ハロー、ブルース・ドライブ・モンスター

ふえるわかめ16グラム

ハロー、ブルース・ドライブ・モンスター

 ふと気が付いてしまったんだ。

 少しでも気を抜けば、押しつぶされてしまうような超満員の通勤電車。周りを見渡せば、一人残らず死んだ顔をしている。イヤホンを両耳にブチ込んで仏頂面かましてる僕もそのうちの一人だ。


 メガネに張り付いているような、代わり映えのしない毎日。その繰り返し。一昨日も昨日も今日も、明日も明後日も明々後日も変わらない日常に、すっかり摩耗してしまっていた。


 ——家畜の方が恵まれてるな、これじゃ。


 いつかの高速道路、牛を運んでいるトラックを見かけたことを思い出した。たぶん、彼ら(もしかしたら彼女かもしれない)の方がストレスなく移動しているだろう。


 確実に言えるのは、やたらめったら硬い女物のバッグの角が脇腹に突き刺さっている僕は今まさにストレスが急上昇している状態だということ。

 このババア頭おかしいんじゃないのか。ショルダーバッグを下ろさずに満員電車に乗り込むなんて、なかなかいい度胸をしている。


 僕はさっきから脇腹を襲う鈍い痛みから逃れようと試みるけど、四方を人間に囲まれた状態じゃ身動き一つ取れやしない。

 そして、早くも抵抗を諦め、この痛みに甘んじようと瞼を閉じた時だった。


 僕の乗る電車が駅のホームに滑り込んで、ドアが開く。そこから何かの部品のように吐き出される人間たち。


「うぁああ降ります降ります!!!!」

「うおお!?」


 流行りに流されてブルートゥースイヤホンに買い換えればよかった。

 後悔先に立たず。

 何かしら騒がしい乗客にイヤホンが絡まってしまって、僕の耳から弾け飛んでしまった。しかも運の悪いことに、繋いでいたスマホも一緒に吹っ飛んでしまっている。なんだか今朝は痛いことばかりだ。


「あああああごめんなさぁい!!!!」


 僕からイヤホンとスマホを奪っていった犯人は、通勤電車には似つかわしくないギターケースを背負った女性だった。叫ぶように謝罪を繰り返す彼女からはアルコールの匂い。しかし彼女は一切立ち止まらずに車外へ出て行く。いまだに片耳にイヤホンが残っている僕は付いて行かざるを得ない。


「いやちょっと、止まれって!」

「ごめんなさい降りるんです!!」

「はぁ!?」


 なんか僕今日ツイてないな?

 心折れそう。



 そうして、僕とギターケースの彼女は、車内中の白い視線を集めてホームに吐き出された。

 というか僕のイヤホン訳のわからない絡み方してるんだけど、何これ。


「あぁもう、早くほどいてくださいよ! 電車行っちゃう前に!」


「いやあ、これですね! わかんない! どうしてこんなこんがらがってるんだ!? わはは!!」


 苛立つ僕と急に笑い出す彼女。酒に酔ってるだけかと思ったら、もしかして違法なヤツとかやってるんじゃ?

 やばいやばいと思ったが、イヤホンが繋がったままのスマホは依然として彼女の手中にあるし、まるで退路を塞がれたような感じだ。


 手も足も出せず狼狽える僕と、地面にへたり込んで爆笑している彼女を、人波は避けるように流れていく。世界は非情だ。ヒューマニズムは死んだ。冷凍都市・凍狂の名は伊達じゃないってか。いよいよ僕の思考も怪しくなってきたぞ。そして無情にも発車のベルが鳴り響く。


「あぁ……電車が……」

「おっ!? やりました! 解けました!!」


 憎たらしくニコニコと笑う女と、唖然とうなだれる僕。ホームのどこかでシャッター音がした。


「いやあ! 本当にごめんなさいお兄さん!! お詫び、お詫びです、コレ! ハイボール、美味しいですよ!! ヤッター!!」


 腹立たしいくらいフレンドリー。

 僕はクソデカ溜息といって差し支えない溜息を吐いて、酒を勧めてくる彼女を一瞥した。


「あの、僕、これから仕事……なんですが……」


 ギターケースのポケットからハイボールの缶を取り出す彼女は、とびきりの美人だった。思わず言葉を失う僕へ、ニコニコと缶を押し付けてくる彼女。サラサラのショートボブに、アッシュのインナーカラー。陶磁器のような頬には朱が差し、なんともいえない色香を感じさせた。


