カオルは誰だ

静嶺 伊寿実

『同名の容疑者』

「犯人のカオルはだーれだ」

 タダシが顔を上げると、リツが楽しそうに数枚の紙を差し出してきた。また短い小説を書いてきたらしい。タダシは快く受けることにし、「同名の容疑者」と名付けられたものを読み始めた。


◆◇◆◇◆◇◆


 散々降った雪はもうんでいた。雪景色のペンションは重たい雪とつららをまとい、深夜の山間やまあいにひっそりとたたずんでいた。かくいう私も息を殺してひっそりとアイツに近付く。館内禁煙のペンションでは、煙草を吸うには裏口に設置された喫煙所しかない。

 部屋にアイツが居ないことを確認した私は、裏口で見つけたブロック石を手に喫煙所へ向かった。裏口から喫煙所は約五メートル。ほの暗い中、喫煙所へ向かう一直線の足跡をなぞって歩く。この後も雪が降る予報らしいので、私は足跡なんて気にしなかった。

 アイツはペンションを背に置かれたベンチに、脱力したように腰かけていた。山と動物を存分に堪能してほしいというオーナーの意向で、リスが駆け抜けるのを眺めながら煙をくゆらせることができる。そのおかげで、喫煙所へ向かう私はアイツから見えない。少しでも闇と一体化するために、ダウンジャケットのフードを目深まぶかにかぶる。もし振り返ったとしても、逆光ですぐに私だと気付かないだろう。相手が座っているおかげで、小柄な私でも十分に殴れる。

 そおっと背後から近付いて、私はアイツの頭に向かってブロック石を振り下ろした。


 「いちいち俺に言わせないでくれ」というのがアイツの口癖だった。同業の飲み会で出会ったアイツは、自信の中に見え隠れする少し淋しげなところがあり、思わず話を聞いてあげたくなった。二回目にはもう二人っきりで話をするようになり、いつしか居酒屋がカラオケに、そのうちレストラン、私の部屋となっていき、半年もする頃にはネオン街を一緒に歩いていた。奥さんがいることは知っていたが、関係は冷え切っているという愚痴を毎回聞かされていたので、すぐにでも別れるだろうと思っていた。

 それが甘かった。離婚を迫っても、私との結婚をかせても、「そんなことも分からないのか。いちいち言わせないでくれ」と繰り返すばかりで、肝心なことは言わずに私に甘えてくる。男の中でも小柄な方なアイツは、プライドだけは人一倍高かった。

 そうしているうちに最近、アイツに子供ができてマイホームを買ったことを人伝ひとづてに知った。私は憤慨した。アイツに買ってあげた腕時計もかばんも、全部アイツがマイホームを買うための準備になったのかと思うと、みじめで悔しくて、そして底知れぬ怒りが身を包んだ。

 私は最後に話がしたいからとアイツをペンションに誘い、アイツの気持ちが変わらないことを確認した私は、裏口で見つけたブロック石を見てアイツを殺す決意を固めたのだった。

「カオル……」

 雪が再びちらつき始める中を髪を振り乱して近付く私に、アイツは最後に私の名前を言った気がした。

 

 二十三時十分。大粒の雪が私と奴の間をカーテンのように降りしきっていた。

 ペンションから漏れる明かりだけが頼りの喫煙所は暗く、倒れているソイツの顔は雪で余計に見えなくなっていた。

 まさかあのタイミングでこちらを向くとは思わなかった。酔っていたのかフラフラとこちらを見た奴は、びくりとベンチから立ち上がって逃げ出した。

 だが足元が見えない喫煙所で、相手は雪に足を取られて私の目の前であっさり転んだのが私にとって幸いとなった。私は忍ばせていたロープを相手の首に巻き、背負投げの要領で息の根を止める。私とさほど背丈の変わらなかった奴は、あっさりと力尽きていった。

 これでコイツから解放される。

 私は肩で息をしながら、かつてないほどの高揚感に包まれていた。私のかぶったフードに積もった雪が、奴の顔に滑り落ちる。ざまあみろ、因果応報だ。私は最高潮のたかぶりを感じ、今ならなんでもできるような気がした。

 茂みに隠そうか雪に埋めようか迷った挙げ句、雪が積もったベンチに奴を座らせるだけにした。下手な工作よりも、一見しただけでは死んでいるとは気付かせない程度がいいだろう。このペンションにいる喫煙者は奴だけなので、朝までなら気付かれまい。

 私はダウンジャケットのフードを脱ぎ、雪降る空を目一杯見上げながらペンションへ戻った。


 翌朝。ペンションのオーナーによって発見された中林なかばやしかおるは、殴られた上に首を絞められた状態で発見された。

 遺体の死亡推定時刻は二十二時から零時前後。ペンションと喫煙所の間には足跡がいくつかあり、雪に埋もれて詳細が分からないものと、靴底がしっかりと残っているものがあった。また被害者の身体の下からは、ベンチに書かれた「カオル」という血文字も発見された。遺体所見では撲殺か絞殺か確定せず、解剖待ちとなる。被害者の身長は百六十八センチと小柄だったため、容疑者の男女は問わずに捜査することになった。

