第四話

 目を覚ますと真っ先に視界に入ったのは白い天井だった。ツンと鼻をつく消毒液の匂い。ややあって自分が病院のベッドの上にいるのだと気付いた。まだぼんやりとした頭で何とか記憶の糸を手繰る。


 自分は呪いを解くために八劔山へ行き、祠に向かっている途中で誰かに腕を引かれてそのまま斜面を転げ落ちて__

 そうだ、呪い。

 がばりと勢いよく体を起こしたその瞬間ずきりとした痛みが走った。声にもならぬ声を上げ顔を顰める。どこもかしこもズキズキと痛くてたまらない。


 あまりの痛みに腹を抱えるようにして呻いていると病室の扉が開き安っぽいサンダルの音が近付いてきた。

「ようやく目が覚めたようだな。体の具合はどうだ?」

「紫崎さん……? なんでここに……?」

「質問に質問で返すのは君の癖なのか? だとしたら直すことをオススメするぞ、少なくとも僕の前ではな」

 そう言って彼は眉間にシワを寄せる。けれどその表情にはどこか安堵の色も浮かんでいた。

「三日間も目を覚まさないんだから流石の僕も焦ったじゃないか。腕だけではなく魂まで持っていかれたのかと思ったぞ」

「そ、そうだ! 腕……っ!」

 ハッとして右腕を確認する。病院服を捲りあげて確認したそこにはもう夥しい数の手の痕は残っていなかった。

「……よかった……」

 はぁぁあ、と長い息を吐き出す。

「紫崎さんが祠に御札を貼ってくれたんですか?」

「馬鹿を言え。落っこちた君に構っていてそんな余裕なかったに決まっているだろう」

「え、それじゃあ誰が……?」

「僕があの山を管理している奴らにクレームを入れてやったんだ。君たちのせいで被害者が出たんだぞってな。いやぁ久しぶりにスッキリした」

 そう口に出す彼は今まで見た中で一番清々しい顔をしている。相変わらず彼の言葉には首を傾げる部分があるがひとまずお礼をすれば、不意に彼は真剣な表情になってこちらを見つめた。


「きっと、君はこれから何度も僕のところへ助けを乞いに来る。怪事件に巻き込まれたと言ってな」


 なんだったら賭けてもいい。

 自信たっぷりに彼は口に出す。自分としてはこれ以上彼にお世話になりたくないし怪事件に巻き込まれるのだって御免だ。

 けれど彼の発言には何だか妙に説得力があり、本当にそうなるのではないかという予感がしてならなかった。


「それと胡散臭さに手足が生えて歩き回っているような男に話しかけられることがあるかもしれないが絶対に僕の名前は出すなよ。もし仮に君が口を滑らせてあの男が僕のもとへ来ようものなら、僕は二度と君の相談事には乗らないからな」

「いや、紫崎さんも十分胡散臭いと……」

「僕が胡散臭いだと!? いいか、胡散臭いという言葉はあの男のためにあるようなものだ! 断言できる!」

 そこまで言われるなんてその人も可哀想だな。見知らぬ人物のことを不憫に思いながらも「まあ気を付けますよ」と返事をしておく。


 その返事は正解だったらしく彼はうんうんと数度頷き、それからくるりと踵を返した。

 そうして病室を出る直前、ふと言い残したことがあるかのように振り向く。


「生還おめでとう。次も無事、生きて怪事件から逃れることができるといいな」


 まあ僕もできる限りは協力しよう。

 そう言い残し、ひらりと片手を上げ彼は病室を後にする。

「……何なんだあの人は……」

 スライド式の扉が閉まる。

 静かな病室のベッドの上、ため息混じりに呟いては頭を抱えた。


 __これはまだ全ての始まりにしか過ぎなかっただなんて、この時の自分には想像もつかなかったのだ。

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紫崎怪異相談事務所 櫻田 律 @Sakurada_Ritsu

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