「へぇいお兄さん」


 いつの間にか、彼女も缶を掲げている。


「え、あ、ハイ」


「カンパーイ!!」



 ****



 やってしまった。

 ついに、やってしまった。

 通勤途中、駅のホームのベンチにて、『濃いめ』の文字が踊る五百ミリリットルの缶が、僕の手の中にある。


 飲み口からはプチプチと泡の弾ける音が聞こえるし、僕の喉元には炭酸の刺激が残っている。


「ッハァアアアア。最高だなぁ。見てくださいよ、死んだ顔して会社に向かう社畜さんたちの群。コレを肴に飲むハイボール最高に美味くないっすか!?」


「え? え、えぇ……まあ……」


 あーやばい、マジでやばい。絶対SNSに晒される。そして炎上して僕は会社や住所、実家まで特定されて、懲戒解雇からの人生お終いルートへ真っ逆さまだ。美人だからと油断した僕が悪かった。こうやって缶に口をつけてしまった以上、言い逃れできない。いとも容易く社会人としてのレールを外れてしまったことに、呆気なさすら感じる。というかハイボール美味しい。何コレ、平日の朝から飲むのやばいな。脳ミソにガツンとくる罪の味じゃん。


「おおっと、これは失敬。おつまみを忘れていましたな! わっはっは!!」


 妙にオヤジ臭いセリフを叫んだ彼女は、再びギターケースを弄ると、わさび味の柿の種を取り出した。


「えっ、それ、どうなってるんですか。さっきからお酒とかばっかり出てきますけど」

「この子はフェンダーサイクロン! この子があたしに美味しいご飯と酒を恵んでくれてる訳です!!」


 彼女は聞いてもいないギターの名前を声高々と叫び、愛おしそうにケースへ頬ずりした。


「ああ、サイクロンですか。可愛いギターですね」

「んお!? お兄さんわかるぅ? 分かっちゃうかあ」


 彼女は僕の返答が気に入ったのか、上機嫌で新しい缶を取り出し、僕へ手渡してきた。まだ半分以上残っている缶と、新しい缶で両手が塞がる。なにそれ、四次元ギターケースなの?


「ほらお兄さん! ちょっと飲み方足りないんじゃないの!? ほらグイッとグイッと!」


 僕の事を急かす名前も知らない彼女の足元には、すでに空っぽになった缶が転がっている。とりあえずまた一口呷ると、改札へ向かうハゲオヤジと目が合った。


 なんだてめえ、人のことバカにしたような目で見やがって。クソみたいに融通が効かない石頭の上司に似てる上に、失礼だぞ人様の前でハゲ散らかしてんじゃねえよバーカ、ハーゲ。


 もう一口、もっと多めに酒を呷る。今度はいけすかないエリートサラリーマンみてえな奴と目が合った。いや、こいつ知ってる奴だわ。確か営業部の奴だよ。


「うーわ、あいつ社内結婚のくせに経理の女の子と二股かけてる奴じゃん。大学時代サークルの同期食い散らかして穴兄弟量産してた過去とかありそう」


「はぁーウンコマンじゃん!! あたしうんこ色の革靴履いて細いスーツ着た男嫌いだわ!! パンツ一丁にひん剥いて亀甲縛りにして山に捨ててー!!」


「「わはははは!!」」


 これほんとにハイボールか? なんかすっげえ酔いがまわるんだけど?

 まあいいか、めっちゃ楽しくなってきたし!!

 うーん優勝!!!!



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ふと目を開けると、そこは黄金色の光が満ちた空間だった。


 ……いや、違う。ここはすっかり傾き始めた太陽の光が差し込む駅のホームだ。ただ、人っ子一人いないというのが不可解だけど。


 身体中に満ちた倦怠感とか、酷い喉の渇きに顔をしかめながら周囲を見渡すと、今朝方の女が剥き身のギターを抱えたままベンチで爆睡していた。彼女は僕の太ももに足を乗せた状態で、この上なく幸せそうな表情で眠っている。


(なんだこれ、なんだこの状況……?)