 鑑識官から遺体の状況を確認した前島まえしま警部は、部下の岩瀬いわせと共に宿泊客と相対あいたいした。

 宿泊客は三人。それぞれに被害者に対して動機があり、三人共アリバイは無かった。

 今村いまむら夏織かおる、被害者と同じ会社に勤める女性。身長百五十八センチ。昔出たAVをネタに被害者に脅されており、金銭の授受があった。

 黒川くろかわかおる、被害者の部下の男性。身長百七十三センチ。被害者からパワハラを受けており、被害者のせいで地方へ異動させられることになっていた。

 安井やすいかおる、会社員の女性。身長百六十五センチ。被害者の不倫相手であり、被害者に多額のみつぎ物をしていた。

 事情聴取と各部屋を調べている間に、解剖の結果が警部に届いた。死因は絞殺。遺体の頭部には傷が二箇所あり、生体反応のある傷と生体反応の無い傷が認められた、とのことだ。

「全員『カオル』に頭部の傷。どう考えればいいんでしょうか」

 岩瀬いわせはげんなりしたように呟いたが、前島まえしま警部はあるところを見て犯人に気付いた。


◆◇◆◇◆◇◆


「さて、犯人のカオルは誰でしょうか」

 読み終わったタダシが顔を上げると、リツがにこにこ顔で待っていた。自信があるらしい。タダシは回答に確信は持てなかったが、今日は勝ったなと口を歪ませるリツの憎たらしい表情に、負けず嫌い根性が発動した。

「全員のカオルさん」

「ふむふむ。でも殺人犯は一人だよ」

「直接的な殺人犯で言うと、男性のカオルさん。確か、黒川馨。彼が首を絞めた人だよね」

「どうしてそう言えるの」

 リツは悔しいのか口を尖らせている。

「この小説の一人称は、段落ごとに異なるカオルさんが描かれているんだよね。最初にブロック石を持って近付く人が、脅されていた安井香。二段落目は読んでそのまま、不倫相手の今村夏織。三つ目の段落がパワハラ被害の黒川馨」

「でもでも! 普通に読んだら、殴って首絞めて、終わりって感じじゃん。どうして頭の傷が二箇所もあったの?」

 これは分かるまい、と得意気な顔をするリツにタダシはぴしっと反論した。

「プロット叙述トリックだろ」


 リツは目をぱちくりとさせたまま黙ってしまった。タダシはその様子を見て、今日も勝てると気付いたことを話す。

「一人称のそれぞれ段落は、実は時系列順になっていない、というのがこの小説のミソなんでしょ。本来の順番を言うと、『いちいち』で始まる描写が最初で、雪が降っている。次に『二十三時』で始まる首を絞めるシーンが来て、最後に『散々』で始まるブロック石を持って近付くシーンが来る。ちょっと分かりにくいけれど、『いち』『に』『さん』と冒頭の語句が時系列を表しているんじゃないかな。ちなみにもしかして『翌日』の『よ』って、四番目のことかい?」

 タダシが小説を指差しながらリツに尋ねた。リツは悔しそうにコクリとうなずく。

「つまり、不倫相手か近付いて殴り、パワハラ社員が首を絞めて殺し、座らせた工作に気付かないまま脅迫女性がまた殴った、ってことでしょ」

「当たり」

 リツはいじけながら返答した。

「じゃあダイイングメッセージは?」

 もう分かっているんでしょ、というニュアンスでリツは聞く。タダシはこれに関しては自信が無かったが、思いつくままに解答した。

「たぶん最初に殴られた後に書いたのかな。被害者が『カオル』と呼ぶのはきっと不倫相手だけだっただろうし、この時殴られて血も出ているだろうし」

「じゃあじゃあ、警部が犯人を確信した理由は?」

「これに関してもたぶんとしか言えないけど、首を絞めた時に被害者の血がダウンジャケットの背中に付いちゃったままだったんじゃないか。頭部に傷がある被害者を背負ったように絞めちゃったから。きっと部屋を調べられた時に見つかってしまったんだろうな」

「正解ー。くそう、今回はイケると思ったんだけどなあ」

「よくできてるけど、もう少し描写が優しくてもいいかな」

「字数と頭のパンク的にこれが限界だったの」

と話していると、ミステリーサークルの先輩がやって来て小説を覗き込んだ。

「お、新作か。『斉藤律 作』、これお前らのどっちが書いたんだ?」

 聞かれたリツが手を上げる。

「お前ら漢字が全く一緒なんだから、そろそろペンネーム考えておけよ」

「はーい」

「先輩もこれ読んでみて下さいよ」

 一人でも騙してやろうと挑むリツを見て、斉藤さいとうタダシは可愛いなと微笑んだ。

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カオルは誰だ 静嶺 伊寿実 @shizumine_izumi

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