僕にしか見えなかった少女

@NARS

僕にしか見えなかった少女


 駅のホームはたくさんの顔を持っている、と言うより生きていると言ってもいいかもしれない。

 朝は仕事へ向かう人で溢れる賑やかな顔。昼は自由な人で溢れる気ままな顔。夜は安堵した人で溢れる柔らかな顔。

 決して駅は移動する事も無ければ、言葉を発する事も無い。だけど彼らは生きている。全身に血液を送り出す心臓の様に、懸命に、静かに、命を燃やしている。

 僕はそんな駅のホームで電車を待つ時間が好きだった。その時だけは自分の存在価値なんかどうでも良いと思えた。だって必ず行き先があるのだから。

 

 

 予備校の朝の授業をサボって、親に連絡されない様、昼から授業へ向かおうとした。

 もうサボろうか、でも行かなきゃ。

 嫌悪感と罪悪感も相まって、自分が分からなくなっていた。

 改札を抜け、階段を上り下りして、ホームへ出ると、一番端っこにあるベンチに女の子が座っていた。

 白いワンピースに麦わら帽子。いかにもって感じの服装だった。なんとなく気になって隣に座った。

 反対方向の電車が駅を駆け抜ける度、風が吹き抜け、少女の黒髪を揺らした。でも彼女はそんな事はどうでもいいって感じで一切気にも留めず、ホームから見える眩しい空を眺めていた。

 

「私が見える?」

 

 あまりに露骨だったのか、少女は僕の視線に気づいたらしく、話しかけてきた。

 

「見えるって?」

「そう見えるんだ」

 

 僕の疑問なんかお構い無しに勝手に納得する少女。意味が分からない。

 

「ねぇ、君って生きてる?」

「え?生きてるって何。一応生きてるけど」

「嘘。私が見えてるって事は貴方は死んでる」

「何を言ってるんだ」

 

 存在も言動も不思議な彼女。

 もっと話を聞きたいと思ったが、もう電車が来てしまっていた。急いで駆け込み、後ろを振り返れば、そこに彼女の姿は無かった。

 

 

 また昼から予備校へ行こうとすれば、駅のホームの端っこで彼女はまた同じ位置に座っていた。朝と夜は居ないくせに、何故昼だけいるのか、何故ずっと同じ格好なのか、聞きたい事は山ほどあった。でも一番気になっていたのは、僕が死んでると言った事だった。

 

「どうも」

「ふふ、また会っちゃいましたね」

 

 手を顎に添えて、楽しそうに笑う彼女。ますます疑問は深まるばかりだ。

 

「前、僕が死んでるとか言ったけど、一体どういう事?」

「そのままですよ」

「いや意味が分からないんだが」

「私が見えるって事はそういう事なんです」

 

 なんなんだと叫んでやろうと思った矢先、周りの異様な視線に気付く。

 自分は喋ってるだけなのに。

 

「ほら、ね?」

 

 そんな自慢気に言われても困る。本当に意味が分からない。

 

「あっ、ほら電車来ましたよ」

 

 言われても見ると、奥の方から上りの電車が来ていた。自分が乗る予定の電車が。

 

「何で僕が乗るって分かった?」

「それはまた会ったら」

 

 風が吹いた。一瞬目を閉じ、開ければ彼女はそこに居なかった。まるで風に拐われた様だった。

 

 

 

 二回目の大学受験が始まる迄の間、何度も彼女と会話をした。

 決まって昼に彼女はいた。僕を見つけると、小さな手で大きく手招きをし、隣に座らせ、話を始める。

 もちろん彼女は僕以外に見えないらしく、周りは奇異な物を見るような視線を送ってくる。でもどうでも良かった。

 彼女が語る話には自分がどこかで落としてしまった未来への希望がたくさん詰まっていた。

 彼女と過ごす甘い時間の事。友達と過ごす事。子供の可愛さの事。ライブへ行く事。音楽をやってみたりする事。

 彼女は恐らく同年代のはずなのに、その姿に見合ない豊富な人生がそこに詰まっていた。

 その話を聞く時間は本当に心の底から楽しかった。今まで覚えていた未来への不安、恐怖が一瞬で吹き飛んでいた。何より自己否定をあまりしなくなっていた。自分は無能だと時間さえあれば考えていたのに。

 

 

 

 昼から登校はしなくなり、彼女とはほとんど合わなくなっていた。でもその日は受験前最後の予備校の日だったから、昼から行く事にした。もちろんその分の勉強は完璧にこなした。

 

「どうも」

「あれ、えらく久しぶりですね」

「ちょっとね。今日で予備校は最後だから、顔出そうかなって」

「私はそれを良い心がけか、悪い心がけと言えばいいのか困ってます。どうしたら良いですか?」

「任せるよそんなの」

「じゃあ良い心がけしましょう。

 そうですね、もう話す事は無いんですけどね」

 

 彼女は考える人の様なポーズをとり、長く思考に耽けるが、何も思いつかなかったのか、ポーズをやめ、僕に視線を向けた。

 

「こんなみすぼらしい私ですが生きてます。でもこれだけじゃダメなんですよ。‥‥‥そうですね、もしまたダメだったら、またここに来ると良いですよ。それまでにまた楽しい話を探しときますから」

 

 みすぼらしい? 凄い綺麗なのに。

 

「そっか、ありがとう。君のお陰で少し立ち直れた」

「いえいえ」

 

 音が鳴った。そうして、踏切が棒で閉鎖される。電車の来る合図だった。

 もう来たのかと思った。それなりに早く来たつもりだったが。

 電車が来る。扉が開き、乗り込もうとする前に、自分はある事に気付き、後ろを振り返る。

 

「ねぇ、そういえば名前聞いてなかった」

 

 けどそこに彼女は居なかった。

 

 

 

 

 

 無事大学生になった。あんな生活で良く志望校に合格出来たと思う。たぶん彼女が居なかったら、腐っていただろう。ギリギリの所で彼女が助けてくれた。

 だから感謝しようと何度も昼の時間に駅のホームに足を運んでいるのだが、端っこのベンチに彼女の姿を見る事は無かった。一日中駅のホームのベンチで座って待ってみた事があるが、見事に徒労に終わった。

 みすぼらしい駅に白いワンピースの少女。今から思えば、彼女は一体何だったんだろうか。

 あぁ、本当に意味が分からないな。

 

 

 

 電車が来る。風と一緒に。

 中から人が降り、また人が乗る。その流れに合わせて、電車内に足を運ぶ。

 ふと後ろを振り向く。そこに彼女はいない。

 扉がゆっくりと閉まり、ガタンと音を立てて、動き出す。

 離れていく駅のホーム。

 壁や屋根を支える支柱に塗られた、所々剥がれた白のペンキがこうしてみれば、ただ純粋な白で、見違えるほど、綺麗に見えた。

 何故か僕はそれに彼女の面影を見出していた。

 

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