通った田畑の間の一本道があった。
閑散とした田園の道を一人歩く。季節がら。農地には植えられている作物も、農作業をする人影もない。ただ乾いた平坦な大地に、北風が容赦なく吹きつける。新春の寒風がひゅうひゅうと音を立て、僕の体からみるみるうちに熱を奪っていく。マフラーもジャケットも手袋も、もはや意味をなさなかった。シベリアで罰を受ける囚人みたいな気分だった。僕はたまらず、歩みを速めた。
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