 しばらく目をこすったり、首を回していると。


「あぁー、お兄さん起きた? やっべぇ、超ガチ寝してたわ……」


 じゃらーん。

 Eメジャーのローコードを鳴らしながら彼女が目を覚ました。

 大きなあくびをしながら彼女は、後頭部から髪の毛をかきあげる。その一瞬、短く刈り上げた襟足と、少し派手なシルバーのピアスが見えた。


「あ痛たたたた、背中バッキバキ」


 彼女は軽く勢いをつけて立ち上がると、ざっくりとした布地のボーダー柄のTシャツに包まれた、細い身体をほぐしながら笑った。


「お兄さん、危ないとこだったね」


 彼女は黄色い塗装のフェンダーサイクロンのヘッドに片手を乗せて、いたずらっぽく微笑む。影のできない黄金色の空間の中で、彼女は天使のように見えた。


「危ないとこ? 何が……?」


「まあすぐにわかるよ。そんでもしよかったらあたし達のライブ見に来て、それでオーケー」


 疑問まみれな僕を嘲るようにニヤリと嗤った彼女は、手にしたサイクロンを野球バットのように構える。僕の目の前で。見事なバックスイング。


「やっぱ路傍の石ころよりも流れ星だよなぁ!?」


 迫るサイクロン。逃げ場はない。


「ひぇっ!?」


 かばう腕、間に合わない。

 うーん。

 死んだな僕。



 ◆ ◆ ◆ ◆




 ……おや。

 あの世は死ぬほど体がだる重なんだな。まるでベッドの上みたいだ。

 こりゃいい経験をした。三途の川の向こう側についたらじいちゃんに自慢してやろう。めちゃくちゃ美人な姉ちゃんと一緒に酒飲んでその子にギターで殴り殺されたんだぜって。



 ……いや、僕これ生きてるわ。


 目を開けると、ある種予想通りの見慣れない天井が広がっていた。それと左腕につながる点滴の管。


 どうやら僕は死に損ねたらしい。まあ、よくよく考えたらギターで殴られた割には頭に何も外傷ないのはおかしいもんな。


 さて。


 こうやって、しっかりと横になったのはいつぶりだろう。

 カフェイン剤をエナジードリンクで流し込んでも効かなくなってから幾星霜、最後に部屋のベッドで寝た記憶は朧げにしか思い出せない。


 体は借り物のように重いが、頭は随分とスッキリしている。


 視線をぐるっとさせると、どうやら夕方と呼んで差し支えない頃のようだ。病室に差し込む光はしっかり色づいていて、明るい室内を橙に染め上げている。

 僕は小さくため息をついて、右手で顔の片方を覆った。風呂に入れていないから、嫌なぬめりを感じる。ワイシャツの袖口がドス黒い。ふと頭に衣類用洗剤のCMが浮かんで笑った。


 そして、小さなテレビなどが設置された棚に、充電の切れた僕のスマホが置いてあることに気が付いた。


 たぶん、限界を迎えたんだとおもう。


 そう、あの朝の電車で、僕は音楽なんて聴いていなかった。会社から、一時的に帰宅する途中だったんだ。


 角の塗装が所々剥げてしまったケースに、熊か犬かよくわからないキャラクターのステッカーが貼られた、僕のスマホ。そのキャラクターは、僕が学生の頃から好きなバンドのマスコットで、何度かライブにも行ったことがある。


 僕は恭しく、それを手に取る。

 すると、本体とケースの間に何やら紙が一枚挟んであることに気が付いた。

 僕は、覚束ない手つきでそれを抜き取ると、大切な物のように目の高さへ掲げる。


 ——小さなライブハウスでよく見る、単色刷りのチケットだ。


 そしてその裏には、マジックで書かれた、少し丸っこい文字が踊っていた。


『無理すんなよ、バスターズ!』


 未来の日付が印刷された、なんて事のないライブイベントのチケット。

 長い事忘れかけていた、憧れや焦燥感のようなものが、胸に蘇る。

 僕は、ここで、ようやく泣くことができた。

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